赤い本
僕の頭の中には、必要最低限の記憶しか残さない。
例えば、起き上がったり座ったりなどの動作、ココアの入れ方やどこにどの食器があるのかとかそういう日常で困らないようにするための記憶と魔法に関する知識の記憶。そしてある少女との記憶。
「ある少女、か……」
目の前のベッドで寝ている少女を見つめる。光に反射して輝いている艶やかな白髪は前とは違う。閉じられた瞼に隠れる真っ赤な瞳も以前は違う色をしていた。
「………………、」
さっきまで読んでいた本に目をやる。読みすぎで角が擦り切れたりページも変色していて状態のいいとは言えない。表紙は少し色あせているが、彼女の真っ赤な目と同じ色。背表紙には他の記憶のように魔法陣が刻まれている。
気がつくと彼女と繋いでいた手は微かに震えていた。
今は彼女の温もりを感じられるだけでいい。
「“ウィズダム”」
眠る彼女の傍らで僕も目を閉じた。
*****
「…………あれ?」
目を開けるとラフィリエーネはまた知らない場所に立っていた。
てっきり現実世界に戻るのかと思っていたので、記憶がまだ続いていることに驚いた。
今立っているのは草原の広がる丘の上。吹いてくる風には仄かな甘い花の香りが混ざっている。
「ここは…、」
「カル!」
ラフィリエーネの言葉と子供の声が重なる。
声のする方へ視線を向けると、一つの小さな影が走って来ている。気づかぬうちにラフィリエーネの目の前には一人の青年が立っていた。
「カロル様?」
ラフィリエーネの位置からでは背後しか見えず、彼の表情は読み取れない。
走ってきた影は黒髪ロングの幼い少女。そのままカロルに抱きつくとカロルは少女を抱き上げ、少女は嬉しそうにはにかんだ。
「カル!」
「おかえりなさい。いいお花あった?」
「それがね、なかったの!だからね、今日はねカルのお花がいい!」
少女は自分の胸の前で祈るように手を組む。カロルは仕方ないというように体から力を抜くと、まるで手品のように真っ赤な花を咲かせた。
「はい」
「わぁ、すごい!ありがとう!」
差し出された花を少女は大事そうに抱えると、カロルの手を引きどこかへ行ってしまった。
ラフィリエーネは2人を追うことはせず、容赦のない光の洪水に静かに身を委ねたのだった。