第19話 最初のアニラ
中盤の展開に加筆修正を加えました。(11/28)
少女がまだ星の名を授かる前、ただのアニラ・フルルータだったころ。
アニラは世界に失望していた。
アニラは生まれながらの聡明英知に恵まれ、幼くして達観の境地にあった。
明達な少女にとって人間と社会、そして世界の仕組みとは残酷なまでに明白なもので、そこに夢を見る余地はなかった。
さらには識魔導の適性を持ち、魔導の才にも優れた少女は――孤独だった。
魔導学校入学以来、その才覚から飛び級を繰り返したアニラには友達もおらず、それどころかいじめの被害に遭ってきた。
特異属性を持ち、誰が相手でも正論で論破する「天才少女」は、嫉妬と悪意の標的になったのだ。
嘘と欲望、偽善と悪意に満ちた世界に少女の居場所はなく。
自分を愛してくれる両親と、本の中に広がる空想の世界だけが、彼女の心の拠り所であった。
そんな彼女にある日、初めて友達ができた。
自分の手を取り、抱きしめ、そしてアニラのために笑って泣いてくれる――唯一の親友。
その時より、少女はある願いを抱くようになった。
――賢くなくていい。
――天才じゃなくてもいい。
――シアのように優しく純粋で。
――人を愛し、人に愛されて。
――世界に無垢な夢を見て。
――毎日を笑って生きられるような。
――そんな『私』になりたい。
少女には、それを叶えるだけの力があった。
識魔導――人間の意識を操る魔導。
これをアニラは、自分に対して使った。
優しくて、素敵で、幸せな『私』になる――そのために、新たな人格を形成したのだ。
その時生まれたのが、『無垢のアニラ』だった。
『最初のアニラ』が託した淡い夢を、『無垢のアニラ』が実現させる。
それが二人の約束だ。
そして、少女の夢が脅かされた時――『最初のアニラ』は目を覚ます。
『無垢のアニラ』が魔導式を起動させた直後。
国交会談が行われている大客間にて、『最初のアニラ』は目を覚ます。
彼女としては、二度と目覚めなくても問題はなかった。
『無垢のアニラ』が歩む幸せな人生を眺めているだけで、彼女はよかったのだ。
だが愛する親友が涙し、二人が離れ離れになってしまうのは看過できなかった。
もう一人の自分と記憶を共有し、状況を把握する少女は、なすべきことをなす。
すなわち、親友への再会の挨拶を。
「……久しぶり、シア」
普段のアニラよりもトーンの低い、しっとりした声音で少女は語りかける。
彼女のその声音と雰囲気に、シアは昔のアニラを想起する。
気高く、聡明で、誰も信じない――孤独な赤毛の少女を。
「アニラ、ちゃん?」
「うん、私だよ」
アニラはシアの白く健康的な頬に、両手を添える。
「ずっと『私』の傍にいてくれて、ありがとね」
頬を流れた涙の跡を、アニラは親指でさする。
「シアを泣かせるなんて、『私』はダメだね。もう少し賢くすればよかったかな?」
「それは、どういう……?」
魔導式の起動をきっかけに、アニラに生じた変化。
アニラの識魔導の特性と、今目の前にいる少女の口調から、シアの中である仮説が組み立てられる。
だがそれを察したかのように、アニラは微笑む。
「大丈夫だよ、『私』は私だから。それとね」
アニラは互いの額を触れさせ、ひそやかに囁きかける。
それは誓いの言葉であり、そして――冷たい世界への宣戦布告でもあった。
「シアを悲しませるもの、私の夢を妨げるもの――私が全部、黙らせるから」
そうして、アニラの反撃が始まる。
アニラはファルデン首脳陣へ向き直り、こう言い放つ。
「通訳士アニラの身柄引き渡しなど、必要ありません」
なぜなら、と続けるアニラの口元には不敵な笑みが浮かぶ。
「ファルデンの目的は、『通訳士アニラの独占により、異世界外交のイニシアチブを掌握すること』――ではないからです」
アニラの発言は、この議論における暗黙の了解を覆すものだった。
ファルデンが提示した「アニラの身柄引き渡し」という条件。
その狙いは「異世界外交のイニシアチブ掌握」にあると、ヴィストニア陣営は考えていた。
通訳士アニラの独占により、異世界文明との交渉を円滑に進め、なおかつ情勢におけるアドバンテージを築き上げる――そのためにアニラを要求したのだと。
だが、『最初のアニラ』はこれを否定した。
雰囲気が一変したアニラをテイラーは興味深げに見据え、こう問いかける。
「はて、ならば我々はなにゆえ君を求めるのかね?」
アニラは淡々とした口調で、この会談を覆う欺瞞を切り崩す。
「このタイミングで私を求める理由は、ただ一つ――望まずして勃発した異世界文明との戦争。それから手を引くための和平交渉締結――これを除いてありません」
――ファルデンが、すでに異世界文明と戦争状態にある。
――さらには、それから手を引きたがっている。
脈絡なく放たれたアニラの主張は、他人からは妄言にしか聞こえないだろう。
だが前触れないゆえに、当事者に対しては不意打ちとして機能する。
アニラが説いた、ファルデンの真の動機。
これを聞いたファルデン首脳陣は、まとう空気を硬化させる。
ファルデン国務長官が憮然とした態度で話す。
「根拠なき推論を、時に暴論と呼びます。なにを根拠にそのようなことを?」
アニラは即答でもって応じる。
「最大のヒントは、この国交会談にあります。アトールでの接触からわずか二日、新型対話魔導式も未完成の状態で、この会談は半ば強行実施されました――ファルデンが早期実現を固持したためです」
人差し指を立てて、少女は続ける。
「これほど重要な政治イベント、本来ならば万全な準備期間を設けるはず。しかしそうはなりませんでした。それはなぜか?」
そこまで聞くと、国務長官は観念したという風に肩をすくめる。
「……お察しとは思いますが、これがファルデン式の外交戦略なのです。相手国に準備期間を与えないことで、主導権を握る。厳しい闘争を強いられたファルデンの生存戦略です」
彼が述べた、ファルデンの外交戦略論。
アニラはそれを冷淡に切り捨てる。
「しかし、それさえもブラフです」
相手が用意したもっともらしい「正解」に、アニラはなびかない。
そんな彼女に、テイラーは期待を込めて尋ねる。
「では、本当の理由とは?」
「先ほど述べた通りです。ファルデンは一日も早く、通訳士アニラを手に入れる必要があった。異世界文明との和平交渉役として起用するために」
テイラーはテーブルに肘を立て、指を組む姿勢になる。
「なぜ、ファルデンが戦争状態にあると思うのかね?」
「それに関しては、アトールでの会話がヒントになりました」
魔導学校応接室にて、ファルデン軍人たちはこう語った。
――異世界人から攻撃を受けたこと。
――そして、武力衝突にまでは発展していないこと。
「『武力衝突は起きていない』? まずこれがおかしい。ファルデンが歩んだ『歴史』を鑑みれば、それはありえないのです」
「ファルデンの歴史、といったかね?」
「ええ」
アニラは黎明国ファルデン、その性質を解剖していく。
「軍事大国ファルデンにとって、戦争とは成功体験に他なりません。その最たる例として、貴国の女性士官はこう言いました」
アニラは、シーラ・オルコット中尉の台詞をそらんじる。
――端的に申し上げて、戦争とその勝利こそが、ファルデンの覇権を決定づけました。
――戦争の枢機が国家の総力とその運用にあるならば、勝利こそがファルデンの覇権たる所以です。
「軍事力を背景にかつて覇権を握った国が、見ず知らずの文明から攻撃を受けて、黙って引き下がる? まさかっ」
アニラは指を鳴らし、ファルデンの本質を晒しだす。
「あなたたちは必ず反撃する。歯向かう敵には鉄の制裁を下して屈服させる、冷酷な支配者――それがファルデンの本性です」
テイラーはどこか愉快気に苦笑する。
「その結果、戦争に発展したと?」
アニラは迷いなく首肯する。
「はい。異世界人と応戦してる間に退き時を見失ったのでしょう。そして早々に気づいた――この戦いは不合理だ、と」
アニラの台詞に反応したのは、ファルデン国防長官と名乗った長身の男だった。
「君の推測通りなら、なるほど。これほど無益な戦争もないだろうな」
「ええ、異世界に転移したばかりのファルデンは孤立状態で情報不足。敵の戦力や同盟関係も不透明。そのうえ言葉の通じない異世界人相手では、停戦協定や賠償要求など一切の交渉も成立しない。勝利なき戦いです」
点と点を繋げて線をなし、アニラが導き出したファルデンの裏の事情。
ファルデンと異世界文明との間に勃発した戦争。だがそれは勝利なき戦いだった。
これから手を引くために、ファルデンは早急に通訳士を手に入れる必要があった。
そのためにヴィストニアの国交提案受諾と引き換えに、通訳士アニラを求めた――。
「さて!」
と言ってアニラは手拍子を一回打ち、議論を佳境へ導いていく。
「ここまでの推論を真と仮定した場合、両国の立場を見直す必要が出てきますね?」
アニラはそれまでの冷淡な印象を保ちつつも、少女らしい悪戯な笑みを浮かべてみせる。
「軽率にも異世界文明と戦争を勃発させたファルデンと、その窮状を唯一救いうるヴィストニア――この関係において頭を垂れるべきはどちらか、お分かりですね?」
少女の挑発的な台詞を受けて、国務長官が眉根を寄せて抗弁する。
「なるほど面白い論説です。しかし真偽が明らかにならなければ――」
「真偽のほどは、当事者であるあなた方がよくご存知のはずでは?」
アニラの言葉を受けて、ファルデン首脳陣は沈黙する。
彼女の推論はすべて状況証拠によるものだ、相手を説き伏せるには不安が残る。
だがファルデン首脳陣はその点を追求しない。
アニラの推論の真偽を確かめるまでもなく、当事者たる彼らはなにが事実かを承知しているからだ。
目先の勝利に拘泥して交渉の落としどころを見失うなど、愚の骨頂。
ワンサイドゲームの展開を目論んでいたファルデンはここにきて、妥協の一手を打たざるを得なくなっていた。
交渉の焦点を再設定し、議論の主導権を取り戻したアニラは、ついに彼らへ宣告する。
「もはや形勢は逆転しました。選択を迫られているのは私たちじゃない、あなた方です」
アニラは菫青石の瞳でファルデン首脳陣を見据え、言い放つ。
「通訳士なしに無益な戦争を継続するか、あるいは対等な立場で交渉のテーブルにつくか。合理的に判断しなさい、黎明国ファルデン……!」
アニラの清冽な喝破が響いた後、空間を静寂と緊張感が支配する。
だがそれも束の間。
耳が痛いほどの静謐は、テイラーによる称賛の拍手によって破られる。
「素晴らしい。見事な手腕だフルルータ嬢」
「だ、大統領?」
おもむろにアニラへ拍手喝采を送りだしたテイラーに、周囲の人間が動揺する。
そんな彼らに対しテイラーは「なにを呆けているんだね? 君たちも彼女の機転を讃えたまえ」と拍手を促しだすのだった。
言われるままに他の首脳陣もおずおずと拍手を始め、やがて大客間中に称賛の拍手が鳴り響く。
テイラーは適当なタイミングで手を止めると、ヴィストニア陣営にこう語りかける。
「ここまで看破されてしまっては致し方ない。こちらも認識を改めるとしよう」
額ににじむ汗をハンカチで拭きながら、ニコールがおずおずとテイラーに尋ねる。
「テイラー大統領。その発言はつまり……ファルデンと異世界文明間での戦争を認める、ということですか?」
「悲しいことだがね、彼女の言った通りさ」
「ちなみに、それはいつから?」
これにはファルデン国防長官が返答する。
「最初の衝突が発生したのは、今から四日前のことです。以降戦線は膠着状態にあります」
「四日前? なら、あの会談の時にはすでに……」
現時点から四日前。
ヴィストニアがこの異世界に転移した日の二日前にあたる。
つまり、アトール魔導学校での「武力衝突は起きていない」という発言は虚偽だったのだ。
ニコールの額を、嫌な汗が流れる。
「では、もし我々が例の『条件』を受け入れていた場合は……?」
「その時はあのままフルルータ嬢を独占し、ヴィストニア封じ込め戦略を敷いただろう。通訳士を握る我が国を通さなければ、他の文明と意思疎通が図れない――という状態に追い込んでね。そうなればヴィストニアの外交はファルデンに依存せざるを得なくなる」
その発言に中央議員、特に引き渡し賛成派は閉口する。
あと一歩で、ヴィストニアの未来に陰を落とすとこだったのだ。
「もっともその計画はたった今白紙になったがね。賢明な彼女の活躍によって」
テイラーの流し目を受けて、アニラは退屈そうに応える。
「どうも」
「しかし君には驚かされた。フルルータ嬢は役者だね。まさに魔法のようだ」
含みのある言い方だった。
アニラの急激な変化に仕掛けがあることを、テイラーは察したのかもしれない。
世辞の体裁をとっているあたり、相手もこの場で追及する気はないようだが、あえてアニラはこの発言に乗ることにする。
「もし次、私を舞台に上げることがあるならご注意を。私は台本通りに動かないので」
――あなたたちの思い通りにはさせない。
牽制の意味を込めて、そうアニラは言い渡す。
それを受けたテイラーが見せたのは、政治家に相応しい、真意の読み取れない微笑だった。
「覚えておこう」
二人が水面下で腹の探り合いを繰り広げていると、今度は中央議員らがアニラに話しかけてくる。
彼らも責任と負い目を感じているらしく、口々に謝罪と感謝を述べていく。
アニラがだんだんむず痒さを感じ始めていると、ふとその頭に手が置かれる。
振り向けばそこには、議論を見守っていたオーゲルが立っていた。
「アニラ、わしはお前さんを誇りに思うよ」
「……カインツフォード卿」
過去に起こした事件のせいで『最初のアニラ』は師に引け目を感じており、ついかしこまった呼び方をしてしまう。
そんな少女にオーゲルは微笑むと、「あとは任せておれ」と言ってその労をねぎらう。
次いで老齢の魔導士は中央議員たちに向き合い、こう投げかける。
「諸君、負い目もあろうが感傷に浸るのはおいぼれてからでも遅くない。それより今は、アニラが整えてくれたこの状況を、最大限に戦い抜こうではないか」
三つ星魔導士の檄は議員たちを奮起させ、落ち込みかけていた彼らの士気も向上。
ファルデンと対等に渡り合うべく、アニラの敢闘に報いるべく、特使団は一致団結するのだった。
そうして、本当の意味での国交会談が始まる。
中央議員、特に「引き渡し賛成派」に属していた者たちは、名誉挽回とばかりにファルデン首脳陣との交渉に励む。
ファルデンの目的が「現在発生している戦争の終戦」にあるならば、アニラを恒久的に引き渡す必要はない。
結果、「アニラの身柄引き渡し」は「異世界文明との外交および問題解決時のみ、アニラを協力派遣する」という条件へと緩和。
同時にファルデンが受諾する国交提案も、全面受諾から一部受諾へと引き下げられた。
安全保障や通商など、時間をかけて協議する必要のある条約は後回しだ。
会議は今、ファルデンと異世界文明との戦争を止めるために必要な「異世界外交協定」の締結に主眼が置かれていた。
ファルデンが緊急で書類を作成している間、一時通訳の任を降りたアニラに、語りかける人物がいた。
アニラの傍に立ち、複雑な表情を浮かべる少女、シアだ。
彼女はアニラにだけ聞こえる声で、こうささやく。
「アニラちゃん、なんだよね?」
察しのいい親友にアニラは、言葉ではなく仄かな微笑だけで応える。
うるみがちな瞳でアニラを見つめ、シアは呟く。
「いつから……なの?」
その問いに答える代わりに、アニラは親友をそっと抱擁する。
あえて明言しないアニラの意志を尊重し、シアはその肩口に顔をうずめる。
シアは、アニラが昔に比べて明るい性格になったのは、純粋に精神的な成長によるものだと思っていた。
アニラの識魔導がどういうものか、彼女も理解していた。
だが「別人格を形成していた」とは、さすがに想像もしていなかった。
自分では幸せになれない――だから、『幸せになれる自分』に夢を託す。
そのあまりに切なく儚い願いが、シアには哀しい。
「……寂しくなかった?」
心優しい親友の背中をアニラはそっとさする。
「『私』の幸福は、私のものでもあるの……だから寂しくないよ」
「……一人じゃ、ないからね」
震える声で、シアはアニラに約束する。
「私だけは、あなたのこと……覚えてるからね」
「ありがと、シア――これからも『私』によろしくね」
少女たちは別れを惜しむようにぎゅっと抱き合う。
やがてどちらからでもなく抱擁を解き、シアが見守る中アニラは杖を取り出す。
そして、仄かな願いを込めた魔導式を宙に描き――起動させる。
(それじゃ、あとは任せたよ――『私』)
そうして、『最初のアニラ』は意識の海に沈んでいく。
たゆたう海面に映る、優しく温かい夢にそっと微笑んで――少女はまぶたを閉じた。
いつかまた目覚める、その時まで。
次回以降の更新についてです。
原稿ストックが厳しくなってきたので、次回からは三日に一度の更新とさせていただきます(作者が不甲斐ないばかりに……申し訳ありません)




