表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄派遣  作者: 軌条
第一話 太陽を撃ち墜とせ
1/45

取材許可

 わたしが見聞きできるのは、この世界の真実の内、ごく一部のことである。戦争で家族をなくした兵士の話を詳細に聞き出し、それを丹念に書き連ねて多くの読者に話題を提供したところで、それは結局のところ、伝聞の伝聞に過ぎない。悲嘆に暮れる兵士の体験や心情全てをわたしやわたしの本の読者が理解できるわけではない。


 若手の記者だった当時のわたしの困惑が、この場所では頻繁に思い起こされる。




 全世界で唯一と思われる英雄派遣会社、俗称カンパニーの取材を開始したわたしは、密着初日にしてカンパニーの社長と個人的な親交を結ぶことに成功した。わたしがカンパニーの敷地内で道に迷っていると、背の高い果樹の枝から滑り落ちそうになっている社長を発見、咄嗟に落下地点まで走り込み、見事その巨躯を受け止めたのだった。


 おかげでわたしの右肩は脱臼、先年から痛めていた腰の具合が悪化するという憂き目にあったが、悪いことばかりではなかった。社長がわたしのことを「命の恩人」だと会う人全てに紹介してくれるので、カンパニーの従業員たちへの心証が良くなった。取材をする上でこのアドバンテージは非常に大きい。ただ、この負傷によって、本格的な取材の開始が十日ほど遅れることになった。



 わたしは焦っていた。わたしは情報誌「払暁」での連載を勝ち取るべく正念場に立たされていた。今度の企画が通らなければ、末端の契約社員でしかないわたしの社内での待遇が悪化することは明らかであり、刺激的で読者の気を惹くようなネタが欲しかった。締切が迫る中でこの十日のロスは非常に痛く、根回しをしたり外堀をじっくり埋めるようなことをしている暇がなかった。


 社長の命の恩人である。その強みを傲慢なまでに押し出し、取材許可を取り付けた。社長はわたしを負傷させてしまった負い目もある。わたしの取材の申し込みを拒絶することはできないだろう。


「お待ちしておりました」


 カンパニーのエントランスで受付嬢に話しかけようとしたそのとき、脇からひょっこり顔を出した少女がいた。歳のころは13前後。従業員が着用している紺色の制服ではなく、白のワンピースを着ている。恰好だけ見るなら企業見学に来た学生さんといったところだが、どうもこの場所に馴染んでいるように見受けられた。


「きみは?」


 わたしが佇まいを正して尋ねると、少女は黒髪をぎこちなく払ってにこりと笑んだ。


「社長から記者さんの案内をするように仰せつかっております。キャスとお呼びください」


 わたしは、以前社長と雑談をしていたとき、ウチの孫娘が可愛いんだよと何度も自慢されたのを思い出した。そこで、


「もしかしてきみは社長のお孫さんかな」


 キャスは目を丸くした。


「まあ。さすが有名誌の記者さんですね。慧眼ですこと」


 少女は大袈裟に辞儀をして、改めて挨拶を繰り出してきた。


「御賢察の通りです。ですが、一応ここでの肩書きもありますの」

「へえ?」

「広報部特別接待係――もっと分かり易く言えば、記者さん専属のお世話係に任命されました。祖父は記者さんに心底感謝されていましたよ。可能な限りの取材を許可するように、と全社員にも通告しておりました」

「それはありがたいね」


 わたしはキャスに手を差し伸べた。


「よろしく、キャス。お世話になるよ」

「はい。では、こちらにどうぞ。早速オフィスにご案内いたします」


 再び深々と辞儀をしたキャスの所作が可愛らしくて、なるほど、社長が誉めそやすのも無理はないと感じた。もし目覚ましいネタが見つからなければ、この子について取材するのも悪くはないかもしれない。こういう特殊な場所で働いている幼い子供の話となれば多少の引きはある。ただ、それはさすがに社長に悪いかな。


 わたしはキャスに連れられてエレベータに乗り込んだ。オフィスは高層階にある。目的階に着くまで、わたしとキャスは他愛のない話をして時間を潰した。





 英雄派遣会社とは何か。名称ばかり有名で、市井の人々も好んで話題にするが、その実態を知る者は案外少ない。


 国家規模の大事件、災害、あるいは魔物の出没。そういった緊急事態に対応すべく選出された各国の英雄たちを派遣する会社。これが最も簡単な説明となる。英雄の定義とは。契約の詳細は。過去の実績は。そういった話を続けようと思えばいくらでもできるが、わたしが記事にしようと思っているのはこの会社の実態、つまり生の現場の取材から導かれる新鮮なネタだった。


 このカンパニーには3000名にも及ぶ英雄が所属していると言われる。そして日々その数は増大している。英雄には戦力別にランク付けが為されており、A級、B級、C級、D級、E級の五種類がある。その中でも、会社の主力はC級と言われる。A級やB級の英雄は確かに強力だが、性格に破綻をきたしている者が多く、穏和に事態を収束させる力が乏しいらしい。


 わたしはキャスと共に、英雄たちに話を聞くべく社内を彷徨っていた。しかし見かけるのはおよそ戦いには無縁の事務員ばかりで、英雄らしき人物はどこにもいなかった。

 キャスに尋ねても、彼女も社内で英雄と会うことは滅多にないらしく、お手上げ状態だった。あまり優れた案内人とは言えないらしい。もちろん口に出して責めることはできなかった。普通の記者はこれほど自由に社内を歩き回ることはできない。むしろこれでネタを掴めなければ、わたしに記者の才能がないということを意味するだろう。彼女の問題ではない、わたしの資質の問題だ。


「あっ。こっちの談話室の飲み物は充実してますよ。空調もばっちりですし」


 キャスは当初の慇懃さが少し失われ、年相応の口調が見え隠れするようになっていた。わたしはそれを好ましく思っていたから、敢えて指摘するようなことはしなかった。


「そっか。じゃ、オススメを貰おうかな」

「ちょっと待っててくださいね!」


 キャスは飲み物を取りに小走りになって消えていった。わたしは近くの椅子に腰掛けて、一息ついた。在籍している英雄は3000人以上と聞いている。社内に入れば、すぐに誰かと会えると思っていた。その考えが甘かったようだった。そもそも普通の事務員に見えて、実際は戦力の一端を担う戦士だった、なんて場合も考えられる。しかしいちいち聞いて回るのも時間がかかり過ぎる。


 少し思案しているところに、妙齢の女性が歩み寄ってきた。ふと視線を持ち上げ、目が合った。切れ長の双眸、薄く浮かべた笑み、腰まで伸びた輝くような金髪。わたしはその存在感に圧倒されて息をするのを忘れた。


「払暁の記者さんですね?」

「はい」


 わたしは立ち上がった。その女性はわたしとほぼ同じ身長だった。女性としてはかなりの大柄である。


「取材は順調ですか?」

「まあ、ぼちぼちですかね」

「あまりよろしくない、と」

「……はい」


 わたしは素直に頷いた。


「純粋に、カンパニーのことを取り上げるなら、幾らでも書けます。ですが、わたしはここで働く英雄たちから話を聞きたいのです。社長や他の英雄が直接会ってスカウトし連れて来た一騎当千の猛者たち……。彼らと話がしたい」

「……ふふ。社長がおっしゃっていましたよ。記者さんは、英雄と会って話をするまで、帰ろうとしないだろうと」

「はい?」


 女性は蠱惑的な表情を浮かべた。あるいはそれが彼女の標準的な微笑みだったのかもしれない。その濃厚な色香にわたしはクラクラした。


「取材するのにうってつけの案件が、ついさっき入りましたわ。A級が出動するかもしれません」

「A級? A級って……。社内に6人しかいない、あの?」

「はい。今から依頼人と会って契約を結ぶところです。御一緒します?」

「もちろん、お願いします。ですが、あなたは……?」


 女性は豊満な胸の前に手を添えて軽く会釈した。


「申し遅れました。社長秘書のエルと申します。主に恩人案件の担当をさせていただいております」

「お……、恩人案件?」

「あなたもその内の一つですから、お声をかけさせていただきました」


 エルは微笑む。後日、キャスの話によれば、そのときのわたしの顔はどうしようもなく弛緩していて、これ以上なく鼻の下を伸ばしていたという。非常に惜しいことだが、今後エルに関する記事は一切書かないようにしよう。彼女のことを書こうと思ったら過剰な賛辞で記事を埋め尽くしてしまうこと確実。記者生命が絶たれかねない。冗談ではなく、わたしは心底そう感じていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ