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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
27/42

十七幕・大政奉還

 ふと、夜中に目が覚めた京史朗は煙管を吸いながら壁によりかかり最近の日々を振り返る。

 吐く紫煙にも迷いが生じるように行き場も無く霧散していく。


「……」


 慶応二年六月。第二次長州征伐が発令された。

 幾度かの暗殺の危機や脱藩を繰り返し、長州藩に帰還した高杉は藩内の革命戦に勝利した。

 そして幕軍艦隊に対し前代未聞の夜間艦隊奇襲という作戦が成功し、将軍家茂の発病からの死亡に戦いの流れまで影響するように幕軍は敗退した。

 同時に、この天に味方された幕末一不可思議な男の人生の幕も降ろされようとしていた。

 これにより幕府は薩長に対して何も出来なくなる一途を辿る。

 七月。前将軍、徳川家茂との将軍後継戦に敗北した一橋慶喜が将軍家を相続する事に決定した。

 そして十五代将軍・徳川慶喜が生まれた。


「……」


 煙管を置き、月代さかやきの少し伸びる毛を撫でながら新選組の動向を振り返る。

 慶応三年の十月までの新選組の日々はこうだ。

 局長・近藤と参謀・伊東が長州との会合である九州遊説から戻った。

 そして、伊東一派の思想が佐幕ではなく倒幕にある事からの決裂により新選組から分離した。

 それは裏の事で、表向きは暗躍する薩摩の動向観察と孝明天皇の御陵警備の任で御陵衛士ごりょうえじを結成するという事だった。

 その事件の発端は新選組が幕府より幕臣取立ての話が出て、伊東がそれを飲まなかった為とも夜談からの報告で上がっていた。

 黄金期を過ごした西本願寺から離れ、新選組は七条不動堂村へ移転することになる――。

 と、羅列しただけでこれだけのめまぐるしい日々が新選組内部で続いた。

 それを監視していた京史朗もまるで別世界になるような京の町に対応出来ていない。

 その最中、伏見奉行所隠密である月影から薩摩の動きと同時に幕府の動きが怪しいと報告を出して来た。

 ついに、薩長同盟の倒幕の激流を生み出す大政奉還たいせいほうかんが起こったのである。




 大政奉還――。

 江戸時代より、徳川の歴代将軍は日本の統治者として君臨していたが、現実としては朝廷より将軍宣下があっての事だった。幕府が政治の大権を天皇から預かっているという大政委任というもので幕府は動いていたのである。

 黒船来航以降の幕末動乱期に入ると外異に恐れた朝廷が巨大な政治勢力として頭角を現し、対外国問題での幕府との意見不一致により幕府権力の実行力が停滞した。

 その中で、幕府は朝廷に対し大政委任の再確認を求めたのである。文久三年三月・翌元治元年四月に大政委任の再確認が行われた。それまではただの慣例であった大政委任の実質的制度化が実現した。

 慶応三年十月の天下を揺るがした徳川慶喜による大政奉還は、それまでの朝廷と幕府の交渉で再確認された〈大政〉を朝廷に返上するものであり、幕府の終焉を象徴する大いなる事件であった。

 だが、慶喜自身は征夷大将軍職を辞職していなかった。

 それによりまだ諸藩への軍事指導権を有していた。

 慶喜は十月二四日に将軍職辞職を朝廷に申し出るが天皇によって差し止められ、幕府の終焉が発表されるのは十二月九日の王政復古の大号令においてであった。

 雄藩の政治参加を行う公武合体を構想していた薩摩藩は、参預会議の崩壊により幕府閣僚との対立を深めた。そして切り札である四侯会議でも十五代将軍に就任した慶喜の圧力にも似た政治力により雲散霧消した。徳川慶喜を前提とした諸侯会議路線を断念した西郷は、子飼いの長州藩とともに武力倒幕路線に心酔していく。

 これにより西国隆盛は脱藩浪士ながら志士共を従え親分のようになっている坂本龍馬に非常な不快感を覚えた。この大政奉還の建白書の起草である船中八策せんちゅうはっさくを書いた坂本龍馬の存在はこの幕末において奇異でしかなく、長州の高杉晋作のように何をしでかすかわからない快男児であった。


「……坂本龍馬。これは薩摩の手に余る海の異物でごわす」


 そして、西郷は薩長同盟という巨大な戦力を幕府に向けて動かし始めた。






 慶応三年十一月五日。

 大政奉還の影の立役者・坂本龍馬は醤油商を営む近江屋の二階にいた。

 維新回転が始まり、やるべき事はやれたと思う龍馬は大海原へ出る算段をしていた。

 その龍馬を暗殺しようとする一匹の鬼がいた――伏見奉行・鬼瓦京史朗である。

 すでに京史朗は新選組監察ですら掴んでいない龍馬の足取りを掴んでいた。

 町娘に化けて京の町を探索していると偶然茶屋で龍馬を見つけ、その月影が夜談の雀の餌を龍馬の頭に乗せていた。餌を目当てに夜談は雀に追跡させ、近江屋に潜伏しているのを掴んだのである。

 京の町だけではなく天下そのものを揺るがす大政奉還という事実に、京史朗の怒りは限界を超えていた。戦国の終わりから二百年以上続く徳川の世をただの脱藩浪士の意見を組み入れた政策を幕府が認めるなどという事は、徳川家康公の許す事案ではないと京史朗は確信し、暗殺手配書の数少ない最重要人物はこの自分の手で下す――と意気込んでいた。


「海運商人風情が出しゃばり過ぎたな坂本。脱藩浪士風情が徳川の世に歯向かうんじゃねーよ、三下が」


 雨が降る近江屋の前には京史朗が黒い覆面をして悪鬼の如く立っていた。

 その背後の黒覆面の夜談と金之助が龍馬以外の殺害組であり、外にいる月影が近江屋周囲の見張りだった。

 すでに動き出している坂本龍馬暗殺計画は、京史朗が近江屋の戸に触れた瞬間一気に流れた。

 何故か開いている戸を開き、京史朗は近江屋内部に入る。

 暗くてわからないが、少し先に寝ている男がいる為に二人に任せて京史朗は二階に駆け上がると、部屋には蝋燭の明かりがが灯っていた。

 鍋のような匂いがし、同時に血生臭い匂いもした。


(暗殺ってのは始まる前から血の匂いを感じちまうよーだな)


 そう、思いながら一気に障子を開け放つ。

 突っ伏したまま寝ている標的を二人確認し、白刃をきらめかせ動くはずの京史朗は動かない。

 その瞳は真っ赤に染まる部屋の内部を見据えていた。

 そこは、血の海だった――。


「死んでいる……だと?」


 そう呆然と呟く京史朗の背後に、夜談と金之助が駆け寄る。

 二人も内部の者は全て殺害されていた為、 驚いて二階へ駆け上がって来た。

 海援隊・坂本龍馬、そして陸援隊・中岡慎太郎はすでに瀕死だった。

 かろうじて呼吸だけはしているがもう長くはないであろう。


「誰が……こんな事を?」


 夜談は眉を潜め、顔をこわばらせた。

 そして金之助は無言のまま動く。


「奉行、ここに坂本の血をつけた薩摩の御門が入る短刀を置いておきやすぜ」


 金之助は薩摩の短刀を抜き身のまま畳の上に置く。

 京史朗は薩摩に疑惑をかける為の工作をし、実際に薩摩に疑惑がかかるが、西郷の一言ですぐに新選組の謀略とされた。そんな未来の事は知らず、京史朗は虫の息の坂本龍馬を見た。血達磨のちじれ頭でしかない大男に幕府は変えられたのである。この男の考えは、将軍も朝廷も、武士でさえもいらない世界にするという話であった。


(……こいつはこの国の人間じゃねーよ)


 坂本龍馬が描くそんな世は、京史朗にとっての世では無い。


「奉行、長居は無用。始末するかしないか、決めて逃げやしょう」


 動かない京史朗に金之助は言う。

 そして夜談は龍馬の心臓に構えられる刀の切っ先を見た。

 京史朗の唇が動く。


「坂本龍馬暗殺は、鬼瓦京史朗の仕業だ。冥府で語れや坂本龍馬」


 そのまま鬼神龍冥丸はにぶい音を上げ、血に染まった。




 京史朗達が来る半刻前――。

 近江屋に雨の中、黒い傘をかぶる左頬に火傷がある白髪の男が現れた。

 十津川郷士を名乗る男を龍馬の従僕の藤吉が取り次いだ。

 不気味に思った男はやけに笑みを浮かべ、濡れた髪をかきあげるとやけに愛想が良かった。

 白い羽織袴から龍馬の海援隊の関係者かと思う藤吉は二階に案内しようとした瞬間、絶命した。


「……坂本は上か。摩訶不思議、摩訶不思議」


 白髪の裂けた口元が薄気味悪い暗殺者は無音のまま二階へ上がる。

 そして、障子を開け放つ暗殺者・摩訶衛門は龍馬に一撃を入れ、中岡慎太郎を倒した。

 応戦する龍馬も頭をやられている為にすぐに膾斬りにされ畳に突っ伏した。

 刀を凪ぐ摩訶衛門は嗤いながら言う。


「坂本、君は邪魔なようだよ。西郷の構想からはみ出るようだ。そう、ここまでして立ち上がる人間はそうはないからねぇ」


 しかし、龍馬は立ち上がった。

 その目はすでに摩訶衛門を見ず、天井に手を上げながら龍馬は答えた。

 血まみれの姿形は醜くとも、その言葉だけは澄み渡る大海でしかなかった。


「この世からはみだす者が……世を変える。この海の昇り龍、坂本龍馬の人生には世界しか見えんぜよ……」


 龍馬は霞む目で、天井に大海を写し出した。

 その大海も、やがて血の色が混じり――。


「サヨナラ。海の餓鬼大将――」


 袈裟に斬られ、龍馬は倒れた。

 そんな事を知らぬ京史朗達は暗殺の帰路の闇夜を駆けていると、犬を連れる坊主頭の男に出会う。

 その風貌、その威圧感――一度会ったら忘れられぬ土佐犬を連れ立つ無頼漢。

 京史朗は風雲の闇夜に西郷隆盛と出会った。






 惨劇の夜を隠す大雨が降っている――。

 京史朗は顔を雨粒に打たれながら背後の夜談、金之助、月影に動くなと命じた。

 西郷の背後には示現流の達人、人斬り半次郎が控えている。

 両者の間に緊迫した空気が流れる中、西郷が切り出した。


「伏見奉行。それは暗殺の衣装でごわすな……ずいぶん黒い事をしているようだ」


「俺も案外、大変なんだぜ」


 黒頭巾を取って答えながら、背後の中村半次郎の動きを注視する。

 刀の鯉口を切る中村半次郎は言う。


「西郷どん、幕府にこの男を坂本殺しとして通報するかい?」


「幕府に言うまでもない。内心ではこの奉行も幕府の終わりに気付いているのさ。だからこうも堂々と姿を晒している」


 この闇の全てを吸い込むように大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「幕々(ばくばく)としてきたのぅ」


 満足気に西郷は笑い、京史朗は刀を抜く。


「残念だが、坂本が殺されてたとしても薩摩の陰謀になるだろーぜ? 薩摩が影でしている事を幕府が知らんとでも思ったか?」


「薩長同盟の橋渡し役であるあの男がわしに罪を重ねるはずがない」


 聞きなれぬ言葉を聞き、京史朗は反復した。

 幕府の知らぬ事を知ったのは京史朗だった。


「薩長同盟……だと?」


 その言葉の意味を考え、西郷の丸顔に見入る。

 浴衣姿に羽織をはおり常に土佐犬を連れて歩く無頼漢にしか見えないこの男の腹の中はこの日本の中でも一番の闇を秘めているのだろう。

 薩摩藩は幕府に従うそぶりを見せ幕府と行動しながらも日本を統治する幕府に警戒され、池田屋事件が発端で起きた蛤御門の変では幕府側として会津藩と共に長州藩を駆逐し征伐対象とした。

 そして、裏では新選組や幕府部隊に公然と膾切りにされる長州藩士を助け続け、坂本の仲介により薩長同盟が締結され幕府を打つ組織が出来上がった。

 こうも自分の藩を守りながら歴史の裏で暗躍する男など歴史上初めてであろう。

 その歴史に残る坊主頭の無頼漢は歴史から消え去る伏見奉行所奉行に言う。


「関ヶ原以来の大合戦はもうすぐでごわす。この大合戦により日本国は一度焦土になり、列強に対抗出来る誠の日本人が生まれる。新たなる時代はもうすぐだ……」


 その言葉に夜談、金之助、月影は震えた。

 世界の変革を目前にして別世界に行くような知らぬ土地に立っているような不快感が拭えない。

 だが、京史朗は刀を突き出し言った。


「徳川の世は終わらねぇよ」


 その言葉の反骨心に西郷はそうでなくてはな……といわんばかりに微笑んだ。


「そうか。それでいいでごわす。主等がそうも暴走してくれる事により我等の勝利の暁には錦の御旗が上がるであろう。派手に頼むでごわすよ伏見奉行」


 それに返事をせず、京史朗はこの西郷の闇を請け負う手駒の一人の男を思った。

 ここに西郷がいるという事は、あの白髪男が龍馬殺しの犯人だと気付いたのである。


「……一つ、聞いておこう。岡田以蔵や河上元斎は腕は立つが必ず徒党を組む。これは当たり前の事だ。暗殺は相手に正々堂々と向かう必要は無ぇからな」


「……」


「人斬りの部下は周りの部下を使い標的を自分が倒す為に必要だ。そうする事で確実に相手を仕留められるからな……ただし」


 心に浮かべる男の狂気の瞳が身体を蝕むように全身を硬直させる。


「あの摩訶衛門は一人でやりやがる。闇夜に溶け込む奴の歩行術でこそ出来る業だから恐ろしいもんだ。奴はお前さんの駒の一つだろう西郷?」


 金さえ出せば動く生き血を求める魔性の人斬り。

 数多の血を際限なく求め、危険過ぎる為にどの藩も飼おうとはしない。

 しかし、毒は毒をもって制す――という清濁含んだ強さでなければ列強の外国には立ち向かえないとする 西郷は平然と摩訶衛門を従えていた。

 奥の闇夜に去り行く西郷は言う。


「命は使うべき時に使う事だ。その使い場は決戦の時でごわす」


 そして、時代の新風と徳川の亡霊の奉行の二人は別れた。

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