理由 (7/12更新)
────あれは三年前。私が小学四年生のとき。
いつの頃からか、何がきっかけとなったのかも未だに分からない。学校という名の監獄の檻の中。
私は、孤独と苦痛と劣等感に苛まれていた。
最初は、一部の男子がしばしば悪口を言ってくるだけだった。ブスやデブなど見た目のこと。
確かに、お世辞でも可愛いとは言えないほど私は不細工で、おまけに背も高く、体格が良かった。その上、根暗で本ばかり読んで友達も居らず、変に浮いていたのがいじめの原因になったのかもしれない。
けれど、悪口もだんだんエスカレートして行く。消えろ、死ねなど存在を否定するような言葉を毎日のように、事あるごとに浴びせられるようになった。最初は軽く受け流していたものの、度重なる罵倒の言葉は凶器のように私の胸を抉った。私が無視を決め込んでいたのが気に食わなかったのか味を占めたのか、今度はバイ菌扱いされる始末。私にぶつかってきては大袈裟に喚き、勝手に私の机に触れたくせに手が汚れたと他のクラスメイトと笑い合う。
更には、鉛筆、消しゴム、のりなど身の回りのものが少しずつなくなり、靴には大量の砂を入れられるようになった。一番呆れるのは、全てが大人にばれないような小賢しい嫌がらせだったこと。
まぁ、先生が知ったとしてもいじめが完全に無くなるとは限らないし、ますますヒートアップしたかもしれないけれど。
ずる賢い連中はそんな事ばかりを懲りずに何度も繰り返していた。クラスが変わってもそれは延々と続いた。
まるで、伝染病のように人から人へと伝わっていく。全くどちらがバイ菌なのか。
そうして、私の居場所は完全に無くなって。
何処に行っても何をしても後ろ指を指されるようになり、白い目で見られ続ける。
行事ごとでも、ペア決め、班決めの度に地獄を見た。
親にも疎まれていたから、いじめられていることは誰にも言えず。内申点を気にする母は、私が休みたいと言っても一度も休ませてはくれなかった。
これがもし、小説や漫画の登場人物なら、精神的なダメージを受けて体が動かなくなったり、頭痛•腹痛に悩まされるものだろう。
けれど、現実はそう甘くない。辛くても、体には何も異常は現れない。
心がどれだけ傷付こうが、体に影響を及ぼすことは私の場合、微塵も無かった。ただ、淡々と日々の学校生活をやり過ごすしか他に道は無かったの。
小学校を卒業し、中学生になった今でも"いじめ"は続いている。女子は相変わらず無視だけだったが、男子は嫌がらせばかり。それでも、周りに誰も味方がいなくても、たった一人で強く生きてきた。
「と、まぁこんな感じです。別に、面白くも何とも無いでしょう」
自嘲の笑みを溢しながら、彼の顔を伺う。小洒落たステンドグラスの照明から零れた灯りは、彼の鋭い輪郭を淡く縁取っていた。
「話を聞くに、さぞかし辛い思いをして来たんだろう。だが、それが自死を決意した真の要因とは思えんな」
彼は肩肘をつきながら小首を傾げる。まるで、何もかもを見透かしたかのような深蒼の瞳が私を捉えて離さない。
「どうして…、そう思うんですか?」
彼の態度に不信感を抱きながらも問い返す。心臓の鼓動が幾ばくか速まる心地だった。
「お前のように、他人の顔色ばかり伺う奴が、最初から本音を話すとは考え難い。利口に喋っているうちは本心をひた隠しにする、矯飾に過ぎない」
ぶっきらぼうな彼の態度とは裏腹に、その言葉は私の心の奥底に突き刺さる。ずっと突っ変えていた靄のようなものが少しずつ流れて行くような。もしかすると私は、とんでもない人と対峙しているのではないか。そんな風に思わずにはいられない。
「確かにずっと死にたいと思ってはいたけれど、わざわざ遠出して自殺しに来ようとは思いませんでした。けれど数日前、きっかけとなったある事件が起きました」
財布窃盗事件、三件もの被害が続出する大きな出来事となる。財布は普段、学校に持ってきてはいけないものだが、この日は文化祭のクラスTシャツの費用を回収するため、個々に持ち合わせていた。
朝、SHRの時間に回収するはずだったものの、生徒の数人が持ってきたはずの財布が無いという。そして先生は生徒の鞄を一人一人見て回った。そうして、もっとも不可解な出来事が起こる。私の鞄から盗まれたはずの財布が見つかったのだ。
けれど、私は断固として盗ってなどいない。盗るわけがない。
しかし、それは揺るぎ無い証拠となってしまった。皆が私を白い目で見ていた。私は、あの屈辱を決して忘れることはない。見事に嵌められたのだとその時はそう思っていた。
だが、何処かおかしい。何も庇う気は更々ないが、大人たちにばれないよう、こそこそと私に嫌がらせを仕掛けていた連中だ。こんな大がかりな犯罪の罪を私に擦り付けるようなことをするだろうかとただ疑問に思っていた。
そして、私の親も呼び出され別室で事情聴取を受けることとなった。
私は盗ってなどいない、信じてほしい。何度そう言っても、誰も私の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
結局は警察沙汰にならずに、持ち主に謝って財布を返し、この事件は収束した。
学校側も穏便に事を済ませたかったのだろう、世間体を気にする私の親もしかり。その後、当然のように親からは軽蔑され、とうとう家でも私の居場所は無くなった。元々、出来損ないとして揶揄されながら育って来たのに、今回の出来事のせいで更に親子の溝が深まってしまったのだ。
「私は、ただ悔しかった。本当に盗ってなんていないのに、理不尽な罪を着せられて、親にまで見放されて…。私、私…堪えられなくて」
どうしようもない、やるせない感情が涙の粒となって溢れ出る。どうして私なの?どうして誰も信じてくれないの?どうしてここまで追い詰められなくてはいけないの?
頭の中が疑問で埋め尽くされて、現実に目を背けたくて。私は、家出同然に海までやってきたのだ。もう、あの世しか私の居場所は無いから。
彼は私が話終えた段階で、軽く睫毛を揺らすと口角を上げた。
「そうか。それはそれは愉快な話だな」
いとも容易く放たれたその言葉は、静まり返った店内で一頻り大きく響いた気がした。まるで私を嘲笑っているかのような物言いに、怒りと悲しみが込み上げて来る。私は苛立つ衝動を抑え切れなかった。
─────バチンッ。
鈍い音が辺りに響き渡る。私が彼の頬を思いっきり引っぱたいた音だ。
雨のおかげかお客さんが居なかったのも幸いした。
こんな奇行に走るなんて自分でも驚きを禁じ得なかったけれど、私の感情はもう歯止めが効かなくなっていた。
「いい加減にしてください…!何がそんなにおかしいんですか?私は、真剣に話をしているのに…っ」
必死に涙を堪え、精一杯彼を睨み付ける。私がどんな気持ちでここまで来たのか。希望の欠片も無い理不尽なこの世界でも、今まで孤独に耐えて来たのに。それなのに結局、全部無意味だったのだ。生きている価値も見い出せないままで。親もクラスメイトも自分自身でさえも呪って、呪い続けて私は海で最期を迎えるつもりだったのに。
「全く、理性の欠片も無い娘だな。にしても、他人の財布が入っていたことは解せぬ」
彼は痛がる素振りも見せず、何か考え込んでいるようだ。私は震える両手を握りしめた。他人に手をあげたのは初めてだったから。
無論、その相手は人間じゃない得体の知れない"何者か"だが。
「だが、仮にお前の言葉を信じるとするなら、それは…」
私は彼の深刻な表情に生唾を飲み込み、次の言葉を待つ。けれど彼は飄々とこう言い放った。
「妖の仕業だな」
は?あやかし?妖怪?昔、テレビで似たようなセリフを聞いたような。
「妖怪って…、そんなまさか。ご冗談を」
私は神様やら妖怪の類いが割と好きだ。けれど、それは小説の中のお話。現実で妖怪の仕業だと言われて信じる人はどれ程いるのか。
でも、海での女の人の声。スリップ事故から目覚めた時の彼の姿。先程の傷の治りを見るに付け、これは信じない方がおかしいのではないだろうか。
現実世界において、科学で証明出来ない不可思議な事象は、表面上には見えなくとも、地を巣食う根のようにじわじわと張り巡らされているものなのかも。
「では、お前が正真正銘の泥棒か。全く、盗っ人猛々しいとはこの事だな。警察に突き出してやる」
彼はお座敷の下の草履を履くと、私の腕を取る。
「ち、違います…っ!」
私は必死に彼の腕を引き離そうとしたが、握る力が強くてビクともしない。圧倒的に彼の力には敵わなかった。
「一先ず、出るか。雨も上がったようだしな」
いつの間にか雨音も途絶えており、窓の外の水溜まりにも雨粒一つ落ちてはいなかった。
私は有無を言わさぬ彼に従うしかなく、草履を履いて立ち上がる。彼は漆喰のカウンターに一万円札を置くと、ドアベルを鳴らしながら扉を開けた。次いで私も店をあとにしたのだった。