後悔しない
「ふーん。楽しそうなことしてんな」
「……ごめん」
夜、両親が寝たあと水香が俺の部屋にきた。
話がある、といやに真剣な顔で言うもんだから何事かと身構えたくらいだ。
「で、お前は了承したわけだ」
「いや、それは仕方なくというか…」
「ふーん」
クラスメイトの男の、彼女のふりをして、明日デートに行く。
水香がそう言った時、俺はこの女を本物の阿呆だと思った。
「1日だけって約束だから……」
「何で水香がそんなことしなきゃいけねーんだよ。彼女のふりなんて誰でもできるだろ」
俺は、正座している水香にそう言った。
彼女は何か言いにくそうに言葉を濁す。
「それは……」
「まさか……好きなの水香。そいつのこと」
内心ビビりながら聞いた。
実はそうなの、とか言われたらどうしよう。
しかし、水香は俺の目を真っ直ぐ見つめたまま、少し怒ったように言った。
「……そんなわけないじゃん。私が好きなのは、大和だけだよ」
「……ふーん」
あ、やばい。こいつ可愛い。押し倒したい。
待て、落ち着け俺。ここは家だ。
深呼吸して、水香から離れ、さりげなく窓を開けた。
ここは余裕のあるところを見せよう。
「ま、いいんじゃね。1日だけなんだろ」
「うん」
「で、どこ行くんだよ」
「遊園地らしい。でも相手の友達と四人で行くから。ダブルデートみたい」
「……」
なんだよ遊園地って。超デートじゃん。俺だって水香と行ったことねぇのに。くそ。
「……気をつけて行ってこいよ」
色んな意味でな。
次の日は土曜だというのに、早くから自然と目が覚めた。
リビングに降りると、母親が弾んだ声で、おはようと笑いかける。親父はいない。土曜なのに仕事らしい。
その傍らには水香がいた。俺を見ると、苦笑いをする。
「大和ー、水香今日デートなのよう」
嬉しそうにそう言う母親。
俺に向かって、デートという言葉を強調してくるあたり、必要以上の意味を感じる。
「そうなんだ。彼氏?」
なに食わぬ顔で俺も水香を見た。
彼女は心底鬱陶しいというように首を横にふる。
「だからお母さん、違うってば。友達と遊びに行くだけだから」
「女友達とわざわざ遊園地なんて行かないわよねー、大和」
「……そうダネ」
いちいち俺に突っ掛かってきているように感じるのな気のせいだろうか。本人は無意識かもしれないが。
「もー、そんなにお洒落しちゃって。相手はどんな子なの?」
水香は不機嫌な顔をしたまま階段を上っていった。
母親は少し残念そうに口をとがらせたあと、『大和は今日はどうするの?』と尋ねてくる。
「あー、俺も出掛ける」
「あらそうなの?大和までデート?お母さん一人で寂しいな。パパも仕事だし」
「俺はデートじゃないよ。敦に呼び出されてるんだ」
ふぅん、と母親は唸る。
我が家での敦の評判はあまり良くない。
「悪いことしちゃダメよ」
「分かってるよ」
俺はそう言い、もう少し寝るよと再び二階に上がった。
「なにその服」
「は?」
いきなり放った俺の言葉に顔をしかめた。
ノックもせずに部屋に入ると、彼女は鏡の前に立って鞄を選んでいるところだった。
「いきなり何なの?」
「その服だよ、服。何でそんな短いの履いてんだよ」
「え?」
水香が今、履いているショートパンツからは、彼女の生足が真っ直ぐ伸びている。
これ?と水香が首を傾げた。
「普通のジーンズ履けよ。持ってんだろ」
「あ、うん。持ってるけど……」
こいつがよく読んでいるファッション雑誌には、確かにショートパンツを履いたモデルがずらりと並んで写っている。
「いいじゃん、流行りなんだからこれ」
「そんな足出して風邪引くぞ馬鹿」
「はぁー?年寄りみたいなこと言わないでよ」
そう言って俺から目をそらし、再び鏡に向かう。何だこいつ、なんかうきうきじゃねーか。
「お前足太いし!似合ってねーから!」
別にそんなこと思ってないけど、こんな露出度の高い服で俺以外の奴と遊園地なんて嫌だった。
わかんねーかな、男心が。
「大きなお世話なんだけど」
殴られた。
「なんだよ、話って」
夕方、呼び出された近くの公園に行くと、敦がベンチに座って俺を待っていた。
俺は敦が何かを見ているのに気が付き、ふとその視線を辿る。先には、小学生くらいの女の子が一人、ブランコに座っていた。
「いくら女好きでも、小学生はやめとけよ」
近付いてそう言うと、敦は呆れたように笑った。
「ちげぇよ馬鹿。あの子、ずっとブランコに座ってんのに、全然漕がねぇの。ぼーっとしてるだけで」
「ふーん」
確かに、女の子は夕焼けを見ているだけで、微動だにしない。
そんなことより、と俺は敦に向き直った。
「話ってなんだよ」
「いやぁ、大したことじゃないんだけどな」
うん、と俺は聞いた。
ベンチに座ったままの敦は自分の爪を弄りながら少しの沈黙を見送る。
「……俺、りかこちゃんにフラれた」
思わず言葉を失った。
振られた?そんな馬鹿な。だって絶対にりかこちゃんも敦のこと……っていうか、
「いつの間に告ったんだよ」
「昨日。ラーメン屋のバイト終わるの待ってから」
「りかこちゃん……なんて?」
「大学辞めて、田舎帰ることになったって。なんか、身内が病気になったとかで。だから俺とは付き合えないって。バイトも明日で辞めるらしい」
「……お前それで引き下がったの?」
「うん」
敦が頷いた時、キィ、と錆びついような音が聞こえた。
女の子が少しだけ、ブランコを漕いだようだ。
「それならまぁ仕方ないなって、思った。遠距離とか無理だし、でも」
敦は続けて言う。
「それから家帰って、なんか、よくわかんねえけど、もう会えないって思ったら俺りかこちゃんのこと思ってたよりずっと好きだったんだなって。結構、ショックだな、こういうの」
「……」
「適当に、今までやってきたつもりだったけど。全然違う。他の女とは全然」
この時俺は、見た目よりもずっと落ち込んでいるだろう敦に何も言えなかった。
遠距離くらいなんだよ。俺なかんか姉貴好きなんだぜ。
そう思うのは簡単だ。
だけど、その時の辛さや問題は当事者にしか分からない。
いくら他人の問題と比べてみたところで、自分の問題が解決するわけじゃないのだ。
「まぁ、すぐに忘れるよ。こんなこと」
敦はそう言って力なく笑った。
こうして、世の中は少しずつ少しずつ変わっていってしまう。
後悔しない生き方を
(そんなの、みんな分かってる)