11 背後の彼女は
「うう……」
グスグスとべそをかいていたナオが、落ち着きを取り戻すのを待っていたマドカは何があったのか尋ねてきた。
「家で……お父さんとお母さんが……」
「ナオのお母さんとお母さんが?」
「うん……化け物に……」
「……やつらが出たのね?」
「うん……」
「それで、どんなやつだったの?」
「あのね……」
ナオは先程、遭遇した恐ろしい妖怪について話そうとした時だった。
不意に、ポケットに入れてあったスマホが震えて、着信を知らせる。
「……!?」
反射的にスマホを取りだし、そのディスプレイを確認したナオの表情に、驚きの色が混じった。
「……ご、ごめん。ちょっと、出るね」
マドカがどうぞといったジェスチャーを見せたので、ナオは彼女に背を向けて電話に出る。
「も、もしもし……」
『あ!よかった、出てくれた!ナオ、あんた無事なの!?』
聞こえてきたのは、聞き慣れた親友の声。
「マ……マドカちゃん?」
『そうよ!……まぁ、無事みたいで良かったわ』
声のトーンを落として尋ねた所、間違いなく通話の相手もマドカだと思えた。
だとすれば、いま彼女の背後にいるマドカは誰なのか?
『あのね、ついさっきコンビニに行こうとしてたおにいが、いきなり妖怪に襲われたの!』
「だ、大丈夫だったの!?」
『私が近くにいたから、大事には至らなかったわ……』
むしろ、妖怪を間近で見れたと、はしゃいでたのに呆れたらしい。
『でも、奴等は私の周囲の人間に目を付けはじめたみたいなの……だから、ナオも危ないかもって思って、急いで電話したんだ』
「そ、そうなんだ……」
『とにかく、今朝ナオに渡したお守りより、もっと強力なやつを渡したいから、これから会えない?』
(会えないもなにも、いま後ろにマドカちゃんいるんですけど!)
平静を装いながらも、ナオは心の中で大声で叫ぶ!
電話口のマドカと、背後のマドカ。
いったい、どちらが本物なのだろう。
頭を抱えそうになったナオだったが、ハッとひらめくと背後のマドカに背を向けたまま質問を飛ばした。
「あ、あのさ。そういえば、なんでマドカちゃんは、ここにいたのかな?」
「……ナオの事が心配だったからね」
「そ、そうなんだ!ありがとう、マドカちゃん!」
わざとらしいくらい大きめなトーンで話しかけたナオは、再びスマホに耳をあてる。
『……いるのね、そっちに私の姿をした何かが』
電話口の向こうのマドカが、異変を察っして確信めいた口調で呟いた。
『ちょっとおにいに代わるから、適当に相槌を打ちながら状況を伝えて!』
「そ、それは助かります」
電話の向こうには、縁もいる。
それだけで、こちらが本物だと判断できた。
背後のマドカに悟られぬよう、無難な会話をしている振りをしながら、ナオは返事を返す。
『もしもし、縁だ。いくつか質問するから、適当に返事をしてくれ』
「はい、そうですね」
何となく、サラリーマンが営業先と話してる風な受け答えかたになるナオだったが、女子高生の彼女がそんな話し方をする相手が何者なのかは、逆にわかりづらくもあった。
背後のマドカが怪訝そうな顔をしているであろう気配を感じて、ひとまず本物からの電話である事は隠せそうだと、ナオは内心ホッとする。
『偽のマドカが現れる前に、何か異変はあったかい?』
「そういえば、そんな事もあったと思います」
『……それは、偽のマドカ以外にも、誰かに化けた妖怪に出会ったとか?』
「だいたい、そんな感じですね」
『……妖怪が顔見知りに化ける場合には、パターンがいくつかある。その中でも比較的に多いのは、「対象に成り済まして入れ替わる」か「再度の怪」だ』
「へぇ、そんな事が……」
電話口の向こうで、少しばかり縁が思案する気配があった。
『ナオちゃんは、偽マドカに会う前に誰かに化けた妖怪と遭遇してようだから、おそらく「再度の怪」だな。これは、小泉八雲の怪談、「狢」って話にも代表されるパターンで、人に化けた怪異に遭遇して逃げた男が、安心した所でもう一度怪異に出会ってしまうってやつだ』
「ああ……なるほど……」
縁が例に出した話なら、ナオも聞いた事がある。確か、その話で遭遇した怪異は、のっぺらぼうだったか。
しかし、母親に化けていた妖怪。そして逃げた直後に遭遇した、偽のマドカ。
確かに、「再度の怪」のパターンだ。
『それで、だ。対処法としては、誰かに「こんな怖い目にあった」という話をしないという事。「再度の怪」は、二度目に正体を現した時に厄災を与えるのが特徴だから、そっちにいる偽のマドカを徹底的に無視するんだ!』
「わかりました、そうさせてもらいます」
応急処置的な対処法だが、それでも何も無いよりマシである。
少しだけ力が湧いたナオがそう答えると、電話の相手が縁から再びマドカに替わった。
『とにかく、どっかで合流しよう!人気の少ないの場所……学校で会おう!』
確かにマドカの提案通り、今日は日曜日で学校なら人気も少ないだろう。
「わかりました、そうします!」
『気を付けてね!』
ナオを気遣う言葉を最後に、通話は切れた。
普段の壁紙に戻ったスマホのディスプレイに表示された時間を確認して、ナオは息を整えるために深呼吸をする。
「……ねぇ、今の通話の相手は、誰だったの?」
背後にいるマドカが、いつも通りの口調で話しかけてきた。
しかし、そのいつも通り過ぎる声が、今は恐ろしい。
「ねぇ、ナオってば……」
ナオのすぐ後ろ、吐息がかかるくらいの近さで、声は聞こえてくる。だが、とても後ろを振り向く事なんてできなかった。
「……うおぉぉぉっ!」
突然、気合いの雄叫びをあげたナオに、背後からビクッと怯んだ気配が伝わってくる!
その一瞬の隙をついて、ナオは猛然とダッシュし始めた!
(ううっ!とにかく後ろは無視!ぜったい無視!)
マドカと縁から受けたアドバイス通り、ナオは前だけ見て学校へ向けて走っていく!
すると突然、
「ねぇ、何をそんなに急いでるのよ?」
耳元で親友が囁く声がした。
(ひいぃぃっ!)
叫びたい気持ちをグッと堪えて、ナオはその囁きを無視して走る。
「どうしたのよ、ナオ」
「ねえ、なんで急いでるの?」
「ゆっくり歩きましょうよ」
「ホラ、ナオってば」
「返事くらいしてよぉ……」
「ナオ……ナァオォォ?」
(ぬあぁぁっ!怖い!すごく怖い!)
全速力で走っているナオに比べて、背後から囁きかけるマドカの声は、息ひとつ切れていない。
さらに、背中にぴったりとくっついているんじゃないかと思わせるような声量なのが、ナオの恐怖をさらに増大させていった。
耳にまとわりつく、ねっとりとした声にナオの精神が疲弊していく中、ようやく目的の彼女達が通う高校の校舎が見えてくる。
(も、もう少し……)
全速力で走りすぎて、手足はもつれそうになり、肺が焼けるほど呼吸は苦しかった。が、それでも校門の所に立っている人影を見つけた時、疲れきったナオの体に力が戻ってくる!
「ナオっ!」
(マドカちゃん……)
自分の方に駆けてくる親友の姿に、視界がぼやけた。
よろめいて転びそうになった体を抱き止められると、心の底から安堵感が押し寄せてくる。
「マ、マドカ……ちゃ……」
「お疲れ、ナオ。よく頑張ったね。後は……」
ナオを抱き締めつつ、マドカの視線は彼女が走ってきた方向に向けられている。
「私がやるから!」
視界の先に、ニヤニヤ嗤う自分そっくりに化けた妖怪の姿を確認して、マドカは力強く呟いた。
『なによぉ……私を無視して、こんな女と会うために必死だったのぉ……』
ナオってばひどいわぁ……と、偽のマドカは本物のマドカを覗き込むように、上目使いのねっとりとした視線を絡める。
「私に化けてるだけでも不愉快なのに、よくもナオにちょっかい出してくれたわね」
ナオを抱き止めている、マドカの腕に力が込められた。
(マドカちゃん……怒ってる)
親友である自分を狙った偽のマドカに対して、本気で怒ってくれているマドカの様子に、ナオはさっきまでの恐怖を忘れて、ちょっとした喜びすら感じていた。
(うへへ……マドカちゃん、マドカちゃぁん!)
ナオは眼前にある、柔らかくて大きな胸の双丘に顔を埋め、その幸せな感触を享受する。
しかし、不意にナオはマドカの胸から引き剥がされて、その身体を後方へと移動させられた。
「おにい、ナオの事をよろしく!」
「おうよ!」
「あ、お兄さん……」
疲労と恍惚でぼんやりしていたナオは、そこでようやく縁の存在に気づいたようだった。
「よく頑張ったな、ナオちゃん。それで、疲れてるところ悪いんだが、偽のマドカに遭遇する前に何があったか、教えてくれないか?」
「あ、はい……ええっと、私が家に帰った時にお父さんが……」
そこまで言って、ナオはハッとして慌てだした!
「そ、そうだ!お父さんがすごい熱で……それに、お母さん……ううん、お母さんに化けていた化け物が……」
オロオロとしながらも、断片的に状況をナオは話す。
すると、それに反応したのは、偽のマドカだった。
『ねぇ、ナオ……その化け物って……』
偽マドカの呟きに、ナオはギクリと背筋に冷たい物が走った。
あの時の……ナオの母親が化け物に変わっていく光景が、脳裏にフラッシュバックする!
『こんな顔だったかしらあぁぁ?』
にんまりと、厭らしい笑みを浮かべた偽マドカの姿が、異形の物へと変化していった。




