苦悩
山と川に挟まれた僅かな範囲に留まる草原で、凶悪な表情を貼り付けた異形が馬車の前へと躍り出る。
飛び出したのは山羊の体に獅子の頭を乗せた竜の尾を持つモンスター。強靭な肉体を持ち口からは火炎を吐く全長五メートルのキマイラだ。
この猛獣の前に飛び出した人間は、例外なく一瞬のうちに駆逐される。人間の体など軽々と、その禍々しい爪で引き裂かれ、その地獄の業火で消し炭にされるのだ。
だがキマイラは凶悪な本性を晒すことなく、その短い生に終止符を打つ。
キマイラが身構えるよりも先に<三倍体化>された<旋風嵐>によって、忠告も躊躇もなく排除されたのだ。
空中へと舞い上げられる凶悪なはずのモンスター。ソレは何の抵抗も出来ぬまま可哀相なほど簡単に、汚らしい肉片へとその身を変えていった。
クライネスランドからフィードアバンへと向かう一台の馬車。漆黒に染まる客車は質素ながらも豪奢な飾りを要所に散らし、道無き道を疾駆する車輪はその悪路を物ともしない。
御者台で手綱を引くのは黒の詰襟に白い手袋をはめた白髪の男性。名はカール。黒い瞳の鷹の目は進行方向を捉えて離さない。
馬車を牽くのは二頭の馬、のような生体反応のない生物。名はバイコーン。元は二角獣の魔国製ゴーレムだ。
「ナイスキャッチ!」
馬車は止まることなく東進を続ける。
肉片の中から現れたのは直径六十cmの魔石。それをキャッチしたのは御者台に座る女性。
カールの横で余裕を見せるのは、茶色の髪をショートカットに揃え、アクアマリンの瞳を元気よく輝かせる修羅道に属する魔族。その名はバチ。モンスターの排除要員として御者台に腰を下ろす彼女だったが、現れる敵は全てバイコーンの風魔法により駆逐されていた。
「ひーまー。ねぇカール、なんか面白い話ないの?」
「面白い話、でしょうか?」
「そう、とっておきの話」
「はぁ……」
眉根を寄せたカールが、無茶ぶりへの対応に苦悩する。面白い話など真面目な彼に言える筈もない。要求自体が間違っているのだが、彼は立場上その意向を蔑ろにすることは出来なかった。
「ベンヌ様やラゴ様が居られる、客車の中へと移動されては如何でしょうか?」
「あんたを守れって言われてるのに、勝手に中へ戻ったら叱られるでしょ?」
「その通りですが……」
「もう、なんかあるでしょ?」
眉間に皺を寄せたカールが、呻き声を上げながら苦悩に喘ぐ。絵心の無い人間に絵を描かせる、音痴の人間に歌を歌わせる、それと同じなのだろう。カールは耐え難い苦痛を感じていた。
「それよりも何故、お顔を仮面で隠されているのでしょうか?」
「あぁー、これ? アスラ様からのご指示なの」
「折角の美貌が、勿体ないと思いまして」
「まぁそうなんだけど、仕方ないよね。それよりカール、話はないの?」
話題を変えるためにカールが放ったキラーパスは、鉄壁のディフェンスを誇るバチに弾かれる。
それにしても、美人であることをあっさり肯定する彼女に、カールは驚きを隠せない。彼女の強い意思と心臓にカールは末恐ろしいものを感じたが、彼の安全保障上それ以上を口にすることは出来なかった。
「では、お粗末ではありますが、他愛のない話を一つ」
「お! 何々?」
「あるところに一組の若い男女が居りました。二人は非常に愛し合っておりましたが、彼らの家がその交際を認てくれませんでした」
「ほぉほぉ。よくある話だよね」
カールにとっては本当に下らない話なのだが、暇を持て余したバチは興味津々で食いついてくる。
「家の事情で引き裂かれることを恐れた二人は、お互いの決意を確かめた上で、人目を忍んで駆け落ちしました」
「ふむふむ」
「しかし勢いに任せて飛び出した二人を待っていたのは厳しい現実。金も仕事も寄る辺さえもない二人は次第に困窮に喘ぎ、やがて幸せへと至る目標すら見失ってしまいます」
「あぁー。計画性は必要だよね」
腕組みしたバチがうんうんと頷く。彼女も同じような経験があるのだろうか? したり顔のバチに対し疑問を浮かべるカール。だが今ここで話の腰を折るのは彼女の機嫌を損ねかない愚行、そう判断した彼は話の続行を決断する。
「途方に暮れた二人は生きる希望を失い、とうとう心中を決意します」
「ちょっと短絡的じゃない?」
「そう思います。しかし困窮した彼等には、それが唯一の残された道に見えたのでしょう。彼等は手を繋いで断崖絶壁へと向かい、その淵で見つめ合いながら立ち尽くします。暫くして視線を逸らした二人は強く抱き締め合うと、もう二度と逢うことのない口付けを交わすのでした。そして……」
「そして!?」
バチの食い付き方が半端ない。やはり女性はこの手の話が好きなのだろうか。
カールはヲチへと向かって鋭くアクセルを踏み抜いた。
「二人は若いその身を崖下へと投げ捨てました。あの世で結ばれるはずの二人、しかし運命は二人を引き裂きます」
バチはカールを凝視したまま微動だにしない。
「女は想いのままに旅立ちましたが、男は女の元へと至ることが出来ませんでした。何故なら、男は死にきれなかったのです」
「なんで!?」
「彼は最後の瞬間まで男だったからです。そう、彼は偶々ツイていたのです」
「たまたま……?」
眉根を寄せて小首を傾げるバチ。彼女が理解し得ていないことは一目瞭然だ。
だからカールはより詳しく説明をする。
「はい、タマタマがついていたのです」
「……もしかして、それって股間あたりに?」
バチの質問に対し、正解と言わんばかりのぎこちない笑顔をカールが見せる。彼にとっては会心の出来だったのだろう。
だが評価とは他人が下すもの。彼の渾身の力作が彼女の心を揺るがすことはなかった。
「なんか寒くなってきたね」
「……申し訳御座いません」
悲哀を湛えた目でカールを見つめるバチ。
黒い瞳の鷹の目を彼女から逸らし、カールは進行方向を捉えて離さない。
フィードアバンまでは道半ば。風邪などひかぬよう、カールには身も心も温めて欲しいところだ。
六畳ほどの部屋に配置された、向かい合う一対のソファー。寛ぐのは一人の幼女と三人の少女。
微振動が伝わる部屋には仄かな灯りと微かな香りが満ち、少女達の疲れた心に安息を齎している。
ここは御者台に接続された客車の中。空間操作により拡張された異質の空間だ。
「外が静かになったかしら」
「そのようですね。モンスターの襲撃が終わったのかもしれません」
先ほどまで聞こえていた衝撃音と会話が止み、室外と室内が静粛に包まれる。
訝しむのはトリコロールの華麗なドレスに身を包む、涼し気な目を深紅に染めた美幼女、ベンヌ・オシリス。
向かい合うのは、ブロンドの髪をクラウンハーフアップで纏めたラゴ、前が黒、後ろがブロンドの髪をポニーテールに纏めるキャラケンダ、そしてピンクの髪をツインテールに纏め、その根元をリボンであしらうビマシタラの三人だ。
「襲ってくれた方が魔石は貯まるかしら。それにしても……」
ラゴの憶測に適当な相槌を打ったベンヌが、向かい合う三人の女性を無遠慮に見つめた。
「お前達は何故、そんな素っ頓狂な仮面を被っているかしら?」
「アスラ様のご命令です」
被りたくて被っている訳ではない。そんな想いが口数の少なさへと繋がってしまっているラゴ。
「ふーん。頭のおかしい主人を持つと、大変なのよ」
「いえ、そんなことはございません」
貴女ほどではない、そう口に出そうとしたラゴだったが、彼女の安全保障上それ以上を口にすることは出来なかった。
「まぁ良いかしら。ところで……」
仮面への興味を無くしたベンヌが、一旦ラゴから視線を切ると、改めて彼女へと視線を向ける。
「わらわがフィードアバンへ着いたら、お前達はカミュ様の元へ行くかしら?」
「は、はい。そういうご命令を受けております」
不機嫌さをまるで隠さない幼女が、目の前に座った少女を目力だけで圧迫する。
ラゴ達がフィードアバンへ向かうのは主君の命令によるもの。自分が選ばれない状況に不満が無い訳ではないが、それは決して口には出せないことだった。
だが不満がその幼い顔へと出てしまうのは、彼女の性格上致し方のないことだろう。
「ハァ……。羨ましいのよ。妬ましいかしら」
「そうは言われましても……」
ベンヌの愚痴に、困り顔のラゴが眉根を寄せて眉を下げる。そんなことを自分に言われても困る、そんな表情だろう。
一方のキャラケンダは無表情でただ前だけを見つめる。逆隣のビマシタラは興味なさげに外の景色を眺めていた。
そう、ベンヌの相手をしているのはラゴ只一人。残り二名は我関せずを貫いている。ちなみに、この状況を予想し事前に避難していたのが御者台に居るバチだった。
「あぁー、わらわも一緒に行き……ん? そうなのよ!」
「……はぁ?」
「流石はわらわ、良いこと考えたかしら」
「一応、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
劇的に表情を変えたベンヌが、突如として意味不明な自画自賛を始めた。見方を変えれば頭の湧いた危ない人、だが彼女の持つ幼い容姿がその邪推を辛うじてブロックしていた。
何を思い付いたのかは判らない。放っておくのが最良の処置。しかしラゴはその生真面目な性格故に、止せば良いのに気を遣ってしまう。
「わらわとキャラケンダの服を交換するのよ」
「……。」
「それで、キャラケンダがフィードアバンに残るかしら」
「無理」
無言を貫くラゴの横で、無表情のキャラケンダがバッサリと斬り捨てる。
だが彼女が言うことも尤もなのだ。キャラケンダの身長は百六十cm、彼女の服が百三十cmのベンヌにフィットすることはない。まぁ本件はそれ以前の問題ではあるのだが。
そんな彼女をジト目で睨むと、ベンヌは逆隣に座るもう一人の我関せずへと視線を移した。
「むぅ……それならビマシタラ、お前なのよ」
「え? なんですかぁ、ベンヌ様」
「わらわと服を交換するかしら」
「えぇー、なんでですかぁ? って言うか、無理ですぅ」
ビマシタラの甘ったるい声が、余裕のないベンヌの癇に障る。
閉じた魔鉱扇をビマシタラへ突き出そうとした瞬間、悲壮感を漂わせるラゴの視線を感じてベンヌは動きを止めた。
今、問題を起こす訳にはいかない。彼女達はこれから主君の下へと赴く身。癇癪を起したなどと余計なことを言われては、今後の永久就職活動に支障を来たし兼ねないのだ。
「フゥ……で、何故なのよ?」
大きく一息ついたベンヌが、不機嫌さをまるで隠さずビマシタラへと問いかける。
「だってぇ、ベンヌ様は小さいじゃないですかぁ」
「背丈が足りないのは、ヒールで何とかするかしら!」
「そうじゃなくてぇ、胸とかお尻とかブカブカで――」
「――はぁ!? ぶっ殺す!!」
溢れ出す殺意とともに魔鉱扇を突き出したベンヌが、永遠の眠りへと誘う凶悪な視線をビマシタラに向ける。
先ほどまでの少女愛好家を魅了する愛らしい表情は一変し、極寒の殺気をベンヌが放ち室内を満たす。
だがその強烈な暴威がビマシタラを襲うことはなかった。既の所でラゴが身を挺して止めたのだ。
「ベ、ベンヌ様! お待ち下さい!」
「ラゴ、離すかしら!」
「そうではございません! ベンヌ様はスタイルが良いのです! 素敵なのです!」
「は?」
ラゴの言い放った奇妙な説明が、ベンヌの理解を光速で追い抜く。
簡潔に言えば意味不明、より詳しく言えば理解不能。その激しいギャップがベンヌの凶行を辛うじて止めていた。
「ビマシタラは自分が太っていると、だから服のサイズが合わない、そう言いたかったのです!」
「……え? あ、そ、そうなのよ? そういうことかしら」
ベンヌの表情から怒りの色が消えたことを確認し、ラゴが安堵の一息をつく。
一方のベンヌはビマシタラの発した一言が、何故ラゴの説明に繋がるのか理解し得ていない。だがラゴの言は理に適っている、自分は素敵なのだ。それ以外に何かあるだろうか? いや無い! と自己完結したベンヌが、これ以上の追究を容量不足の脳内から一瞬にして忘却した。
そして何故太っていると言われたのか判らず首を傾げるビマシタラ。いまいち納得のいかない彼女ではあったが、ラゴの必死な形相に思い留まったのか、それ以上を口にすることは無かった。
「そ、そうです。魅惑のスレンダーボディであるベンヌ様に、ビマシタラの服など合う筈がございません!」
「ま、まぁ当然なのよ。でも残念かしら、良い案だと思ったのに」
「ベンヌ様の想いは私めが必ずや、カミュ様へとお伝えします」
「そう? そうかしら。カミュ様のご判断は必要なのよ」
彼女が単純で本当に助かったと胸を撫で下ろすラゴ。単純なのは非常に良いことだと彼女は痛感する。
「その通りかと。ベンヌ様にはフィードアバンで英気を養って頂き、その美貌により磨きをかけて頂ければと思います」
「ラゴの言うことは尤もなのよ。カミュ様には最高のわらわをお見せするかしら」
「はい、それがよろしいかと。ベンヌ様の魅力でカミュ様を悩殺いたしましょう」
「フフ……ウフフ。それが良いかしら」
勝手な妄想に耽るベンヌが、気持ち悪い笑みで気持ちの悪い笑い声を洩らす。
あとはこのまま終わりのない妄想の旅へと出発して欲しいところ。だが彼女の性格上それは叶うことなき儚い希望。
ひとしきりニタニタと締まりのない顔を披露したベンヌが、急に真剣な面持ちでラゴを見つめた。
「でも思うのかしら。カミュ様はわらわと直ぐに会いたいはずなのよ」
「ですからベンヌ様、それは――」
フィードアバンまでは未だ道半ば。ラゴの苦悩は今始まったばかりだ。
ラウフェイは空を飛ぶ、南南東を目指し只管に。
目指すは連合王国の鉱山都市であるボガーデン。おそらくだがドワーフ王のサーシャは現在此処に居ると推測されたからだ。
流れる景色を見ながらラウフェイは銀剣と想像の主君を見比べる。
「カミュ様お手製の一品……儂が戴きたいくらいじゃ」
彼女は不満を募らせていた。主君のお手製など滅多に戴けるものではない。もしこの銀剣を下賜されようものなら、上はロードマスターから下はメイド隊まで、すべてのカミュ様配下に自慢が出来るというもの。
これが自分のものなら、この”ミスリル”という見たことも聞いたこともない、不思議な銀剣が自分のものだったら……”これでもか!”と見せびらかしながら、イクアノクシャル城内を練り歩いてやるのに。
だがその可能性は既に断たれていた。鉱石を出させた後でドワーフを皆殺しにし、この銀剣を自分のものとする妙案は、主君の発した「殺すな」の一言により頓挫していた。
「ドワーフ如きに……」
ラウフェイは大きな溜息を一つだけつくと、名残惜しそうに銀剣を魔法の鞄へと仕舞った。
『――ラウフェイ、カミュ様のご様子はどうなのよ?』
『ベンヌ様……儂は現在、カミュ様とは別行動ですじゃ』
突然の主人からの念話、もう既に何度目だろう。ラウフェイは主人に聞こえぬよう、脳内で嘆息する。
『別行動? お前は何をしているかしら?』
『カミュ様のご命令で、ドワーフの所へ向かってますのじゃ』
『ふーん。それでカミュ様のご様子はどうなのよ?』
『……ハァ』
何故か主人との会話が噛み合わない。だがここで同じ答えを繰り返しては只の無能。そして主人から叱責されかねない愚行なのだ。
『カミュ様は、とてもお優しくなられた』
『ほぉ! 何があったかしら?』
『はい、儂のためにメモを取って下さったのじゃ』
『め、メモ!? それは……お優しいのよ』
ラウフェイは先ほどの光景を思い出す。読むことは出来なかったが、主君が自分のためだけにメモを取って下さったのだ。
その自分が受けた感激を言い表すことなど不可能であり、その主君の劇的な変化を伝えきることなど不可能だった。
残念ながらメモはアスタロトに取られてしまったが、機会を待てばまた書いて貰えるかもしれない。
『それに、倒れた配下を介抱されていたのじゃ……』
『解放? 誰か誅されたのかしら?』
思わず呟いた呻きが、ベンヌへと念話で伝わってしまった。
だが流石は我が主人とラウフェイは思う。”介抱”を”解放”へと脳内で誤変換し、殺害へと繋ぎきるのは天が与えた才能だろう。
『いえ、そうではなく世話をするほうの介抱ですじゃ』
『あぁ、なるほ……ど!? だ、誰をなのよ!?』
『倒れたフルーレティを、膝枕で介抱なされていたのじゃ』
『な、何それ、羨ましい!! ――あ? 何でもないかしら! 今ラウフェイと念話中なのよ!』
驚愕に包まれたベンヌが絶叫を上げる。おそらくだが声に出して絶叫したのだろう。周りに居るものと会話をしているようだが、その会話がラウフェイにも念話で聞こえてくるのだ。
だが主人の驚愕は当然だろう。あの場に居た配下全てが、そのお優しさに驚きを隠せなかったのだから。
念話を介した混線はまだ続いている。何となくだが、主人の隣に居るのはラゴ、ラウフェイはそう思った。何故なら隣に居るであろう人物が、主人の殺戮衝動を必死に宥めているのだ。
『ベンヌ様、一つだけよろしいですかな?』
『――だから!! わらわが……ん? 何なのよ?』
『フルーレティへの制裁は、主君の命で禁じられてますのじゃ』
『……え? それなら仕方ないかしら。また連絡するのよ!』
一方的に念話を切られ、ラウフェイの脳内に静粛が戻る。台風一過、正にそんな精神状態のラウフェイ。
ボガーデンまでは未だ道半ば。ラウフェイとラゴの苦悩は今始まったばかりだ。




