板谷楓のスイートメイプルタイム 2023年6月16日
山奥にたたずむちっちゃな村、このはな村のコミュニティラジオ、このはなFM。金曜夜のDJは板谷楓さん。彼女のトークと素敵な音楽で綴る番組の様子を、小説スタイルでお楽しみください(もちろんフィクションなので番組も放送局も実在しません)。
もっともなんだかんだで、作者が現実の世の中に対して抱いている不平不満を登場人物の名を借りて吐き出してるだけという話もありますが。
みなさんこんばんは、板谷楓です。
週末の夜、このはな村役場分署の一階サテライトスタジオから生放送でお送りする番組、板谷楓のスイートメイプルタイム。
この番組では、このはな村のさまざな情報を、落ち着いた音楽を混えてお送りしています。かたい話ではありませんので、どうかリラックスしてお聴きくださいませ。
今週のこのはな村は、連日の雷雨に見舞われています。今日も傘が役に立たないくらいの激しい雨が、つい先程まで降っていました。
なんか例年とちがって、こういう真夏みたいな降り方の雨が今年の六月は多いです。毎年夏になると積乱雲が線状降水帯のように次々とやって来たり、村のあたりに雲が居座って長い時間雷雨が続いたりということはあるのですが、今年は特に早いですね。
もっとも大雨には慣れている村ですから、特に被害は出ていません。農作物も豪雨に耐えられるような品種を選んでますので、順調に育っているようですよ。
さて先週、このはな村の紹介と歴史を途中までお話しましたので、今週はその続きです。えっと、江戸時代まで終わったのかな、あ、終わってなかった。神社とお寺、そして十数戸の家屋しか無かったこのはな村ですが、江戸時代にはお参りする人がだんだん増えてきたというところまででしたね。
それで、そのような状態が江戸時代を通じて続きます。それから明治になってもしばらくはそのままです。
じゃあいつになったら変化するの! って突っ込まれそうですけど、はは。
ええーっと、明治時代になって政治の実権が幕府から明治新政府に移るとともに様々な新しい制度が生まれます、その中で町村法によって村の範囲がきっちりと定められました。
いっきに読んじゃいましたけど、皆さんついて来られてますか?
要するにですね、このはな村の範囲は明治時代に決められたんです。でもその頃も相変わらず、神社とお寺と十何軒かの家しか住人はいなかったそうです。それぞれの家が持つ畑以外の場所はひたすら草原。というか、ただの原野です。
ところがその原野は、ほとんどが村の中心である天狼神社と照月寺のものだったんです。ただの原っぱを所有して何が得なのかって話でもあるんですが、こういった天上の原っぱというのが日本の宗教では大事にされたんですね。
それに街道や他の村々から遠く離れたところですから、それらとこのはな村を結ぶ一本道を確保するのが神社とお寺のつとめだったのもあるそうです。
道といっても人ひとりがやっと通れるくらいの狭い道です。村民はその道を管理する代わりに、茅葺き屋根の材料となる草とか、あと薬草も取れたりするんで、それらを利用する権利を持っていたそうですよ。
そのようすが変わってきたのは明治時代の後半くらいからです。
明治になって外国から日本に技術を伝える人々が多く招かれたのですが、外国にはバカンスという習慣もあるし、だいいち日本の夏が暑くてたまらなかったみたいですね。
そこで外国人たちは、夏も涼しい高原地帯に別荘をつくことにしました。このはな村周辺の町や村も外国人に気に入られたそうです。
んでその人たちは、このはな村まで参拝に出かける日本人をみて、真似をし始めたんだそうです。
実は、ハイキングやトレッキングといった概念は、キホン外国人によってもたらされたんですね。日本人が山に入るのは、生活のためか信仰のためというのがほとんどでした。
別荘をこのはな村のまわりに作った外国の人々は、日本人と違ってレジャー気分でこの村にやって来たんです、あ、ここで曲どうぞ。
ふう。この原稿、役場の人に作ってもらったんですが、このまで読むのに疲れちゃったので一曲入れさせてもらいました。役場の宮嵜さん、良い人だからわたしに合わせて優しく書いてくれたんですけど、それでも疲れる、ごめんなさい。
続きいきます。
このはな村の村人は、外国人も歓迎しました。もともと各地から訪れた見ず知らずの参拝者をもてなすのは、村人にとって当たり前のことだったからです。
なかにはこの村がすっかり気に入って、何日も滞在する人、そしてついに、村に別荘を作りたいという人も現れました。
さすがにそれは無茶だろうと、まわりの村の人々は思ったそうです。だって神社やお寺の聖域ですからね。
でもそれがなんと、このはな村の人々はオッケーを出しちゃうんです。
どうやらその時、村にやって来た外国の人々はみんな礼儀正しかったみたいです。彼らは、
「このはな村は神聖な場所だから、草一本でも勝手に取ってはいけないし、道を外れてもいけない」
と日本人に言われたことをしっかり守っていたので、それが良かったんですね。
まあ日本の人々は、神聖な領域だから住むなんて恐れ多いと思ってたんでしょうけど、外国人は気にしないですよね。それに周りの村人は、このはな村の厳しい冬を知ってますから。外国人たちは夏だけ住めればいいわけですし。
そもそも、天狼神社の人々も他から移り住む人を拒むつもりは無かったみたいですよ。でもやっぱり厳しい自然と不便さのために住んでくれる人がいなかった、だから夏の間だけでも住んでくれるなら歓迎、そういうことだったみたいです。
で、別荘の数は次第に増えてきて、やがてそのまま村に住み着く人も出てきました。こうして、もともと神社とお寺と十数戸の家しかなかった村に外国からやってきた人々が住みはじめ、今もさまざまな国にルーツを持つ村民と先祖代々日本で生きてきた村民が仲良く暮らす、現在のこのはな村になったのです。
ふう。かなり駆け足で村の歴史をお話してきましたが、お聴きの皆様は、ついて来られてますかー? わたしは、かなりいっぱいいっぱいなんですけど。
え、余裕なの? あ、このスタジオは外から見えるサテライトスタジオなので外から丸見えなんですよ。で、今月くらいから見学に来る人が増えてまして。夜でもそんなに寒くなくなったんで。
で、わたしの友達が今日は、というか今日もだ。色んな子が代わる代わる来てくれてるんですが、ガラスの向こうからスマホにでっかく「ヨユウ」って書いて見せて来たんです。もお彼女、わたしが歴史苦手なの知ってて、こういうことするからなー。じゃあ、次は理科の話でもする?
曲?
だーれがディレクションをせえと言うたんかっての。もお、彼女は理科が苦手だったんで振ってみたんですが、だいたい予想通りの反応でしたね。都合悪くなると話をそらすあたり、中学の頃から全然変わってないんだもん。
あ、でも、今日は彼女の顔を立てて、曲いきまーっす。そろそろ、次のコーナー行かなきゃ。
はーい、食レポでーす!
先週と今週で、このはな村の歴史をざっくり紹介してきましたが、今日の食レポはそれにも関係する、
ぽて魚丼でーす!
なんじゃそれ? ってお思いでしょうけど、要はフィッシュアンドチップスです。ブリトンの。
え、ブリトンって何かって? よしよし我が友ナイスフォロー! えー、ブリトンとはこのはな村独特の、イギリスの呼び方です。ブリテンだったら、あーって思う人もいるのかな?
なんで日本でイギリスって呼ぶようになったかは長くなるんで省きますけど、わたしがめんどくさいからじゃなきでからねっ。よし釘刺しといた、これでガラスの向こうから突っ込まれないぞと。
で、このはな村にはスコットランドから来た人もいて、いや私はイギリスから来たかといえば厳密には違います、ブリテンからきました、というふうに指摘して、それからみたきですね、呼び方が変わったのは。
村では大ブリテンとか、レーリトゥンと呼ぶ人もいます。でもそれだと北アイルランドが入ってないからってことで、
U.K.と呼ぶ人も、もちろんいます。そこからの変化系で遊国って呼び方もありますね。遊ぶって漢字にはあっちこっち行くという意味もあるから、それになぞらえてもいるらしいですよ。
で、そのブリテンの伝統料理の伝統料理、フィッシュアンドチップスは日本でもよく知られてると思います。白身魚とポテトのフライですね。ブリテンと同じく街角のスタンドとか屋台で売ってますし、このはな村ではパブでも出されます。
なぜかパブがあるんですよ、この村。というかパブもあればバルもあるしバーもあるみたいな感じで、各国の個性が光る飲み屋さんがたくさんあって、やっぱりお酒だけは生まれた国のものがみんな好きってことですね。
でもこのはな村はいろんな国の人々が集まってきているので、食文化は色々な国や地域のものがだんだん混じってくるんです。
それと昔のことですから、ほしい材料が全部揃うわけではないので、日本で手に入るものを代用するから、日本食に味が寄るみたいですね。その土地のものはその土地のレシピで料理するのがいいですしね。
というわけでこのような、ぽて魚丼が完成しました。
魚は白身にこだわらず、鮭とか、ニジマスなどの川魚を使うことが多いです、あ、鮭は白身か。でも今日は日本近海産のタラを使ってますから、現地の味に近いと思います。
フライドポテトは薄切りのチップスでもいいし、棒状のポテトもアリです。
これに、現地ではビネガー、つまりお酢をかけるんですが、ここで作る人の好みが出ます。酸っぱいところはブレないことが多いですが、かけるのを餡掛けにしたり、ウスターソースをかけたりもしますね。
で、日本人は何でもかんでもゴハンのおかずにしちゃいますから、このフィッシュアンドチップスもご飯に載せて丼ものにしちゃったというわけなんです。
早速いただきまーす。おおっ、我ながらカリッと揚がってます。今日は家で揚げてきたのを持ってきたんですが、ご飯と分けて持ってきて正解でした。
それでわたしはですね、だしつゆをかけるのが好みです。市販の麺つゆとかでいいです。今日は関西風だしつゆです。こうなると料理の定義は? ってなるし、お酢要るの? ともなるんですが、お酢の代わりにレモンもアリだと、わたしは思ってまーす。ぎゅうう。
それでは本格的にゴハンにしますので、再び曲をお聴きくださーい。
板谷楓のスイートメイプルタイム、お開きのお時間が迫ってまいりました。
今日はこのはな村の歴史と、そこから生まれた独特の文化についてお話しました。よく個性の強い村だとか、このはな村の人はクセが強いとか言われるんですが、こういう背景があってのことなんです。
だから変わってるみたいなこと言われると、村の人は褒め言葉として受け取るところがありますね。だいいち曲げませんもの、自分たちの考えを。他人に言われたからって。
でもそんなふうだから、この村に住んでると楽しいことにどんどん出会えるんだと思います。
それではまた次回、ごきげんよう。
架空の町や村を想像して設定を考えるのって楽しいですね。
この作品の設定に用いている「このはな村」は、僕が別のサイトで小説では十年前から使っているのですが、その設定を流用しておいて設定の説明をろくにしていなかった事に今更気づいたという……。
というわけで、先週と今週とで、架空の村このはな村についての説明を、楓さんにしてもらいました。
フィクションなのをいいことに、たいがいな設定にしちゃってます。もともと山奥のひなびた里だったのが、明治以降外国人により別荘が多く建てられたというのは、東京から比較的近い高原ではよくあることです。
一方でこの設定は、神社を舞台にした物語を書こうという構想に基づいて作られました。外国人が住み着いたというのは後から考えついた設定ですが、さまざまな国の人々が混在して暮らす村が日本で可能になった理由づけとして、寺社詣でを受け入れる開放的な気風というのは大きく役立ったと思います。
多文化が入り混じりつつそれぞれの良いところを発揮する、という状態を食で表現するというのは、作者が食いしん坊だからです。フィッシュアンドチップスは何度か食べたことがありますが無論日本国内でして、日本人好みの味に仕立ててあるのだと思います。
そのためなのか、食べているとお米が恋しくなるんですね。何でもかんでもゴハンに載せちゃえ、という日本の食文化が大好きなので、存分に活かしてみました。