御神木
「さて、話は変わるが、胡和よ。今日はこの後、何か予定はあるのか?」
白練様の急な話題転換に、私は少し戸惑う。
「えっと、プレゼン資料が完成したので、今日はのんびりしようかなと……。白練様は何かご予定が?」
「ふふ、実はな、我がとっておきの場所に胡和を連れて行きたいと思っておったのじゃ! 都の隠れた名所で、きっとお主の心を癒してくれるはずじゃ。どうだ、付き合わぬか?」
その瞳の輝きに、断る理由など見当たらない。
「もちろん、ぜひ連れて行ってください!」
白練様に連れられて、私は再び花車に乗って空を飛ぶ。春の風が頬を撫で、虹色の雲がふわふわと漂う様は、まるで夢の中にいるみたいだ。
白練様は私の膝の上でちょこんと座り、鼻歌を唄いながら花車を操っている。
「この花車は白練様の神力で動かしていると仰っていましたよね?」
私が尋ねると、白練様は得意げに胸を張った。
「いかにも! 花車自体はただの飾りだが、我の念を込めれば、何処へだって飛んで行ける。なかなか便利なものじゃろ?」
「凄いです……! 本当に不思議な力ですね!」
私は感嘆の声を上げる。現世では考えられないようなことが、この都では当たり前のように起こる。その一つ一つが、私の心を弾ませた。
しばらく飛んでいると、遠くに緑豊かな山が見えてきた。山の頂上には白い雲が漂い、その下には古びた鳥居が立っている。花車はゆっくりと降下し、その鳥居の前に着地した。
鳥居といっても随分と変わった形をしているそれは、空を映したかのような色合いで、正三角形のようにぴったりと組み合わせられている。あれは、三柱鳥居?
足元には真っ白の可憐な花が咲き乱れ、風に揺れる度に甘い香りが辺りに漂った。
「その鳥居の中央に立ってみなされ」
私は白練様の仰る通りに、おずおずと恐れ多くもその鳥居の真ん中に立ち竦む。
すると、どうだろう……。一瞬にして、鳥居の中の景色が変わった。それは淡い空の色を反射させ、朝の暁から、宵の帳まで見事にグラデーションを映し出している。真上から白い霧が立ち込め、私は思わず目を瞑った。
再び目を開けると、其処はまた別世界が拡がっていた。
眼前には広大な泉。そして、その畔には瑠璃色の花を付けた桜木が一本聳えていた。また、それを取り囲むように薄青色の花が咲き誇っている。
これはネモフィラ? 和名は確か瑠璃唐草。
私は泉の畔に立ち、どこか懐かしい感覚に包まれていた。
「此処は……?」
私が呟くと、背後から聞き覚えのある声がした。
「胡和よ、驚いたか?」
振り返ると、そこには白練様が立っていた。だが、いつもと少し違う、彼女の姿はもっとずっと大人びて、腰まである長い白髪が陽の光を浴びてキラキラと輝いて見えた。まるで女神様のような気品を纏っている。
「それは青の女神様の御神木、その名も瑠璃桜じゃ。此処は女神様が地に還られた場所でな、この都の核でもある」
そんな神聖な場所に連れて来られたなんて、なんと恐れ多い。
「女神様とは、やはりもう会えないのですね」
「敵襲に遭ってから早十年か。時が経つのはあっという間じゃな」
十年……。その言葉に私は、はっとする。
私と領主様が初めて会ったのは七年前。その三年前に敵襲に遭い都が壊滅状態に陥ったとすれば……。
私が当時、領主様に訴えた『都に連れて行け』という言葉は如何に無責任な発言だったことか。弱い自分をさらけ出して、彼に縋ってしまったあの時、その私の態度が領主様の気に障ったのも頷ける。
彼がたった一人でこの都の復興に尽力していた当時を知らないで、私は……。
「白練様、私は改めて自分の不甲斐なさを痛感しました。私は心の弱いダメ人間だから、本当は女神様に合わせる顔もございません。でも、救われた命は決して無駄にはしないと此処で誓いたい」
「胡和……、よく言った!」
白練様は私を抱き寄せて、頭を撫でてくれた。優しくて温かい手のひらが心地よい。
その後、私たちは桜木の根元にある小さな社にそっと手を合わせたのだ。
今日、此処に来ることが出来て本当に良かった。女神様に会えないのは物悲しいけれど、私のささやかな安寧の祈りが彼女に届けば本望だ。
「この花……」
「それは女神様の神紋である、鉄線の花じゃな」
よく見ると、蔓が御神木に巻き付いて、所々に大輪を咲かせている。
六花弁の花……、これは紛れもなく、初めて五光亭で朝を迎えたあの日、帯に包まれていた簪の花。
「もしかして、この簪は女神様に縁のあるものなのでしょうか?」
私は懐に仕舞っていた簪を取り出して、白練様に見せる。
「ほう、確かに鉄線の花に似ておるな。わざわざ置かれていたということは、女神様に託されたものかもしれぬ」
「一体、誰が……」
「貸してみよ。我が簪をさしてやる」
白練様は私の髪をクルクルと捻り、綺麗に結い上げてくれた。
「コツを掴めばすぐじゃ」
捻った髪を適量すくい、簪を裏返して頭皮に沿わせる。斜め上、ニ時から八時の方角に倒しながら、奥まで挿し込めば完成。
髪も落ちてこないし、痛くない。
「ありがとうございます! 白練様」
青の花が咲き乱れるその場所で、私たちは静かに笑い合ったのだった。




