検証
昨夜、毎度お馴染みのハイテンションで語り続けるアスラとの会話をやっとの思いで切り上げたカミュが、朝日に照らされて輝きを放つ疲れ切った端正な顔を遠く西へと向けた。
ここはフィードアバンより東へ五百km、ナファウトより南南東へ三百kmの地点にある、山と河に挟まれた川沿いのただ広いだけの何もない広場。
カミュが川沿いの道を完成させ、遂にこの場へと辿り着いたのが昨夕のこと。そのままこの場所へとログハウスを設置し、今まで溜めこんでいた質問をアスラへ訊ねたのが就寝前のことだった。
(し、失敗だ……)
カミュは眠そうな目を擦りながらログハウスをインベントリへと収納し、遠く西へと向けていた視線を目の前に控える配下達へと戻す。
彼の人間とは比較にならない持久力を考えれば、たった一晩眠らなかっただけで眠気に襲われることなどあり得ない。だが、それが精神的な負荷を伴い続けるものであったのならば、その不眠だけはその限りではないだろう。
「カミュ様、如何されました?」
皆を代表するかのように、アスタロトがカミュの異変を察して気遣いの意思を伝えた。
「いや、何でもない。まだ疲れが残っているだけだ」
「疲れ、が? それはいけません。もう少しお休みになられては如何でしょうか?」
「うーむ……。先ずは検証が先だな」
「検証……ですか?」
小首を傾げたアスタロトが、銀髪を靡かせながらカミュへと視線を合わせる。
やや中腰で髪を掻き上げるアスタロトを横目に見ながら、まだハッキリしない頭でカミュは思った。髪を掻き上げるその仕草、ぎこちない、と。
だがそれは致し方ないこと。彼女がハゲから卒業したのはつい先日であり、百年ぶりに蘇った髪の扱いにまだ勘が戻らないのだろう。
「この肉体での魔法の試射がまだだった、と思ってな」
「試射……ですか? 僭越ではございますが、何ら問題ないと思われますが?」
「アスタロト、お前には判るのか?」
「はい。ですが……拙でなくとも、配下の者であれば誰でも判るかと」
眉尻を下げたアスタロトが申し訳なさそうにカミュへと伝える。
だがカミュは彼女が何故そんなに恐縮しているのか理解し得ない。自分の知らないことを彼女は親切に教えてくれた。それなのに何故、彼女の顔色は優れないのだろうか?
首を傾げて考えるが、首の角度が大きくなればなるほど、アスタロトの顔色は悪くなる一方だ。
「そうか。アスタロトは頼りになるな」
ニッコリと微笑むカミュに、アスタロトの胸が高鳴る。ローブに隠されてハッキリとは表れないが、彼女の豊かな胸の奥で嬉しい何かが躍動していた。
「あ、ありがとうございます」
「だが魔法の威力は私も気になる。試射だけはしておきたいが……ダメか?」
「い、いえ! ダメなんて滅相もない! カミュ様のご随意になされるのがよろしいかと」
つい先ほどまでモジモジしていたアスタロトが、悲壮感の漂う表情で主君の言葉を肯定する。
主君への否定と受け取られ兼ねない自身の発言に、アスタロトが今更ながらの動揺を覚える。彼女の主君は至って鈍感なので、そこまで気にする必要は全く無いのだが。
「え? 魔法を使われるんですか?」
「あぁ、威力を確認したくてな」
「あたしも見せて貰って良いですか?」
「構わんぞ。では場所を移動するか」
後ろで聞いていたレストエスが、目を輝かせながら話に入ってきた。
昨夜も目を輝かせてカミュの部屋を伺う彼女であったが、彼女が主君の部屋へ入ることは遂に翌朝まで無かった。
そしてそのレストエスの後ろではバディスとカメオウがどよんと佇んでいる。何故か疲れきった顔で肩を落としているように見えるが、それはカミュの気のせいだろうか?
「場所は此処で良いんじゃないでしょうか?」
「此処で? 危ないんじゃないか?」
「此処には魔法の一撃で死ぬ者は居ませんし、もし死んだとしてもそれはマヌケだってことですよー」
「その通りであるな。我輩も主君の魔法をこの目で見たいのである」
「そ、そういうものなのか? というか、なんでそんなに魔法を見たいんだ?」
二人の、いや此処に居る全員の興味に津々と輝く眼差しを受けて、少しだけ腰の引けたカミュが豆鉄砲を食らったかのように問い返す。
「我々はカミュ様が魔法を使われるのを見たことがありません。昨日の<光の矢>も見たのは初めてです」
「あぁ……だから効果だけでは、何の魔法か判らなかったのか」
「<光の矢>って、コボルトを倒した時の魔法ですよね?」
「あぁ、そうだな」
バディスの意外な一言で、カミュは彼等が何故初級魔法を初級魔法でないと勘違いしたのか理解する。
確かに遠距離から突然魔法を撃たれれば、その魔法の正体を探ることは難しいだろう。通常であれば、詠唱、発現、発動の順で魔法は発せられ目標へと着弾する。魔法への対策とは一早くその正体を掴むこと。それが着弾前の物理的、または魔法的な防御を可能とするのだ。
だがそれはあくまで対人戦での相対距離を想定したものであり、四十kmという馬鹿げた遠方から撃ち込まれることなど一切想定されていない。
昨夜、いや今朝だろうか? アスラから聞いたのはカミュが使用可能な魔法の種類。彼女の言によれば、カミュの使える魔法は光、闇、更に何故か火も使えるらしい。
光魔法は既に使用している<光の矢>と<蘇生>の他に、中級魔法の<轟雷>、上級魔法の<審判>、それに防御魔法である<光の障壁>。
闇魔法は順に<恐怖>、<混乱>、<狂気>、それに防御魔法の<闇の障壁>、加えて回復魔法に一応は属する<損傷転換>があるそうだ。
その他に火魔法や<収束光子>、<魔法消去>を使えるらしいのだが、アスラの余りにも親切という名のしつこい説明に辟易したカミュは、正直に言って最後の方を華麗に聞き流していた。というか聞いていなかった。
「試しに、最大化した<光の矢>を撃って頂けませんか? ――バディスに」
「っな!! な、何を言って……いや、それもアリであるか?」
「いや、ナシだろ。普通に考えて」
レストエスの悪質な冗談をバディスが変態成分で超越しそうになるが、カミュに残った常識がそれを打ち消す。
恍惚とした表情のバディスには残念なことだが、この世界でも屈指の男前にSM的なプレイを強要するほどカミュは外道でも変態でもなかった。
「では、何の魔法を試されるのですか?」
「うむ、闇魔法は精神操作系のようだ。だから光魔法が良いだろう。先ずは光の上級魔法である<審判>か?」
「「おぉ……」」
アスタロトの質問に続いて、光属性の上級魔法を見たことがない配下達から揃って驚嘆の声が上がった。
その光景を見て微笑んだカミュは、右手を突き出して詠唱を始める。
「<審判>」
右手の先に現れた直径三十cmの白い魔法陣が輝きを増すと、その光は一気に魔法陣の中央へと収束する。そして魔法陣中央の光量が最大限となったその時、辺り一面が真っ白に染め上げられ静粛が彼等を包み込んだ。
やがて音の無い光だけの世界に風の音と色調が戻り始めた時、カミュの右手から魔法陣は消え去り、彼等を覆っていた世界から静粛が消え去った。
「ん?」
首を傾げながらカミュは辺りを見回すが、彼の視界には先ほどと何ら変わらぬ光景が広がっていた。
カミュに釣られて辺りを見回す配下達だったが、彼等の表情には強い困惑の色が残されている。
「あ、あの、恐れながらお聞きします。その魔法の効果とは……一体?」
皆を代弁するかのようにアスタロトから当然の質問が飛んでくる。
それを本当に聞きたいのはカミュなのだが、魔法を放った本人が被験者に聞く訳にもいかず困り果てていた。
困惑する彼等の主君を名乗るカミュは、突き出したままだった右手をおずおずと戻し、腕を組みながら記憶という名の海へ思考を沈めるのだった。
<審判>、相手の敵意に比例し多大なダメージを与える究極の光魔法。
クラス差の大きい敵に対しては即死級のダメージを与える魔法ではあるが、敵意の無いものに対しては何らダメージを与えることが出来ない、人に優しい魔法なのだ。
所謂フレンドリーファイヤーの危険が一切無い攻撃魔法なのだが、フレンドリーファイヤーを欲しがるような変態にとっては無用な配慮と言えるだろう。
「あ、あの――カミュ様?」
「ん? あぁ……今の魔法はな、敵意を待った相手を見つける探知魔法らしい。いや、なのだ。まぁこの場では無意味だったな。ハハッ、ハァ」
「そ、そういうことですか」
アスラによる魔法の講釈を思いっきり聞き流した所為で、その効果を忘れかけていたカミュが苦笑を交えてアスタロトへと説明する。そして虚しく響くカミュの掠れた笑い。
だが誰も納得し得ないと思われたカミュの説明に、質問者であるアスタロトが理解の色を見せた。レストエスとカメオウは絶対に理解していないだろうが、そもそも疑問にさえ思っていないのはその表情から明白だ。
そんな中、心地良いダメージを期待していたであろうバディスは、落胆の色を隠しきれずに身構えたまま硬直している。フルーレティは――アイマスクを付けているので良く判らない。
「で、では次行ってみるか!」
「今度は何を?」
レストエスの問いには答えず、微笑みだけを残したカミュが右手を突き出して詠唱を始める。
「<轟雷>」
右手の先に現れた直径二十cmの白い魔法陣が輝きを増すと、その光は先ほどと同じく一気に魔法陣の中央へと収束した。そして魔法陣中央の光量が最大限となったその時、辺り一面が真っ白に染め上げられ轟音が彼等を包み込んだ。
ドオォオォォン!!
「アァアあぁーーん」
轟音が耳を擘く光の世界に、やがて静粛と色調がゆっくりと戻り始める。カミュの右手からは魔法陣が消え去り、彼等が誇るテンコ盛りの生命力は大幅に削られていた。
カミュの詠唱により生じた強烈な光が、空気中の電荷を手繰りながら蛇のように配下達へと直撃したのだ。
以前カミュが言っていたことだが、電気は電圧が高い場所から低い場所へと流れる。当然、カミュの頭上にある発生源が一番高く、アースに接した彼等が一番低い。
そしてこれも当然だが雷に指向性は持たせられない。導電イオン化された軌道へプラズマを走らせる指向性エネルギー兵器なら可能だろうが、放電方向を任意に変えようと大気中のエアロゾル粒子濃度を自在に操るなど不可能なのだ。初めてこの魔法を放ったという今の彼等の主君には。
「お、お前達、大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます!」
感動に打ち震えているのか、快感に打ち震えているのか判らないが、ダメージを受けたハズのバディスが、爽やかな笑顔で意味不明な礼を述べ出した。
これに対しカミュは口には出さないものの、内心ではバディスを称賛する。流石はバディス、これぞ変態の鑑であると。
「えぇ、問題ございません」
「だ、大丈夫です」
バディスに続いてアスタロトとカメオウが無事を伝える。無言のフルーレティも口元と目線で無事を伝えてきた。無論、隠された彼女の視線を追うことは出来ないのだが。
「レ、レストエス。大丈夫か?」
未だ僅かに痙攣しているレストエスが気になり、蹲る彼女へと歩み寄ったカミュがその背中に手を添えた。
カミュの手が触れると同時に、ビクッと背中を波打たせるレストエス。
「ぉ……お……」
「お?」
カミュの問い掛けにガバッと顔を上げたレストエスが、恍惚の表情で四つん這いのまま咆える。
「おかわりお願いします!」
ガスッ!
「アン」
レストエスの心からの叫びにカミュがドン引きした直後、剥き出しの彼女のお尻へとアスタロトが強烈な蹴りを放つ。
しかし流石はレストエス。その辱めでさえ、己の糧とするべく受け入れるのだ。
「ほ、本物だな……」
「えぇ、本物の……変態でしょう」
疲れきった表情のカミュに、疲れきった表情のアスタロトが激しく同意する。
そして主従の心は通じ合う。それが良いことか悪いことかは判らない。だが目の前の涎を垂らす女性に対し、変態という共通認識を培えたことだけは間違いないだろう。
「そ、それよりもカミュ様、御身は大丈夫でしたか?」
「ん? 特にダメージは……全くないな。何故だ?」
少々焦げ跡の目立つ配下達を見回したカミュが、自身の不自然過ぎるノーダメージ状態を見ながら改めて首を傾げる。
「すんごいぶっといの当たってましたよね!」
「黙れレストエス。下品な言い方しか出来ないのなら口も股も開くな」
「ぶっといとは我輩のことであるか? まぁ自慢ではないが――」
「黙れバディス。その嫌らしい口と悍ましい目を二度と開くな!」
眉間に物凄い数の皺を寄せたアスタロトが、レストエスとバディスを窘める。
二人の酷い発言内容も気にはなるが、それを叱りつけるアスタロトの発言が悪辣だと思うのは、カミュの気の所為だろうか?
「あ……」
「止せ、アスタロト。私の未熟さが招いた私の落ち度だ」
「そ、そんな! カミュ様に落ち度などございません!」
「だから二人をもう責めるな」
「し、しかし……」
必死に取り繕うアスタロトの後ろで、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるバディスとレストエス。どうやらカミュの気の所為だったようだ。
「あの……」
「だが次は大丈夫だ」
「次、ですか?」
「うむ、<轟雷>の特性は理解した。まぁ見ていろ」
「は、はい」
小首を傾げる配下達を尻目に、カミュが遠くの岩山へと右手を翳す。
「<轟雷>」
再度カミュの右手の先に現れた直径二十cmの白い魔法陣が輝きを増し、その光が魔法陣の中央へと収束する。そして魔法陣中央の光量が最大限となったその時、極太の光の束が岩山へと向かって牙を剥いた。
ドオォオォォン!!
やがて遠方からの轟音が静まり、遠くに見えた岩山が皆の視界から消え失せた。
カミュが行ったのは、頭上と岩山を繋ぐ空間の密度をほんの少しだけ下げる、それだけのこと。そして頭上の雷は密度の低い空間を手繰って岩山へと着弾、ただそれだけのことだった。
だが配下達にはその原理が判るはずもなく、彼等の目には奇跡が起こったように映し出されていた。
「あ、あの……」
「お、お見事です。カミュ様……」
「大したことではない。だが、これで安心して使えるな」
「凄いです! カミュ様」
「凄まじい威力であるな!」
カミュの笑顔に、満面の笑みで答える配下達。
カミュは自分の予想が当たったことに満足し、配下達は主君の絶大な力に憧憬の眼差しを向けていた。ただ一人を除いて。
「あの! カミュ様!」
「ど、どうした? フルーレティ」
「お話中に割り込みまして、申し訳ございません! ですが一言だけ、よろしいでしょうか?」
寡黙な配下からの大声に驚きを隠せないアスタロトが、小首を傾げながらフルーレティへと視線を送る。
主君と主人の会話を遮ってまでの注進、只事でないのは明らかだ。
「構わん。それで?」
「先ほどのカミュ様の魔法で、馬が……」
「馬?」
カミュがバディスへと視線を移して小首を傾げた後、その視線を馬車へと向け直す。そして絶叫する。
「うまぁああぁあぁぁーー!!」
視線の先には、カミュの魔法により一撃で葬られ、その姿を灰へと変えた馬達の亡骸が残されていた。
膝が地に着く寸前で、カミュは気力だけで足腰を支える。魔族の王たる自分が、膝を地に着けるなど許される訳がない。そう心に刻み込んで。
カミュが慟哭に咽ぶ中、配下達の冷やかな視線が馬達の亡骸へと注がれる。
魔法の一撃で絶命するなど、配下として失格だ。そう言いたげな視線で。