十八幕・鳥羽伏見の戦へ向かう二人の鬼
坂本龍馬暗殺から三日後。
慶応三年十一月十八日夜――。
新選組の参謀であった御陵衛士の伊東甲子太郎は近藤の妾宅にて接待を受け、油の小路にて新選組隊士に暗殺された。
路上に捨てられた伊東の亡骸を回収する御陵衛士は新選組の待ち伏せにより、試衛館以来の同士だった藤堂平助も死亡した。藤堂は逃げようと思えば篠原泰之進達のように逃げられたが、腰にある剣がそれを許さなかった。
伊東派の壊滅により、脱退は死――という法度の恐怖政治は新選組内部で生きていると土方は明示したが、すでに歴史の流れは新選組を通り越していた。今までの内部粛清や伊東派の離脱などで確実に減る隊士はすでに百を切ってしまっていた。全盛期は京の町を我が物顔で歩き、不逞浪士達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったが、最近では新選組だろうと反撃を浴びる機会が増えていた。
そして、開戦に向けて動く幕府と薩長連合との合間の時期に、京史朗は椿と夕暮れの鴨川沿いを歩いていた。すでに京の市民は避難を始めていて、四条の鬼京屋も閉められていて椿も近日中に避難をするようだ。故に、幕軍として戦場に立つ京史朗とは今生の別れになるかもしれない事を二人は思いながらも言葉には出せない。
『……』
肌寒い道を椿と歩く京史朗は、枯葉になる木々を見て言う。
「春の道・散った桜に・夢の跡」
もう冬なのに何故春の句なのかとその句に違和感を覚えた椿は、
「……何故春の句を?」
「春になれば、徳川の世に平定されているからよ。それと……」
「それと?」
夕焼けの空を見上げたまま京史朗は黙り込む。
日の明かりからか京史朗の顔は赤く染まっていた。
そして、椿の頬も同じ色に染まる事になる。
「椿と祝言を上げんといかんからな」
二重の丸い目を大きく開き、椿は息が止まる。
夕焼けを背にする伏見奉行は愛しき女に言う。
「幕府軍が勝つまでは避難をしておけ。勝ったら迎えにいくさ」
「……はい」
二人は口付けをかわし、手をつないだまま鴨川沿いを歩いた。
そして、京の町はかつてない戦渦の中に突入する――。
※
激動の慶応三年の十二月に新選組は薩長連合との最前戦になる伏見奉行所に陣を移した。
京都朝廷が慶応三年十二月九日に王政復古の大号令を発し、将軍・徳川慶喜に辞官納地を命じた。
しかし慶喜は自分一人の一存で即決はできないとし、表向きは恭順の姿勢をみせて京都二条城から大坂城に移った。
だが、その後の慶喜の動きに不審をおぼえた薩摩藩の西郷は政治的な駆け引きなどでは日本国の中枢の根本的解決は無理だと英断し、開戦あるのみと宣言し薩摩藩兵を江戸で破壊活動をさせ出した。
この事態に激昂した庄内藩による薩摩藩邸焼き討ち事件が起こった。
旧幕臣の中で薩摩討伐を求める声が大いに高まり、家臣達に押し上げられる形で慶喜は京都への出兵を命じたのである。
同十二月十八日。
近藤勇が永井尚志との軍義の為に二条城に赴く際に墨染で伊藤一派の残党に狙撃され、土方歳三が新選組の臨時局長として指揮を取る事になった。それはこれから行われる鳥羽伏見の戦を最前線で指揮する将としての役割を持つ事である。
最近の時勢を見越して脱走した隊士と、伊東一派の粛清により全盛期より半数以下に隊士を減らす新選組は会津藩にかけ合った結果、幕府軍の精鋭部隊を送られる事になった。
その全ては、この新選組の四番目の屯所である伏見奉行所の奉行の算段だった。
この薩長連合の最前線である幕府軍が敵の士気を削ぐほどの活躍を見せれば、この戦は確実に勝てる戦いである。
夜談の情報によると、薩長連合は戦に出られる勢力の全てを出し切っており、増援は無いらしい。
人員こそ幕府軍よりも圧倒的に少ないが、薩長連合は金にものを言わせ新式の銃を大量に購入しているらしいが、火縄銃に毛が生えたような性能のゲーベル銃などは一発撃たせた後に飛鳥のように斬り込めば問題は無いのである。
京史朗は新たに新選組が屯所を置いた事でこの奉行所の狭さを感じていた。
いつ、開戦になるかもわからない為に、少しのことで苛立つ事も多々あった。
「手狭になったもんだなこの奉行所も」
「そうですな。こっちの準備は整ってるから後は開戦を待つだけですがね」
裏金で整えた軍備が役に立つ時が訪れた金之助は満足気な顔をしていた。
二人の視線の先に、分割された伏見奉行所の裏庭で防具をつけている男が現れた。
真剣で素振りを始める総髪の前髪を一本下ろしている小粋な男。
京史朗は新たに加入した幕府軍の頭の一人である伊庭八郎という男と組む事になった。
この男は明るくよく喋り、好色な所が気に入っていた。藍色の着物に鉢巻。銃弾すら弾けそうな厚い手甲がやけに似合う神出鬼没ともいえる剣士であった。
伊庭八郎は幕末江戸四大道場の一つである御徒町の剣術道場・練武館を開いた心形刀流宗家・伊庭家の御曹司にあたる。幕臣師弟の武術指導の学校である講武所の教授方を務めていた男で、伊庭の小天狗とも呼ばれる男だった。
そのような猛者の加入もあり、伏見奉行所は総勢二百人近い戦力が集結していた。
開戦になればこの二百人がまず、薩長の前線部隊と激突する事になる。
金之助はその新選組に嫌気がさしながら言った。
「奉行。新選組の連中はこっちの言う事は何も聞かないから、幕府兵にゲーベル銃の調練をさせやすよ?」
「頼んだぜ。薩長の奴等も火器だけは手強いようだからな」
「了解。奉行もあの狼を飼いならしてくだせーよ」
「あぁ、任せとけ」
ゲーベル銃を担ぎ、金之助は伊庭八郎以下の部隊に壁に向かって調練を施す。
すると、背後には当たり前のように黄色い装束の月影がいた。
その月影に下知を出す。
「月影、お前は京・大阪近辺の探索に集中だ。薩長の動きを見誤るなよ」
「私を誰だと思ってるの」
言うなり、月影は消える。
決戦前夜とも言える緊張状態の前線の集団では一つの問題が起きていた。
この伏見奉行所に新選組が移転してきてから、双方の間で多少の小競り合いが起きているのである。
小競り合いはやがて、喧嘩へと発展し京史朗と土方が抑えつけたが互いに今まで手柄を先に挙げようとしてきた仲の為に、中々協力をしようという気持ちが起こらないらしい。続々と進軍して来る薩長連合との戦を目前にし、高まる血の気を抑えておく事が出来ない。
両者の争いは収まる事が無く、布陣をする薩長連合に動きは見られず、ついに年号は明治へと変わった。
そして、雪の降りそうな鉛色の空を避難先で見上げる椿は、伏見奉行所の京史朗の事を思った。




