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巫のまつりごと  作者: 一靑華巳
平安
16/21

春は曙

五都(いづと)に来て早々、こんな所で終わらせるな、蓬莱胡和よ」


「此処でくたばったら、白練が埋葬してやれ」


「縁起でもない事を抜かすな!」


 薄ら目を開けてみると、見知った顔が二つ。畳の上には布団が敷かれ、私はその上に横たえられていた。


「……私、無事に戻って来れたんだ」


「ふー、危なかったな。胡和が本物の天使になるところじゃった」


 お狐姿の白練様は、温かくて柔らかい毛並みを私の身体に擦り寄せてくる。どうやら私を心配して、ずっと傍に居てくれたみたいだ。


「元はと言えば、貴様が胡和を置き去りにしたからであろうが」


「我は鬼神を信頼して胡和を託したのじゃ。人聞きの悪い事を言うでない!」


 そんなふたりの言い合いが面白くて、つい吹き出してしまう。


「ふたりとも、お宿に送り届けてくれてありがとうございました。私はもう大丈夫なので、どうぞ摩天楼にお戻りください」


 開け放たれた磨りガラスの窓から、だいぶ陽が傾いて来たのは見て取れる。思ったよりも、長い時間眠っていたらしい。


「我は胡和が心配なので、一晩泊まって行く〜」


「白練は公務があるだろ。また夜澄(よすみ)に叱られるぞ」


「我が居なくとも、大丈夫じゃ〜。夜澄は優秀な娘なのだから」


 白練様、だいぶごねているな。


「胡和よ、白練のままごとに付き合わせて悪かった。この詫びは必ずするからの」


「は、はぁ……」


 領主様に強制連行される白練様。そのままバルコニーから身を投げ出す。慌てて見下ろすと無事に着地したのか、何事も無かったかのように、すたすたと歩いて行ってしまった。やはり、鬼というのは身体能力が高いらしい。


 ほっと胸を撫で下ろし、私は静かに窓を閉めた。やはり、瘴気は人間の身体には毒らしく、まだ鉛のように身体が重たい。私は、再び布団に(くる)まると泥のように眠った。




 翌日、水曜日の昼下がり、とうとうプレゼン資料は完成した。私の枕草子愛が伝われば本望なのだが、はてさて結果はどうだろう。今日はこのままする事もなし、お部屋でのんびり寛いでいよう。


 この都に来てまだ数日だというのに、既に居心地の良さを感じていた。


 穏やかな時間。現世の急く時間軸とはまた別の世界。心に余裕が生まれると人は穏やかで優しい気持ちになれるのだ。新しい場所で新しいことを始めてみたいと前向きな気持ちが芽生えてくる。


『胡和よ〜、開けてくれ〜』


 この声は白練様か。時刻は十三時半。


「白練様、昨日ぶりですね」


「胡和よ、遅くなったな。ちと、抜け出すのに時間がかかってしまって」


 窓を開けると、白練様はニコニコ笑顔で手を振っていた。今日は珍しく、フリルの付いたお洒落なワンピースをお召しになっている。


「ワンピース、とっても素敵ですね!」


「そうじゃろ。これは我にとっての正装なのじゃ。我は可愛いものが大好きじゃからの」


 スカートの裾を持ち上げて、くるりと一周。まるで、可憐なお嬢様みたい。


「おっと、話が逸れてしまった。今日は昨日の詫びをな。と言っても遊びに来る口実なのだが」


 最後の方はひそひそ話をするみたいに小声で話をする白練様。そういう事なら、一役買ってもらおうか。


「白練様、良かったらプレゼンの練習に付き合っていただけませんか? 本番は明日なので、誰かに聞いて貰いたくて」


 私の提案に口角を上げて微笑む白練様。


「もちろん、構わぬぞ!」



〜枕草子〜

 清少納言によって書かれた平安時代の随筆。清少納言は、清原元輔の娘として生まれ、一条天皇の中宮定子に仕えました。

 『枕草子』は、彼女が女房として中宮定子に仕えていた期間に書かれたもので、内容は、類聚章段・随想章段・日記章段の大きく三つに分けられます。


 類聚章段⋯一般的に「ものづくし」と称される章段。特定のテーマを掲げて、更に清少納言の主観的な解説が加えられています。

 随想章段⋯有名な冒頭部分「春は曙」の段はこちらに分類されます。清少納言の独特な感性で鋭く描写されています。

 日記章段⋯清少納言が仕えた中宮定子の後宮においての出来事を回想して描かれています。


 そして現在、『枕草子』の伝本は以下の四系統

 三巻本・能因本・堺本・前田本

 現在は三巻本を底本として読まれているので、それに習って今回のプレゼンを行います。


 まず、私が枕草子を知るきっかけとなったのは中学二年生のときでした。


 当時、辛いことが重なり私の心は沈み込んでおりました。けれど、この枕草子を授業で習い、その素晴らしさに初めて感銘を受けたのです。


『春は曙。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて紫立ちたる雲の細く棚引きたる』


 非常に有名な冒頭部分ですが、これが千年前に書かれたものとは思えない程、現代の私たちでも感じ取り、見ることの出来る情景だと感じたからです。


 春の朝。まだほんの薄暗い夜明け。だんだん遠くの方が白んで来て、山際では無くマンションやビルの立ち並んでいる辺りでしたが、そこから徐々に太陽が昇って来ます。


 空は紫めいてとても淡く優しい色を含んで、細い雲は所々長く伸びてふわりと漂っていました。


 私はその時初めて、世の中には変わらないものがあるんだと知りました。現世は私が生きた世界は、常に移り変わり、新しい建物が立ち並び、新しい技術で様々なものを作り変えて来ました。


 人の心も簡単に移り変わって、ときに争い奪い合い、自分の考えや理想を押し付け合って、邪魔なものを排除して。そうして、費用や時間を効率化してそれと引き換えに人は心の豊かさを失ってしまったのだと思います。


 物語の世界を好む私は変わり者だと馬鹿にされ、なかなか周囲に馴染めず、辛い日々を送っていました。私の好きなものを逆手に取り、私の自由を奪い、強制する道具として扱われたこともありました。


 それでも私は、私の物語の世界に対する愛情だけは、何処に居ても変わりません。


 この世界はまだ変わらず素敵な景色が拡がっていると気付かせてくれたこの本は、私にとってかけがえのない宝物です。

 

 胸の奥の大切な引き出しに閉まって、今でも鮮明に思い出せるあの景色をいつか誰かと分かち合えるときが来たら。私はこの都で、そしてこの芸亭で、新たな思い出の一頁を刻みたいと思っています。


──────ご清聴ありがとうございました。




 パチパチパチと白練様の拍手が響き渡る。


「なかなか上手では無いか!」


「ありがとうございます。白練様にそう言っていただけて、心強いです」


 白練様の大きな瞳はキラキラと輝き、まるで私のプレゼンを心から楽しんでくれたかのように見えた。こんな風に誰かに話を聞いてもらえるなんて現世では滅多にないことだったので、心がほんわり温かくなる。


「胡和よ、お主の話はまるで絵巻物のようじゃ。言葉一つ一つに情景が浮かんで、まるでその場に居るかのように感じ取れる。明日の本番もきっと上手くいくぞ」


 白練様の言葉に、思わず頬が緩む。不安で凝り固まっていた心が、ふわりと解けて行くのを感じた。


「ありがとうございます、白練様。本番も頑張ります!」


「ふむ、胡和の心から溢れる言葉は、きっとどんな相手にも届くはずじゃ。書物を愛するお主の気持ち、これからも忘れぬようにな」


 白練様はそう言うと、小さく跳ねるようにして笑った。ふわふわの尻尾がゆらゆらと揺れ、私はその姿に癒されながら、ふと昨日の一件を思い出した。領主様とは結局、大した話も出来なかった。彼の冷たい態度は依然として変わらなかったし。


「白練様……、昨日の領主様のことですが」


 私が口を開くと、白練様の耳がピクッと動いた。腕を組み、真剣な眼差しで私を見つめる。


「うむ、鬼神のことじゃな。あまり話が弾まなかったか……」


 私は一瞬迷った。領主様とのことを白練様に話すのは、なんだか彼に申し訳が立たないような気がして。でも、このまま心に溜め込んでいても、何も変わらない。私は一度深く息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「領主様は私のことを嫌っていると、はっきり仰いました。七年前のことも、ただ女神様の仰せの通りにしただけだと。私はちゃんと当時の非例を詫びたいだけなのですが……結局、拒絶されてしまって……」


 白練様は静かに私の話を聞いていた。彼女の瞳は、どこか遠くを見つめるような深い思索の色が浮かんでいる。


「白練様は領主様との縁を大切にしてほしいと仰いましたが……、彼は私を遠ざけたいようです。嫌われている相手に無理に近づくのは、やはり悪手かと……」


 私の声はだんだん小さくなり、最後にはほとんど囁きに近いものになった。白練様はしばらく黙っていたが、やがてふっと微笑むと、ちゃぶ台を軽く叩いた。


「胡和よ、お主は本当に真っ直ぐな娘じゃな。だが、鬼神のあの態度は嫌いだの何だのとそう単純なものではないのじゃ。鬼は……鬼神は、鬼神としての振る舞いを心得ているだけじゃ。他人を遠ざけ冷酷に振る舞い、他人に畏怖の念を抱かせる為の言わば……」


「それってつまり、敢えて鬼神らしく恐れられるように振舞っている……ということでしょうか?」


 私は思わず問い返す。領主様のあの鋭い眼差しや、冷たく突き放す物言いは見せかけの為?私には全て本心に思えるのだけれど。


「そうじゃな。鬼神がこの都に呼ばれたのも全て女神様の思惑通り。最初は反発しておったが、渋々了承してその役目を引き受けてくれた。彼奴の肉体は傷の治りが早く、瘴気をもろともせずに祓い清めることが出来る。生身の身体は正に鎧の如く頑丈に出来ておるのじゃ。ただ、心にまで鎧を纏う要因になってしまった」


 私は白練様の言葉を頭の中で反芻する。もしも、本当に彼に嫌われていないとしたら……。


「胡和よ、お主の言葉や想いは彼奴の鎧を突き破る力を持っている。と、我はそう信じておる」


 その言葉が、私の胸にじんわりと染み込んでくる。領主様がそんな状況に置かれているとは想像もしていなかったけれど、今の言葉を聞いてもう一度、彼と向き合う決心がついた。


「白練様、ありがとうございます。領主様とどう向き合えばいいのか、まだわからないですけど。これからもめげずに話をしてみます!」


「うむ、その意気じゃ! 胡和ならできると、我は信じておるぞ!」


 白練様はぴょんと立ち上がり、私の手をぎゅっと握った。小さなその手は温かく、迷いが一気に晴れる心地がした。

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