怖がり少女が宥めるモノ(後編)
ナースの部屋は灯と同じように個室だった。
灯はノックをしたが、返事がない。スライド式のドアを勝手に開けて入ってみる。灯の背後に隠れるように老婆が続いて入ってきた。
ベッドサイドのランプが点いており、ナースは起きていて、本を読んでいた。入ってきた灯をチラリと見て、目を見開く。
「え?なに!?」
驚いているナースに灯はぺこりと頭を下げて口を開く。
「夜おそくにごめんなさい。ノックしたけど、返事がないから勝手に入っちゃった」
「ああ、看護師が見回りに来たのかと思って返事をしなかったの。ごめんね。ええと、あなたは、私を助けようとしてくれた子よね?」
「うん。助けようとして助けられて、結果的に助けた子だよ」
意味不明な上に恩着せがましいことを灯が言い始めた。“灯が助けようとしたが、そのナースに助けられた。そして飛んできたナースをクッションになり助けた"ということを言いたかったようである。
だが、相手はナースだった。灯以上に意味不明なことを言う人に慣れているのだろう、特に突っ込むことなく会話を続けた。
「そうよね。あの時は本当にありがとう。あなたがいなかったら即死だったかもしれないわ。安静にしとけって医師から言われたからお礼にもいけなくてごめんね」
そう言って、ナースは灯に向かって頭を下げた。
「ううん。大丈夫。それよりもお姉さんはおばあちゃんの事が嫌いなの?」
いきなりそう言う灯に、ナースは首を傾げる。
「おばあちゃんって誰のこと?」
しまった。名前を聞き忘れた。
灯は焦り、後ろにいる老婆の方に振り返る。老婆は黙り込んでいる。
しょうがないから老婆の特徴を言う。
「ええと、患者さんみたいなんだけど、身長が小さくて、どこもかしこも細い。骨と皮だけしかないみたいな。顔がどす黒くて、いかにも体調が悪そうなおばあちゃん。歳…んんー?80歳くらいの。怖い感じの人」
ナースは少しの間考えて、口を開く。
「…もしかしてシンさんのことかな」
「多分そう!」
適当に答える灯。
「あなたシンさんの親戚か何か?」
「いや、違うけど知り合いになった」
またもや適当に答える灯。
「そう…シンさんは身寄りがないって言ってたしね。あなたみたいな若い子の知り合いがいたのね」
ナースは灯をみて、しみじみとそう言った。
「それでナースさんは、そのシンさんのこと嫌いなの?」
灯は再度、そう聞いた。ナースは静かに思案するように、こう答えた。
「そうよ」
灯は冷や汗をかきながら、「え?」と言った。
「そうよ。私はシンさんを嫌いだわ」
キッパリとそう言った。
やばい!灯はチラリと後ろにいる老婆を見た。
老婆はカッと充血した瞳を目一杯に開いていた。恐ろしい鬼の形相だ。鬼ババである。
「ええ!白衣の天使なのに!?」
灯は慌てて、ナースに抗議の声をあげた。
「白衣の天使でも、人間よ。意地悪な人が嫌なのは当然だわ」
ナースはしれっとそう答えた。
「シンさん意地悪だったの・・・?」
灯がそう尋ねるとナースは頷いた。
「かなり意地悪だったわ」
そう言うとナースは過去の話をしてくれた。
ナースこと、今田静佳は今は4年目でバリバリに働いているが、そんな静佳にも新人の頃があった。
最初は状態の軽い、自立した患者を受け持たされていた。しかし、学生の実習とは異なる忙しい仕事内容に、慌てふためいて思う通りに仕事を上手く回すことが出来なかった。
そんな何にも出来ない新人の時に静佳は“シンさん”と出会った。シンさんは身寄りのない80歳の老婆で、癌の患者だった。検査と軽い治療の目的で入院していた。病気でいながら、元気で小さい身体をよく動かす、そんな人だった。なによりも、印象的だったのが「何でもズバズバと言うキツイ性格」だったのだという。
シンさんは癌の患者ではあったが、身の回りの世話はなんでも自分で出来た。そのため、新人の静佳が受け持たされることが多かった。
仕事を上手く効率的に出来ない静佳を見て、シンさんはよく苛立っており、静佳にも直接悪口を言ったり、本人がいるのを分かっていながらも他の患者や他のナースにその静佳の悪口を言っていた。
「あいつは本当に仕事が出来ない。看護師なんか辞めたほうがいいよ」
「なんだって薬を出すくらいに時間がかかるんだよ。私を受け持つのは本当にやめてほしい」
「あの子は本当にトロいねぇ。ああ、見てたらイライラするよ」
「あんな子が後輩だったら、先輩のあんたも大変だねぇ」
「ああ、イライラするよ、全く!目の前にこないでほしい!」
静佳が覚えている悪口の内容はこのぐらいだが、実際はもっと色んな悪口を言われた。
静佳は落ち込み、看護師に向いていないかもしれない、とまだ一ヶ月も働いていないのに静佳は、自信を喪失してしまった。同期がいなかった静佳は慰めてくれる人もいない。シンさんの担当は嫌で嫌でたまらなかった。静佳はこの時期が看護師として一番辛かった時期だったという。
その後、シンさんは退院した。
「意地悪なことをいっぱい言われて、当時の私は本当につらくて悲しかった。だから、シンさんを嫌いかと言われたら、そうよ」
キッパリと静佳が言う。
その直後に。
ピシッ!ピシッ!という何かが放電でもしてるかのような音が部屋に響いた。
灯はビクッと身体を震わせる。
「なんの音かしら?夜中に工事?」
静佳が首を傾げて、言う。
「あ、工事?」
灯はホッと息をつく。
「それでね。続きがあるの。私は、確かにシンさんを嫌いで恨んでいたわ」
ピシッ!ピシッ!音が鳴る。
「ある時まではね」
静佳がそう言うと、音が止んだ。
1か月前、シンさんはまた入院した。末期の癌という手の施しようがない状況であった。
モルヒネという麻薬で痛みのコントロールをする治療法しかなかった。モルヒネは痛みは無くすことは出来るが、その分、意識が朦朧となる患者が多い。シンさんも同様だった。
シンさんの元には誰にも見舞いがこない。身寄りがない孤独な老婆だからだ。
意識が朦朧としているシンさんは、あまり喋らずに、常にぼうっとしていた。身体も思うままに動かすかとが出来ないため、看護師に身体の向きを変えてもらい、床ずれを予防していた。
徐々に食事もとれないようになり、小さい身体はますます小さくなり、枯れ木のような身体になってしまった。
いつ死んでもおかしくない状況。看護師が全てを行わなければ何も出来ないシンさん。そんな状況の患者だったので、独り立ちをしてテキパキと働いていた、静佳が受け持つことが多くなった。
皮肉なことにも、シンさんが毛嫌いしていた静佳がシンさんの身の回りをするのだ。シンさんはぼうっとしているが、もしも意識があったら、とても嫌がっただろう。
静佳はシンさんのことがいくら苦手でもしっかりと世話をした。しかし、以前のわだかまりがあるため、その世話の仕方は、どこか事務的なものになっていた。そこに笑顔はなく、無言で黙々と世話をした。
しかしある日、そんな関係が終わった。
シンさんの死期はもうすぐだろうと医師が言っていた。しかし、静佳はいつもと変わらず事務的にシンさんの身体拭きをしていた時だった。
顔を拭こうとして静佳が腰を屈ませて、シンさんと顔を合わせた時だった。
虚ろだったシンさんの瞳が揺れて、元気だった頃のように瞳が生き生きとした。
そして、シンさんは珍しく喋った。
「ああ、お前は、どこかで見たことがあると思った。もしかして、私があのトロい仕事のできなかった新人の看護婦かい?」
そう言うシンさんに驚きつつも、「はい、そうです」と返事をする静佳。
「ああ、やっぱりそうか。私がいっぱい意地悪をしたから、看護婦を辞めてるんじゃないかと気になってた。そうか、そうか、看護婦をちゃんと続けてたか。よかった、よかった。あのときの子なんだね。立派になって。そうか、そうか。はぁー、よかった、よかった」
そう言ってシンさんは笑った。そして、いつもの虚ろな瞳に戻ったのだ。
シンさんの言葉を聞いた静佳は、自分が恥ずかしくなり、そして後悔をした。
誰が声をかけても反応しなかったシンさんが、死期が近いというのに、静佳だけを思い出して話しかけてくれた。シンさんは私に意地悪をしてきた事を覚えていたし、気にかけていた。そうとは知らずに、静佳はシンさんに対して看護師らしかぬ冷たい対応をしていた。なんてひどいことをしていたのだろう。シンさん、ごめんなさい。
静佳は罪悪感を覚え、反省した。
その次の日からは、シンさんに声をいっぱいかけて、今日の天気や季節の移り変わりを話題にしながら、身体拭きを行った。
仕事が終わってもシンさんの元にいき、シンさんに話かけた。
「シンさん、今日は疲れた。シンさんにこんなこというと怒られちゃうね」
なんて、笑いながら。
その一週間後に、シンさんは静かに息を引き取った。その日も担当だった静佳は、シンさんの死後処置である最後の身体拭きを、丁寧に行った。
「嫌いで恨んでいた時期は確かにある。けど、今では忘れられない大切な患者様の一人よ。どんな人でも無碍にはせずに心のこもった看護をするって決心したの。シンさんに出会わなければ、私はまた誰かに心のこもってない看護をしていたかもしれない。シンさんに気づかされたの。シンさんのおかげ」
そういう静佳は、綺麗に笑った。その瞳は潤んでいた。
灯はもらい泣きをしている。
『・・・そうか。死に際は覚えていなかったが、私はそんなことを言っていたのか。そうか、そうか、よかった、よかった。はぁー、よかった、よかった』
そんな呟き声が聞こえて、灯が振り向くとそこには誰もいなかった。
灯は静佳に挨拶をして、自分の病室に帰ろうと廊下を歩いていた。静佳の話に感情移入してしまったが、何かを忘れている気がする。
灯はピタリと足を止めた。静佳は確かにこう言った。
“シンさんは息を引き取った。死後処置をした”
シンさんは確かにこう言った。
“死に際は覚えていなかったが”
え?え?え?つまり?
灯は一気に顔面蒼白になる。
そして、叫んだ。
「ぎゃあああああああああああ!」
病院の廊下を闇雲に走り、病院から出る。泣き叫びながら、深夜の町を駆け抜ける。パジャマで泣き叫び、走る少女に誰も声をかけない。
灯は自分の家についたら、真っ先に兄の部屋に向かう。寝ている兄などお構いなしに、ベッドに無理やり潜り込んだ。
起きた兄がギョッとする。
「灯!?おまえ、え?病院は!?」
「おにいちゃん、お化けでた……」
鼻水垂らしてむせび泣く灯に、兄は、なんだそんなことか、と呆れた表情を見せた。
「はいはいはい、早く寝ろ」
灯の背中をポンポンと叩く。泣きながら、灯は寝た。疲労や恐怖で意識を失ったのかもしれない。
それを見てため息をつく兄。
兄は「さて、どうするか」と何かを思案するように呟いた。
そんな灯がのっぺらぼうとお化けのシンさんにびびった2日間の話だった。
to be continued
悪霊:人を祟ったり、危害を加える霊。原因は様々であるが、最近悪霊になる霊が何故か増えている。
赤のメモ:×××病院にいた老婆の霊魂を悪霊化するのを成功。一言、声をかけるだけで悪霊化できた。安易だった理由はわからないが、生前の性格の影響か、恨みつらみがあり死んだのか。調べてみる価値あり。




