怖がり少女が訪ねるトコロ(前編)
灯は、ある美容室の前にいた。その美容室はガラス張りで、中身が丸見えである。灯は、その窓ガラスに顔を引っ付けて、遠慮なくマジマジと見ていた。
窓ガラス側に座る女性は、気まずそうに雑誌を読んでいるが、その事に灯は気づくわけもなく、美容室の中を観察していた。
何故、灯が美容室の前にいるかというと、彼女の前髪に理由があった。
灯の髪は猫っ毛で、そして少し天然のパーマがかかっている。髪の色は色素の薄い茶色で絡まりやすく扱いにくい。母みたいに綺麗な黒髪で直毛だったら良かったのだが、髪質は父に似てしまった。
灯は昨日の夜、前髪が長くなっているのに気づいた。いつもは前髪は母に切ってもらうのだが、この日は自分でやろうと思ったのだ。
自分で前髪を切るのは初めてだが、母に出来て灯に出来ないということはないはずだ。
灯は根拠のない自信に満ちあふれていた。何故、根拠がないのに自信があるのかというと、灯はO型だからだ。O型は根拠のない自信を持つことがある。そのせいで身を滅ぼすこともあるのだが、しょうがないO型なのだから。
灯は躊躇いなく、前髪をハサミで切った。
シャキンと気持ちいい音が聞こえ、前髪の半分が切れた。残りの半分もシャキンと切った。鏡を見てみたが、微妙な仕上がりになってしまったことに気付く。
修正を入れるために、迷うことなくハサミで前髪をシャキシャキと切る。
そして、満足のいく結果になり、お風呂に入り、寝たのだ。
それで今日の朝、寝坊をして朝食も食べずに、鏡を見ないでポニーテールにだけして、家を飛び出した。
朝のホームルームが始まる時間にほぼぴったりに教室についた。そこにはほとんどのクラスメイトが席についており、慌ただしく教室に入ってきた灯を見た。
一人の男子生徒が「子連れ狼の子どもだ」と呟き、スマホを取り出して画像を検索してクラスメイトに見せた。それを見たクラスメイト達が吹き出した。
なぜ笑われているのかわからない灯は友達に鏡を見せてもらい納得した。
昨日の夜は満足のいく仕上がりだったのだが、風呂に入って乾かしたことにより癖が出てしまい、おかしな髪型になってしまったのだ。おかしな髪型を説明すると、前髪を切りすぎた上にザンバラなのである。子連れ狼の子どもの画像を見てみたが、頭頂部の髪と前髪だけ残して、あとは剃っている。頭頂部の髪は今の灯みたいに結んでいるし、前髪は短くてザンバラである。なるほど、よく似てる。しかし、似てても全然嬉しくない。
見かねた友人の真白が近くの美容室を教えてくれた。だから、灯は放課後に美容室に来てみたのだ。
早く入ればいいのだが、灯にはそれが出来なかった。理由は、美容室に入ったことがないからだ。灯は髪を切る時は、父の行きつけの、ガッハッハと笑うおじさんが経営している床屋に行っていたからだ。なので、おしゃれな美容室に入るのが、なんとなく怖い。母から勧められていたが断り続けていた。さらに、ルールやしきたりがあったらどうしよう、と躊躇していた。
だから、こうやって窓ガラスに張り付いて、観察し、頭の中で美容室に入った時のイメージトレーニングをしているのだ。
中を観察していると、男性の店員がいることに気づいた。おしゃれなかっこいいお兄さんである。
その男性店員は、座っている女性客に笑顔で話しかけながら、髪を切っている。その近くには若い女性店員がいた。その女性店員は、落ちている髪の毛を箒で一箇所に集めていた。
その姿をなんとなく眺めていたら、落ちている長い黒髪が蛇のように動きはじめた。
そして、女性店員の箒から逃げるように、するすると移動している。
えっ!?何!?
灯は目を見開いて、窓ガラスにさらに顔を引っ付けた。
その長い黒髪はするすると、男性店員の近くに移動した。美容室にいる人達は、誰もその蛇のように動く長い黒髪に気づいていない。灯は、なんだか恐ろしくなってきたが、その長い黒髪から目が離せなくなっていた。
長い黒髪が男性店員の足に絡まった。灯は息を飲み込んだ。
「こんにちはー。髪切りに来たんですか?」
灯は肩を叩かれて、身体をビクッと震わせた。そして、パッと振り向く。
そこには、笑顔の女性がいた。
「私、ここの美容室の店員です。髪切りに来たんですか?」
その女性は灯の前髪を見ながら、そう言った。
灯は冷や汗をダラダラかいた。
「いいいい、いえ!なんでもないんです!私は床屋で!床屋でいいんです!すみません!本当にすみません!では!」
灯は、おしゃれな美容室の店員に話しかけられたことに気が動転して、意味不明な事を言った。そして、その場から逃げ出した。
灯は結局、家に帰ることにした。髪は美容室ではなく、母に直してもらおうと思った。
とぼとぼと街中を歩いていた時だった。
「あれ?バカリ?」
そう後ろから声をかけられて、振り向くと、今日学校を休んでいた灯のクラスメイトの短髪の男子生徒、高村がいた。
彼は、私服だった。コートを着て、首にマフラーを巻いている。確か学校を休んだ理由は、風邪だった。彼の顔色は青白く、どこか具合が悪そうだった。
「どうしたんだ?その前髪」
高村は具合が悪そうでありながら、そう突っ込んできた。
「高村君も風邪なのに、なんで外に出てるの?」
灯は前髪を自分で切って失敗したことを言いたくなかったので、そう返した。
高村は言い淀む。きっと、風邪だから家から出ちゃ行けません!とか言われて、余計に家から出たくなったのだろう。灯は、その気持ちがすごく分かる。なので、高村には何も言わないことにした。
「じゃ、お大事に!またね」
そう言って、灯は高村から離れようとした。しかし、それは出来なかった。灯の腕を高村が引っ張ったからだ。
通常の乙女ならドキッとするシーンではないかと思うが、灯は違った。この前、高村達から画像を無理やり見させられた時と、同じような気持ち悪さを感じた。
灯は、ウッと口元を抑えて、吐き気を堪える。高村は慌てて「ごめん!」と手を離した。 それと同時に、吐き気は無くなった。
「バカリに聞きたい事があるんだ」
高村は、真剣な表情でそう言った。
とりあえず、灯は家が近かったので、高村を家に連れて行くことにした。風邪を引いているらしい高村と、外で立ち話をするのは微妙だと思ったからだ。
家に帰ると、灯の母が居間にいた。
母は、高村を見ると何故か笑顔になった。そして、お茶とお菓子を持ってくると言って台所に消えた。
「バカリのお母さん、若くて綺麗だな。和風美人って感じ」
高村が、母をそう褒める。何故か、灯が照れくさそうに笑って、頭をかいた。
「それで、聞きたい事って?」
灯がそう尋ねる。
「ああ…、この前、バカリに無理やり見せた写メのことなんだけど…あれ見て、バカリ具合悪くなったよな」
うん、と灯は頷いた。高村は何かに躊躇いながら言葉を続けた。
「あのさ…、あれ、どう見えたんだ?」
灯は、首を傾げながら、素直に答えた。
「ええと、確か、高村君の首に…」
高村の首を締め付けるような白い手があった。そして、その背後の微かに開いている扉には、覗くようにこちらを見ている女の顔が見えた。
灯がそこまで言うと、高村は青白い顔をさらに青くさせた。
「本当か?」
高村が掠れた声を出して、灯は頷いた。
高村は、ゴクンと唾を飲み込んで、首に巻いていたマフラーをするすると外した。それを見て、「ひっ!」と灯は悲鳴を上げた。
「なぁ、バカリ、お前には、これが見えるか?」
そう言う涙目の高村の首を、白い手がしめつけていた。灯は、高村の首を絞めている白い手を見ながら、高村に聞いた。
「そそそ、それ、苦しくないの?」
「…今はまだ苦しくないんだ」
涙目の高村がそう答えた。その答えに灯は、青ざめる。
今はまだ苦しくない。だが、今後は?灯も、涙目になった。
「やっぱり、バカリには見えるんだな…」
高村は呟いた。そして、何故こうなってしまったのか、今までのことを語り始めた。
高村と友人、女子生徒3人が体育館の掃除担当だった。その5人でふざけながら掃除をしていた時に、1人の眼鏡をかけた男子生徒が近づいてきた。
「君たちはEクラスか?」
男子生徒が聞いてきたので、高村達は素直に頷いた。
そうすると、男子生徒はいきなり、「怖い話は大丈夫か?」と、聞いてきた。皆、怪訝に思いながらも頷いた。掃除中だったが、彼らは暇を持て余していたからだ。
そして、男子生徒は、怖い話を話し始めた。
あるマンションがある。そのマンションは、今は誰も住んでいない、廃墟だ。何故、そこがそうなってしまったのか。
理由は30年前にある。ある殺人鬼が、そのマンションの207号室に入り込んだのだ。まずは、一家の大黒柱である父親を殺し、次に母親を殺した。そして、押し入れから、子供の泣き声が聞こえた。押し入れをあけると、そこには姉妹がいた。
妹は小学生で、姉は成人している、年の離れた姉妹だ。妹が泣いていたのだ。姉がそれを必死に宥めていたのだが、すでに殺人鬼は気付いていた。ゆっくりと押し入れを開けて、うるさい妹から殺した。
最後に、泣いて逃げる姉を、追いかけながら、少しずつ痛めつけて、殺した。
その家族が霊となって、マンションの住民を脅かすようになったのだという。祈祷師がお祓いをしたが効果がなかった。次々と悪いことが起き、住民は次々に減り、ついには誰もいなくなってしまった。
そして、幽霊マンションとして有名な廃墟となっているのだ。
本題はここからだ。その眼鏡の男子生徒がその噂に興味をもち、実際に1人でそのマンションへ行ってみたのだという。マンション自体は何も異常はなかった。何も出なかった。
だから、207号室に行ってみた。
そこは確かに、薄暗く、寒かった。
壁には、血のシミのようなものもあり、殺人は本当だったようだ。
そして、物音が聞こえたような気がした。彼は、物音が聞こえたほうへ、行ってみた。そこには押し入れがあった。勇気を振り絞って、押し入れを開ける。
血だらけの女がいた。
彼は悲鳴を上げて、必死に逃げた。
しかし、今となっては、幻か、夢を見ていたんではないかと、自分を疑っているのだという。
「どう思う?」
眼鏡彼は、高村達に尋ねてきた。
何故、高村達に尋ねるかというと、彼は秀才が集まるAクラスのため、非現実的な話をクラスメイトにしたら馬鹿にされそうだからなのだと言う。
しかし、高村達は実際に一緒に見たわけではないので、聞かれても答えようがない。
「じゃあ、実際に本当にいるか、見に行こうよ」と1人が興味本位で、言い始めた。
「そうだよな。もし、何もいなかったら、見間違いか、夢でも見てたんだろうってなるしな。よし行こうぜ!」と高村の友人、半田が張り切った様子で言い出して、全員が頷いた。
眼鏡をかけた男子生徒は「本当にいいのか?ありがとう」と言って、笑った。
そして、その幽霊マンションに5人で行ったのだ。誰もいない廃墟は確かに恐ろしい。
しかし、特にこれと言って何があるということはなかった。
眼鏡の男子生徒が血だらけの女を見たと言っていた、207号室にも行った。
確かに男子生徒が言う通りに、壁に血のようなシミがあり、薄気味悪い場所だった。
だが、物音も何もしないし、何かがいるわけでもない。試しに押し入れを開けてみるが、血だらけの女がいることなんてなかった。
やっぱり、男子生徒の見間違いか夢だったんだろう。そういう結論を出して、皆で帰ろうとした。
そこで、1人の女子生徒が、ある提案をした。
「ねぇ、ここに来た証拠の写メを撮って、あの眼鏡の男子に見せようよ。そうしたら、あの男子も納得するんじゃない?それに心霊写真が撮れるかも」
皆、面白半分に、その提案に了承した。
そして、提案した女子生徒が撮影者になり、207号室の部屋で4人はピースをして写真撮影をしたのだ。
撮った画像を皆で見るが、特に何も写っていない。残念な気持ちになりつつも、皆、解散した。
その幽霊マンションに行った翌日、写メを撮影した女子生徒が、「これって心霊写真じゃない?」と、その時に撮った画像を見せてきた。
確かに、高村の首に光の粒のようなモノがある。その後、灯にその画像を見せて、灯が気持ち悪くなってしまったのだ。
最初、高村はその光の粒なんて、特に気にしていなかった。しかし、その日を境に、あの幽霊マンションの夢を見るようになった。
最初は幽霊マンションの前に立っていただけだったのだが、夜寝る度に夢を見て、マンションの中、1階、階段、201号室と、徐々に207号室に近づいて行く。
そして、昨日の夢で、ついに207号室に入ってしまったのだ。
207号室に入ると、そこには誰もいない。押し入れから、泣き声が聞こえた気がした。
高村は、押し入れの方へ向かう。
行くな!行くな!行くな!そう自分に言い聞かせるが、身体は言うことを聞かない。
押し入れの前に来た。高村は、押し入れを開ける。
そこには誰もいなかった。高村は帰ろうと、振り返った。
真後ろに血だらけの女が立っていた。
女は、高村に白い手を伸ばして来て、高村の首を絞めてきた。
く、苦しい!それにハッとして、高村は夢から覚めた。なんて恐ろしい夢を見たんだろう、と、自分の首を撫でた。
そして、サァッと血の気が引いた。首には、自分の皮膚とは違うモノがくっついていたのだ。
慌てて鏡を見ると、あの、血だらけの女の、白い手が、高村の首を絞めていたのだ。
苦しくはないが、恐ろしい。高村は白い手を外そうと試みたが、ビクともしない。
家族に、「白い手が!白い手が!」と首を指して、訴えかけても、家族には見えないようで、「頭がおかしくなった?」と言われるだけだった。
とりあえず、学校に行くような状態ではないので、風邪と嘘をついて休んだのだ。
それでも、1人で部屋にいるのは恐ろしかった。
だから、人が多い街中を歩いていたのだ。マフラーを巻かずに出てみたが、誰も高村の白い手に気づく様子はない。高村の家族だけではなく、外にいる人間達にも見えないのだ。
近くのお寺にも行ってみたが、「うちではどうしようもできない」と門前払いをされてしまった。
とりあえず、白い手が見える状態では、自分自身が落ち着かないので、マフラーを巻き、また街中をぶらぶら歩いていた。
どうしたらいいのか。
今は白い手は首を絞める力は強くないが、これが強くなれば、高村は死ぬのではないか。血だらけの女に高村は殺されてしまうのだろうか。
あの、幽霊マンションにもう一度行って、血だらけの女に、面白半分で行って、すみませんでした、と土下座をするか。
しかし、それで許してもらえずに、殺されたらどうする。
高村は、ぐるぐると同じ事を考えながら、街中を徘徊していた。そして、偶然、高村の前を歩く灯に気づいたのだ。
「お、俺、どうしたらいいと思う?」
半泣きで高村が灯に聞いてきた。
「わ、わからないよぉ」
灯も半泣きでそう答えた。
「そ、そんなぁ」と高村が本格的に泣きそうになるのを見て、灯は慌て始める。
「ち、ちょっと、その白い手が外れないか、私も試してみる!」
そう言って、灯は、高村の首に手を伸ばした。
しかし、その灯の手を、誰かが掴んだため、それは阻止された。
「あんたは、触っちゃダメ」
灯の母だった。
「話は大体聞いてたわ。私に考えがあるから、今日はうちんちに泊りなさい。ここなら安全だから。あなたの家には私が連絡するわ」
母は、優しげな笑顔を浮かべながら高村にそう言った。高村はその言葉に安心したのか、ついに涙をこぼした。
灯は、高村が泣きはじめたのを見て、慌てふためいた。自分が泣くことはよくあるが、人が泣く姿を見ることはあまりなかったからだ。
そして、偶然そこにコタローがやって来たので、灯は無理やり捕まえて、高村にコタローを差し出した。
「た、高村君!ほら、猫!アニマルテラピーってやつだよ!撫でてみて!きっと心が落ち着くよ!」
灯に無理やり抱きかかられたコタローは、シューシューと言いながら、毛を逆立てて怒っている。
しかし、灯はそれに気づかずに、「ね!コタローさん、いいでしょ?」とコタローに声をかけると同時に、コタローの怒りの猫パンチが灯の顔面に振り下ろされた。
「痛い…」
せっかく、この前のコタローにやられた鼻の傷が治ったのに、また同じところに傷が出来た。
灯は泣きながら、母に手当てをしてもらっていた。母は、灯の鼻に絆創膏をつけたら、吹き出して笑った。
それもそのはず、変な髪型だけでもおかしいのに、それに加えて鼻に絆創膏をつけているのだ。間抜けなその姿が母には面白かったのだ。
灯は、笑っている母にムッとした。しかし、先ほど泣いていたはずの高村が、母と一緒に笑っていたので、何も言わないことにした。
コタローは素知らぬ顔をして、前足をぺろぺろと舐めていた。
to be continued




