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巫のまつりごと  作者: 一靑華巳
芸亭
11/21

月風鳥花

 それから(しばら)くして、開館まで十五分。


 卯月は用事があるとかで、いそいそと現世へ帰ってしまった。どうやら神々に仕えている眷属達は、好きなように五都(いづと)現世(うつしよ)を行き来できるらしい。


 私はというと、さすがに何もしないのはまずいと思い立ち、本の整理をすることに。と言っても、本を動かした形跡がほとんどないようで、綺麗に背表紙が並んでいる。もちろん、逆さまやら全く違う年代の棚に入っているということもなく、年季の入った巻物も置き物のようにそこに配置されていた。


「皆、あまり本に興味が無いのかな……」


 現代でも本離れが話題になっているのに、この世界でも危機を迎えているのか。現状を打破する方法はないものかとはたきで埃を取り除きながら、ぼんやりと考えていた。


 ふと、一冊の書物が目に留まる。私が清掃していたのは、平安時代の書物を集めた棚。そして、私が手に取ったのは日本三代随筆の一つ、『枕草子』である。私にとって、かけがえのない作品であり、想いが詰まった大切なものだ。


 面陳列されていたそれは、手に取ってほしいと言わんばかりで少しだけ誘惑に負け、冊子の頁を開いてみる。かなり年季が入っており、もしや原文なのではないかと期待が高まる。


 やはり、中身は草書体で書かれていた。読み難い部分も多いけれど、少しくらいは勘で読める。現代語訳の本をよく読んでいたから。


──はるはあけぼの。やうやうしろくなりゆくやまぎは

 すこしあかりてむらさきだちたるくものほそくたなびきたる──


 あまりにも有名な一節。私も(そら)んじて読めるほど。


 目を閉じると、この一節が言わんとしていることが、色鮮やかに映し出される。優雅で壮大な風景を洗練された文章で書き表した清少納言に、敬意を払わずにはいられない。


 と、平安の時に浸っている最中(さなか)、私の名前を呼ぶ照葉さんの声が聞こえてきた。現実世界に引き戻された私は、丁寧に書物を閉じ、棚に戻すと急いで駆けて行ったのだった。


「今日は何人、お客様が来るかしら」


 照葉さんの肩肘をつき、帳簿を眺めている姿は様に見える。


「昨日はぴったり十人だったから、今日は十一人ね。プレミア芋羊羹賭けるわ。あんたは?」


「私は、わからない……、です」


 というか、十人は少な過ぎないだろうか。余花さんが賭けに出るということは、余程自信があるんだろうな。何だか雲行き怪しい……。


 私の心配をよそに、「ふーん」とつまらなさそうに相槌を打ち、花札こいこいの勝負の続きを楽しんでいる。そして、私が対戦相手。こんなことをしていて本当に大丈夫なんだろうか。どこの職場に花札をして遊ぶひとがいるんだろう。有り得ない。


「猪鹿蝶と赤たん。あと、盃こーーーーい!花見酒じゃ」


 ちなみに、私は青たんと三光なのでカスでもタンでも揃えれば良いと思っている。賭けには出ない主義。


「はい、カスが揃ったから私の勝ち」


「えー。もうちょっと待ってれば、盃来たかもしれないのにー」


 役が出来たら、すぐに上がれば良いのに。

 まぁ、三ヶ月戦の如月の時に私が大逆転し、この差は埋まらないだろうと高を括っていたから、思惑(おもわく)通り。盃が来れば逆転だったのだろうが、勝負はそんなに甘くない。


「もう決着もつきましたし、そろそろ仕事をした方が……」


「仕事って言っても、やることなし客もなし。暇だしさー」


 余花さんはそう言うと机に突っ伏してやる気のなさ全快。確かにお客さんの姿は全く見えないけれど、それはあやかしや神様だから見えないというわけではなく、単にお客さんがこの芸亭に訪れないのだ。


「そもそも、どうして私がここに配属されたのでしょうか……」


 人間のできることは高が知れているから?だから、あまり仕事の無さそうなこの芸亭の司書に任命されたのだろうか。最初から誰にも期待されていなかったということに、胸がちくりと痛む。まぁ期待されても、それに相応しい仕事ができるかと言われれば、困りものなんだけれど。


「まぁまぁ、元気出して。それはきっと、ここに勤めている内に分かって行くことよ」


 照葉さんが考え込んでいた私の背をさすり、励ましてくれる。その優しさに、胸がじんわりと温かくなった。


「私もね、最初はどうしてって悩むこともあったけれど、今はここが私の大切な居場所なのよ。そういうものよ、きっと」


 "居場所"それは私がずっと探し求めていたもの。もしも、此処が本当に私にとってかけがえのない場所になれたなら。私自身も変わる事が出来る、何かのきっかけになるかもしれない。


 それからは、ちらほらとお客様の姿が見えるようになった。


 一番最初のお客様は常連さんのようで、名簿にも名前がよく載っている。見た目は、なんら普通の人間と変わりない。あまり、あやかし本来の姿を見慣れていない私は、ほっと胸を撫で下ろした。ただ、お召し物や髪型は千差万別で、流石は時代と文化が融合した都。


 照葉さんが貸し出し手続きを行っているうちに、私は名簿に貸出日、名前、そして本のタイトルと資料番号を記入する。貸出期限は一律、一週間以内と決まっているらしいので、それまでに返却が無ければ督促(とくそく)するらしい。


 余花さんはというと隣の椅子に腰掛け、カウンターに突っ伏して寝てしまっている。起こすか起こさないか迷った結果、人手が足りなくなったら手伝ってもらおうと二人で頷き合った。


 そして、客足がぱったりと止んだタイミングで、配置されている書架の目録を見せていただいた。どうやら、資料の選定、分類・目録作成は館長さんが、蔵書点検は文車妖妃(ふぐるまようひ)様がそれぞれ分担して行っているらしい。


 ちなみに、資料の修復作業などは芸亭近くに住む金継河童(きんつぎがっぱ)たちが手分けして取り組んでくれているとのこと。工房の見学も出来るようで、気が向いたら訪ねてみてはと照葉さんに勧められた。


 さて。長机に置かれている旧字体の漢数字で書かれた文字盤の丸時計。大小二つの針は真上にぴったりと重なり合っていた。


「もう、十二時。今日はお客様が格段に多かったわねぇ。さてさて、お昼にしましょうか」


 照葉さんは嬉しそうに立ち上がり、余花さんを起こす。

 ついに今の今まで起きることもなく起こすこともなく、ぐっすり眠っていた余花さんは、大きなあくびを繰り返しながら、席を立った。


 私自身はというと空腹であることに気付いたものの、昼食も持ってきておらず、持ち合わせもない。どうしよう……。


「あんたは食べたいものある?私たちは、近くの喫茶店に行くけど」


「生憎、私は持ち合わせが……」


「今日は私の奢りってことで。遠慮しなくていいのよ〜」


 さぁ、行くわよと照葉さんに半ば強引に連れられて、裏の勝手口から出る。


 それにしても、近くに喫茶店などあっただろうか。どこもかしこも庭園や平屋の寝殿造が続いているだけなのに。


 とりあえず、戸締りをし終えて歩き出した二人のあとに着いて行くことにする。


「ここは本当に静かよね。もう少しひとがいてもいいと思うんだけど。だから芸亭へ来るお客も少ないんだわ」


「まぁ、此処は別荘地だから、神様やら妖たちは滅多にいらっしゃらないのよ。でも、今日はお客様多かったわね。これも一重にあなたのおかげよ。うふふ」


 着物の裾を口に当てて朗らかに笑う照葉さん。私のおかげというのが今一度理解できない。


「要は、この都に突然人間がやってきて、芸亭の司書をしているってことが物珍しいのよ。妖たちは新しいことに目がないから、もっと大々的に宣伝すればお客様も増えるかも」


 勝気な笑みを称え、足取りは弾むように軽やかだ。ただ暇で退屈な日々に飽きたのか、お客様が書物を手に取る良い機会になればと望んでいるのか。


 例え人間が司書をしているという好奇心だけでいらっしゃったお客様でも、それが本を手に取るきっかけになり、それこそ"運命の一冊"に出会うことができたなら。どんなに素晴らしいことかと私は頬を緩めるのだった。


 大通りを真っ直ぐ歩み進めること十分。

 目前に架かる大きな橋が見え、その手前で足を止めた。橋の向こう側は数メートル先だというのに真っ白な霧に覆われ、よく見えない。私は少しだけ不気味さを覚え、固唾(かたず)を呑む。


「もしかして、渡るんじゃ……」


 出来れば渡りたくないと念を込めながら、交互に二人と目線を合わせる。 が、


「渡るに決まってるでしょ」


「この橋は大正空間までの架け橋なんだから」


 きっぱり言い捨てられ、やむなく引きずられるように霧の中へと吸い込まれていった。


 橋を渡り、一つ角を曲がったすぐ傍にその店はあった。看板には『月風鳥花』と書かれてある。月、と読みかけて、そういえば昔は右から読むのだったと思い直したのは内緒の話。


 お昼時もあってか、なかなかに席が埋まっている。これは待つことになりそうだと危惧していたものの、直ぐにその予感は外れた。


「いらっしゃいませ~、三名様ですね。どうぞ、こちらへ」


 お団子ヘアが特徴の女給さんに案内され、三人揃って二階窓際の席に着く。


「いい所でしょ~?」


 天井には真鍮フレームが桜の三灯シャンデリア。奥には教会にあるような窓一面に光沢のあるステンドグラス。色とりどりのそれは太陽の光を受け、幻想的で美しい雰囲気。ろくろ足のアンティークな丸テーブルに、座面が青いベロア生地のダークブラウンのチェアは座り心地も良し。


 私はその問いに満面の笑みを浮かべ、静かに頷く。


「素敵なお店ですね」


「中々こういう店、無いんだよね。しかも、この窓際の席は私たちの特等席なの」


 余花さんは余程このお店が好きなんだろうなぁ。此処に連れてきてくれたことが、私も二人の仲間入りができたようで、少しだけ嬉しく感じられた。


「ご注文は何になさいますか~?」


 今度は桃色の長い髪をマガレイトに結った、可愛いらしい女給さんがお冷とおしぼりを持って来てくれた。


 二人とは顔馴染みらしく、この特等席も女給さんが取り次いでくれたらしい。けれど、私は初対面なので少しばかり緊張してしまう。お人形さんのような美しさについつい見惚れてしまい、失礼にならないようにそっと目を逸らした。


 そんな折、「いつもので」と二人の声が重なる。


「ではフルーツサンドとマカロニグラタンですね。そちらのお嬢さんはいかがなさいますか?」


 女給さんは注文書に走り書きをしながら、太陽のような満面の笑みを称えている。そうだ、急いで注文しないと、ここで待たせてしまっては申し訳ない。


「よろしければメニューを」と差し出されたそれには、右上に『~当店自慢のお品~』の項目が。卵サンドウヰッチ、オムレツライス、ビーフシチウ の順に文字が大きく印字されている。なかなか見慣れない表記だけれど、大正時代ではこれが当たり前なのだろうか。


「ビーフシチューでお願いします」


 女給さんにメニュー表を返しつつ、早口で返答する。昨日の夜にも食べたけれど、大正時代のビーフシチューも興味があったので、即決だった。


「はい、承りました! ごゆっくりどうぞ~」


 腰に下げた和柄ポーチに注文書を入れ、お盆とメニューを両手に、丁寧な仕草でお辞儀をして立ち去っていく。


 にしても、愛嬌のあるひとだなと羨ましく思う。人見知りの私には絶対に真似出来そうにないもの。


 暫くして、料理が次々と運ばれてきた。

  匂いが鼻腔をくすぐり、さらに食欲を掻き立てる。クラシカルなお皿に見た目も美しく盛り付けられた料理に感嘆。


「「「いただきます!」」」


 三人同時に手を合わせて思い思いに頂く。


 肝心のビーフシチューはというと、デミグラスソースの色合いは黒に近く、しっかりと煮込まれた濃厚な味わい。それなのに、現代のものよりも赤ワインの風味とトマトの酸味が効いており、頬が落ちそうになる。ホロホロのお肉と形を残しつつ柔らかくなった野菜がデミグラスと絡み合い、ますます白米が進む。これは毎日でも通いたくなる逸品。


「幸せ……」


 お腹が満たされると、今度はデザートが食べたくなってきた。


 先程から、女給さん達が厚みのあるホットケーキらしきものから、艶のある硬めプリンやシュークリームまで、様々なものをお盆に乗せて運んでいる。その様子を見ているだけで目移りしてしまうけれど、奢っていただく手前、追加オーダーなんて出来る訳がない。


「胡和ちゃん、良かったらいちごのサンド一つ食べてみる? とっても美味しいわよっ」


 照葉さんは、そう言ってフルーツサンドのお皿を私の方に寄せてくれた。そういえば、朝いちご大福を頂いたときに、一番好きなフルーツは"苺"だと伝えたんだっけ。


「ありがとうございます。頂きます……」


 こんなに気配り上手で優しいひと滅多に居ない。私はふわふわのパン生地を手で摘むとクリームを落とさないよう、丁寧に口へ運んだ。優しさの相乗効果で、いちごがより一層甘く感じられる。


「姐さんって、本当に世話焼きよね」


 その様子を見ていた余花さんは、淡々とそう言ってニヒルに笑った。


「昔から、姉御肌なのよ。これでも、生粋の江戸っ子なんだから」


 確かに江戸っ子は義理人情に厚いイメージがある。生まれた時代が性格に影響することもあるのだろうか。


「お料理、お口に合いましたか? 胡和ちゃんっ」


 女給さんに名前を呼ばれて、少しだけドキッとする。いつの間にか傍に立っていた彼女は、お盆を片手に紅掛空(べにかけそら)色の瞳を煌めかせて静かに微笑んでいた。


「もちろん、とっても美味しかったです!」


 まだ名前を名乗っていないのに……、会話を聞かれていたのだろうか。


「まぁ、いつもの味だったわよ」


「もう、余花さんったら素直じゃないんだから」


 女給さんは悪戯っぽく笑うと、余花さんの頬っぺを人差し指でツンツンしている。


「ちょっと、良い加減にしときなさいよ。姐さんも笑ってないで、止めてよね〜」


「はいはい」


 仲の良いやり取りが、何処かほっとする。

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