08 禁術
「うわあぁぁぁっ!」
まんまと騙されて放り投げられ、絶叫するマドカの体は弧を描きながら、湖面へ向かって落ちていく。
春とはいえ、この時期の夜の水温は低く、下手をすれば心臓麻痺を起こしてもおかしくはない。
また、仮に着水して無事だったとしても、マドカを投げ捨てたあの妖怪が、水中で身動きが不自由になった彼女に、トドメを刺しに来るだろう。
「こ、こうなったら……」
マドカは印を結び、先程手にしていた符を自分の胸元に張り付けた。
「我が肉体は、水面に沈む事を禁ずる!」
念を込め、術が発動するのと、マドカが水面にぶつかったのはほとんど同時、わずかな一瞬の差だった!
水飛沫をあげて、マドカが水中に没したと思われた瞬間、彼女の体はトランポリンに弾かれたように、ボヨンと跳ね上がる。
そのまま何度かバウンドして勢いが弱まった所で、ようやくマドカは湖面の上で上体を起こした。
「なにそれっ!?」
『なんじゃ、そりゃ!?』
「よぉし!よくやった!」
それを見た妖怪とナオが、思わず声を合わせて叫ぶ!
しかし、縁だけはそんなマドカの術を知っていたのか、彼女が水面に立っている事を成功だと喜んでいた。
「な、なんですか、あれ!? なんでマドカちゃんが水の上に!?」
「こんな事もあろうかと、マドカには『禁術』を覚えとけって、アドバイスをしておいたのさ!」
「に、『忍術』?」
「『禁術』!陰陽道のベースのひとつ、中国の道教に伝わる術式だよ」
「そ、そんな物があるんですか……」
「うむ。『禁術』で刃物を禁ずれば切れ味を失い、炎を禁ずれば燃え移る事は無くなる。いまのマドカは『自分が水に沈む事』を禁じたんだろう」
「なるほど……だから、ああして水面に立っていられるんですね!」
「そういうことだな」
「で、でもそんな秘術ってすぐに使える物なんですか?」
「まぁ、付け焼き刃ではあるけど、マドカには『前世の知識』があるからね」
「なんにせよ、すごいや!マドカちゃん!」
土壇場ですごい術を披露したマドカに向かって、興奮したナオは身を乗り出す!が、それと同時に、マドカの豪快なくしゃみが、夜の湖に響いた!
「え?」
驚く地上の面々を無視して、マドカはズンズンと水面を駆けてくる!
そうして駐車場に戻ると、大声で怒りを露にした!
「さ、寒いわあぁぁっ!」
見れば彼女はびしょ濡れで、ガチガチと体を抱いて震えている。
「あ、あれ?マドカちゃんは、水に落ちてないですよね!?」
「あー、『水には沈まない』けど、『水に濡れない』訳じゃないからね」
「い、意外と融通きかないんだ……」
禁術という格好いい響きに、完全防水のような物を思い描いていたナオだったが、思ったほど汎用性が有るわけではない事に、ポツリと本音を漏らした。
しかし、濡れ鼠になっているマドカの姿にハッとすると、車に乗せていたバッグをゴソゴソと漁る。
「マドカちゃん!タオルだよ!」
どういう事態を想定していたのか、用意のいいナオはマドカにタオルを手渡した。
「ありがとう、ナオ!」
それを受け取りながら、自身を罠にかけた眼前の妖怪を睨み付けて、マドカは縁に情報を乞う。
「おにい、あいつが何の妖怪かわかる?」
「もちろんだ、妹!あいつは、見たままの妖怪『手長』と呼ばれた鬼だな!」
「『手長』?」
「そうだ。その長い手は天の雨雲を掴み寄せ、I苗代湖の水を掬ってはバラ蒔いて、大雨を降らせたと伝承が残る、迷惑な妖怪だ!」
「なるほどね……」
「だが、気を付けろ!伝承の通りなら、手長には相方の……」
そう、縁が言いかけたと同時に、いきなり道路を挟んだ山の上方からマドカ達を目掛け、巨大な足が皆を踏みつけるように襲ってきた!
車もろとも踏み潰せるほどの威力が込められた、その一撃!
だが、幸いな事に車に張ってあったマドカの結界と、さらに防御の符がギリギリで間に合った事もあって、ほとんどの衝撃を拡散する事ができた!
『ちっ!』
それを見た手長が舌打ちし、大蛇のような腕を空へと向かって伸ばす。
すると、空中で何かを掴み、それを支点にして一気に飛び上がった!
『しくじったな、足長』
『惜しかったわい。どうやら、我等の依り代に詳しい者がいたようだ』
飛び上がった手長を肩車しながら、山の影から異様に足の長い鬼がヌッと姿を現す。
『ケケケ、人間の皮を被って演技までしたのにのぅ』
被っていた女性の皮をビリビリに破いて、手長鬼はその正体を顕にする。
手長はそのまま、破り捨てた皮を丸めると、足長と自分、それぞれの口に放り込んだ。
『まぁ、所詮は中身を食った後の再利用じゃからなぁ。人間の好きなエコロジーというやつじゃし、使われた人間も本望じゃろう』
『そうじゃな、そうじゃのぅ。ワシらの腹の中で、喜んでおるのが聞こえるようじゃわ』
クチャクチャと、駄菓子でも食べるように犠牲者の生皮を咀嚼しながら、鬼達はゲラゲラと笑ってマドカ達を見下ろす。
その所業に、マドカの視線が眼鏡の奥で鋭さを増した。
「……マドカ、わかってると思うが、あれは挑発だぞ」
「……わかってるわ、おにい。だから奴等を……一刻も早く、あの鬼どもを倒すための情報を教えて!」
二体の鬼から視線を外さず、マドカは再び兄にこの妖怪について尋ねた。
「あの足の長い方が、見たまんまの『足長』鬼だな。この辺の伝承では、奴等は二体一組で暴れる妖怪だ。魔王の欠片が依り代にしてても、やっぱりやる事は同じようだな」
「そうだね。それで、『足長』の方はどんな奴なの?」
「I苗代湖の目と鼻の先、そこのB梯山に腰掛けて、道行く人の通行を邪魔したり、『手長』と組んで人を襲って食ったなんて話が残ってる」
「今のを見たら、それはわかるわ……」
「昔話から推測するに、『手長』は長雨や台風なんかからの水害、『足長』は土砂崩れなどの災害を妖怪として現した物だと思う。で、食われた人の話は、それらで死亡した被災者ってところだろう」
「そっか……ありがとう、対処法はわかったわ!」
縁の話を聞き終えたマドカは、印を結んで式神を召喚する!
「土行、木行の理を持ちて、魑魅魍魎の障りを祓う!疾く来たれ、急々如律令!」
光源を無視して伸びたマドカの影から、召喚された二体の式神が姿を現す!
一人は槍を携えた二十代後半に見える、ワイルドな風貌の男。
もう一人は、一瞬女の子と見間違いそうになるほど可愛らしいが、見た目に似合わぬ剛弓を背負った少年だった。
「我は土行の槍兵、タダカツ!以後、お見知りおきを!」
「僕は木行の弓士、ネヒコ。よらしくね、お姉ちゃん達♪」
場の空気をまったく読まずに、豪快に笑うタダカツと、人懐っこい笑みで愛想を振り撒くネヒコ。
唐突な二人にどう反応してよいのかわからず、とりあえず釣られてナオ達も曖昧な笑みを浮かべた。
「いやいやいや!何を名乗りなんか挙げてんのよ、あんたら!」
自分が呼び出した式神に向かって、慌ててマドカが食ってかかる。
「いやぁ、主が名を呼んでくれなんだと、ウェインとホムラめがへこんでおってな」
「だから、次に誰かが呼ばれた時は、まず名乗りを挙げようって皆で決めておいたんだ♪」
「そ、その気持ちはわかるけど、元ネタとか知られたら恥ずかしいじゃない……」
「なんの!我らは別に恥ずかしくないぞ!」
「そうだよ!どんな名前でも、主様がつけてくれた名前だもん、呼んでもらえなきゃ寂しいよ」
「それに、名前とは憧れや願いを託す物でもあろう。なれば、主の望みや憧憬に相応しくあろうと、身の引き締まる思いよ」
「う……」
自らが作り出した式神が、思った以上に自分を慕っている事を知り、マドカは赤面しながら言葉につまる。
そんな主従のやり取りが途切れた所で、ナオがひょっこりと会話に交じってきた。
「あのさ、ちょっといい?あなた達の言う、『ウェイン』と『ホムラ』っていうのは?」
「ああ、金行がウェイン。火行がホムラだ」
「ほうほう」
「もしも、こんど二人が呼ばれたらよろしくね、ナオお姉ちゃん」
可愛らしい少年にお姉ちゃんと呼ばれ、ナオは満更でも無さそうな表情になる。と、同時に妙に照れ臭くて、マドカが恥ずかしがる気持ちが、ちょっとわかった気がした。
(うーん、ほんとにこの式神達は、マドカちゃんの趣味が全開だなぁ)
始めて式神達を見た時に「乙女ゲームかっ!」等とツッコんだナオではあるが、ある意味そのままだったらしい。
式神達の容姿や性格は、こっそり小説等を書いている時の夢女子モードになっているマドカに、どストライクな造形だ。
もっとも、そんな状態のマドカの姿は、ナオですら滅多に見たことの無いレアな物だから、彼女以外の友人は全く知らない姿であるのだが。
(まぁ、それでマドカちゃんのモチベーションが上がるなら、良いことよね)
そんな風に一人で納得し、マドカに慈愛の眼差しを向けたナオは、よろしくねと式神達と握手を交わした。
「もう!挨拶とかはいいから、早くあの妖怪達を倒しなさい!」
すっかり毒気を抜かれたマドカに急かされて、タダカツとネヒコはそびえ立つ『手長』と『足長』を見上げた。
「ほう、でかい……というか、長いな」
「そうだね。でも……それだけだね」
遥かに身の丈が小さいにも関わらず、全く緊張感も気負いも無い式神達の様子に、妖怪達は彼等を指差して笑う。
『ケケケ、聞いたか足長?』
『おうともよ、手長!どうやら、この召喚獣どもは、ワシらの強さも計れぬようじゃ』
『そうよな、奴等の矮小な得物では、ワシらの首に届かぬであろうに!』
『なぶり殺しじゃ、なぶり殺しじゃ!』
『役立たずの召喚獣を捻り潰して、憎たらしい小娘を食らうとしよう。前世の恨みを、晴らそうぞ』
まずは式神を潰し、マドカに絶望を与える事にした妖怪達。
言うが早いか、グンッと手長の両腕が振り上げる!
その手の先が、地上からは見えなくなるほどの高度に達した、次の瞬間!
天空から振り下ろされた隕石のような拳が、式神達に向かってまっすぐに落ちてきた!




