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訣別(9/2更新)

どれぐらいの時間が経過しただろうか。

祝詞を唱える声は止み、御幣の先に付いている紙垂(しで)の擦れる音だけが辺りに響く。ちなみにこの紙垂は元々、麻や木綿だったのが江戸時代から紙へと変化したそうだ。

祈祷も無事に終わり、私は徐ろに顔を上げる。

彼はというと満足そうな笑みを浮かべながら、御幣を一振りしてパッと団扇に変えてしまった。私の向かいにあるソファに腰掛け、パタパタと仰いでいる。

室内でも肌寒いこの時期に、不思議な人だ。

そもそも、本当に種も仕掛けもなさそうな手品を見て、ここまで驚かない自分に驚嘆すら覚える。

さて。どうやら、彼は領主様が戻って来るまでの間、ここで時間を潰すことにしたらしい。

「その"領主様"の部下が宰相なんですか?」

普段は、人見知りのせいであまり話せないのだが、この時は何故だか何気なく聞くことができた。

それはきっと、彼が気高くも優しい雰囲気を纏っていたからかもしれない。

「そうそう。一応、彼の補佐官的な立場かな。彼はあの通り傲慢で冷血なところもあるけど、今や立派な都の領主様だ。僕みたいな優秀なやつが側に控えておかないとね」

傲慢で冷血って酷い言われようだな。でも、あの共に過ごした短時間で、何となく察しが付く。

「彼には誰も逆らえないんだ〜。女神様たちを除いてね。おまけに妖たちからも恐れられていて、まぁそれも例の噂のせいなんだけれどね〜」

先程の純白の天使もとい、権禰宜さんも話しに加わった。"例の噂"という言葉も引っかかるが、それよりも。

「って、今までどこに行かれて…。私、お祓い済ませましたけれど…」

唐突に姿を表した彼の手には、漆喰の盆が握られていた。

その上には、湯呑みと小皿。よく見ると、何やら小豆色の四角い物体が盛り付けられている。

「羊羹を持ってきたんだ。どうぞ〜」

三人分を硝子張りのテーブルの上へと並べ終え、早速自分の羊羹にかぶりつく権禰宜さん。

その羊羹が一人だけ分厚いのは、気のせいだろうか。

「だから、お嬢さんも気をつけた方が宜しいですよ、領主様には」

宰相も権禰宜さんと同じく、にこやかに微笑むと、断面の美しい羊羮をつまんだ。

「私は、たぶん大丈夫です。代償を払ってまで助けてくれたようだから、きっと潰されることもないですよ」

私も小皿に乗った黒文字楊枝で羊羹を摘むと、一口。上質な餡子の滑らかな口当たりが美味である。

羊羹は普段、滅多に食べられないものなので、とても貴重だ。おまけに、小皿に描かれている月兎が何とも心を癒してくれる。

「まぁ、殺されることはないか〜。君のこと気に入ったようだし」

「ね〜」と物騒なことを言いながら、二人で笑い合う。

領主様とは対照的で朗らかな空気が此処には流れていた。

「私は、嫌われていますよ。あんなに冷たい瞳を見たのは、初めてだもの」

ここ数年間、疎まれ、馬鹿にされ、虐めの標的にされて生きて来たけれど、その周囲の瞳には特段似ても似つかない。怖くて心臓が凍りつきそうになるような瞳。あれは憎悪に近いものだろうか。領主様に恨まれるようなことは何一つしていないつもりだが、一体私の何がそんなに気に食わないというのだろう。私は、きっとあの瞳を忘れられない。

「まぁ、元からあんな感じだし、気にすること無いよ」

私の表情が曇っていたのか、優しい言葉をかけてくれる宰相。

「領主様は、女神様の命令で私を助けたと仰いました。もしかして、あの事故も呪いの影響だったりして」

領主様が普通の人間ではないということは、傷の治りを見れば一目瞭然だった。だからこそ、彼の言う呪いや妖の話も疑念はあるものの信じることにした。そして、たぶん此処にいる皆も…。

「それは…」

宰相が口を開きかけた時、奥の扉が軋む音がした。

「駄弁はそこまで。全く何を話すつもりだったんだ?宰相も兎も帰って良いぞ」

二人は、領主様の声にビクッと肩を震わせながらたじろぐ。

「そ、そうだね。用も済んだし帰ろうか」

「またね、胡和(こより)ちゃん。元気でね〜!」

そうして、バタバタと奥の扉の方へ急ぐ二人。見たところ、玉座タイプのドアノブが付いた、何の変哲もない真白の蝶番の扉だ。揃いも揃って、あの扉から出入りしているのには何か理由があるのだろうか。

バタンと扉が閉じられると、束の間の静寂が訪れた。

一陣の風みたいな二人だが、まだまだ聞きたいことは山程あったというのに、邪魔が入ってしまった。

件の男は呆れたように溜息を吐きながら、つかつかとこちらへ歩み寄る。

「祈祷は無事済んだな?」

「えぇ、まぁ」

私は目を伏せ、短く返答する。

それより、この人は今まで何処に行っていたのやら。

「なら、お前ももう帰れ。親もさぞかし心配しているだろうからな」

彼の放った予想外の言葉は、まるで冷水をかけられたかのように私を現実へと引き戻した。帰る? 家に? 私は反射的に声を荒らげて反論する。

「待ってください…っ!私は、親に見放されて家出して来たんですよ?」

今、帰ったとしても絶対に、母は家には入れてくれないだろう。あの息苦しい場所に、私の居場所なんてないから。

「全く、往生際が悪いな。ほら、これをやる」

領主様が懐から取り出したものに、私はそっと息を飲む。するりと私の腕に通されたそれは、雪のように白くて丸い石が連なった腕輪だった。煌めく月光のような淡い色彩は神秘的で、触れることすら戸惑う程に美しい。

「何ですか、これ…。それにこんな高そうなもの、いただいても払えませんよ、私」

こんなに素敵なものを貰って、逆にバチが当たりそうだ。

「案ずるな。これは、お前が身につけるべき代物だ。御守り代わりに身に付けておけ」

彼は一度言葉を区切ってから、今までとは打って代わり真剣な声音で次の言葉を紡ぐ。

「それから、決して自ら命を絶つな。どんなに苦しくとも闇に飲まれないようにしろ。この約束を果たすことが出来れば、お前を何れは都に連れて行ってやる」

どうして、そんなことまで領主様に決められなきゃならないんだ。

けれど、都という言葉は引っかかる。

「約束…?都…?」

「七年後の春分の日にその腕輪が導いてくれるだろう。それまでの間が約束の期限だ。今の俺は、この世界に深入りすることを許されてはいないからな。後は、お前次第だ」

彼の青い双眼が真っ直ぐに私を見据える。七年後は、ちょうど二十歳頃か。

それまで生き延びている保証は無いし、寧ろこの世界から居なくなっている可能性の方が高い気がする。今だって、辛い日常に戻ることを考えただけで、こんなにも胸が締め付けられるというのに。

「今じゃ、駄目ですか?」

神様は信じているものの、果たしてどんな都なのかも分からない。でも、この世界にいるよりはずっと生きやすくなるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて、私は問いかけた。

「駄目だ」

「どうして?今でも七年後でもそう変わらないじゃないですか!お願いします、私を連れて行って…!」

ここで引き下がる私ではない。あの場所に戻るよりは、この冷血漢に懸けた方がまだマシ。

「断る。今、お前が来た所で足手纏いになるだけだ」

何故?どうして、そんなにも突き放すようなことばかり言うのか。私の気も知らないで、私を勝手に事故から救っておいて。

私に生きろだなんて、軽々しく言いやがって!

「私を連れて行け!何でも、どんなことでもするから…!役に立つから。絶対、足手纏いになんてならないから…!」

だから、お願い。一生のお願い。

もう二度と、あんな惨めな思い、味わいたくないの。

「私はあんたが領主様だろうと怖くないんだから…っ。神様でも妖でも幽霊でも何だって構わない。私は何と言われようと着いていくから!!」

そう、吐き捨てて彼の瞳を睨め付ける。恐怖を押し殺して、固い決意を込めて。今までの人生で、自分の要望が通ったことなんてほぼ無かった。何時も誰かの言いなりで、逆らえなかった。それは私が、立場の弱い人間だからだ。

「そうか、俺を怖がらないとは良い度胸だ。褒めてやる。だが」

彼は藍色の瞳を妖しく煌めかせて、私を見下ろす。

「俺は鬼だ。常世の闇を凌駕し、神の地位を拝受した当代随一の鬼神。今や現世と隠世の狭間に位置する、五都(いづと)を統べる領主」

その瞬間、彼の姿が一変した。頭からは鋭い角が生え、牙を剥き、私を威嚇するかのように爪を立てる。辺りには青白い鬼火が飛び交い、まるで私を嘲笑うかのように揺らめいて見えた。

私は思わず後ずさりしながらも、必死に神経を保っていた。自分でも恐怖に震えているのが分かる。

口ではどうとでも言えるけれど、彼のおぞましい姿に気圧されていた。

本物の鬼。当たり前だけれど、初めて見た。

「わ、私を脅そうだなんてそうはいかないから。私は本気で都に行く覚悟があるんだから!!」

気持ちを奮い立たせる為に、声を張り上げる。何とか彼に気持ちで負けないように。

「そうか、お前はまだ分からないのか。いい加減、人間風情が俺の手を煩わせるな!!」

地鳴りのように鼓膜を劈く声。

直後、彼の手が後ろに伸び、乱雑に私の髪を掴むと首を引き上げられる。無理やり目線が合うように仕向けられ、首元には長く伸びた爪が鋭利な刃物のように突き立てられた。

「私を殺したいなら、殺せば良い。私はあんたの言うことなんて一つも従わないから!」

力では到底敵わない相手。まさか鬼に歯向かうことになるなんて、数時間前までは思わなかった。でも、私は中途半端に命を救われて、それで感謝出来る程、心優しい人間じゃないから。

「勘違いするな。お前は殺す価値すらない、人間の屑だ」

パッと手を離され、私はその場にへたり込む。自分でも驚く程に、身体が震えていた。

「教えてやる。俺はお前みたいな人間が大嫌いだ。甘えてばかりで自分一人じゃ何も出来ない。縋ることしか出来ない能無しが!」

何それ。私を救ったのがこんな奴だなんて、きっと神様は寄越す相手を間違えたのね。私だって、別に好き好んでこんな鬼に縋っている訳じゃない。私だって、本当はこの世界でもっと、誰かに必要とされたかった。もっと、認められたかった。もっと、愛されたかった。私は只、居場所が欲しかっただけなのに。

「私だって…、私だって、あんたが嫌い。大嫌い!!」

そうだ。なんで私、こんな奴に居場所を求めたんだろう。そんな都合良く事が進むはずなんて無いのに。私、馬鹿みたい。

「鬼なんて気持ち悪い!威張って脅して、皆から怖がられて最低最悪で。人間の私の方が、よっぽど真っ当に生きているんだから!!もう二度と会うことなんて無い!」

これっきり。七年後の約束も、都のことも、事故から助けて貰ったことも。全部全部全部全部、全部夢。だからこれは、酷い悪夢で魘されているだけ。

私は恐怖を振り払うように、拳を握りしめた。

「さよなら」

醜い鬼があなたの本性なら、私はこの先もずっと恨み続けてやる。私は騙されていたんだ。今までのこと全て、あの鬼が仕組んだことなんだ、きっと。

唇を噛み締め、震える足で一歩を踏み出す。自動ドアを抜け、私は全速力で駆け出していた。

冷たい風が轟々と吹き付ける中、一度も振り返ること無く、鳥居を潜る。

霜月の暮れは早く、東の空には後の十三夜月が姿を現していた。


「二度と会わない、か…」

鬼神の低い呟きは、鳥居の向こうに消えた少女の背中を追いかけるように響いた。青白い鬼火が彼の周りを不気味に漂い、まるで自身の抑えきれない感情を映すかのように妖しく揺らめいている。

蓬莱(ほうらい)胡和(こより)。その名を心の奥で反芻しながら、彼の藍色の瞳は一瞬、複雑な光を宿した。

人間の娘を事故から救うこと。悪い虫が付かぬよう祓うこと。そして、七年後の約束を取り付けること。

女神の命令は絶対であり、神の位を授かった鬼神として、逆らうことなど到底許され無い。

愚かな娘、だがなかなか骨のある奴だ。

神に甘え、縋ることしか出来ない、脆く儚い存在の人間。それなのに、彼女の瞳に宿ったあの燃えるような強い意思に、胸がざわつく。怯えながらも歯向かう姿は、まるでかつての自分を嘲笑っているかのようだった。

「必ず迎えに行くぞ、蓬莱胡和」

その言葉は、まるで神への誓いのように重く響いた。爪を軽く鳴らし、鬼火を掻き消すと闇が辺りを包み込む。

娘を救ったのは、彼女自身に価値があるからだ。命の代償を刻み込み、代わりに得たもの。女神の意図を超え、俺にとっての意味を持つもの。

鬼神は鳥居を背に、闇の中へと姿を消した。藍色の瞳に宿るのは冷酷な決意と、僅かに揺れる人間への執着。

再会の日まで、決して命の灯火を絶やすなよ。

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