第3章
「そういえば、可憐さんとは20年振りに会ったと言っていたけど、どうして17年前のひいジイのお葬式で会わなかったんですか?」
帰りの車の中で、私は伯父にそう聞いた。
「姉さんは、爺さんの葬式には参加していないんだ」
伯父がそう答えた。なんでと訊くと、知らないと返ってきた。
「でもそれが、お父さんが可憐姉さんをよく思っていない理由みたい」
と母が言った。
「待って、どう言うこと?」
私が訊くと、
「はあ? あんた馬鹿なの?」
と姉が私に呆れたという眼差しを向けた。
「私たちが可憐さんのところに行くって言った時、おじいちゃんあんなに険しい顔してたでしょう? それはどうしてなのか考えた?」
姉にそう言われて、私は自分が考えていた楽観的なことを捨てた。私は、交通事故で入院している大叔母に迷惑になることを考えて祖父が止めたものだと思っていた。しかし、どうやら実際は違うようだった。もっと複雑で、もっと個人の感情が絡んでくるようだ。
「まあとにかく、可憐姉さんとお父さんは仲が悪いのよ。仲が悪いって言っても、可憐姉さんはなにも思ってないのよ? お父さんが勝手に悪く思ってるだけで」
「そうだったんだ……」
私はだいぶ衝撃を受けながら、なぜ大叔母が自分の父親の葬式へと行かなかったのかという不思議を抱えたまま車に揺られていた。
日が暮れてきた。伯父が家に帰らねばと言ったため、伯父の家に行くことになった。祖父の家へはまた今度の週末に行くことになった。伯父の家で伯父を下ろし、私たちは自分の家へと帰った。私たちの家は、伯父の家から30分ほどかかる、隣町の中心部にあるアパートだ。家に着いたのは、夜の初め頃だった。
「ただいま」
そう声を出すと、父がおかえりと言う。
「おばあちゃんの遺書あったよ」
母が父に遺書を渡した。父はサッと一通り目を通し、
「個人宛ての遺書じゃないんだな」
と呟いた。
「それが、一部個人宛てなのよ」
と姉が言う。
「一部?」
父の疑問に、私たちはその説明をして、今日あった出来事一通り話した。
「そうか」
と父は言って、座っていた椅子にどっさりと寄りかかって、
「ま、俺は死んでると思うぜ? その統って人は」
と付け足した。
「死んでいても、その死んだ場所を突き止めて持って行かなきゃ」
と姉が言うと、
「お前は遺書の相手を探すより結婚相手を探せ」
と父は姉を一喝した。それを聞いた母が父に言う。
「あぁ、あなた。実はそれに関してなんだけどね……」
「あーー! あーーー! あーーーー! 聞こえなーい、聞こえなーーい!」
その言葉の途中で、姉がいきなり顔を赤くし手を顔の前でブンブンと振って発狂し始めた。それを見て、家族一同笑ったのだった。
そして週末になった。姉はお昼に仕事仲間とご飯に行くなどで来れず、父は前の如く留守番になった。そのため私と母で祖父の家を訪ねるのだった。
祖父の元に行くと、居間の横の応接間に通された。そこには既に伯父と晴海がいた。晴海は暇だったから着いていきたいと言ってついてきたとのことだった。晴海は女子高校生であるが部活にはどこにも所属しておらず、基本家で暇を持て余しているそうだ。
「家に置いておいても勉強しねえからな。それなら連れてきても構わんだろうと思ってな」
伯父はそう言って微笑んだ。
「でも晴海は頭良いから問題ないんじゃないの?」
と私が問うと、
「ま、そうだな。それもある」
と伯父は答えたのだった。
しばらくすると、居間にいた祖父母が入ってきた。
「晴。可憐はどうだった?」
祖父が伯父にそう問うと、
「事故に遭ったとは思えないくらい元気だった。凄く話す。体が動かない分の動かすエネルギーを、口に持っていったかと思うくらい話す。数ヶ月後には退院ができるかもしれないと言っていた」
と伯父は返した。
「そうか」
祖父がそう言って伯父を見た。
「それで、なんて言われた?」
「統という人間については、蔵本の爺ちゃん婆ちゃんの日記に書いてあるんじゃないかということを言われた。あと、45年以上前の、俺が聞いたあの話の裏も取れた。間違いなく、俺が聞いた話はあの遺書の統という人間の話だった」
伯父がそう答えると、
「それで、その日記を探しに旧家へ行こうという魂胆か」
と祖父が言った。
「ああ。さすが話が早いな」
伯父がそう言うが、祖父は何も気にせずに話を進めた。
「どっちかの日記は確かに見た記憶がある。処分した覚えもないし、絶対にあるはずだ」
そう言って、祖父は私たちに告げた。
「ではまあ、ここにいても始まらないから旧家へ行こう。ついて来い」
そして祖父は玄関へと向かった。靴を履き、外へ出る。私たちも後に続いて、靴を履いて外へと出た。スタスタと歩く祖父の後をを追って、私たちもスタスタと歩くのだった。
歩いて10分足らずで、新しい建物に挟まれた場所に建つ、白くて古い建物に着いた。
「ここが旧家だ」
と祖父が言う。なんというか、50年以上も前の家のように見えた。和風建築というわけではないが、どことなく古さを醸し出している。瓦の屋根に、大きな木の柱。玄関に続く小さく狭い庭には、五個ほどの飛び石のような大きな平らい石が埋め込まれていた。
「古いですね」
そう私が言うと、母と伯父が笑った。
「古いも何も、当たり前じゃない。『旧家』て名前なのよ?」
「父さんと姉さんが子供の頃に住んでいた家だぜ? 古いのは当たり前じゃないか」
私は恥ずかしかった。なんて当たり前のことを尋ねてしまったものかと思い、耳の裏が熱くなった。
「まあ、築65年以上といったところか。戦争が終わって色々落ち着いてから建てたからな」
祖父がそう言い、玄関の鍵穴に鍵を挿した。二度捻って、鍵を抜く。ドアノブを回して引くと、木製のドアがガチャリと開いた。家の中は真っ暗で、ドアから差し込んだ光で目の前にある靴入れの上に薄ら埃が積もっているのが伺える。
「さて、入るぞ」
祖父にそう言われて、私たちはその闇の中へと入っていくのだった。
家の中は、誰かが住んでいるのだろうかと思うような感じにまで生活感が出ていた。玄関から居間まで続く廊下の床、段ボール箱の中に綺麗に置かれた新聞紙。居間に入ってすぐ右手側にある本棚に並べられた無数の本。入りきらずに棚の上で寝ている物もある。その正面の机の上に置かれた文房具。全てが最近使われた物のように置かれている。しかし、よく見るとそれらにも埃が積もっていて、さらに新聞紙は一番上にあるのが今から17年前の物である。ふと壁に掛かっている時計を見ると、11時38分40秒の辺りを指したまま止まっていた。
「……まるで、時が止まってしまったかのようね」
そう呟かずにはいられなかった。目に入る物全てが、私を時の狭間へと誘っているような感覚に陥ったからだ。このまま見つめていたら、私は遙かな時を越えてどこか知らない場所へ飛ばされてしまうのではなかろうか。将又、皆が私だけを置いて先の時間へと足を進めていってしまうのではなかろうか。そんな不安と恐怖に駆られたのだった。……良い大人にまでなって、私は一体何を考えているのだろうか。そう思っては、少しばかり恥ずかしくなるのだった。
「だがまあ、確かに時が止まったかのようだな。父さんが死んだ後はほとんど片付けていないからな」
祖父はそう言って、そのまま隣の部屋へと歩いていった。私たちはその祖父の背中を追いかけた。
隣の部屋はそれなりに片付いていた。ここはどうやら曾祖父の書斎だったようで、未使用の原稿用紙が大量に束ねて床に置いてあったり、黒い手帳がびっしりと椅子の後ろの本棚に並んでいたり、さらにガラクタと化した何本もの万年筆の集合が、これまた丁寧に紐で結んで置いてあったりした。
「日記は確かこの辺りで見つけたんだが……」
祖父はそう言って、棚という棚を漁り始めた。
「どんなのだったの?」
私がそう訊くと、
「ただのノートだった気がするんだよな」
と祖父は返した。私たちは、その言葉だけを頼りにして探すものだから、出てくるノートを片端から開いて、中を確認しては日記か日記でないかを分別するのだった。
30分が経過しても、未だにその日記は見つからなかった。
「うぅ、疲れたぁ。休憩したいー」
最初にそう言ったのは晴海だった。晴海は椅子を引いて、その椅子に腰を下ろした。そして机にグダッと頭を伏せると、何か一点をジッと見つめ始めた。
「どうしたの?」
私がそう訊いた瞬間、
「あーーー!?」
と晴海が目を見開きながら叫んで椅子から立ち上がった。全員が驚いて晴海を見る。そんな視線を気にせずに、晴海は一目散にさっき眺めていた一点に向かって走り出した。とは言っても、ここは狭い部屋の中。晴海が5、6歩も駆ければ、その目的の場所へは辿り着くのだ。晴海が向かった場所は、書斎の入り口付近にある本棚だった。
「これ!」
そう言って、晴海が本棚の一番下の段、即ち机に伏せた時に正面となる位置にあった複数のノートの中から一冊を引っ張り出した。
「これ、ノート!」
なぜか誇らしげに頭の上にノートを掲げる晴海。
「ええ、ノートね」
と母が言うと、晴海は中を覗いた。そして、
「ビンゴ! 日記だよ!」
と言うのだった。全員がその晴海の取ったノートに近寄る。そこには確かに、日付とその時にあった出来事が綴ってあった。紛れもない日記である。
「間違いない、父の字だ」
そう言ったのは祖父だった。私たちは挙ってその日記を覗き込み、各々(おのおの)が黙読をし始めた。私もそれに乗じて読むことにした。
『1985年10月20日日曜日
妻が死んでから今日で一年だ。何かあいつのためになるようなことをしたいと思っているのだが、それが何かは分からない。可憐が部活から帰ってきたので尋ねてみると、
「それなら小説かなんか書けば?」と笑いながら言われた。おそらく本気にしないだろうという魂胆ではあろうが、今の私はどんな意見でも欲しいのだ。とは云うものの、ただあいつの人生について語るだけだと勿体無いであろう。凛もいるから相談でも持ちかけよう。』
『1985年10月21日月曜日
昨日そう書いたが、もし凛に相談を持ちかけたものならば、彼女は悲しき思い出に再び浸ることになる。それに、私ももう嘘をつく度に心が痛いのだ。あまり凛と過去について話すことは得策でないと判断した。だから、身勝手ではあるが妻の人生とそれを取り巻く私、凛、そして統の、四人の半生、及び人生を綴る物語でも書こうかと思う。幸いかどうかは分からないが、私は女二人には隠している統との過去を知っている。私たち四人の物語を書くことができるのは私しかいないのだ。』
『1985年10月22日火曜日
昨日決めた物語を書き始めた。昔の日記を引っ張ってきては読み漁り、当時のことを思い出しては書き続ける。迷うところは、これを私という一人称で書くか、三人称で書くかだ。一人称にするのが一番簡単だ。私が見てきたことをただひたすらに書き連ねればそれで終わるのだから。しかし、それでは全員分を網羅することはできない。ではどうすれば良いのだ? そう迷い逡巡するだけで、原稿用紙を五枚ほど無駄にしてしまった。なんと勿体無いことだろう。』
『1985年10月23日水曜日
迷ったが、結局三人称で行くことにした。昨日読み返した過去の日記の中に、戦地より統の日記を持ち帰ったことが書かれていた。棄てた覚えは無いから、絶対にどこかにあるはずだと思い、今日になって漁ってみるとボロボロになった手帳を数冊発掘することに成功した。きっとまだ見つけられていない物もあるとは思うが、それはまた後で探せば良いのだ。しかし、この日記帳はあまりにも汚い。ボロボロで読みにくい。早いところ物語を書き終えて、処分をすることにしよう。
統の日記が見つかったことで、私は三人称で書くことを決意した。私の手元には、私のと妻の、そして統の、合計三人の日記があることになる。あとはあのしっかり者のお嬢様からも話を聞き、四人の物語を書き進めれば良いのだ。』
『1985年10月24日木曜日
書き始めたのだが、なんだか統を主人公として書いた方が前半は書き進めやすいと思った。だから前半は統を主役で書いていこうと思う。後半は妻について書こうと思うが、それも曖昧だ。戦争が終わってしまえば、私目線で妻について書くことだって可能である。その辺は、後々考えるとするか。』
『1985年10月25日金曜日
書斎に籠もって書いていたら可憐に怒られた。「引き籠りにあげるご飯は無いよ! 働いて、働いて! 少しは家事を手伝って!」と言われた。たしかに最近は任せきりにしてしまっていた。可憐ももう高校2年なのだ。妻に似た優しさに甘えすぎていた。申し訳ない。だが、家事能力は妻に似なくて本当に良かったと思っている。いや、妻が家事ができなかったから今の可憐があるのか? そう考えるとよく分からない。とりあえず、本当に申し訳なかった。』
最初のページには、二日分の日記が書かれていた。めくると、次のページにまた二つ書かれていた。一つの見開きに四日分ほど入っているが、正直ここまでの日記で知りたいことは全部あった気がする。
「この『小説』とやらを探して読めば、統という人間がなんなのか分かるな」
祖父がそう言う。
「そうだけど、爺さんと統って人との関係も気になるな。何か隠し事をしている仲のようだし」
伯父が言う。その伯父の言葉に母が被せた。
「その約束が、佐倉のおばあちゃんに内緒だったってことが分かるわね」
「どうして?」
と晴海が訊くと、
「だって、『私ももう嘘をつく度に心が痛いのだ』てあるじゃない? これってずっとおばあちゃんに嘘をついていたってことじゃないの?」
と母が答えた。晴海は曖昧に頷いた。納得がいっていないのかもしれない。というか、納得しているようには思えない。だがそこは理解をしてもらうしかないのだ。晴海には申し訳ないとは思うが、私たちが探さんとするものを見つけるためには、こんなところで止まるわけにはいかないのである。
「じゃあどうする? 物語、探す?」
と私が全員に問うと、
「待って。統さんの日記があるかもしれないわ」
と祖母が言った。
「でも、物語が完成してるなら日記帳は捨てられているんじゃないの?」
晴海の声が聞こえた。それには私も同意である。
「じゃあ、日記か物語、どちらかを見つければいいんじゃねえか?」
伯父がそう言った。それが最も理に叶っているとも思う。どちらかが有れば、どちらかは無い。この二つには、そのような相関が成り立っている可能性がある。
私たちは、伯父のその意見に従うことにした。
「じゃあ、物語を探す組と、日記を探す組に別れましょう」
それを提案したのは母だった。特に異論は出なかった。あっさりそう決まり、私は物語を探す組に区分された。
そうして、捜索が開始された。
「書いてあることから、物語は手書きで、律儀にも原稿用紙に書いてあるみたいだ。そして日記は古い。ボロボロで読めないくらいな」
祖父がそう言うが、それは誰もが分かっている。それぞれ軽い返事をして、再び部屋中を漁るのだった。
私が目をつけたのは、床に置いてある原稿用紙の束だ。未使用に紛れて入っていないかどうかを確かめようという魂胆だった。紙紐を解いて漁っていくが、そこにあるのは未使用の原稿用紙ばかり。無いだろうなと分かっていつつも、やはり少しばかりは期待をしてしまうのが人間というものであろう。私とてそれは例外ではないので、一番下まで未使用が続いた時は流石にため息が出た。
束の中には無かったため、私が次に目をつけたのは机の引き出しだ。最初に私は、左の引き出しに手をかけた。小さいようで案外大きな引き出しを全開にまで引き出し、ゴソゴソと物を退かしていく。奥行きがかなりあるこの引き出しは、物を退かしても退かしてもそう簡単に底が姿を現さない。だが、底は確実にある。ついに底が見えた。しかし、原稿用紙らしきものは無い。こちら側はハズレだった。
次に、同じように右側の引き出しに手をかけた。こちらもまた全開にまで引き出した。すると、そこから結構大きめな木箱が顔を出した。引き出しの中に木箱。また謎な状況である。その木箱を取り出す。ずっしりとした重さが感じられた。私は蓋を開けてみた。その時の私の心は、八割ほどの期待と二割ほどの心配があったが、その二割ほどの心配は無駄であった。中に鎮座していたのは『過去の記憶』と書かれた結構厚い紙の束だった。私は目を見開いて、それと同時に心を弾ませて、
「あった!」
と叫んだ。先程の晴海の心境が分かった気がした。今すぐにでも頭の上でこの手書きの物語を誇らしげに掲げたいものである。しかし、私ももう25歳。そんな子供にだけが許されることをできるはずもなく、ただただ蓋を胸の前で持って、目を輝かせるだけだった。
私がそう思っている間に、全員がワラワラと集まってくる。そして覗いては、
「ああ、小説だ」
と口々に言うのだった。その様子はなんだか滑稽で、私の口許が少し緩んだ。
「読もうぜ」
そう言ったのは伯父だった。全員異論は無かった。これであの統という謎の男の正体が分かるのだと考えると、私たちはだいぶ気が楽なものだった。
私が代表して小説を木箱から取り出し、表紙をめくって最初のページを開くのだった。




