御使い(7/30更新)
「あ、あの、ありがとうございました。奢っていただいて…」
バス停までの道を歩きながら、彼に礼の言葉を述べる。今日は交通費以外持ち合わせがなく、奢られるという不覚。あまり人に迷惑をかけたくない私は、少しだけ不服だった。
特に、彼に対しては。
「問題無い。これからある場所に向かうが、其処までの運賃代、先程の飲食代、諸々合わせて次にまた精算してもらう」
うん、なんというかやはり抜かりの無い人だと、いたく感心する。
バス停まで歩き終えると、ものの数秒でバスが来た。乗客はまばらで、一番奥の座席に二人並んで腰掛ける。
「もしかして、バスの時刻表を知っていたり…?」
「偶然だろう」
偶然にしては、要領が良過ぎるんだけれど。
「それで何処へ連れて行く気ですか?」
「行けば分かるだろう」
彼はぶっきらぼうにそう答えると、そっぽを向いてしまった。
何処に連れて行かれるのか不安はあるものの、私は他に行く当ても無く。ぼーっと窓の外を眺めていると、曇り空は相変わらずで、街の景色も殊更ぼやけて見えた。
窓からはひんやりとした冷気が零れ出ており、寒さに身震いした私はそっと両手を擦り合わせる。
と、ふいに彼の手が伸びて私の手を包み込んだ。何事かと彼を見遣ったが、未だそっぽを向いていて表情が伺えない。私は振り払おうとして、そこで彼の意図を察した。彼の手はカイロのように温かいのだ。
「手が温かい人って、心が冷たいらしいですね」
きっと、寒さに震えている私を心配して手を差し出してくれたのだろうけれど。
それが少しだけ、憎たらしく感じてしまう。
「そうかもな」
彼はポツリと呟いただけで私の挑発には乗って来なかった。それどころか、パッと手を離される。
少し、からかい過ぎたかしら。
「じょ、冗談ですよ。手が温かい人は、心も温かいです」
なんて言いつつ、彼の離れた手を今度は私から両手で握った。じんわりと温めてくれる無骨で大きな手に、私は不覚にも安心感を覚えてしまう。
「なら、手が冷たい人間は心も冷たいんだな」
見下すような瞳で私を一瞥して、彼は冷笑する。さっきの手前、何も言い返せない。ぐうの音も出ないというのはこの事か。
やがて、駅前に向かうアナウンスが流れ、彼はそれに合わせて乗車ボタンを押した。その、無駄の無い動きに私は感嘆する。
「そういえば、乗車ボタンを押すタイミングって難しくないですか?私はさっきギリギリまで押せなくて、危うく乗り過ごすところでした…」
「下車する停留所の放送が流れた直後に押すと良い。全く、こんなことではこの先思いやられるな」
嫌味ったらしい言い方に何か言い返そうかと思ったけれど、特に何も言わずに黙っていることにした。駅前に到着したバスを降りてプラットホームへと向かう。
そして今度は、到着した電車に乗り込み、行き先も分からないまま電車に揺られている。にしても、ホームに着いた瞬間に電車が来るとは、またもや要領が良過ぎではないか。
私なら絶対、十分以上は待つ嵌めになるのに…。
数分、電車に揺られていると目的の駅を知らせるアナウンスが鳴り、下車した。
その駅の名前に、私は密かに確信を持つ。でも、どうして…?
改札を通り、道なりに角を曲がる。歩くこと数分、大きな裏門が見えてきた。
そこは、予想通り神社だった。
死に損ないの罰当たりが来る場所ではないと思うものの、彼は何やら此処に用があるもよう。
私は"見える"人ではない。ごくごく普通の一般人だ。そんな私でも、神社の境内というのはとても神秘的な場所に思えた。
何かが宿っているような、力強さを感じる。
私たちは、草履で砂利を踏みしめながら、てくてくと手水舎の前までやってきた。竜の口からチョロチョロと出ている水を柄杓でたっぷりと汲み、まずは左手から清め、その次は右手に。
「あ、ハンカチ…」
その時、自分がハンカチを持って来ていないことに気付いた。
彼は同じように手を清めた後、手拭いで拭うと私に差し出してきた。
「全く、手巾くらい持ち歩け」
「自殺しに来た人間が、わざわざ持ってくる訳ないじゃないですか。普段は持ち歩いていますよ」
鼻につく物言いに反論しながらも、私は彼から手拭いを受け取る。
ふと、天を仰ぐと雲に稲光が走るのが見えた。もうすぐあの音が…。
───────ゴロゴロゴロ。
数秒後に鳴り響く雷鳴。
「この近くに落ちたりはしないだろうから、安心しろ」
彼はさりげなく私から手拭いを取り上げると、反対の手で私の手を取り、歩き出した。
約三万坪もある境内は、この地域ひいては大阪府内の神社でもトップを誇る広さ。いつもは初詣の時に参拝しに訪れるので、人気が無いのはとても新鮮だった。初詣は毎年、満員電車のような人混みだから。
本殿の前まで来ると、より一層厳かな空気を感じて、気が引き締まる心地だ。瞼を閉じて、深く一礼する彼に私も習う。
懐から財布を取り出して、十円玉一枚と一円玉二枚を手にする。これが私のなけなしの残金である。
カランカランと鈴を鳴らしてから賽銭箱に硬貨を投げ込み、ニ拝して手を合わせ日頃の感謝を唱える。それから一礼。内心、こんなちっぽけな賽銭で申し訳なく思う。けれど───
「まぁ、いっか」
「何が『まぁ、いっか』なの?」
ヒャッ。
私は、びっくりして変な声を出しながら勢いよく振り返った。全く気配がしなかったのに、いつの間に。
その人は銀髪に白無地の装束、浅葱色の袴姿でにこやかに佇んでいた。なんだか、純白の天使が舞い降りたみたい…。
「久しぶりだね。元気にしてた~?この娘が例の女神様が言ってた娘?」
「そうだ。良からぬ者が憑かないよう、祈祷でもしてやれ。俺は野暮用があるので失礼する」
知り合い同士なのか淡々と話が進み、私は一人取り残される。そして、彼はそのまま鳥居をくぐって何処かに行ってしまった。
「じゃあ、僕たちも行こうか」
「あの、彼は何処へ?あなたは一体…?」
人見知りの私にとっては、知らない人といるのは緊張する。彼に付いてきたのは気まぐれだけれど、こうしてたらい回しにされるのは心苦しい。結局辛い現状は変わらないのか、何も。
「女神様から話は聞いてるよ。彼にも頼まれたことだし、僕たちがばっちりご祈祷してあげるね」
ねっと念を押される。
「でも…」
振り返って彼をまじまじと見つめる。どうしよう、怪しい人ではなさそうだけれど。
「本当に怪しい人じゃないよっ。僕はこの神社に務めている権禰宜だから」
腰に手を当て、えっへんと胸を張る権禰宜さん。というか、今私の心を読んだ??
「こっちこっち」
私は不信に思いながらも、腕を引かれるまま着いて行く。権禰宜とは、神社で宮司や禰宜の補佐として、祭祀や社務に従事する神職の人だ。この状況下なら、従った方が得策かな。
本殿とは反対方向に向かうと太鼓橋に差し掛かった。
「ここ急だし、雨で滑りやすくなっているから気をつけてね〜」
はいっと差し出された手に躊躇いながらも、右手を重ねる。やっぱり、良い人なのかな…。
「僕って良い人でカッコよくて惚れるでしょ?」
橋の中央まで来ると、にこやかに尋ねてきた。最後の二つは言ってないけれど。というか、また私の心を呼んだ…。
「えっっと…そうですね。ハハハ」
私は苦笑いで返答する。「冗談だよ〜」と笑いながら権禰宜さんはあそこと指差し。その通りに右手の方向を見ると、大きな日本建築の外観が目に止まった。
確か、吉祥殿と呼ばれる結婚式の披露宴会場じゃなかったかしら。
ずっと昔に入ったことがあるような、無いような。幼い頃の記憶って当てにならないな。
私が立ち止まり思案していると、「ほら、行くよ〜」と手を引いてくれる。いけない、また考え込んでしまった。
太鼓橋を渡り終えると右に曲がり、道なりに進む。建物は薄暗く、誰もいないようだ。
権禰宜さんは私をロビーの合皮ソファに座らせると、「ちょっと待ってて〜」とどこかに消えてしまった。ふと、入り口のガラス張りになっているドアを見る。また、雨がしとしとと降りだしたようで、屋根に叩きつけられる雨音がフロアへ微かに響いていた。薄暗さと相まって、何だか不気味。
「こんにちは~。君は彼が言っていた女の子かな?」
私は突然の声にびっくりして、ひぃっと声を上げてしまった。
何か今日は、驚いてばかりだな。
「はい…?」
彼というのは権禰宜さんのことかな??
暗くてぼんやりとしかその姿を目にすることはできないけれど、この神社の関係者の方だろうか。
その時、パチッと電気が点いた眩しさ故、僅かに目を閉じる。しばらく経ち、薄らと眼を開けた私は、その人に一目奪われたのだ。
彼は、青紫の長髪と瞳。とても端正な顔立ちで、見かけは男とも女とも見て取れる、中性的な美しさを纏っていた。白縹の着物に菊の花の模様をあしらった羽織がとてもよく似合っている。私が見惚れていると、そうそうと彼は何かを思い出したらしく、懐から四つ折りの用紙らしきものを取り出した。
「都から御使いで現世に来たんだけど、道が分からなくてさ…。この地図の場所、分かったら教えて貰いたいんだ」
用紙には、細かく地図が記載されており、目的地には星印が書き込まれている。
「私、この辺のことはよくわからなくて…。ごめんなさい…」
差し出された紙をその人に返すと、「気にしなくていいよ」とはにかんだような笑みで返答してくれた。
「あの…、彼というのは権禰宜さんのことですか?」
「違う違う。青髪の彼だよ。いつも人遣い荒いんだから。まぁ、領主様の命令は絶対だから、宰相である僕でも逆らえないんだけれど」
りょうしゅとかさいしょうとか聞き慣れない単語ばかりだな…。でも、歴史の授業で習ったような気も。
何かよく分からないけれど、大変そうだ。
「それで、御使いついでに君のことを"視て"きてほしいと頼まれてね」
「私は、別に…」
「そういう訳にはいかないよ。それに、彼に逆らうと怖い目に合うからね…」
彼は深刻そうに肩を落とすと、一つ溜息を吐いた。
まぁ、その領主様とやらはきっと偉い立場の人なんだろうけれど、その下に付くなんて私なら耐えられないな。
「という訳で、今からお祓いしてあげよう。僕の得意分野だからね~」
入れ替わり立ち替わりで戸惑っている自分もいるが、この際どうにでもしてくれという諦めの感情さえ芽生えてくる。
「お祓いってどんなことをするんですか?」
「簡単だよ。祝詞を唱えて、この御幣で邪気を祓う。一般的な祈祷とそう変わらないよ」
と、いうことで早速お祓いをしてもらうことに。
心を穏やかにして、祝詞を唱える声だけに意識を集中させる。どうせなら、ずっとこのまま神聖な空間に居たいと、只それだけを願って。