治療
「レストエス、言うのが遅くなったけど、貴女に会いに来たのはルシファー様のダメージを回復して貰うためなの。魔力は私の魔法で多少回復して頂いたけど……、私は回復魔法を使えないから」
アスラは思い出したかのようにレストエスへ伝える。決して忘れてはいなかったのだが、先ほどのレストエスの失態で言い出すタイミングを掴めなかったのだ。
自分が癒せないことに無念の表情を浮かべながら、アスラはレストエスへ依頼する。本当は自分で回復したかったのだろうが、攻撃特化であるアスラは回復魔法が使えないのだ。
回復魔法は使えないのに魔力を回復させた、一見矛盾する話だが、これは個々が持つ魔法属性に由来している。
アスラのメイン属性は火であるが、同時に土属性の適正を持つ属性上位者だ。火属性には自分の魔力を他人へ譲渡する魔法<譲渡>があり、相手と一部でも体が接触していれば属性を問わず魔力譲渡が可能なのだ。
ただし土属性の適正はあるが、土属性の魔法を使える訳ではない。土属性の素質を持つことで、より上位の魔法が使用可能になる。アスラの上位魔法は<火山弾>。逆に土メインで火の適正があれば<爆裂>が使える。
また、スキルは戦闘中の使用制限があるが、魔法は魔力が続く限り何度でも詠唱が可能だ。攻撃特化の固有スキルより威力の劣る上位魔法だが、連射性能で固有スキルの威力に迫ることも可能だ。
「……ダメージ? ルシファー様はあたしの回復が必要な程、ダメージをお受けになったの?」
思わずアスラを睨むレストエス。アスラに非がない事はわかっているのだが、主君が強いダメージを受けたことに深い憤りを覚えたのだ。
そんな彼女の胸の内を察したアスラは、当惑することなく眉根を寄せて静かに答えた。
「そのようね。ルシファー様の体力と魔力を私が量った限りでは、ほぼ空の状態だったわ。本当にお労しい……。そのダメージを与えた腐れ勇者に罰を与えたかったけど、消滅したようだから仕様がないわね」
肩を竦めることで諦観を示すアスラを、レストエスは怒気の抜けた顔で見つめる。レストエスも相応の報復が必要だと考えていたが、アスラの言葉で少しだけ怒気が晴れた。
死んでいないのであれば死を齎すことが、死んでいるのであれば死体を辱めることが可能だが、消滅したのでは何も出来ない、そう割り切れたからだ。
「じゃあ、仕方ないわ。ではルシファー様、回復を……ん? アスラ、さっきルシファー様の体力と魔力を量ったと言わなかった?」
レストエスの顔に抜けたはずの怒気が再び戻る。ルシファーには普通の会話に聞こえたのだが、何が問題なのか全くわからない。ただこれまでの経験上、女性同士の険悪な話し合いに首を突っ込むと、碌な目に合わないことだけは理解していた。
ルシファーが静観する中、アスラは悪びれることなく話を続ける。
「ええ、量らせて頂いたわ。だってそうでしょ? 大変危険な目に遭われたのだもの。直ぐにお体を調べるのは配下として当然のことだわ!」
「……ルシファー様に意識があって、それでご許可を頂いたの?」
「ルシファー様は昏睡状態で意識がなかったわ。だから急いでお調べしたのよ。理解出来たかしら?」
勝ち誇ったような、鬼の首でも取ったかのような顔でアスラが言い放つ。無論アスラであれば問題無く鬼の首を取れるのだが。
レストエスの居る方から「ぐぎぎ」と歯軋りのような音が聞こえた気がするが、これも気のせいだろう。
この世界の魔法は体の奥底、丹田に貯蔵された魔力を使い、体外で具現化することにより発動する。つまり魔力の残量を量るには少なくとも相手の丹田、つまりお腹の部分が露出していなければならない。有り体に言えば”上半身裸”である。
眉間に皺を寄せたレストエスが、ぎこちない所作で振り返り、いつもより少し低いトーンでルシファーに提案する。
「で、でわ……あたしも回復を始めます。接触する必要がありますので、お体に触れることお許しください」
回復の仕方をさりげなく教えてくれるレストエスだが、ルシファーは困惑する。触れると言うが、一体どの部分にどう触れられるのかわからないのだ。
わざわざ断りを入れるくらいだから、軽い接触ではないのだろう。かと言って、アスラがしていたような裸の抱擁は全く違う気がする。
暫く悩んだルシファーは、日本人特有の結論を出す。そう、困った時は間を取れば良いのだ。
握手と裸の抱擁の中間、丁度良いのは服を着たままでのハグ。そう結論付けたルシファーは、両手を広げてレストエスを待った。
一瞬目が丸くなるレストエスだったが、何事も無かったように眉間の皺を解除すると、両手を広げ、至福の表情でルシファーをおずおずと抱き締めた。
「し、失礼いたします……<大治癒>」
レストエスの詠唱終了と同時にルシファーの体が淡く光る。体を包む光が数秒後に終息すると、ルシファーの体に劇的な変化が訪れた。
変化と言っても見た目が変わった訳ではない。ルシファーが持つ目に見えない本来の力が、体の奥底から絶えることなく湧き出してくるのだ。
アスラほどではないだろうが、自分もそこそこ強いのでは? と益体もないことを考えたルシファーが、暫くしてまだ礼を言っていないことに気付く。
「こ、これが本来の私か……。それにしても凄いなレストエス、ありがとう。凄い回復力だ」
回復程度で褒められたことにレストエスは驚くが、驚きでこの密着状態を解除するにはまだ早い。早過ぎるのだ。欲望渦巻く顔に締まりの無さをブレンドしたレストエスが、勝ち誇るようにアスラを見返した。
ルシファーの後ろ、自分の目の前に立つ女は、額に青筋を立て口の端を上げながら怒りを露わにする。残り二面も飛び出しそうな勢いだ。 だがあくまで敬愛する主君の前、声を荒げるなど出来ようはずがない。
そんなレストエスの予測を他所に深呼吸したアスラが、いつもより少し低いトーンでレストエスを注意する。
「何時まで抱き合っているの? ルシファー様がお疲れになるでしょ? 離れなさい……レストエス!!」
アスラの絶叫にルシファーは遅まきながら気付く。白昼堂々美女と抱き合い続けるなど、注意されるまでもない破廉恥な行為だ。自分の軽率な行動を反省しつつレストエスから離れた。
「あ……」
「いつまでも抱き付いて、すまなかったなレストエス。だが助かったぞ」
レストエスの肩に手を置き、笑顔で感謝を告げるルシファー。告げられたレストエスは悲しそうな微笑みで頷くと、もの凄い形相でアスラを睨む。……何故だ?
レストエスが使用したのは魔法ではなく固有スキルだ。風属性の回復魔法である<治癒>は外傷を癒すだけだが、レストエスが持つスキル<大治癒>は外傷治癒は勿論、体力すら回復する優れものだ。
その効果は瀕死の状態からでも全快させるほどで、この世界の回復魔法では並ぶものがない高性能だ。しかしながら当然欠点もある。使用回数の制限が厳しいのだ。
使用限度は一日二回のみ。アスラの頼みがもしアスラの回復だったら即座に断っていただろう。好きか嫌いかは別として。