ドラン(1)
越境門を潜り、ドラン国への入国審査を抜けたラシェルは、延々と続く街道と風にそよぐ低木林を遥かに見て、一言呟いた。
「……また田舎ですか」
英雄派遣会社のD級社員として働くラシェルは、ここ数年、ほぼ常に出動していた。依頼の内容について特筆するようなことはなく、小口の仕事ばかりで、雑用にも似たことを次々と命じられている。忙しいのは実績を認められているからだと自分を慰めているが、同僚の中にはほとんど仕事のない社員もおり、彼らに少しでも任務を振り分ければいいのにと思わないこともない。
「よお。お前、初めてだったよな、一緒になるの」
越境門の傍に馬車が停まっていた御者台に立つ大男は、同じくD級英雄のダン。彼が置いている戦斧の重みだけで、荷台が歪んでいた。ラシェルはそれを批判的に見た。
「……そしてまた、馬車ですか……」
「まさかお前、電車とか自動車で移動しようと思ってたのか。ここの文明レベルを考えろよ」
「分かってますよ。ちょっとここ最近、移動手段が同じだったもので」
ラシェルは背負っていた大砲を荷台に投げ出した。そしてどっかと御者台に並び立つ。
「ダンさん、ですよね。斧を遣うんですか?」
「ああ。肉弾戦が専門のつまらん男よ。そう言うお前はそのどでかい銃を遣って戦うのか?」
「銃ではありません、大砲ですよ。手入れが大変ですが、非常に強力な武器です」
「弾薬とか砲弾とかは持ってないのか?」
「万能規格ですので。現地調達です」
「へえ」
ダンは手綱を握り、二頭の巨大な輓馬に合図した。荷台の車輪を軋ませながらも何とか進み始める。依頼人のオルウェルとは宿場町の宿で待ち合わせをしていた。
街道の風景は穏やかで、長閑な鳥の声も聞こえる。草原や低木、ちょっとした丘陵には小さな禽獣が生息し、人間の支配が及んでいないことを端的に示している。
「ドランとかいったか、この国……。事前に渡された資料には、魔物が蔓延る修羅の国って書かれてたんだが、そんな雰囲気はないよな?」
「この周辺は魔物狩りが管理している区画らしいですからね。そこから外れれば魔物と戦えますから、安心してください」
ダンが首を傾げる。
「おいおい、まるで俺が魔物と戦いたがっているみたいじゃないか」
「そうじゃないんですか? 貴族のお嬢様の子守りなんか御免だって顔に見えますよ」
「どんな顔だよ。それはお前の心情だろ」
二人で言い合っている間に、目的地に着いた。その宿場町はそこそこ活気があったが、ほとんどがそこの住民らしかった。本来なら街道を行き交う旅人で賑わっているべきだと思うのだが。ラシェルは事前に頭に叩き込んでいたドラン国の地図を頭に思い出した。この位置にある宿場町がこれほどの人通りで済むはずがない。
何かあったな。ラシェルは確信した。
とはいえ、今回の任務と関わりがあるとは限らない。待ち合わせしている宿まで直行した。さすがに巨大な大砲を背負ったまま移動すると人目が鬱陶しいので、馬車の荷台に括りつけておいた。
しかしダンはその巨大な戦斧を携帯していた。背に縛り付け、その柄を地面に引き摺りながら歩いている。当然、注目を浴びた。
「そんな大きな武器、置いてきてくださいよ。みっともない」
「ラシェル、お前は何も分かってねえな。今回の依頼人を忘れたのかよ。武術にかぶれたお嬢さんだぞ。こういう分かり易い武器に食いつくに決まってる」
「食いつかせてどうするんです。あんまり刺激を与えないほうがいいのでは」
「早いとこ仲良くなったほうがいいだろ? 相談もなしに勝手な行動をされても困るしな」
一応、任務のことを考えて行動しているのだな。ラシェルは渋々納得したが、やはり斧を引き摺って歩く彼の姿は物騒以外の何物でもなかった。いつ騒ぎになってもおかしくない。
目的の宿に到着すると、オルウェルが待っていた。二人の姿を認めると、深々と頭を下げてくる。
「お嬢さんは、中かい?」
ダンが訊ねる。オルウェルは頷いたが、すぐにかぶりを振った。
「少々お待ちください。そろそろ出てくると思いますので」
ラシェルとダンは顔を見合わせた。はたして、宿を飛び出してきた少女がいた。
年齢は16歳と聞いていたが、まさしく。しかし貴族令嬢と聞かされていたので、もう少し高貴な雰囲気を纏っているかと思いきや、来ている服装は平民のそれと全く差異がなく、履き潰した靴や、髪を乱暴に束ねている紐は油か何かで汚れているし、酷い恰好だった。
「オールウェール! 勝手に護衛なんか頼んじゃって! ワタシはワタシの道を行くのよ! この手で世界を切り開く! 他人の力なんてまっぴら御免! 英雄が来る前にトンズラするわよっ!」
甲高いキンキン声。本当にこんな少女が、お嬢様なのか? ラシェルは呆れた。
オルウェルは手巾を取り出し、汗を拭っていた。
「いえ、デボラお嬢様……。もう、お見えになっていますよ」
「へ?」
デボラお嬢様はようやくラシェルたちの存在に気付いた。つり上がった眼、血色の良い肌、昼食で食べたと思われる口周りの食べかす。貴族とは結びつかないつらをしていた。
「あなたたちが英雄!? うっそ! 依頼したのは昨晩って話だったけど、もう来ちゃったの!?」
「お嬢様、申し訳ございません。嘘をついておりました。依頼を出したのはもう二週間ほど前のことになります」
デボラはオルウェルを睨みつけた。そして平手でバンバン家庭教師の肩を叩く。
「どういうことよオルウェル! ワタシが嘘を嫌っていることは知っているでしょうに! 嘘は悪! 悪は絶つ! その為にワタシはあなたから剣術を学んだのよ! この剣で悪を絶つ!」
ぎゃあぎゃあ騒がしいデボラお嬢様に、ラシェルはかける言葉もなかった。今からこの少女を護衛しなければならないのか? 護衛自体は造作もないだろうが、まともに話をしたくない。絶対に不毛なやり取りに終始する。
「まあまあ、その辺にしとけや、お嬢さん」
ダンがデボラの腕を掴む。デボラが大男のダンを睨みつけた。
「離しなさい。英雄とはいえ、ワタシに触れることは許さないわよ」
「お前さんがそこの人を叩くのをやめるんなら、離してやるよ。そこの人はお前の先生なんだろ? 叩くなんて失礼だとは思わないのか」
デボラはダンの腕を振り払った。その動作があまりに鋭かったので、ダンがよろめいた。確かに単なるか弱いお嬢様という感じではなかった。多少なりとも武術の洗礼を受けた人間の動きだ。
「オルウェルのことは尊敬してるわ。けど、嘘をついたのよ!? 叩かれて当然だとは思わない?」
「お前がそんなんじゃなかったら、オルウェルさんも嘘をつかずに済んだんじゃないのか?」
「なんですって?」
「嘘をつかせたのはお前のその無鉄砲な言動が原因だろうに。お前に少しでも分別があったなら、オルウェルさんがこんな苦労をせずとも済んだはずだ」
「はあ?」
デボラの眼にみるみる殺気が満ちる。単に激昂しているだけではない、危険な香りを漂わせている。それを見たダンが佇まいを改める。
「ま、待ってください」
オルウェルが二人の間に割って入った。
「私のことならいいのです。私が嘘をついたのは事実ですし、そのことがお嬢様のご機嫌を損ねるであろうことは、分かっておりました」
「いやいや、オルウェルさん、あんたがそんなんだから、お嬢さんがワガママに振る舞うんだぜ?」
「いいのです。私の今の役目はお嬢様の安全を確保すること――その為ならどんな犠牲も払いましょう」
なんという献身だろう。ラシェルにはこの男性の心情がよく分からない。よほど高額の報酬を約束されているのか。いや、デボラは実家から出奔しているはず。今は何の後ろ盾もない小娘に過ぎない。純粋に彼女を守ってあげたいと思っているということだろうか。
ラシェルは、気が進まなかったが、自分が仕切るしかないと判断し、前に出た。
「デボラさん、それからダンさん。ここはオルウェルさんの献身に免じて引いてくれませんか。これから一緒に旅をする仲です。あまり軋轢を生みたくはありません」
ダンが肩を竦める。
「俺は別にいいけど、このお嬢さんが分からず屋じゃあな……」
「ダンさん。あなたの役目はデボラさんを守ることであって、彼女を教育することではありませんよ」
むう、と黙り込んだダン。デボラは口を尖らせていた。
「護衛なんか必要ないもの。ワタシは親子の縁を断ち切ってまで、巨悪を討ち滅ぼす為の旅に出たっていうのに!」
「今のあなたは最も親しいはずのオルウェルさんに嘘をつかせてしまうような不完全な人間です。巨悪を滅ぼすどころではありません」
「な、なんですって!」
「落ち着いてください。落ち着けばそれで済む。あなたの先生もそれを望んでいますよ」
デボラはしばらくラシェルを睨みつけていたが、やがて大きく息を吐いた。
「分かったわよ。ワタシの力は魔を滅ぼす為のもの。こんなところで消耗している場合じゃないわ。オルウェル、ワタシの部屋に聖剣を置いたままなの。持ってきてくれるかしら」
「はい。承知いたしました」
オルウェルが宿の中に消える。デボラはラシェルから視線を外そうとせず、やがて舌打ちした。
「あなた、弱そうね。あなたがD級英雄なら、ワタシはB級ってところかしら?」
ラシェルは返事をしなかった。口を開けばこの小娘がと悪態をついていたことだろう。




