06 水辺の怪談
──朝の日差しが差し込む、春野家のダイニングキッチン。
昨晩、マドカの家に泊まったナオは、そこのテーブルに着席しながら、細々と動くマドカを眺めていた。
休日の朝ではあるが、彼女は馴れた様子で朝食の用意をしている。
何か手伝おうかと申し出たナオだったが、「お客様は座ってなさい」という有無を言わさぬマドカに押し通され、こうして彼女の背中を見ているという訳だ。
母を亡くしてから、家事を積極的に行っているマドカにとって、毎日の食事の仕度は当たり前の事である。
とはいえ、休みの日くらいは手の込んだ物は避けたいもの。
そんなマドカの心の声を現すように、テーブルに並べられたのは、刻んだベーコンが入ったスクランブルエッグと市販の食パン、それに野菜を適当に手でむしっただけの簡単なサラダといった、比較的に手軽な物ばかりである。
「そういえば、マドカちゃんのお父さんとお兄さんは?」
「二人とも、まだ寝てるわ。休日だと朝ごはんを食べない事も多いし」
「そうなんだ。それじゃあ、今は私とマドカちゃんの二人っきり……やだ、私達まるで、新婚さんみたい!」
「ないわー」
「ちょ、ちょっとくらいは、ノッてくれてもいいのに……」
一瞬で否定され、ナオは頬杖をついて頬を膨らませた。
「はい、どうぞ」
そんな親友を尻目に、マドカは食パンをオーブントースターでこんがりと焼くと、皿に乗せてナオの前に差し出した。
「ありがとー!」
立ち上る良い香りにつられ、一瞬で機嫌を治しすナオに冷蔵庫を覗きながら、マドカが問い掛ける。
「牛乳と野菜ジュースがあるけど、どっちにする?」
「牛乳!私も、マドカちゃんみたいに立派になりたいからね!」
マドカの胸の辺りに視線を送りながら、ナオは己の胸に手をやる。その度に去来する敗北感を噛み締め、親友の如く豊満になりたいと願うのだ。
「……同姓でも、セクハラは成立するからね?」
「ごめんっ!」
即座に謝るナオに、マドカはヤレヤレと肩をすくませ、苦笑するしかなかった。
香ばしく焼けたトーストを口に運ぶと、サックリと小気味の良い歯応えに、溶けたバターの香りが鼻孔をくすぐる。
「うんうん」と頷きながら、今度はスクランブルエッグをトーストに乗せて、軽くケチャプをかけて頬張った。
フワトロッとした食感と、ケチャプの甘酸っぱいさに玉子の風味やベーコンの塩気と肉感が絡んで、なんとも絶妙な一品となる。
「うんうん……美味しいです!シェフを呼べ!」
「目の前におるがな」
「いやいや、いつもながらマドカちゃんの作る料理は、絶品ですな!」
「そんな、大袈裟なもんじゃないでしょ」
「ううん、私が作ってもこうは美味しくできないからね。これはもう、マドカちゃんの熟練の技だよ」
「ナオは作り慣れてないだけだって。数をこなせば、すぐに私になんか追い付くよ」
「か、勝てる気がしねぇ……」
そんな風に、いつものような軽口を叩きあって、二人の穏やかな朝食の時間は過ぎていった。
◆
「それで、次の妖怪についてなんだけど」
「うん?」
「何か手掛かりになりそうな奇妙な事件とか、他にもあるのかしら?」
朝食を終えた途端に、そんな事を聞いてきたマドカに、ナオは眉をひそめる。
「どうしたの、急にそんな……」
「……昨日の妖怪達は、人を襲っているみたいな事を言っていたわ。だとしたら、他にもそんな奴等がいるかもしれないじゃない」
「まぁ、確かに……」
「それに、奴等は元々、魔王という存在と一つだった。もしかしたら、その繋がりから情報のやり取りとかをしてたりしたら、仲間が私にやられた事を察知して、雲隠れする可能性も有るわ」
「なるほど……」
「だから、奴等が知恵をつける前にケリをつけたいのよ」
そう意気込むマドカの様子に、ナオは一抹の不安を感じていた。
(むむう……ちょっとよろしくないなぁ……)
普段は冷静なマドカだけれど、時々のめり込みすぎて回りが見えなくなる事がある。
昨夜の一件で、魔王の欠片の中に人を襲っていたモノがいると知った彼女は、犠牲者が増える前に奴等を一刻も早く封印したいのだろう。
だけど、いくらマドカに力が有るとはいえ、焦っていては墓穴を掘るだけだ。
ここは、親友である自分が彼女のブレーキにならねばと、ナオは心の中で決意を固める!
「マドカちゃん。気持ちはわかるけれど、焦りは禁物だよ?『なんとかだと事を仕損じる』って言うじゃない」
「『急いては』?」
「そう、それ!とにかく、私もお兄さんもそれらしい話があったら相談するから、マドカちゃんはいざという時のためにリラックスしておいて」
マドカの手を握り、まっすぐに見つめながら言うナオ。そんな彼女の様子を受けて、マドカは小さく笑った。
「ありがとね、ナオ。最初は、巻き込むような形になって悪かったって思ってたけど……頼りにしていいかな?」
「あったりまえじゃん!ドンドン頼ってくれたまへ!」
胸を張る親友に、心から感謝の気持ちが溢れ出る。
前世の知識を思い出してから、何となく不安ばかりがつのっていたけれど、ようやく地に足がついたような、落ち着いた気持ちをマドカは感じていた。
「おはよう、二人とも早いな……」
マドカ達が朝食を終えた頃、ようやく起き出してきた縁が、のそのそとやって来た。
「おはようございます、お兄さん」
「おはよう。私達が早いんじゃなくて、おにいが遅いんだよ」
「そう言うなよ、昨夜は頑張ったんだから……」
そう言いながら、縁は大きな欠伸をする。
確かに、昨夜の縁は頑張ってくれた。
車を出して峠道を往復し、戦闘後には疲れてウトウトしていたマドカ達を乗せて、ちゃんと帰宅させてくれたのだから。
その辺りは、マドカもちゃんと感謝してるし、事情もわかっている。
だが、縁が帰宅後も明け方近くまでずっと起きていて、ほぼ仮眠と言っていいくらいの時間しか寝ていないのも、マドカは知っていた。
だから、彼がいま眠そうにしていても、それは自業自得と言っていいだろう。
「とりあえず、私達は朝食を済ませたけど、おにいはどうするの?パンでも焼こうか?」
「ああ、頼むわ。あと、今夜も出掛けるから、準備しとけよ」
「出掛けるって……どこに?」
「決まってるだろ、次の妖怪の手掛かりが有りそうな所さ」
「マジでっ!?」
「なに言ってんですか、お兄さん!」
せっかくマドカを落ち着かせたというのに、また焚き付けるような話を持ってきた縁を、ナオは抗議の声と共にポカポカと叩く!
「え?な、なに?」
体格差もあって全く効いてはいないのだが、突然のナオの剣幕に、縁はオロオロしながら妹とその親友を交互に見ていた。
◆
「それで、次はどこなの?」
「まぁ、慌てるな。俺は昨日のT沢峠の一件から、この近くに潜伏する妖怪達が、地元の都市伝説や怪談話を隠れ蓑にして、暗躍してるんじゃないかと目処をつけてみたんだ」
「うんうん」
「それで、この地域の怪談話を調べてる内に、ネットでこんな書き込みを見つけた」
そう言ってタブレットの画像をマドカ達に見せる。
そこには、とあるマイナーな匿名掲示板が表示されており、隠語のような符丁のような、独特の定形文章による書き込みがなされていた。
「なにこの……なに?」
「よく、意味がわからないんですけど……」
「まぁ、半年ほど読み専に徹すれば、スレの雰囲気は掴めるさ。でだ、問題のレスなんだが……」
画面を少しスクロールさせ、ここだと縁は指さした。
「ほら、これだ」
「何々……『F県のI苗代湖で、湖面から伸びる無数の手』?」
「あ、それって聞いた事があります!水難事故で亡くなった人が、足を引っ張って溺れさせようとする系の怪談ですよね!」
「ああ、I苗代湖に限らず、こういった噂はどこの水辺でもあるもんさ。だけど、このI苗代湖の場合は、例の『T沢峠の三輪車小僧』の噂と同時期に語られ始めてる」
「偶然……じゃないのよね?」
ありふれた話だけに、そんな偶然も有るかもしれない。
しかし、縁はその質問に懐疑的なようだった。
「こういった水辺の事故を連想させる怪談は、夏場が本番で、今の時期に流行るもんじゃない。だけど、俺達にとっては妙にタイムリーな噂はだと思わないか?」
「確かにそうね……」
縁の言葉に、少し思案してから、マドカは顔を上げた。
「わかったわ。おにい、協力してちょうだい!」
「任せろ!……さぁて、次はどんな妖怪が拝めるのかな」
グフフと不気味に笑い、欲望を隠しもしない兄の姿を、マドカ達は呆れたような顔で眺めていた。




