石像
完成した橋を眺めながら、よくわからない達成感に包まれている。
何かを成し遂げた後の爽快感に心を洗われるが、だからと言ってこの橋が何の役に立つのか皆目見当がつかない。
「皆、よくやった」
「ありがとうございます」
皆を代表するかのようにバディスが一礼で応える。
バディス、レストエス、カメオウ、フルーレティの四名が石板集めに費やした時間は半刻。そしてその石板を橋へと設置し終えたのが更に半刻後のつい先ほど。たった一刻でこの長大な石橋を完成せしめたのだ。
更に驚愕すべきはバディスの変態じみた執着心。アスタロトとレストエスの帰還が遅いのを良いことに、橋の欄干作りに精を出す始末。あまりにも凝ったそのディティールは、絶句を通り越して尊敬すら覚える。
「私の予想を遥かに超えるこの品質。流石はバディスだ」
「過分なお褒めを頂き、身に余る光栄にございます」
気力だけで引き攣る頬を必死に抑えながら、バディスの過剰な仕事ぶりを言葉だけで労う。
そのバディスは気持ち悪いほどの喜悦を浮かべている。褒められて気を良くしたのだろう。本当に気持ちが悪いので、もうその辺で勘弁して欲しい。
「この橋の完成により、文明そして物流に今までになかった新しい流動が生まれよう。その結果が齎すのは発展、或いは……」
侵略の序章、そんなところか。
だが先ほどの言はただの牽強付会。何の意味もない石橋の製作理由を説明するために、取って付けただけの強引な屁理屈だ。
プラス要因を伝え士気の高揚を図るこそすれ、マイナス要因を態々伝える必要はない。屁理屈で自分の首を絞めるのは愚の骨頂だろう。
「いや、何でもない。では早速、ヒュドラをゴーレムに変えるか。アスタロト!」
「ハッ!」
八体の元ヒュドラを<重力反転>で浮かばせながら、幸福を溢れさせた凛々しい表情でアスタロトが応じる。
彼女はもうフードを被っていない。肩口へと解き放たれた銀髪が、川面を走る清涼な風に靡いている。彼女が長年に渡り愛用したであろうフードは、彼女にはもう必要ないだろう。
「フルーレティ! 仕事だ」
配下へと視線を移したアスタロトの指示を受けて、フルーレティが即座にアイマスクのような眼帯を外した。
現れたのは病的なほど白い顔に浮かぶ真っ赤な瞳。詠唱するのは<石化の神経毒>。その宝石のような瞳に刻まれた黒い十字が光を放つと、空中に浮かんだヒュドラの亡骸が色を失い硬化していく。
体感で三十秒程度だろうか? アスタロトを囲んで浮かぶヒュドラが、無意識下の抵抗虚しく完全に石化した。
「あれ? アスタロトのヅラ、石化しないね」
「カミュ様お手製だ。する訳ないだろ」
「カミュ様、流石でございます」
「……何の話だ?」
レストエスの不躾な問いかけに、憤慨気味のアスタロトが私の作だと斬り捨てる。
バディスの称賛はどうでも良いが、それよりも”ヅラ”とは何のことだろう?
「蘇生して頂いたこの美しい髪を、皆がカツラだと言うのです」
「……は?」
「え? ヅラなんでしょ?」
話が見えてこないのは、私の理解力が乏しい所為なのか。
独特の見切り線もないし自然な生え際もあるのだから、大した観察眼がなくとも本物だと判りそうなものだが……。
「……引っ張ってみれば良いんじゃないか?」
「「なるほど!」」
バディスとレストエスが声を揃えてアスタロトの頭部を凝視する。
彼等は何故こんな単純なことにも気付けなかったのだろうか? 特にレストエス、残念さが半端ないぞ。
嫌がるアスタロトを無視したレストエスが、その輝く銀髪を鷲掴みにして前後左右へと揺さ振った。
「い、痛い! もう止さぬか!」
「あれ? 抜けない。抜けないなー」
髪を執拗に引っ張られて顔を歪めるアスタロト。その加害者であるレストエスからは、嫉妬のような醜悪な悪意が漂っている。
髪を掴む美女の眼差しは獲物を狙う猛獣のような光りを放ち、愛らしい筈の口元は片方だけ口角を吊り上げた形だ。本当に悪い顔とはこの顔のことを言うのだろう。
だがレストエス、それは流石にやり過ぎだろう。ここはお笑いのライブ会場ではないのだから。
「レストエス、もう止すのだ」
言葉と右手でレストエスの蛮行を制し、生まれたばかりのアスタロトの銀髪を保護する。
頭髪の蘇生で取り戻したばかりの彼女の笑顔。それを悪戯心か嗜虐心かよく判らない悪意で引き抜かれては、折角の努力が水泡に帰すのだ。まぁ大した努力はしていないが。
二人の間に割って入り、涙目で頭頂部を抑えるアスタロトの頭を優しく撫でる。背伸びしないと彼女の頭に届かないのが、締まらない絵面の所以だろう。
「大丈夫か? アスタロト」
「はい……」
彼女の毛根が受けたダメージを心配するが、今一番心配すべきなのは彼女の心が受けたダメージだったと脳内で訂正する。
ほんの少しだけ、他人と比べて自分の視点がズレている気がするが……まぁ気のせいだろう。
そんなことを考えている間も撫で続けていると、アスタロトが顔を紅潮させて下を向いた。
「カミュ様! アスタロトだけズルいです! あたしも撫でて下さい!」
「ん? お前は何処も痛くないだろう?」
「寂し過ぎて心が痛くなってきました! 胸を撫でて下さい!」
「却下だ」
自称、心が痛いという美女が、豊満な胸を下から持ち上げ突き出してくる。
だが私の前には、彼女の他に純朴そうな少年も居るのだ。大きな瞳を輝かせて此方を伺う、レストエスとは正反対の穢れ無き少年が。
私は後ろ髪を引かれる想いで、彼女の魅力的な提案を即座に却下した。
「で、では! アスタロトに蹴られたお尻が痛いです! お尻をお願いします!」
「蹴ってなどおらんわ!」
レストエスの虚偽申告に、アスタロトが声を荒げて否定する。
というかレストエスが何故そこまで拘るのかが理解出来ない。私が撫でると何かしらの恩恵でもあるのだろうか?
そんな事はある訳がない、はず。だがその自由奔放さ、嫌いではないな。
「フフッ……まぁ尻くらいなら――」
「――だ、ダメです! それはダメなんです!」
だが、あのカメオウが私の言葉を遮ってまで、レストエスとの接触を必死に止めてきた。
主君の言を遮った所為か、配下達の視線がカメオウへと突き刺さる。特に危ないのはレストエスの視線だ。目の錯覚でなければ、彼女から吹き出すドス黒いオーラが見える。
とても空気が悪い、このまま放置するのはとても危険だろう。
「皆、止せ。……で、カメオウ。何故ダメなんだ?」
極寒の視線を投げつけている配下達を言葉と手で制し、首を縮こまらせたカメオウへと視線を戻す。
というかお前等、少年相手にその態度は少々大人気ないぞ?
「あ、アスラさんから聞いたんです。レストエスさんが触ると、カミュ様に病気が伝染るって」
「……病気?」
「は、はい。よく判らないんですけど、頭が悪くなる病気って言ってました」
「カメオウ! あんた何言ってんの!?」
何故かは判らないが、アスラの言いたいことが何となく理解出来る、ような気がする。
レストエスが悪い奴でないのは判っている。だが、これほどアグレッシブに迫られると、おじさんとしては流石に引いてしまうのだ。それにあの嗜虐性……彼女と親密になるのは時期尚早だろう。
それはさて置きレストエス、その般若のような顔が怖すぎるぞ?
「レストエス、カメオウ相手に大人気ないぞ。止さないか」
「その通り。レストエスは、心も下も大人のケがないのである」
「ば、バディスーー!!」
小首を傾げるカメオウを余所に顔を真っ赤にしたレストエスが、したり顔のバディスの頬へとコークスクリューブローを叩き込む。
華麗な放物線を描いて、後頭部から落下するバディス。そのスローモーション的なシチュエーションに、昔見たアニメの一シーンを思い出した。
しかし……レストエスはもう忘れたのだろうか? 彼女がパイパンであることなど、私は既に知っているのだ。何故なら初めて彼女と出逢った時、彼女は豪快にもノーパンだったのだから。
「あのクソゴリラ……」
怒りの収まらないレストエスが、揶揄した誰かに怒りの矛先を向けている。まぁ間違いなくアスラのことだろう。
ブツブツ「殺す」などと呪詛の言葉を吐き続けているが、物騒なので本当にもう止めて欲しい。
だがここで窘めては、彼女の怒りが収まらないだろう。まぁ仕方ない、ここはレストエスの機嫌をとっておくか。
「そう怒るな。美人が台無しだぞ?」
「え!? あ……はい」
一刻も早くこの場を収めるべくレストエスの頭を優しく撫でると、般若のようだった彼女の表情が元の美人へと豹変する。
彼女の顔に浮かんでいた怒りの赤が、別の意味で真っ赤になった。そして下を向いて静かになってします。
はぁ、本気で面倒くさい。本当にこの国は大丈夫なのだろうか? 国を支える幹部がこんなレベルとは。もしかして……患部なのか?
「さて、話が脱線したな。アスタロト、その石化したヒュドラをどうすれば良い?」
「ハッ! ところでカミュ様は……ご記憶を失われていますよね?」
「う、うむ。教えてくれると助かるのだが」
「それでは先ず、足首にあるルキフェルの璧を見せて下さい」
先ほどまでモジモジしていたアスタロトが、流れ作業のようにさっさと屈んで足首を確認し始めた。
気のせいだと思うのだが、レストエスの頭を撫でたあたりから、アスタロトの態度が冷たいような気がする。
私は少し疲れているのだろうか? 被害妄想が進むと精神汚染の度合いが高まるというが……。
やはり何処かのタイミングで、彼等とは別行動を取りリフレッシュするべきだろう。
「神器の魔力保有量は問題ありません。では、拙に続いて詠唱して下さい」
「わかった。始めてくれ」
「永久の闇に眠りし偉大なるヒエロニムスよ――」「とこしえの闇に眠りし偉大なるヒエロニムスよ――」
アスタロトの周囲に浮かぶ石化したヒュドラ達へと両手を掲げ、アスタロトに続いて必死に詠唱を開始する。
呪文の意味は何となく判るのだが……その持って回った言い方が中二的過ぎて、馴染むことが出来そうにない。
「――汝に求める我が親愛にして愚劣なる下僕に――」「――なんじに求める我が親愛にして愚劣なるしもべに――」
「――永遠の生命と忠誠を与えんことを――」「――永遠のけんりとぎむを与えんことを――」
「――<従属蘇生>!」「――<従属蘇生>!」
詠唱の終わりと共に両手が光り始める。輝きは次第に強くなりそれが目の眩む量に達すると、アスタロトの周囲に浮かんでいる石像達が、僅かながら微動を見せた。
ゴーレムの息吹を感じたアスタロトが、ゆっくりと彼等を地に落とす。
そして目を覚ましたゴーレムと私との間に、見えない何かが繋がったのを確かに感じた。
「跪け」
言葉とともにゴーレム達へと向かって思念を飛ばすと、彼等は九つある首を素直に地べたへと伏せる。言葉が通じたのか思念の指示に従ったのかは判らないが、意思疎通に問題はないだろう。
「無事、成功したようです」
「うむ。お前のお陰だな、アスタロト」
「お役に立てて光栄です。ところで、次席指揮権は誰に持たせるのでしょうか?」
「……次席指揮権?」
って何だろう? ヒュドラへの命令は、私しか出せないのだろうか?
小首を傾げる私を見て、空気を読んだアスタロトが説明を続けてくれた。
「カミュ様がお作りになられたゴーレムは、カミュ様のご指示にしか従いません。ですが指揮権を他の者にもお与えになれば、ゴーレムへの代理指示が可能となります」
「なるほど。ではゴーレム達よ、次席指揮権はアスタロトに与える。良いな?」
ゴーレム達の思念だろう、了承の意が伝わってくる。言葉ではない朧げな意思のようなものだが、解釈を間違えてはいないはずだ。
「僭越ながら拝命します。ではゴーレム達への指示をお願いします」
「では私から見て右側の四体がこの橋の両端を守れ。待機位置は欄干の外側、両側に一体づつだ。そして排除するのは橋を壊そうとする者全て、だが渡るだけの者には危害を加えるな」
ゴーレム達からの無言の了承を得て、彼等が守るべき橋を見つめる。
「では、行け」
指示を受けたゴーレム達は、迷うことなくそれぞれの持ち場へと鈍重な体を進めた。
その内の二体は対岸へと移動すべく石橋へ足を掛けるが、その巨体にもかかわらずバディス製の橋はビクともしない。
橋がたわまないことに不自然さを覚えるが、あくまでもこの世界は異世界。悩むだけ時間の無駄だろう。
「では、先へと進む……その前に、新しいコードネームだな」
「こ、こーどねーむとは何ですか? カミュ様」
「ん? あぁ、カメオウは知らなかったな。コードネームとは正体を隠すための偽名、まぁ一種の暗号だ」
小首を傾げるカメオウへコードネームを説明する。
アスタロトは瞬時に理解したようだが、カメオウとフルーレティはまだピンときていないようだ。
「正体を隠すのですか?」
「そうだ。魔国以外の国では、可能な限り正体を伏せて活動したい。だが名前がそのままでは、気付かれる可能性が高い」
「あ、そうですね。前はどんなこーどねーむだったんですか?」
「レストエスが助平、ラウフェイが格之進、バディスが八兵衛、そして私がご隠居だ」
偽名を聞いたアスタロト、カメオウ、フルーレティの三人が目を見開く。やはりこれが妥当かつ普通の反応だろう。
こんな間抜けな名前を付けられて喜ぶ奴は、感性が少々どころじゃなく疑わしいのだ。
「な……なんと素晴らしい」
(……は?)
「そ、そうですね。羨ましいです」
(本気すか?)
コードネームを伝えた直後、信じられない光景が眼前に広がる。アスタロトとカメオウが輝かせながら目を見開いているのだ。ちなみに眼帯を付け直したフルーレティの目が見開いているかは判らない。
やはりこの世界の基準では、古い名前が好まれるのだろうか? 彼等の感性が判らない……いや、違う。理解が出来ない。
だが常識とは多数決で決められるのが世の常。彼らが素晴らしいと言えば、この世界では素晴らしいものだ。私だけが、私の感性だけが可笑しいのだろう。
「そ、そうか。では新たなコードネームを発表する。先ずはカメオウ――」
配下達が発する緊張感が、目に見えない形で伝わってくる。
大した名前ではないのだから、そこまで緊張しなくても良いのだが……。
「お前は悟空|(子猿)だ。続いてバディスが悟浄(エロガッパ)、レストエスが八戒|(メス豚)、そしてアスタロトが三蔵(ハゲ)だ」
「「おぉーー」」
過去の知識と彼等の容姿とを見比べ、下らない駄洒落を放ったのだが……その言葉が彼等の異常な反応を招く。
「す、素晴らしい名前なのである!」
「だよね! ハッカイってカッコ良くない?」
「サンゾウも良い響きだわ」
やはり……彼等の感性と自分の感性を同調させることは、永遠に無理なのだろう。
「カミュ様、ありがとうございます! ちなみに、もしアスラが此処に居たら、何と名付けられるんですか?」
レストエスが小首を傾げながら、その場に居ない同輩の名を訊ねてくる。
そういえば以前もアスラへは命名していない。一応は考えているのだが、果たしてこれを言っても良いのだろうか?
「ぎゅ……」
「ぎゅ?」
「牛魔王?」
私の記憶に残る名前はもうこれしかない。そう割り切って勇気を出したのだが、その反応は常軌を逸して劇的だった。
「……え? あ、アスラにそんな素敵な名前、勿体ないです!」
「な、なんと素晴らしい名前! アスラは果報者であるな!」
「い、いや。我々が頂いた名前も、負けず劣らず素晴らしいものだわ」
もう深く考えるのは止そう。そうだ、それが良い。そうしよう。
大きな溜息をつきながら下らない決意を胸中で固めたその時、一人静かに佇んでいたフルーレティから弱々しい声が届いた。
「こ、此方には、こーどねーむを頂けないのでしょうか?」
――不味い。しっかりと忘れていた。
しかし記憶力的に不安しかない私の脳内には、有名どころがもう残っていない。
心配からか唇を固く結ぶ彼女に対して「何も考えていなかった」とは、とてもじゃないが私には言えない。であれば。
「も、勿論あるぞ。お前は……」
「ゴクリ」
「し、四天王だ」
もうヤケクソだ。
彼女の容姿に照らし合わせると、私の貧弱な記憶からはこの名前しか生まれなかった。
(許せ! フルーレティ)
そんな謝罪を無言で伝えたその時、鼻筋と口元しか見えない彼女の表情に変化が起こった。
彼女の強く結んでいた唇から固さが解けると、その口元に柔らかで艶やかな喜色が浮かび上がる。
――それで良いのか? フルーレティ。