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救いの手 (7/4更新)

『……り。こより、しっ…………ろ』

あれ?どこからか私の名を呼ぶ声がする…。気のせいか。だって私は、死んだのだから。きっと、うじうじして自分の意思では死ねない私に神様が手助けして下さったのだろう。本当に有り難い。やっと私は、自由になれたのだ。あの、監獄の檻のような日々から。

「おい、しっかりしろ」

今度は、はっきりと聞こえる。どうして…?私は、死んだはずなのに…。

ゆっくりと重い瞼を開ける。最初はぼんやりしていたけれど、徐々に視界が開けてきた。

真っ先に視界に入ってきたのは、大学生くらいの男の人。端正な顔立ちに似合う、海のような深い青の瞳に吸い込まれそうになる。あまりの至近距離に私は戸惑いを隠せなかった。

「あ、あの…っ。大丈夫です…」

私は彼に抱かれる形になっていて、すぐさま距離を取った。地面に手を付きながら、急いで立ち上がる。けれど、その拍子に少しだけよろけてしまったのを彼が支えてくれた。

「ありがとうござ…」

私はお礼を言いかけて、絶句した。あまりの驚きと恐怖で声が出ない。彼の衣服が血で染まっていたのと、辺りには血だまりができていたから。

「この分だと止みそうにないな。一先ず、雨宿りしよう。近くに知り合いの店がある。着いて来い」

彼は何ともないという平然とした態度でいるけれど。一体、どうなっているの…?

「あ、あの、怪我しているなら、病院に行った方が…。あっ、とりあえず救急車を」

「その必要はない」

彼は私の言葉を遮り、淡々と答える。やっぱり、何かおかしい。普通は、こんな大怪我をして立っていられるはずがないのに。

「どうして、」

「つべこべ言ってないで、来い」

彼の無骨な手が伸びて私の腕を引く。とても引き剥がせそうにない程、力強く。有無を言わさぬ、彼の言動はとても冷たくて。それでも、他に行く宛ての無い私は彼に従うしか無かったのだ。


歩くこと数分。一軒のお店の前で彼は立ち止まった。看板には『侘華庵(わびかあん)』の文字。

正直、怪しいお店にでも連れて行かれるのかと一抹の不安はあったものの。外観は素朴で温かみのある木造のお店。どうやら甘味処へ連れて来られたようだ。

ドアを開けるとチリチリンと可愛い鈴の音が店内に響きわたった。

「いらっしゃいませ」

お店のカウンターには、彼よりも少し年上くらいの和服姿の青年が。猫目が特徴的で、緩やかな雰囲気を纏っている。内装は和風で華やか、花に溢れていてとても素敵だ。

「連れて来たぞ。華音(はなね)はいるか?」

「は~い。おや、二人共ずぶ濡れだね~。そこの娘にはわちきの着物を貸してやろうね」

奥から顔を出したのは、誰もが目を引くであろう美しい女の人。艶やかで華のある雰囲気を纏っている。

もしかして、内装を考えたのはこの人かな?

「お前は、奥の間で着替えて来い」

有無を言わさぬ彼に後押しされて、私は華音(はなね)さんに恐る恐る付いて行く。歳は二十代後半と云ったところか。

腰まである赤茶の髪はふわふわと緩く巻かれていて。臙脂の格子柄の着物を着こなして、歩き方もあるのかどこか妖艶で今までに出会ったことの無い美しい人だった。

「こんな日に雨に降られるなんて、とんだ災難よね。せっかくだからお風呂も入って行きなさいな」

奥の脱衣所まで来たところで、私ははっとした。

「あの、私やっぱり大丈夫です。バスの時間もあるし、ここまでしていただくのは申し訳ないというか…」

見ず知らずの人の世話になるなんて、とんでもない。人様に迷惑をかけるなと母から厳しく躾られたせいか、私はこの状況をいたたまれなく思う。

「何、遠慮しているのよ。わちきが良いって言ってるんだから、気にしないこと」

タオルと着物はこっちで用意しておくから〜と反論の隙を与えられること無くパタリと脱衣所の戸が閉められた。

優しいのかお節介なのかはさておき、せっかくのご厚意に甘えることにする。磯と雨の香をさせながらバスに乗るのも正直気が引けるから。

死ぬはずだったのに、二度も救われておまけに親切な人まで現れて。まるで神様に『生きろ』と言われているみたい。

そうこう考えている間に服を脱ぎ、風呂場のドアを開けたところで、私はまた驚くこととなる。


「あの、湯船まではっていただいて、おまけに桜のバスソルトまでありがとうございました」

可愛らしい下着が置かれていたので、柄にも無いけれど身につけてドライヤーで髪を乾かし終えたところまでは良かったものの。

着物なんて七五三のとき以来で試行錯誤している最中、華音(はなね)さんが戻って来てくれたのだ。隣の部屋に移動して手際良く着付けてもらいながら、私はお礼を述べる。

「あら、律儀なのね。私はただ可愛い女の子が可愛いく居てくれるだけで大満足なのよ」

着付け終わると次は髪結い、紅まで引いてもらって、まるでお姫様気分だった。

「はい、出来上がり。よく似合っているじゃない」

華音さんは私を鏡の前に立たせると、その出来映えを誉めてくれた。鏡に映し出された自分。

着物と結ってもらった髪のおかげかいつもの自分じゃないみたい。それでも、元の醜さのせいでせっかくの着物の良さを潰してしまっているような気もする。

やっぱり今の私にはもったいない。いつか華音さんのように艶やかで大人な女性になれたら良いのに。


華音さんに連れられて食事処に戻る。一番奥の座敷から、談笑する二人の声が聞こえてきた。そこへ私達が顔を出すなり声がピタリと止む。どうやら他にお客さんは居ないようで、辺りは静まり返った。

「あ、俺温かい飲み物持って来ますね~」

猫目の彼が開口一番にそう言うと、そそくさと席を立つ。それにつられ、華音さんも「ごゆっくり~」とカウンターの方へ消えてしまい。残された私と彼の間には気まずい沈黙が流れていた。

彼は着替えたのだろうさっきの洋服とは打って変わり、紺と銀地の着物に青海波文様の羽織を着ていた。

「取りあえず、座ったらどうだ」

彼は軽く顔を背け、座布団へ座るよう促した。この時、飄々とした態度の彼とは裏腹に私は幾許か緊張していたのかもしれない。見ず知らずの男性と向かい合うことなんて、そうそうあることではないし。そんな訳で、私はなるべく彼と顔を合わせないようにして遠慮がちにお座敷に上がったのだった。


「馬子にも衣装だな」

彼は私を一瞥するなり、冷笑しながらそう言い捨てた。冷ややかな目線が私を射抜く。

はて、こんなにもストレートに嫌味を言われる筋合いは無いのだけれど。

私は敵対心を燃やしながら、彼の双眼を睨めつける。彼はそれ以上何も言ってはこなかった。

やがて、温かそうな湯気の立つ薄桃色の飲み物が運ばれ、私の前に置かれる。桜のラテアートが可愛いらしい。

「桜紅茶のラテです。華姐(はなねえ)さんがお嬢さんにだそうですよ」

猫目の彼は「では、ごゆっくり~」とまた、そそくさと奥に消えて行った。何だか華音さんと雰囲気が似ているなと思いながら、美味しそうな桜ラテに遠慮がちに手を伸ばす。

木製のシンプルなマグカップから伝わる熱に、冷えていた指先がじんわりと温められた。少し冷ましてから、こくんと一口。

「美味しい…」

じわじわと体の奥底へ広がり、その温かさに心がほっこりする。

「此処の食べ物は存外美味だから、お前も何か頼むと良い」

彼はメニュー表を手に取ると私に見せてくれる。色々と気を使って貰っている自覚はあるが、流石にお前呼ばわりは頭にくる。

「私には"お前"じゃなくて、真っ当な名前があるんだけれど」

私は彼を覗き込むようにして、語気を強める。

蓬莱(ほうらい)胡和(こより)、それが私の名前。そういえば、事故から目覚めたとき誰かが私の名を呼んでいたような気がする。男の人の声だと思ったけれど、彼が知っているはずも無いか。当の男は私の言葉を全て聞き捨て、メニュー表もパタリと閉じてしまった。何なんだ、全く。

「おい、侘助(わびすけ)。悪いが、おしるこを一つ頼む」

おまけに勝手に注文する始末。私、まだよくメニュー表見ていなかったのに。

まぁ、元々死のうと思っていた人間がこんなところで呑気にお茶を啜っていること自体、場違いなのだろうけれど。そろそろお暇しようかしら。

「私、もう帰りま…」

「さて、本題に入ろうか」

彼は私の言葉を遮ると何やらこちらに向き直る。藍色の双眼が妖しく煌めき、私は思わず生唾を飲み込んだ。

「こんな真冬によく海に赴こうと思ったものだ。入水自殺を図ったものの、恐怖に打ち勝てなかったか。生憎、滑走事故にあったのは滑稽だがな」

嘲笑うかのように口角をあげた彼の口から出た言葉。氷のように冷たくて、私の胸を一瞬にして貫く。ぽかぽかと温かかった体から一気に熱が冷めていくのを感じる。

鼓動がどくどくと脈うつ。彼は、どうして知っているのだろう。通りがかりに、私を助けてくれたのでは無いの?どこからか私を見ていたの?

「どうして…?私は、貴方にそんなこと一言も…」

「それは俺が聞きたいくらいだ。偶然通りがかっただけの人間が何の見返りも無しにお前みたいな愚図を助ける訳無いだろう」

彼と視線が交差する。彼の瞳は、明らかに私を軽蔑していた。これが、彼の本性。

─────怖い。

「全く、こんな小娘を事故から助けろとは。女神は随分と酷なことを言う。おかげで衣服はずぶ濡れ、全身血塗れ。おまけに、代償を受けなければならないのだからな」

彼はやれやれという風に肩を落として、私にそれだけを言うと視線を外した。私は、恐怖のせいか上手く口がきけない。

頭の中がぐるぐると渦を巻いているようで。女神様って?代償って?私の聞き間違い?

わからない事が多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃ。だけど、一言だけ彼に言いたいことがある。

「私は、『助けて』なんて一言も言ってない。私が、自殺をしに海に来たことを知っていたなら、どうして私を助けたの?女神様だとかふざけないで…っ!」

私は怒りから机に思いっきり手を付くと、勢い良く立ち上がった。このままここに居ても、神経を逆撫でされるだけだ。

「お前…誰に向かって口を聞いているのかわかっているのか」

彼のこれまでに無いくらいの怒声に肩を震わせながらも逃げようとした瞬間。今度は髪をむんずと掴まれ逃れられない。私はよろけて後方へ倒れ込み、そのまま彼が覆いかぶさる形となった。座布団のおかげか特に痛みは無いけれど、腕と首を掴まれて全く身動きが取れない。

怖い。怖い。怖い。怖い。頭が恐怖で埋め尽くされる。

叫ぼうにも喉を押さえられて全く声が出なかった。そこで糸がプツリと途切れたように思考が停止して、私は思いっきり目を瞑った。これが酷い悪夢だったら良かったのに。

二度と目覚めない夢に溺れてしまえば良かったんだ。ツーと一筋の涙が頬を伝って零れ落ちる。動揺からか力の籠った彼の手が僅かに緩められた。

「もう、嫌だ。何もかも全部。私ばかり、辛い思いして。あの時、海で死んじゃえばよかったんだ」

また涙がぼろぼろと溢れて、感情の歯止めが利かない。

自分でもよくわからない感情がこみ上げてきて私は嗚咽を漏らした。それは、きっと抗うことの出来ない現実。その現実の沼にまた引きずり込まれてしまったから。この世の柵から自由になれたと思ったのに。やっと解放されたと思ったのに。結局、捕らわれて抜け出せない。

五月蝿(うるさ)い、泣くな」

彼に頬を摘まれ、お餅みたいに引っ張られる。じんじんとする痛さに気を取られて私の涙は幾分引っ込んでしまった。

「何するんですか…」

愚痴りながら、わずかに熱を持っている頬に触れる。彼は懐から手ぬぐいを取り出すと私の顔を優しく拭った。

何故だろう、さっきまで怖いと思っていたのに。どうして、こんなにもこの人の手に安心するのか私は解せないままでいた。微かに鼻を擽る甘い香りに私は何処と無く心地よさを覚える。衣服からも微かに香っていた香りと同じ優しい香りだ。仄かな甘い香りに私は不覚にも安らいでしまった。って、私はこの人に泣かされたのに何を考えてるの。

悪い人では無さそうだけれど何となく苦手だし、気まずいしもう早く立ち去りたい。

「あの…」

「話は終わっていない。まぁ、ある程度は分かったから祓ってやる」

話しかけるも遮られ、要領を得ない。尚且つ、はらうって?

「私は、貴方が分からない。いい加減にしてください」

「お前は呪われているんだろう。あの事故の原因もそれにある」

その顔があまりにも真剣だったため、私はごくりと生唾を飲み込んだ。もしかすると、本当に…?

そんな、まさか。でも、事故にあいかけたのは事実だし…。さすがに中学生に通じる冗談だとは思っていないだろうし。

でも、僅かに疑り深い私は疑念の目を彼に向ける。

それなら、と彼は横にあるカトラリー入れから銀色のフォークを一つ取り出した。

「これは何の変哲もない突き(さじ)だ。よく見ておけ」

何やらマジックでも始まるのかと内心、小馬鹿にしていたのだが。何と彼は、フォークを垂直に自らの手の甲に突き刺した。根元まで鉛が深く突き刺さり、真紅の血がみるみるうちに溢れて来る。

「……」

私はあまりの恐怖に絶句した。彼はまるで痛覚が無いとでも言う風に顔色一つ変えない。

そのまま徐にフォークを持ち上げると血を弾いて傷口が塞がって行く。

普通の人間なら、縫合や止血が必要なほどの深い傷。それがいとも簡単に治るなんて。

「貴方、もしかして…」

人間じゃない…?なんて口にするのもはばかられるような、重たい空気に飲み込まれる私。

「気休めだと思って目を瞑れ。すぐに済む」

彼はそっと私の双眼に手を当てた。逆らうと何されるかわからないもの、仕方ない。言われるがまま目を閉じると視界は黒一色に包まれ、時間経過も曖昧になる。彼は何やらブツブツと唱えているようだけれど、よく聞き取れない。かれこれ、数分経った頃か。

「目を開けろ」

私は言われるがまま、ゆっくりと瞼を上げる。けれど、体感的には今までと何ら変わりない。

「これで、しばらくの間は持つだろう。だが、決して油断はするな。いつ、良からぬことが起こるか分からんからな」

その忠告は私の脳裏にしっかりと刻み込まれる。彼は私を心配してくれているのかな?

「おしるこお待たせしました~」

そこへ、先ほどの猫目の彼がおしるこを一つ盆に載せて持ってきた。そういえば、彼が注文していたことをすっかり忘れていた。先程のいざこざで私が奥側の席に座り、通路側に彼が座ることになってしまい、ますます身動き取れなくなってしまった気もするが。

彼がお椀の蓋を開けると、いい匂いが湯気と一緒に立ち上る。

「ほら、お前が食べろ」

彼はぶっきらぼうにそういうと私の前にお椀をスライドさせる。けれど、私は頑なに俯いていた。ここで食べると何だか負けたような気がするから。

「何だ、食べさせて欲しいのか」

ここで彼の言葉に反応する私。むっとして彼を見やると薄ら笑みを浮かべて明らかに私を見下している態度である。私を馬鹿にするのも大概にしろ、と心の中で毒づきながらも「いただきます」と素直に両手を合わせた。

ここで従わなかったら彼なら本当にやりかねないもの。手掴みで口に押し込まれたりしたら私の自尊心が耐えられないし。

それに何より、お腹が空いているのも事実。私は小盆の上に乗った木のスプーンでおしるこを掬うと、口に含む。小豆がホクホクとしていて独特の甘さが口全体に広がった。

「美味しい…」

冷えていた体がまたぽかぽかと温かくなる。夢中で食べ進めていると彼が横から、

「お前は随分と能天気そうだが何故海に来た?そう人生に悲観する歳でも無いだろうに」

唐突にそんな風に話を切り出してきた。けれど、私はすぐに警戒心を露にする。

「助けていただいたとは言え、他人にそこまで話せません」

きっぱりと言い放ち、黙々とおしるこを食べ進める。こちらには、プライバシーというものがあるのだ。そう易々と話せるものか。

「ふん、命の恩人にも話せないことなのか。どうせ、"たいした理由"でもないんだろ?これだから、"泣き虫"のひ弱な人間の小娘は」

その言葉に私は食べ進めていた手を止める。挑発するような物言いに反論せずにはいられない。黙って聞いていれば、言いたい放題…っ。

「長くなっても構わないなら話しますけど?」

皮肉たっぷりに聞いてみる。

「それは、それは大層な話なんだろうな。是非とも聞かせてくれ」

人の自殺を決意した経緯なんて聞いていて楽しいのだろうか。この人、いろんな意味で絶対ヤバい人だ。確信できる。

まぁ、でも赤の他人だからこそ話せば少しは楽になるかもしれない。それに、この温かいおしるこが閉ざしていた心の柵を少しだけ緩めてくれたのかもしれなかったから。

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