(字あまり)
港に面した倉庫の周りには、数多くのパトカーがびっしりと詰めかけていた。
機動隊員がずらりと並び、たとえ銃撃戦になろうとももろともしないような強固な守りの姿勢へと入っている。
早々に警察方面にも手を打っていたらしい。あの通話をしている中、一体どうやったのやら。金之助の用意周到さに、平次郎は改めて感心する。
警察らの後ろに立ち尽くしたまま、平次郎は倉庫の方をじっと見ていた。
パトカーよりもずっと速く、平次郎は黄ヱ門とともに海辺の倉庫へやって来た。しかし、 黄ヱ門は平次郎まで倉庫に乗り込むのを良しとしなかった。
もしチャンバラすることとなると、平次郎がただのお荷物になることくらい、本人にも分かっていた。だからよけいに、ただ一人敵地へ乗り込んでいった黄ヱ門の背中は勇ましく、格好良く思える。
しかし、格好が良かったとしても、無事に戻ってこなければ意味が無い。無駄な蛮勇など、必要ないのだ。
警察の面々は忙しなく動き回っている。各自、隊列を組むため動き回り、首脳陣はスピーカーなどの準備をしつつ、相手に呼びかけをしようとしたその時だった。
倉庫入り口の扉が開いた。
磨りガラスがはめ込まれたそれ。
開いたと思えば中から男が駆けて出てくる。少なくとも黄ヱ門ではない。ということは、明菜を攫った奴らの一味だろうか、と平次郎は考えを巡らせる。
周囲は一斉に物々しい雰囲気になり、警官達は盾を構えた。
「たっ……助けてくれっ……!」
しかし、まさかの救助要請に、誰もが耳を疑う。
黒いスーツに派手なシャツ。更にサングラスとくれば奴がその手の組の者であることくらいすぐに予想できる。しかし、それが助けを求めるとは一体どう言う状況だろうか。
腰が抜けんばかりの不抜けた走りで、彼はようやく機動隊たちが密集する方へ到着する。はあはあと、肩で息をしながらも、彼は取り囲まれた。いや、取り押さえられてはいるが、安堵した表情なのは何故だろう。
「兄貴ぃ!」
次に倉庫からやって来たのは、少し小太りの男――鬼平だった。どうやら彼の部下らしい。
ずるずると動かない長身の男を抱えては、彼なりの全速力でこちらに向かってきているらしい。
「やべえですぜ、女の子! 縄にしばったまま!」
悲鳴のようにこの男が叫んだ瞬間、最初に出てきたリーダーも、鬼平も、そして彼が抱えるモンドすら一斉に拘束される。
どういうことだ!? と、イマイチ状況が把握できない警察の面々が、恫喝するように彼らに問いかけている。
「爆弾が……!」
この一言に、誰もが固まる。
平次郎自身も、自分の体が一瞬にして冷えるのを感じた。
おそらく誘拐犯であろう男達が出てきているのに、黄ヱ門が出てこないのは何故だ? 明菜は何故いない? その単純な疑問が心の奥底で暴れ始める。
ざわざわと心が悲鳴を上げ始めて、焦る気持ちで再度倉庫の方を見た。
――黄ちゃん! 無茶をするな!
そう、平次郎が心で叫んだ時だった。
――ドオオオォォォォォォン!!
地面を揺らすかのような轟音とともに、一瞬にして倉庫の窓という窓、そして入り口から赤い炎と煙が吹き出した。それにほんの僅か遅れるようにして、倉庫の壁が吹き飛ぶ。
全てがスローモーションのように、平次郎の目にうつった。
――少し待ってくれ。そこには、よいじじいの会の大馬鹿ヤロウがいるんだ!
信じがたい光景を目の当たりにし、平次郎は真っ先に運命の儚さに嘆いた。神を恨み――しかし、すぐに祈るような心地になって、ぎゅうと両手を握りしめる。
全身を冷たい汗が流れ落ちていくのが分かった。
見たこともないような大爆発。
その前に倉庫から出てきたのは、誘拐犯であろう三人の男達だけだ。黄ヱ門はついに出てこなかった。明菜とともに、倉庫に残ったのだろう。
――なぜだ、何故だ黄ちゃん!?
いくら老い先短いと言っても。
命を投げ出すなんてあまりに阿呆では無いか。阿呆だのバカだの飽きるほど告げてきたが、今日ほど黄ヱ門が大馬鹿やろうとののしり、殴り倒したくなったのは初めてだ。
……しかし、もう、それも叶わない。
だって、罵りたくとも。殴りたくとも。目の前に相手がいないのだから……。
「……!」
なんと声を出していいものか分からなかった。
平次郎の今の気持ちを率直に言葉にするならば、悔しい、なのだろうか。
何も出来なかった自分が悔しく、黄ヱ門が目の前にいない事実が悔しい。
全力で駆け抜けてきた結果がこれか。
手元のスマートフォンを握りしめ、平次郎は苦痛に表情を歪める。その時だった。
顔を上げると、目の前に信じられない光景が広がっていた。
深い海の青。
夕日の赤。
倉庫から吹き出す煙と炎。
鮮やかなそれらを背景にして。ごうごうと崩れ落ちる倉庫を背に、ゆったりと、しかししっかりとこちらに向かって歩んでくる男がいる。
背中を赤く照らされた男は、上半身は肌色。
どんな決闘をすればそうなるのかと言ったビリビリのシャツを纏い、あまりにも寂しいバーコードの髪の毛をなびかせ、そして胸の前には少女を抱え。
悠々とこちらに向かってきていた。
何が起きているのか、平次郎にはわからなかった。
しかし、ただひとつ言えることは、赤い夕日、そして炎を背にした彼は、どんな映画の主人公よりも勇ましい戦士で、ヒーローだった。
死地に赴き、彼は、彼のヒロインを救ったのだ。
* * *
「……以上、ここに感謝をしるし、この賞状を与えます」
そして時は過ぎた。
今、黄ヱ門をはじめとしたよいじじいの会の面々は、照明の当たる壇上に並び、大勢の人から拍手を受けている。
彼らの目の前にいる、かっちりとしたスーツを着た男達は、口々に感謝の言葉を告げながら黄ヱ門達と握手した。
舞台の手前の方には明菜たち孫三人も嬉しそうに拍手しており、黄ヱ門が目を向けると、明菜が少し照れたようにそっぽを向く。
――何じゃ、照れおって。
その仕草のひとつひとつが愛しくて、黄ヱ門は苦笑した。
そして渡された感謝状を抱えつつ、彼は明菜の方へと足を進める。
少し気恥ずかしそうな様子が可愛らしい。
これはまた、得意の妄想かもしれないが、それでもいい。可愛い孫の様子を見ているだけで、黄ヱ門は幸せなのだから。
「明菜、本当に無事で良かったよー!」
当時のことを思い出したのだろう、紗弥も冠愛来も競うようにして明菜に飛びついた。仲良し少女三人組が、きゃっきゃとお互いの無事を喜び合う。しかし、抱きしめられた明菜は少し真面目な表情のまま、ただ黄ヱ門を見つめていた。
「おじいちゃん……その……」
そうして、ばつが悪そうに視線を泳がせる。
何を告げようとしているのか。あー、うー……と、言葉を選んでいるようだ。しかし、とうとう意を決したのか、再び黄ヱ門の方を振り向いて、大きく頷いた。
「助けてくれてありがとう……その……格好良かった……よ」
思いがけない言葉に、黄ヱ門はその場で固まった。
頬を赤く染めて照れた様子の明菜は、すぐさま黄ヱ門に背を向けてしまう。
おー! と、囃し立てるように少女達が声をあげる。
よかったですねえ、格好いいおじいさんですよねえ、と周囲の大人達はお世辞を口にして。
こんなにも大勢に口々に褒められることなど、長い人生に一度も無かった。だからこそ、本当に夢なのかと、思う。
しかし、脇をがっちりと二人のじじいにかためられ、現実に引き戻されたような心地がした。
「なんじゃ、貴様、抜け駆けか?」
「俺たちもなかなか頑張ったろう? 褒めてくれても良いんじゃねェか?」
わいわいと声を上げながら、じじい二人に肩を掴まれる。
「これでよいじじいの会の株も上がったかの」
「元々俺たちぁ最高に格好いいサ。なあ、黄ちゃん」
孫の言葉にいまだに固まったままの黄ヱ門をニヤニヤして見つめ、金之助と平次郎はそれぞれ破顔した。
ゆるゆると、孫に言われた言葉の喜びに溺れていた黄ヱ門は、これが現実なのか、妄想なのか何度も確認していた。
しかし、どう考えても現実である、という答えにたどり着き、黄ヱ門はそっぽむく明菜に声をかける。
「よし、明菜! ワシの胸に飛び込んでこいっ」
お前の全てを受け止めてやるっ。と、脇のじじい達を押しのけ、両腕を開いた。
孫を抱く準備は出来ている。
平次郎を真似たクールでニヒルな表情を演出しつつ、俺様気取りで孫に迫った黄ヱ門。しかし、次の瞬間、思いっきり頬を叩かれることとなった。
「飛び込むかっ! この妄想クソじじい!」