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六章 彼女の行方は



「不可思議だな」



 粋が呟いた。

「へ、何が?」

英人はクッキーをくわえたまま返事をした。

紅茶を注いでいた最中で、視線が外されたカップには赤茶色の液体が流れていく。

飲み物を用意しながら、今まであったこと――杉野雪が二人いたことを説明しているところだったのだ。しかし、杉野雪本人に会った事は粋には言わなかった。




「杉野ユキとセツという存在だ。……3」


 粋は横目で英人のほうを見ながら、顎に手をあてて呟いた。



「不可思議だ。なぜ彼女らはそこまで顔が似ていた? いや、『似て』いるのではなく、『同一』であった。そして共有してしまった名前……あぁ、実に悲劇的な少女達だ。……2」

「っていうか粋、さっきから何のカウントダウンしてんの?」

「1……知りたいかね?」


粋はふうーっと息を吐き出し、もったいぶってから言った。


「紅茶がこぼれるまでのカウントだよ。ゼロ」

「え、うわ、あっつ~!」

英人が持っていたカップから紅茶が溢れ、英人の指先をすり抜けていく。




粋は小さめのクッキーを口に放り投げた。

「急いで水で冷やしたまえ。火傷を甘くみてはいかんよ。特におでんのがんもは要注意だ。あれには実に巧妙な罠が仕掛けてある。外側は冷えているのに中に含んだ汁は熱いときたもんだからびっくりだ」


「それは俺も同感だけど、こぼれる前に言ってくれ~!」


そう叫びながら英人は水場へと急いだ。



 部屋に一人になった粋は、ため息とともに椅子の背もたれに体を預けた。黒い皮の上等な椅子に、粋がすっぽりと納まった。

「実に……悲劇的だ」

粋はもう一つ、クッキーを口に放り込んだ。





――理子は死者を追い求めているんですよ。




杉野雪の言葉が頭から離れない。

英人はぼーっと、『プラム』のカウンター席に座っていた。傍らには、書類が入るくらいの大きさの茶封筒が置いてある。




――セツはもう死んだからですよ。




そう言った杉野雪の顔は、笑みを浮かべたままだった。

なぜ彼女はああも淡々と言えたのだろう。

自分と一緒に過ごしてきた『片割れ』を失ったというなら、なぜそこまで冷静なのだろう。




 そもそも、『ユキ』と『セツ』とは何なんだ。

セツとは、ユキのもう一つの人格?

そうなら全て説明がつく。

杉野雪のノート、振る舞い、物忘れの多さ。

全て、セツというもう一つの人格が関わっているというのなら、理解できる。




 なら、セツの人格は消滅してしまったのだろうか。




なぜ?




なぜ『セツ』は消えた?






「あぁ……ここのケーキはうまい」



 隣で聞きなれた声がして、ぎょっとした。


「このイチゴとクリームのバランスがたまらんな。コーヒーもうまい」


いつの間にか英人の隣の席に粋が座り、ケーキに食らいついていたのだ。


「粋! なんでここに!」

「お前こそ、なんでこんなところにいる」


口についたクリームをぺろりと舌でなめとってから、粋は呆れたような目で英人を見る。


「俺は……その……ここのメニューを制覇しようかと思って。……粋は何でだよ」

「ここのおでんを制覇しようかと思って」

「ここにおでんなんてないだろ。それに、ふつうにケーキ食ってんじゃん」

「僕に不可能など無い。店主、おでんをくれ!」


 粋が手を挙げると、店主の男性は困ったように首を振った。そりゃあそうだ。


「……不可能、ありましたね」

英人が言うと、粋は「ふっ」と自嘲気味に笑いながら目をそらした。

「あったな、不可能」



粋は英人の傍らに置いてある茶封筒を見つめた後、視線を外した。


「何を考えていた、藤巻」


 粋が小さな掌でコーヒーカップを包み込むように持ち、湯気をふっと吹いた。

「僕が隣に来たのも気づかないくらい考え事をしていたのだろう?」

「うーん、まあ……」



英人は頼んだばかりのフルーツタルトにフォークを刺した。


「『セツ』は杉野雪さんのもう一つの人格だったのかなぁ……って」

「ふうん……」


粋は単調な返事をして、コーヒーを啜った。


「ふうんって何だよ、そっちから聞いといて」


英人は肩すかしを食らったような気分でタルトを口に運んだ。

「藤巻、杉野セツはもう存在しないのかもしれない」



ぎくりとして、ケーキを喉に詰まらせそうになった。必死に胸を叩く英人に、粋は自分が飲んでいたコーヒーを差し出す。慌ててそれを受け取って、ケーキを流し込んだ。

ケーキを味わう事もせずに飲み込んでしまった様子を見て、粋は子供っぽい表情でため息をついた。


「あぁ、もったいない……」

「もったいない……って、粋が急に変なこと言うからだろ!」


英人が咳込みながら反論すると、粋は店主にコーヒーのおかわりを頼んでからこたえた。


「藤巻、杉野雪は養子だったことは覚えているか」

「え、ああ、うん。確か、子供の人数が増えすぎた施設を助けるために、杉野さんが引き取ったんだよな」

「結果、子供の数は十三人になり、杉野夫妻の援助もあってその小さな施設は持ち直した。しかし、ここで不自然な点がある。それは、その施設の元々の子供の数がおかしいことだ」


新しく出されたコーヒーを受け取り、粋はまたふーっと湯気を吹いた。


「ついでに言うなら、杉野雪の部屋は杉野邸の二階だったが、要によれば、ベランダには丁度はしごがあったそうだ」

「は?」


繋がりが分からない粋の言葉に、英人は困惑する。

しかし、粋は詳しい説明もしないまま椅子からぴょいと飛び降りた。

「用事を思い出した。ボクは帰る」

まだ口をつけていないコーヒーを英人のほうに寄せると、そのままてくてくと店から出て行ってしまった。

「……っつーか、俺のおごりっすかね……」

 英人は自分の財布の中身とにらめっこをするはめになった。

        






 杉野雪が立っていた。



英人がプラムを出ると、店の前に杉野雪がいた。

彼女の表情はとても静かで、どこか寂しげに英人を見つめていた。



「今日は私の学校に来たんですね。何をしてたんですか?」


英人は茶封筒を握る右手に力を込めた。



「どうしてわざわざ俺に『セツが死んだ』と言ったんだ?」

「……特に意味なんてありません」

雪はにっこりと笑った。


英人は話を続けるべきか否か考えつつ、手持ち無沙汰に左手をポケットに入れた。


「……言葉に、意味の無いものなんてないよ」


英人が真剣な眼差しで言った後、穏やかな表情に戻って、言葉を続けた。

「って、じーちゃんが言ってた」



「セツが死んだと知れば諦めると思ったんです」

雪は居心地が悪そうに声を荒げた。もう、いつものように笑顔を浮かべてはいなかった。

そして、英人のほうにゆっくりと歩み寄る。


「世の中には、首をつっこまないほうがいいことって、あるんですよ」



作り損ねた笑顔が、彼女が悲しそうな表情をしているようにみせた。



「ましてや貴方みたいな部外者に口を挟まれるなんて……冗談じゃない!」

 雪は英人の目の前に立ち、苛立たしげに睨んだ。


「……でも、俺はもう知らなかったフリなんてできないよ。それに、もしかして君は……」

 英人が言いかけると、雪は目の色を変えて右手を振り上げた。

叩かれる、と思った時にはもう反射的に自分の左手が相手の腕を掴んでいた。



――かしゃんと、小さな音が地面で聞こえた。



 雪は腕を掴まれたまま英人を睨んだが、地面に視線がいった瞬間、彼女の顔色がさーっと青ざめていった。



「なんでここに……」



地面で鈍い輝きを見せていたのは、雪の結晶の飾りが付いた小さなピンだった。



英人のポケットから零れ落ちたのだ。


 英人が気づいてピンを拾い上げると、雪は少しずつあとずさった。

「あぁ……まだ私は許されないのね」


雪は罪悪感を瞳に滲ませた。その感情を隠そうと、瞳を細める。

「私の片割れだった者が死んだら、私は自由になれると思ってた。これからは、全部、私ひとりだけの物になるって。……でも、違ったんだ。私の片割れが死んだあの日から、私には何か重いものがのしかかってきて、どうにもできない。私は自由になれると思っていたのに、自由になったのはあの子のほうだった。あの子は消えて自由になった。でも、私はなれなかった。……ねえ、これが私の罪なの? この、一生拭う事ができない重さは、どこから来るの?」


 雪は揺れる瞳を強く瞑り、ゆっくりと開いた。


「私ね、もう全て終わりにしたいの」




 雪は顔を地面に向けた。

彼女の口の両端は上がっていて、笑っているように見えた。


「波はまだ静まらない。私達は二人で一人だから、一人じゃ生きていけない」


雪は首を何度も振った。


「一人じゃ、生きていけない」






 英人は何も言わなかった。

ただ雪を真っ直ぐに見つめたまま黙り、封筒を持つ手に力を込めた。

雪は英人の掌にあるピンを見て、それに語りかけるように言葉を発した。






「ねえ、ヒトの命に重さってあると思う?」






 英人はその姿をただ立ち尽くして見ていた。








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