ドラン(2)
「だからね、そのときワタシに天啓が下ったのよ。この世の悪を討ち滅ぼせ! 勇者の末裔としての使命を果たせってね」
何度同じ話を聞いただろう。ドラン国随一の危険地帯と恐れられるカルド草原に向かう道中。四人はダンの馬車で移動していたが、デボラお嬢様の話は途絶えることない。同道者三人のうんざり顔を無視しているのか気付いていないのか、彼女は執拗に勇者という単語を連発する。
「あれはきっと夢なんかじゃないわ……。だって、天啓通りにお父様の書斎には、例の聖剣が置かれていた。あれこそ魔を討ち滅ぼす唯一無二の武器なのに、お父様ったら、勇者の使命も忘れて金儲けのことばかり考えて、情けない!」
デボラの話を要約すると、彼女は勇者の末裔であり、天啓によってその使命を知り、魔を滅ぼす旅に出る必要に迫られたという。天啓の証明こそ、オルウェルが持たされている聖剣であり、覚醒の瞬間にその真価を発揮して、魔の王を両断するのだという。
魔の王とは、かつてドラン一帯に出没した魔物の長であり、かつてドランの勇者に両断され地の底に封印された邪竜のことを指しているらしい。
ラシェルは大砲の手入れをしながら、隣に腰掛けていたオルウェルに訊ねた。
「……デボラさんが勇者の末裔というのは本当なんですか?」
オルウェルはデボラの注意がこちらに向いていないか確認してから、小さな声で、
「……勇者の末裔を名乗っている血筋はドラン国全域に500以上あります。その信憑性は、まあ……」
「聖剣というのは?」
「このボロボロの刃の剣は、恐らくご主人の単なる収集品です。ご主人様は骨董品に目がないものですから」
「代々伝わる由緒正しいものではないと?」
「推測でしかありませんが」
「でも、その聖剣とやらは、デボラさんのお父様の書斎に置かれていたんですよね。他の収集品も書斎に置かれているんですか?」
「いえ」
オルウェルはラシェルが質問を重ねてくるので怪訝に思ったようだった。少し表情が歪む。
「普通の品物は専用の部屋を用意して、そこに陳列されています。書斎に置かれているのは、特別ご主人様が愛でていらっしゃった逸品かと」
「その聖剣は収集品の中でも特別な品物ということですね?」
「まあ……。書斎に置かれている品物は頻繁に変わっておりましたが。ところで、ラシェル様」
オルウェルはここでラシェルに質問を返してきた。
「私は全くの門外漢ですので、判断できかねるのですが、その剣には何か特別な力が秘められているのでしょうか?」
「ああ……。そこのところが、私にも気になっていたのですが」
ラシェルは荷台に無造作に置かれたその剣を見つめる。
「魔術的な観点から言えば、この剣はごくごく普通の武器です。ただ、デボラさんの話を聞いていると、ただの武器ではないような気もするのです」
「まさか、お嬢様の話を信じておられるのですか?」
「いえいえ」
ラシェルは慌てて言った。
「他人を疑うことは簡単にできますが、疑うことそのものを疑うことも、ときには必要だろうと。デボラさんは確かに自分を見失っている感はありますが、純粋な人に見えます。嘘をついて自分をごまかしているという感じはありません」
「ええ、確かに、お嬢様は歳不相応なまでに無垢かもしれません」
「ですから、全てが真実ではないにしても、その言動全てが偽りだとは思えません。彼女が狂人だというのなら、話は別ですが」
「狂人ですって? それはさすがに」
オルウェルが明らかに気分を害したので、ラシェルはすぐに謝った。しかしその可能性は少なくないだろう。傍から見れば、デボラは死にたがっているように見える。それほど無謀な旅に出てしまっている。
「……管理区域からそろそろ外れます」
馬車での旅は三日で終わった。オルウェルが指し示した砦にはドランの深青の旗がはためき、巡視路の上から兵士が手を振っていた。来客がよほど少ないと見え、兵士がやたら嬉しそうだった。
「もしかして、物資の補給と思われてるんじゃないか?」
御者台に立つダンが不安げに言う。ラシェルは頷いた。
「あの歓迎ぶりは、そうとしか思えませんね。オルウェルさん、デボラさんの名はこの辺境でも通じますかね?」
オルウェルは頷いた。
「ご主人様の家名はドラン全土に響き渡っております。デボラお嬢様に危害を加えるようなことはありません」
「なら、いいんですけどね」
ラシェルはドラン国の兵士を遠目で確認した。およそ規律正しい軍とは言えない。なにしろ兵装がバラバラで、まるで山賊のような恰好をしている男もいる。丁重なもてなしが受けられるとは思えなかった。
果たして、砦の門を開いてラシェルたちを迎え入れた砦の兵士たちは、補給物資がないことに戸惑い、そして口々に文句を言った。
「カルド草原に行くだって? そんなに死にたければ好きにすればいいさ。けど魔物を引き連れて逃げ帰ってきたって、門は開けられねえからな」
ラシェルは大砲を背負った。ダンも自らの斧を振り回し、周りの兵士を慄かせてから、肩に担いだ。
「ここから先、馬車は使えません。道が整備されていませんし、魔物がいるというのが本当なら、喰われてしまうのがオチですからね」
デボラは満足げだった。オルウェルに聖剣を持たせ、自らは小剣を腰に携え、意気軒昂としている。
「いよいよ新たな勇者伝説が幕を開けるのね。カルド草原の奥地に眠る邪竜を完全に滅ぼしたとき、ドランの黄金時代が始まるのよ!」
デボラのその言葉に、周りの兵士たちが嘲笑した。デボラは顔を真っ赤にして兵士たちに殴り掛かりそうになったが、さすがにそれはダンが止めた。
「落ち着けよ、お嬢さん。あんたの剣は魔物に振るわれるべき。そうなんだろ?」
「剣は使わないわ、この拳で顔面を砕く!」
「やめとけよ……」
「ワタシはね! 魔の王を倒す為に旅をしているのよ!? こんな雑兵どもに馬鹿にされる謂れはないわ!」
兵士たちが険悪な表情になる。彼らは日々、ドランの居住地域に魔の侵入を防ぐべく戦っている戦士たちである。歴戦の自負もあるのだろう。デボラの挑発で本当に乱闘になる可能性がある。
ラシェルは嘆息した。
「契約期間が、確か、お嬢様の気が済むまで、となっていましたよね。いったいどれだけの期間、この人に振り回されることになるのか……」
ダンに引き摺られて、デボラは砦の奥に運ばれていった。その間にもデボラはお嬢様らしからぬ罵詈雑言を兵士たちに浴びせかけ、一触即発の雰囲気になった。
「本当は、一晩ここで休ませてもらうつもりでしたが、やめておいたほうがいいかもしれません」
ラシェルの言葉に、オルウェルは絶望的な顔になった。
「ろくな準備もなく、カルド草原に挑むことになるのですか……。道中、お嬢様の気が変わってくれれば、と願っておりましたが」
「カルド草原は、そんなに危険な場所なんですか?」
「ドランで最も魔物の生息が多い地域とされています」
オルウェルは相当にガタがきているこの石造の砦を見渡す。
「この砦は、ドランの兵士たちにとって、死地と綽名されております。赴任されて一年生き残れる者は五割。戦死者数が多く、兵士の補充も頻繁になされていますが、常に必要最低限の人員しかいないと言われております」
「なるほど。この砦が破られると、大変なことになる?」
「どうでしょう……。昔ならいざ知らず、今は越境門で傭兵国家との契約も容易ですから、そのときは借金してでも防衛線を構築し直すことになると思いますよ」
「大変なことには違いありませんね」
ラシェルの言葉にオルウェルは深く頷いた。
砦の兵士たちは四人を急き立てるようにしてカルド草原へと送り込んだ。当然、カルド草原に行く人間も、そこから帰ってくる人間もごく稀であるから、カルド草原方面への門は非常に小さく、巨体のダンが潜り抜けるのにひどく苦労した。
ラシェルの大砲もぎりぎり門を通過し、安堵した。もしここを通れなければ砦の外壁からこの大砲を落とさなければならなかった。あるいは自分が背負ったまま飛び降りるか。
薄雲が空に張り付く不愉快な天候だった。雨が降りそうではなかったが晴れ間が僅かで湿った風が吹き抜けている。
今のところ魔物の気配はなかったが、背の高い草の陰に何かが隠れているかもしれない。デボラは大きく伸びをして、晴れやかな表情になっていた。
「さあ、英雄さんたち。このデボラについてきなさい! 大丈夫、勇者のワタシが全員守ってあげる!」
この経験浅いお嬢さんが、いつ魔物との戦いに恐れおののき、退却を命じることになるのか。ラシェルはそれが今日にでも起こればいいのにと願ってやまなかった。