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怖がり少女と悩むモノ

 お姉ちゃん、泣かないで。僕はいつもそばにいるよ。お姉ちゃんが笑ってくれたら、それだけでいいのに。どうやったら笑ってくれるんだろう。







 灯は公園にいた。公園の池に大量繁殖をしている亀を眺めて、にやにやと笑っている。隣には兄がいるため、不審者として通報されずに済んでいる。その兄は灯の事を全く気にしていない様子で立ったまま小説を読んでいた。灯の足元には、黒猫がつまらなさそうに欠伸をして寝っ転がっている。


  何故灯がにやにやと笑っているのか。それは灯の大好きな亀と喋ることができるからだ。黒猫のコタローは人間とも喋ることのできる“ネコマタ”という種類の猫で、人間以外にも色んな動物と喋られるらしい。ある出来事を通して、灯と亀が喋られるようにコタローが通訳をしてくれる約束をしていた。そのことを灯はすっかり忘れていたが、また最近思い出して、今日その約束を果たしてもらうために、この公園に来た。


「ねーねー、あの亀に、元気ですかー?って聞いてよ、コタローさん」

 灯は嬉しそうに、灯の近くにいる亀を指差して言う。コタローはぷすっと鼻から音を出して(コタローの鼻笑いだ)、亀に向かって何やら呟いた。


 目をつぶっていた亀が、少しだけ目を開けて、口を少し開けた。

「コタローさん、なんて言ったの?」

 フンフンと鼻息を荒くして、灯がコタローに聞く。

「“んーーーまぁ”と言っている」

 コタローが答えた。

「あはははは!“まぁ”だって!私、亀と喋ってる!」

 灯は手を叩いて喜んでいる。

「コタローさん、あの亀に、何が好きですか?ってきいて」

「“んーーーー、かーーーきーーー”と言っている」

「あはははは!お兄ちゃん!柿だって!柿!かーーーきーーーだって!あはははは!」

 何故か爆笑している灯。

 兄は「そうか、よかったな」と顔も上げずに小説を読みながら答える。コタローもつまらなさそうに、鼻をぷすっと鳴らした。


 どのくらい経ったのだろうか。昼間から来て、空が夕焼けに染まるまで、飽きずに灯はコタローを通じて亀と喋っていた。


「そろそろ帰るぞ」

 兄が言う。

「はーい。コタローさん、亀達に、次は柿を持ってくるね、さようならって言って!」

 灯の言葉を聞いて、コタローは亀に向かって呟いた。

 亀達は一斉に灯の方をちらっとみて、口を少し開けた。その様子に灯はまた目を輝かせる。


「なんて言ったの?コタローさん!」

「“んーーー”と言った」

 コタローの言葉に、灯は満足そうに笑った。






 その帰り道に、灯は変な声を聞いた。

『したーにー。したーにー。したーにー。したーにー』

 キョロキョロと周りを見渡して見るが、灯の近くにいるのは兄とコタローだけだ。変な声がどこから聞こえてくるのか分からなかった。


『したーにー。したーにー。したーにー。したーにー』

 やはり聞こえる。灯は急に寒気がした。

 兄やコタローには聞こえていないようなのだ。灯だけが聞こえる特別な声なのか?


「ね、ねぇ。お兄ちゃん、コタローさん。変な声聞こえない?」

 灯がそう言うと、兄とコタローは首を傾げる。そして兄は耳をすまして、コタローは耳をピクピクと動かした。


『したーにー。したーにー。したーにー。したーにー』

 兄はハッと何かに気づき、灯の足元を見て、顔を引きつらせた。コタローも、灯の足元を見て、瞳孔を開き、黒目を大きくした。

 私の足元に何かいるの?灯は、兄達の様子を見て、血の気が引いた。そして恐る恐る自分の足元を見ようとした。

 しかし、それは出来なかった。一瞬のうちに、兄の肩に担がれたのだ。兄は灯を担いだまま、走り始めた。

「え?お兄ちゃん!どうしたの?」

「ちっちゃいおっさんがワラワラいた」

「ちっちゃいおっさんって、妖精?見たかった!ちょっと見に行くからおろしてよー」

「ダメだ、あれは確実に悪いヤツだ。お前が関わると、また面倒ごとに巻き込まれる」

「ちょい悪なちっちゃいおっさん?さらにみたいんですけど!」

「ダメだ、てか重い」

「重くない!」

 こうして、灯と兄は言い合いながら帰宅をした。灯は兄にソファに投げ落とされた。そこから兄妹喧嘩が勃発した。





  灯は、自分の部屋にいた。机に向かって、ノートに文字を書き込んでいる。勉強をしているように見えるが、勉強ではない。勉強はテスト期間中にしかしない主義である。

  ノートの表紙には、“kame note”と書かれている。このノートは、カメの観察日記のようなものだ。灯は、“公園の亀は柿が好き”と書いていた。



 カタカタカタカタ

 部屋の窓が揺れた。


 灯は身体をビクッと震わせて窓を見る。

 風だろうか。

 カーテンが少し開いていた。あれ?ちゃんとカーテンを閉めていたはずなのに。

 灯はそう思ったが、いや、ちゃんと閉めたつもりで閉めてなかったのかもしれない、と思い直した。

 自慢じゃないが灯はO型だ。ちゃんとやったつもりでも、ちゃんと出来ていないことはよくあることだ。しょうがない、O型なのだから。


 灯は気にせずにカーテンを閉めるために窓に近づいた。何気なく窓から外を見た。灯の部屋の窓からは、道路が見えるのだ。

 道路には、誰もいなかった。

 そしてカーテンを閉めようとカーテンを掴んだ時、灯はある一点を見て息を止めた。

 道路を挟んで向かい側の家の屋根に、男の子が立っている。キャップ付きの帽子をかぶった男の子は、灯をじっと見ていた。


 灯は震える手で、勢い良くカーテンを閉めた。そして転けそうになりながら、兄の部屋に駆け込む。兄は入ってきた灯を見て、かすかに眉を上げる。


「お、おにいちゃん、向かいの家の屋根に男の子が立って見てた。超能力者かな」

 灯がアニメの影響を受けてそう言うと、兄は自分の部屋のカーテンを開けて向かいの家の屋根を見た。しかし、誰も、何もいない。


「本当だよ、見てたんだよ!」

 灯が兄に詰め寄って、そう言う。その灯の頭を兄はポンポンと叩いた。


「わかってる。この家には入って来れないから絶対に大丈夫だ」

 兄が優しい口調でそう言う。また、窓がカタカタと鳴った。しかし、今度は兄がいたので怖くはなかった。





 翌日、父は仕事で、母は町内会の集まりで、兄は大学のイベントで家にいなかった。つまり、灯1人で家に留守番することになった。


「いいか。絶対に家に人は入れるなよ。もし誰かが来ても居留守をしろ。じっと大人しくしてろよ」

 兄はそう灯に言い聞かす。そう言われたら、昨日の夜の出来事を思い出して、ますます怖くなる。超能力者の襲撃を受ける可能性があるか、と。


「じゃあ、お兄ちゃんの大学に連れてってよ」

 そう灯が言うと、兄は嫌そうに顔をしかめた。

「ダメだ。あいつがいる」

「あいつ?」

成史(なり)、この前会ったろ。自転車の旅から帰ってきて大学に来てる」


 成史(なり)とは、灯に変人認定された兄の友人のことである。先日、灯の家に何故か“喋る機能を搭載した壺”を置いていった。その壺を灯と父が壊してしまい、灯としては、会うのが非常に気まずい。

 なぜ壊したコラー!と怒られるだけなら、まだいい。しかし、壺を壊したのなら弁償しろ!なんて言われてしまったら、灯はお金を払いたくないので(正確には貯金がないので払えない)、逃げるしかない。と、なると会わない方がましである。


「わかった。行ってらっしゃい」

 灯は大人しく1人で留守番することにした。灯は居間で漫画を読みながらゴロゴロとしていた。

 その時、居間にある音が鳴り響いた。


 トゥルルルルル

 トゥルルルルル

 灯は身体をビクッと震わせる。家の固定電話が鳴った音だ。灯は立ち上がり、受話器を持ち上げて耳に当てた。


「はい」

『もしもし』

 知らない男の子の声だ。

「もしもし」

『怖いお兄ちゃん、いないの?』

「ん?」

 怖いお兄ちゃんとは、灯の兄のことだろうか。兄ならいない。

「お兄ちゃんなら今、出かけてるよ」

『ねぇ』

「ん?」

『家に入れてよ』


 ガタガタガタガタッ


 居間の窓が、何かに叩かれたかのように大きく揺れて音を鳴らす。

 灯は、驚き、腰を抜かして座り込む。

 冷や汗をかきながら、窓を恐る恐る見ると、庭に黒いものが横切った。


 コタローだ!瞬時に灯はそう思って、居間の窓を開けた。そして、おそらく庭にいるだろうコタローに声をかけた。


「早く入ってきて!」

 そう言うと、灯の真横からこんな声が聞こえた。

『うん』

 灯がパッと横を見ると、男の子が庭に立っていた。


 至近距離なのに、帽子をかぶっている男の子の顔は影に隠れていて、よく見えない。

 男の子は、灯の家にスルッと入ってきた。

 灯は恐怖で硬直する。そして、そんな時に限って友達が言ってたある言葉を思い出した。

 “銃の乱射事件とか、熊とか、お化けに遭遇した時って、死んだふりをしたら生き延びれるらしいよ”


「うっ!!」

 灯は胸を押さえて、うつ伏せに倒れる。

 そして、ビクビクと身体を痙攣させて、瞳を閉じた。本当に死んだわけではない。灯なりの死んだふりだった。


 どのくらい経ったのだろうか。物音も何もしない。同じ体勢をキープするのに疲れてきた灯はゆっくり瞼を上げた。

 男の子は、しゃがんで灯を見ていた。

 灯は、ビクッと身体を震わせて、慌ててもう一度瞳を閉じる。

 数分後、何かに背中を踏まれた。


「何をしてる、小娘」

 コタローの声だ。灯はまた瞼を上げた。男の子は相変わらず、灯のそばにいる。灯の背中には、コタローが乗っていた。


「コタローさん、男の子が不法侵入してるの。警察に通報して」

 灯は、起きあがりコタローにそう言う。コタローは、灯の肩に乗り、人間のように首をかしげた。


「どこにいる?」

「そこだよ!そこ!」

 灯がすぐそばにいる男の子を指差す。コタローは、灯が指を指した方を見て、目を細める。そしてプスッと鼻から音を出した。


「小娘。お前は人間の癖によくあんなものが見えるな。本当に目が良いな」

「ええ!?何?やっぱり超能力者じゃなくてお化け!?」

「化け物ではない。それよりももっと薄い…風のようなものだ」

 コタローがいきなり詩人のようなことを言い始めた。灯は頭を傾げる。

「え?…あ!北風小僧みたいな?」

「北風小僧とは何だ?」

「北風を運ぶ妖精みたいな小僧のことかな?」

 適当に灯は答えた。灯もよく知らないが、そんな歌があったことを思い出したのだ。

「ようせいとは何だ?魑魅魍魎のようなものか?」

「ちみもーりょーて何?」

 お互いに言葉が通じないことに気づいた灯とコタローは、黙り込んだ。

 そんな中、男の子が口を開いた。


『教えて』

「え?」灯が聞き返す。

『アクリョウカって何か教えて』

「アクリョウカ?何それ」

『僕がアクリョウカというのになったら、きっとお姉ちゃんは笑ってくれる』



 灯は炬燵に入り、国語辞書をパラパラとめくって、しかめっ面になっていた。その灯の隣に、男の子は行儀よく、ちょこんと正座している。まだ肌寒いのに白に近いピンクのTシャツを一枚だけ着ている男の子は、まさに風の子だ。それに比べて毛があるコタローは炬燵の中で丸まっている。

 灯は国語辞書を放り投げて、寝っ転がりながら、叫んだ。


「アクリョウカってなにー!?どこにも載ってないよー!」

 一応、灯なりに考えて調べたのだ。

 しかし、何処にもそんな単語は載っていないし、灯はバカだから、考えても分からない。

 アクリョウカに近い言葉はいくつかあった。悪霊、悪侶、握力、良化、良家、寮歌、良貨…。ますます、灯の頭を混乱させた。


「なんでアクリョウカになりたいんだっけ?」

 灯は再度男の子に尋ねる。

『お姉ちゃんを笑わせたいから』

 男の子は静かにそう答えた。


 笑わせるとなれば、お笑い。お笑いとは、つまり漫才か?そこまで思って灯は閃いた。実は灯は漫才が大好きだ。笑わせれば良いとのことなので、アクリョウカがなんなのかはわからないが、漫才をするのはどうかと考えた。


 灯はフフフと笑い、起き上がった。

「これで解決ですよ」と不敵に笑った。

『アクリョウカが何か分かったの?』

「嫌、わからない。けど笑わせれば良いんでしょ?」

 灯がそう言うと男の子は頷いた。

 それからは男の子と灯の漫才の練習が始まった。素人だから、何が正解かも分からず終わりが見えない。灯たちの漫才を指導する者も、その漫才自体を突っ込む者も誰もいなかった。

 ついに、炬燵の中にいたコタローがのっそりと出てきて、灯たちの練習風景を見、鼻をプスッと鳴らして、こう言った。

「小娘、いくらその“マンザイ”というものを練習しても意味がない」

「え?なんで?」

「その小僧は、普通の人間には視えない。おい、小僧。お前の姉は、お前が視えるのか?」

『お姉ちゃんは僕がみえない…』

 男の子は悲しそうにそう答えた。灯は驚いて、目を見開く。

「え?お姉ちゃんって同じ妖精じゃないの?」

『お姉ちゃんは人間だよ。お姉ちゃんは僕のことはみえないみたい』

 灯は混乱して、首を傾げている。コタローは人間のように、ため息をついて言った。

「こいつは、今は風のような存在になっているが、前は人間だった。いわゆる(ほとけ)さんだな。しかし、あまりに力が弱いから、ある程度視える人間でもこの小僧は視えないだろう」

「よく分からないけど…じゃあ、なんで私見えてるの?」

「お前は人より目が良すぎるんだな」

「ええーそうなんだ。…って!お姉ちゃんに見えないんなら、漫才見せて笑わせることが出来ないじゃん」

 灯はようやくその事に気付き、頭を抱えた。しばらく頭を抱えていたが、思い立ったかのように顔を上げた。


「もう!考えても仕方がない!お姉ちゃんに見えなくても、笑ってくれるかもしれない!ゲラかも知れないし。いくよ!コタローさんはお留守番してて!」

 開き直るようにそう言い、灯は勢い良く立ち上がった。そして自分の部屋に行き、紙袋に、あるものを入れ、男の子を連れて家から出た。



 男の子の案内の元、あるビルの前に来た。

『ここの3階にお姉ちゃんがいるよ』

 男の子の言うとおりに、3階に行くと“山内探偵事務所”とかかれているドアを見つけた。

「ここにいるの?」

『うん。今、1人で中にいる』

 灯は、気合いを入れるためにパシンッと頬を叩いた。まるで、舞台に上がる前のお笑い芸人のようだ。

「私があの言葉を言ったら、ガタガタしてね」と男の子に声をかけて、男の子は頷いた。

 そして、紙袋に入れた、あるものを被り、男の子の姉がいるという、探偵事務所のドアを勢いよく開けた。




 (あずま)桃奈(ももな)はお茶を飲みながら、ぼうっとしていた。職場の上司は、どこかに調査をしに行っているため、1人でお留守番をしているのだ。

 “まずは、なのはな区に住んでいる亀好きのバカ女子高生を探す”

 これはこの前の、第12回浮遊霊を悪霊にする会、略して悪霊会の会議で、決まったことだ。もし、誰かがこの少女を見つけることが出来たら、メンバーに連絡して、霊を悪霊化させて、集中的に殺すのだ。

 しかし、メンバーからは誰も連絡が来ない。


 桃奈も一応は探したのだ。それらしい少女はいないか、なのはな区の住宅地をぶらぶらと歩いてみた。しかし、あの地区は学校がすぐ近くにあるためか、女子高生がたくさんいる。その中で探すのはとても難しかった。

 その上、似たような家が何軒も並んでいたため、方向音痴の桃奈は自宅に帰れなくなってしまった。昼から行ったのに、夜になってしまい、途方に暮れた。道を聞こうにも、誰にもすれ違わなくて、1人シクシクと泣いていた。

 やっと出会った女子高生の足に縋って助けを求めようとしたが、振り払われて逃げられた。

 どうすることも出来ない桃奈は、最終手段として、赤に電話をかけた。制服姿の赤は迎えに来てくれたが、まるで虫けらを見下ろすような目つきで桃奈を見てきて、ますます悲しくなった。

 赤に送ってもらって、無事に自宅についた桃奈は、棚に飾ってある写真立てを見て、静かに涙を零した。


 写真立ての中から、桃奈に笑いかけているのは、小学生の頃に死んだ弟だ。


 桃奈と弟は、普通の人とは違った。普通の人には視えないものが視えたのだ。桃奈はそれが異常だということに気付いて、どうにか周りに合わせて、生きていた。しかし、嘘をつけない素直な弟はそれが出来なかった。いくら桃奈が諭しても、弟は桃奈みたいに周りに合わせることはしなかった。その弟の異常さに両親はすぐに気付いた。


 こいつがおかしいのはお前のせいだ!

 あなたのせいでしょ!

 そう言って両親はお互いを罵り合い、夫婦仲は悪化していった。そして離婚したのである。桃奈は母に引き取られて、弟は父の実家に引き取られた。

 弟が心配な桃奈はこまめに弟に会いに行った。その度、弟は言葉の暴力を受けていることに気づいた。祖父母や父親、あるいは、学校の教師やクラスメイトに。あまりに弟の敵は多すぎて、桃奈にはどうすることも出来なかった。

 そんなある日、弟は学校から飛び降りて、死んだ。自殺なのか、他殺なのかは分からない。警察は“自殺”として片付けた。

 桃奈としては自殺でも他殺でもどちらでもよかった。何故なら、弟の死は、“普通の”人間達が弟を苦しめた結果だということを桃奈は知っていたからだ。、何も出来なかった桃奈も同罪であるが、それよりも“普通の”人間である者全てが憎らしくなった。


 そこで知ったのが“悪霊会”だ。悪霊会に属する者は、異常であるが上に、“普通の“人間達に恨みをもっている人間の集まりだった。

 桃奈は、弟を死へと至らせた“普通の”人間への報復目的で悪霊会に入った。


 しかし、悪霊会の活動はなかなか上手くはいかない。その上、他の会員には馬鹿にされている。だんだん自分のしていることに疑問を感じてきた。だけど、桃奈は自分がどうしたいのか全く分からないため、ずるずると流されるまま生きている。

 こうやって仕事にも毎日来てはいるが、楽しいわけでもない。上司だって不潔でタバコばっかり吸っている意地悪なおじさんだ。よく桃奈をからかってくる。桃奈は仕事場である事務所を見渡して、はぁ、とため息をついた。


 その時。

 バァンと勢いよく、事務所のドアが開いた。桃奈は、びっくりして、パッとドアを見る。

 大仏がいた。正しくいうとフルフェイスの大仏の被りものをつけた、女の子が立っていた。


「ここが有名な心霊スポットかー。いやはや恐ろしいなー」

 大仏頭の女の子は、棒読みでそう言い始めた。

「よく話であるよね。心霊スポットで怖いことがいっぱい起きちゃうやつ!はぁー、怖い怖い!まさか何か起きたりはしないよねー」

 そう言うと、数秒後に事務所の窓がガタガタガタガタガタガタッと強く揺れた。

「ひっ!お化け!?怖いよー!ってお前がやってるのかよ。悪霊か!」

 大仏頭の女の子は何もない空中を、片手でビシッと、ど突いた。

 事務所の中はシーンと静まり返った。


「あ、あれ?すべってる?ええー。どうする?どうする?ええー?」

 大仏頭の女の子はブツブツと呟く。

 桃奈も悪霊会という頭のおかしい集団に所属をしているが、この大仏頭の女の子は、それとは別の種類の頭のおかしい人間ではないか?

 桃奈はそう思った。


「いきなり何なんですか?警察を呼びますよ」

 桃奈はそう言うと、表情は分からないが大仏頭の女の子は慌てふためく。

「あやしいものじゃないんです!これには訳があって!」

 そう言う大仏頭の女の子に、桃奈は不審そうに見る。

「その被り物はなんですか?」

「これは、より面白くなるかなぁと思って被りました!」

 大仏頭の女の子は、元気よく答える。今時の子の考えはわからない。高卒で働き始めて、早5年の桃奈は若者の流行に疎かった。


「面白くなる・・・?」

 桃奈が首を傾げる。

「そう!そうです!お姉さんを笑わせるために来たんです!」

「笑わせる?なんでですか?」

「え…そういえばなんで?」

 大仏頭の女の子が誰もいない方に語りかける。そして、ふむふむと頷く。

「お姉さんが最近泣いてばっかいるみたいだからです!」

 大仏頭の女の子がそう答える。どう考えても、桃奈とこの女の子とは初対面だ。何故、桃奈が泣いているのを知っている?

 まるで桃奈達が普通の人には視えないモノを視て、それを普通の人達に伝えてしまった時のような状況だ。ただ、今の状況は、桃奈が普通の人で、大仏頭の女の子が異常な人になっているが。

 しかし、桃奈は異常なのだ。視えるのだ。この大仏頭の女の子が視えて、桃奈には視えないなんてことはないはずだ。

 大仏頭の女の子の周りには何もいない。


「どうしてその事を知っているんですか?」

 桃奈は、警戒心を解かずに大仏頭の女の子に聞く。その時、どこからか、ある曲が流れた。


 “もしもし かめよ かめさんよー”

「あ、電話だ」と大仏頭の女の子が、ポケットからスマホを取り出す。スマホの着信音だったらしい。やはり今時の子の感性が桃奈にはわからない。女の子はスマホを操作して、福耳に携帯を当てて喋り始めた。


「もしもし。え、いま?えっとね、山内探偵事務所。色々あってさ。え、くる?いいよ、こなくて。もしかして、怒ってる?…あ、電話切れた。やばい、確実に怒ってる!」

 そう言い、スマホをポケットにしまったら、辺りをキョロキョロと見渡す大仏頭の女の子。

 そして、掃除用具入れのロッカーを見つけて、勝手に入り込む。入り切れてなくて、服の裾がはみ出ている。


 桃奈は本気で警察に通報しようかどうしようか、悩んだ。とりあえず、出てくるまで待とうと、桃奈は冷えてしまったお茶を飲むことにした。




 20分くらい経ったのだが、女の子は辛抱強くロッカーに隠れている。桃奈はパソコンを起動させて、仕事をしようとした。


 その時、バァンと、事務所のドアが勢い良く開いた。次は何が来たんだ、と桃奈はげんなりして顔を上げたが、そこにいた人物を見て、口をポカンと開けた。

 硬そうな黒髪に、冷たさを感じさせる整った顔立ち。少し細いが、筋肉質そうなその身体。ストイックな雰囲気を持つ、ミステリアスな男。桃奈のタイプだ。いや、タイプどころではない。理想の男がそこにいた。


「あ、すみません。いきなりお邪魔して。妹が来てませんか?」

 低い声に、胸がときめく桃奈は、胸を手で抑えるだけで何も答えることができなかった。

 彼は、キョロキョロと辺りを見渡して、迷うことなく、掃除用具入れのロッカーを開けた。そして、身を縮ませる大仏頭の女の子を引っ張り出して、その頭を叩いた。


「お兄ちゃん!いたい!」

「痛くしてやってんだよ。俺は家を出て行く時になんて言った?じっと大人しくしてろよって言ったよな?お前は何してるんだ」

「漫才」

 そう笑いながら答える女の子に、彼は顔をひきつらせて、さっきより強めに頭を叩く。

 そして、桃奈の方に、顔を向ける。彼と目が合って、桃奈はまた動悸がした。


「こいつ、迷惑なことしませんでしたか?」

 彼は桃奈に尋ねてきた。

「え、あ、え?全然です!全然、迷惑じゃなかったです!」

 桃奈は慌てて、そう言う。もちろん、迷惑だったが、兄らしい彼には言わない。


「そうですか。よかったです」

 彼は桃奈に笑いかけた。その笑顔に、桃奈は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 彼は何歳だろうか。見た感じ10代後半から20代前半だ。桃奈は24歳だから、年下である可能性がある。


「あの、何歳ですか?」

 桃奈は、彼に尋ねた。彼は、怪訝そうにしながらも、優しく答えてくれた。


「今年20歳(ハタチ)になります」

 4歳年下だ!いける!4歳ぐらいの年の差ならいける!


 桃奈は、興奮して鼻息が荒くなりそうなのを、必死に抑える。


「年上は好きですか?」

「え?あの?年上?嫌いじゃないですけど…」

 嫌いじゃない。つまり好き。年上の女が好き。もしかしたら、付き合えたりして!

   妄想を膨らます桃奈は、自然と笑みがこぼれた。


 大仏頭の女の子が「あ、笑った」と呟いたが、桃奈は全く聞いていなかった。桃奈の頭の中はピンクに染まっていた。桃奈は恋愛脳だった。







 灯は兄と共に帰宅していた。腑に落ちないような顔をしている灯。男の子の姉は、灯の漫才では笑わず、何故か兄が現れただけで蕩けるような笑顔を見せたのだ。それを見て、男の子も安心したように笑った。


『アクリョウカっていうのをしなくてもお姉ちゃんは笑ってくれた。ありがとう』

 そう言って、灯が止める間もなく消えてしまった。キョロキョロと事務所の空中をよく見ると、男の子が着ていた白に近いピンク色のTシャツと、同じような色の風が辺りを漂っていた。

 男の子はまた風になったのだ。しかし、この色では北風ではなく春風みたいだ。

 男の子の姉は、灯の兄と喋り、嬉しそうにニコニコと笑っている。灯たちの漫才も無意味に終わった。あの練習は何だったのか。


 それでも男の子の望む、姉の笑顔は見れたのだが、灯はなんとなく腑に落ちなかった。もやもやする気持ちを抱えて、前を歩く兄を睨む。兄は何故か、灯の視線に気付いて振り返る。

 兄は「なんだよ」と言いながら、灯の頭をぽんぽんと叩いた。


 まてよ。


 灯はあることを思いついた。この前テレビを見ていたら、妖精が見える人は心が綺麗とある人が言っていた。


 風の妖精が人間で私だけ見えたってことは、私って心が綺麗!?

 そう思い、灯は、えへへと笑った。


「なんだ、いきなり笑って。気持ち悪い」

 兄がそう言ってきたが、灯は怒らない。だって、灯は心が綺麗な人間なのだ。

 ニコニコと笑う灯。兄は、何故か心配そうにそれを見た。そして灯が聞こえていないところで「本格的に頭がおかしくなったか?」と呟いた。



 そんな灯がちっちゃいおっさんと北風(春風?)小僧の男の子にびびった2日間の話だった。


 to be continued


 桃奈は帰る兄妹を見送り、スマホを取り出した。窓から下を見下ろして、ビルから出た兄妹を見て、スマホを向けた。

 パシャパシャパシャパシャ

 連写である。そして、とれた写真をみてうっとりとした表情を見せた。

「たでーま、桃奈チャン。疲れたぜー」

くたびれたスーツ姿の30代くらいの男性が事務所に入ってきた。

「お疲れ様です」

 桃奈がスマホから顔を上げずにそう言うと、男性が桃奈の様子に怪訝そうに眉を上げた。

「なんか機嫌良さそうだな、桃奈チャン」

「そんなことないですよ、山内さん」

 桃奈はにっこり笑って、そう言った。山内と呼ばれた男は、そんな桃奈の顔を見て、伸びた無精髭を撫でた。





生暖かい風:部屋にいるのに生暖かい風が吹いた時はもしかして何かの仕業かもしれない。しかし、それは大人しくて力が弱い存在だから害はない。それゆえに姿も見えない。自然と消滅するので、霊の類よりは、天使や仏の類のようなものだろう。

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