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アツシ  作者: 岡本圭地
2/11

②女の子とアツシ


 次の日の昼食は予定通り、豚汁だった。


 大勢の被災者達で賑わう大広間に、次々と豚汁の鍋が運び込まれる。



 アツシは、人を押しのけ掻き分け、鍋の置かれた長机の前へと躍り出る。


 期待に胸を膨らましていると、遂にスタッフが鍋の蓋を取った。



 熱々の湯気と、香ばしい香りが広がると、アツシは気絶しそうになった。


 今すぐにでも、鍋に飛びかかりたかった。



 そんなアツシの様子を見ていたスタッフの一人が、苦笑いを浮かべて豚汁を入れた器を、一番にアツシへと差し出した。


 まるで神の子を授かった様に、震える両手で大事に受け取る。


 アツシは舌舐めずりを繰り返しながら、これでもかと、えげつないほど七味唐辛子をぶっかけた。



 次の瞬間、堰を切ったように、ガツガツバリバリと貪りだす。


 口の中を幸せで満たそうと、箸が止まらないのだ。


 止まらない!


 止まらない!


 無意識のうちに、フガフガと、唸り声さえ発していた。



 そんな醜い餓鬼のようなアツシを、近くにいた二十代の女性は、怯えた目で見つめていた。


 アツシは女性からの視線を感じると、隠れるように背中を向けるのだった。





 三十分ほどが経った。


 豚汁を八杯も食べて、苦しいほど満腹になったアツシは、気分転換に外に出る。


 向かった先は、避難所の裏にある寂れた小さな公園だ。



 最近、昼食の後は必ずこの場所に来ている。


 それにしても、この公園は全く手入れがされていない。



 草も伸び放題。


 すべり台も錆び付いていて、子供でも遊ぶのをためらうだろう。


 とくに動物のシーソーは劣化が激しく、顔部分がズタズタに剥がれ落ちている。



 もはや、不気味を通り越してホラーだ。


 まがまがしく、邪気を放っている。



 奥の草むらも、これまた鬱蒼としていて、死体でも隠されていそうな雰囲気だ。


 だがアツシは、こういう場所の方が落ち着くのだ。


 草むらの中にある汚いベンチに寝転がると、牛のようなゲップをした。






 ……どれくらい経っただろうか。


 葉っぱの上にいるテントウ虫の交尾を、ぼんやりと見つめるアツシ。


 豚汁で汚れたアツシの頬を、春風が優しく撫でていく。



 その心地よさに、瞼が重くなった。


 ついウトウトしていると、不意に声がした。



「ねえ、おじさん」


「……んん?」


 眠そうに片目だけ開けて、声の主を探す。


 そこには段ボールを抱えた、小さな女の子がいた。



 いつの間に、こんな近距離にいたのだろう。


 もしかすると少しの間、眠っていたのかもしれない。



「おじさん、この子、飼ってあげて」 


 唐突に喋り出す女の子。


 何を言っているのだろう? 



 そもそも、おじさんとは俺の事なのか?


 もうそんな歳になってしまったのか。


 ちくしょう。



 アツシは不機嫌な顔で半身を起こすと、女の子を訝しげな目で見下ろした。


 小学一、二年生くらいだろうか。


 抱えたダンボールは何だ?



「……何だよ、それ?」


「クロエちゃんだよ。家の近くで見つけたの。かわいそうに、段ボールに入れて、捨てられてたんだよ」



 女の子が、そっと地面に段ボールを置く。


 上蓋を開くと真っ黒な子猫が、ニャアニャアと、か細い声で鳴きだした。



 この子猫を飼えという事か。


 勝手に名前まで付けて。


 アツシは心底、面倒くさそうに答えた。



「飼えるわけねえだろ。なんで俺に言うんだよ」


「おじさん、いつもこの公園にいるから……」



 震災により小学校は休校だが、塾はやっていた。


 女の子は塾の帰り道に、いつもこの公園のベンチで寝転がっているアツシを見かけていたのだ。



「なんだよそれ。俺が暇そうだからか? 言っとくけど俺は今、避難所にいるんだぞ」


「だめ?」



「だめだめ! お前、家は流されてないだろう? 親に言って飼ってもらえよ」


「……お父さん、猫嫌いだから絶対に怒るよ」



「じゃあ諦めて、その辺に捨てな」


「こんな小さな子猫じゃ生きていけないよう!」



「しつこいな! だいたい俺、金ないから餌を買ってあげられないぞ。はーい残念。チーン、終了、ベロベロバー」


 アツシは舌を出し、顔を左右に振った。


 小馬鹿にされた女の子は、不満げに口を尖らす。




 しばらくして、女の子は何かを思い出したような顔で、腰にぶら下げていたポケットポーチを開けた。


 中から取り出したものは、小さなピンク色の封筒。


 お年玉袋だ。



「これ、お正月にお母さんから貰ったお年玉。これでクロエちゃんのご飯を買ってあげて」


 アツシはボリボリと頭を掻いた。


 フケが飛び散った。



 面倒くせえな……。


 そんな事を思っていると、ふと名案が浮かんだ。




 そうだ、金だけ貰って子猫は捨てよう。


 もし後日、女の子に子猫の事を訊かれたら、どこかへ逃げてしまったと言えばいいだろう。



「分かった、分かった。しょうがねえな。子猫の面倒を見てやるよ」


 花が開いたように、女の子の顔がパッと明るくなった。


「本当? やったあ!」



 女の子は満面の笑みで、お年玉袋を差し出した。


「はいはい、まいどあり」と、受け取るアツシは、ある事に気付く。


 女の子の左手の甲に、痛々しい火傷の跡があるのだ。



「ん? どうしたんだ、その手」


 女の子は困った顔をした後、何でもないと首を横に振った。





つづく……


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