04 車のあやかし
金曜日 PM11:27。
夜も更けて、もう少しで日付が変わる時間帯。
春とはいえ、少し標高が高くなるだけで、気温はかなり肌寒い。
そんな中、縁が所有する軽自動車に乗って、国道を登ってきたマドカ達は、峠の入り口で作戦会議を行っていた。
コンビニで買ってきた暖かい飲み物を取りつつ、A市へと向かうK町方面からのT沢峠下り道を地図で確認し、途中の民家があるポイント等をチェックしていく。
「極力、人目にはつきたくないよな」
「そうね……まぁ、奴等もそれは同じだろうから、もしも出るとしたら、この辺とか、この辺か……」
マドカと縁は、遭遇しそうな地点をナビで調べながら、大まかな段取りを決めていった。
「……じゃ、そんな感じで」
「おう」
「私も準備はOKだよ!マドカちゃんの勇姿を、ちゃんと撮っておくからね!」
そう元気よく答えたナオは、持参したハンディカムカメラをマドカ達に向けて親指を立ててみせた。
「……一応、聞いておくけどさ。撮影して、どうするの?」
「そりゃあ、もちろんマドカちゃんとお化けの戦いを、動画サイトに投稿するのよ!リアル美少女退魔師と、マジ妖怪とのガチバトル……バズる予感しかしないわ!」
「うん、却下」
「ええっ!?」
予想もしていなかったと言わんばかりに驚愕するナオに、マドカは肩を落としながらその訳を説明した。
「いい?もしかしたら、『魔王の欠片』達は今後、表沙汰になるような事件性のある行動を起こすかもしれないわ。そんな時に、関連性が高そうな動画がネット上に挙がっていたら、警察とかはどう思うでしょうね?」
「……個人で楽しむ分にはいい?」
「まぁ、それくらいならね」
マドカの言わんとしている事を理解したナオの申し出に、彼女はわざとらしく大仰に頷いて見せ、それに対してナオも、同じように大袈裟に平伏してみせた。
茶番をこなした二人は、顔を見合わせてクスクスと笑いあう。
そんな微笑ましい女子高生達を眺めながら、縁はエンジンをかけた。
「よーし、そろそろ行ってみるか」
「うん。おにい、よろしく」
「お願いしまーす!」
縁に促されて、マドカ達は彼の車に乗り込む。
三人を乗せた軽自動車は、暗い夜の闇が支配する峠道へ静かに進んでいった。
それから小一時間ほど。
「…………出ないねぇ」
T沢峠を上下に二往復した辺りで、周囲を撮影していたナオはポツリと呟いた。
「っていうか、ちょっと気持ち悪い……」
スピードこそ大して出せはしないものの、峠道特有の左右に振られる感覚は、容易に車酔いを誘発する。
それに加えて、カメラをずっと覗いていたナオは、すっかり気分が悪くなってしまったようだ。
「ナオ、大丈夫?」
「……ごめん、あんまり大丈夫じゃないかも」
「少し、休むか」
ナオの様子を心配した縁は、少し広めに取られていた路側帯に車を止める。
「ちょっと表で深呼吸するといい」
「はい……」
「私も行くよ」
ナオに付き添うように車から降りたマドカは、グッと伸びをしながら親友の様子をうかがった。
夜なので、あまりはっきりとはわからないが、その表情からは少し気分がよくなっているように見える。
「はぁ……峠道って、こんなにグネグネカーブが多いんだなぁ……」
「もっと広い、それこそ観光用の大きな道路だったら違うんだろうけどね」
F県には、夏から秋頃にかけて開通される有料観光道路などもあるが、そちらは道幅は広く紅葉の季節には絶景が見られたりして、車に酔う事はあまりない。
「お化けも、そっちに出ればいいのに」
「冬場は雪が凄いし、道路自体が閉鎖されるから、不便なんでしょう」
「確かに、コンビニとかには行きづらいね」
何事も起こらず、緊張感がなくなった彼女らは、訳のわからない会話をしながらアハハと笑い会う。
しかし、不意にマドカの表情が真面目な物となった!
「ど、どうしたの……」
「……音が消えた」
そう指摘したマドカの言葉で、ナオ達も周囲が異様な静寂に包まれている事に気がつく。
さらに、急激に気温が下がって来たような気がして、思わず身震いをしていた。
「し、深夜の山中だし、物音がしなくても……」
「さっきまでは虫の声も、風の音もあったもの……これは、奴等の結界が張られた時の特徴だわ」
「け、結界?」
マドカの服の裾を掴みながら、ナオは不安そうに尋ねた。そんな彼女の肩を抱き、マドカは『奴等の結界』について説明する。
「前にナオが神明り通りで襲われた時、町から音が消えたり、人の通りが完全に無くなったりしたでしょう?奴等は、人払いと無音の結界を張って、標的を孤立させてから襲うのよ」
以前、怪異に襲われた時の記憶が甦る。
「な、なんでそんな面倒な事を……」
「そりゃ、被害者を怯えさせて遊ぶためよ」
「あ、遊びって……」
それが、その言葉よりも禍々しい行為であることは想像に難くない。
「や、やっぱり……奴等なの?」
「うん……ほら、あれ」
マドカが示唆した方向、峠の上から猛スピードでこちらに向かって、下ってくる光が見えた。
一瞬、後続車かなにかと思ったが、車のヘッドライトとは違う青白い光は三つの輪を描いている。
「三輪車……」
「間違いないな、本命っぽいぜ」
いつの間にかマドカ達の隣に立っていた縁が、双眼鏡を覗きながら、迫る光輪の正体を口にした。
「ありゃあ……『朧車』に『輪入道』だな」
彼の口から出てきた妖怪の名を聞いて、ナオの脳裏にその姿が浮かぶ。
確か、『朧車』は平安貴族が乗るような牛車に、巨大な鬼の顔が付いた妖怪で、『輪入道』は車輪の真ん中に、厳ついおっさんの顔がついている妖怪だ。
どちらも青白い炎を纏っており、道を行く獲物を轢き殺すという恐ろしい伝承がある妖怪である。
「なるほど、『三輪』に『でかい顔』か……『三輪車小僧の噂』に近い造型をしてやがる」
復活した都市伝説の火元は、完全に奴等だろう。
「おにい、あいつらの情報をちょうだい」
「OK、妹!どっちも『陰火』を纏う怪異で、犠牲者を轢き殺す事に執着する。ちなみに、某妖怪マンガでは、『ダイヤモンド変換ビーム』とか、『石化光線』なんかを撃ってくるぞ!」
「いや、最後の情報は要らないかな……」
兄妹がそんな会話をしている内に、妖怪は黙視できるくらい近くまで迫ってきていた。しかし、マドカ達に突っ込んで来るような事はなく、意外にもフワリと宙に浮かんで、彼女達の上空をゆっくりと旋回する。
『ヒャハハハ、人間じゃ人間じゃ!しかも、女もおるではないか』
『喰いたいのぅ、喰らいたいのぅ!』
『儂はあちらの、小柄な娘が喰いたいわ!でかい乳を喰い千切ってやったら、どんな悲鳴をあげるかのぅ!』
『それなら儂は、あちらの娘じゃ!足から喰ろうて、腸を啜り出してみたいわな!』
マドカとナオを見据えた不気味な外見の化け物達は、下卑た笑い声とおぞましい欲望を囀りながら、獲物を狙う猛禽類のようにジワジワと近づいてきた。
その醜悪さと、ぶつけられる悪意の重圧に、真っ青になったナオは胃から逆流してくる物を堪える事ができず、押さえた口元から吐瀉物を溢れさせてしまう。
「えふっ……げふっ……」
苦しげにえづく彼女の姿を見た化け物は、ますます歓喜の色を濃くしていく!
『怯えておる、怯えておるぞ、あの娘!泣くか、漏らすか?』
『どちらにしても滑稽じゃ、無様じゃ!そして、なんとも美味そうじゃ!』
『おおよ、怯える人間を喰うのはたまらんからのぅ!』
ガクガクと膝が震え、涙でナオの視界は歪み始める。
だが、そんな彼女を庇うように、眼光鋭くマドカが立ちふさがった。
「おにい、ナオと一緒に車の中に!」
「おう、頑張れよ!」
縁に支えられて、ナオは車へ向かう。
「マドカちゃん……」
「任せて」
弱々しい声しか出せない親友に、マドカはいつもと変わらない笑顔を送った。
そんなナオ達を避難させた後、マドカは一人化け物達と対峙する。
『なんじゃ、なんじゃ?先にお前が喰われたいのか』
『良い良い、こちらも美味そうじゃ』
ゲラゲラ笑う妖怪を冷たく見据えながら、マドカは口を開いた。
「あんたらの、その物言い……すでに人を喰ってるわね」
『おおよ、不味い男や年寄りばかりで、辟易していたところじゃ!』
『今宵は久しいご馳走よ!たっぷりと楽しませもらうぞ!』
「そう……それじゃあ、楽しませてあげるわ、化け物!」
マドカは懐から符を取り出すと、素早く呪文を唱える!
「火行、金行の理を持ちて、悪魂害魄を断ち斬らん。我が影より疾く来たれ、急々如律令!」
彼女の口上と共に手にしていた呪符が燃え、それが光源となって彼女の影が伸びる!
そして、その広がった影から、二人の青年が姿を現した。
「金行騎士、お呼びにより推参いたしました」
「火行拳士、呼ばれて参上だ」
主であるマドカに優雅な挨拶をする黄金の騎士と、ぶっきらぼうな態度ながらも、マドカを守るように妖怪との間に入る赤毛の拳士。
彼らは以前、ナオへ紹介するために出現した時とは比べ物にならないほど生き生きとしており、一人の人間と全く変わらぬ立ち振舞いをしていた。
そんな彼等に、主としてマドカは命令を下す。
「注文は、ただひとつよ。あの化け物どもを倒しなさい」
「お任せください、我が主!」
「ま、精々暴れさせてもらうさ」
オーダーを受けた式神達は、討つべき獲物へ向かいながら、不敵な笑みを浮かべていた。