永遠
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青い薔薇。
藍華の髪を飾る花は今、質素な室内を明るく照らし出していた。その花には、雨帝の手が触れている。雨帝は目を大きく見開き、そのまま硬直した。僕たちも一緒になって硬直する。何が起きているのか、分からなかった。藍華に至っては真顔のまま硬直している。これまで多くの不思議なことに遭遇してきたが、それでもやはり、驚いた。その花は、僕たちにとってとても大きな意味を持っていた。
「青い、薔薇。花言葉は奇跡」
呪文を唱えるように、藍華がぽつりと呟いた。もう一つの花言葉は、言わなかった。
「うん……大丈夫だね。あたしは、もう、立ち止まったりしないよ。だから」
彼女は薔薇に語りかける。その声はとても優しく、けれどどこか憂いを帯びていた。ただ優しいだけではないその声は、第一印象とは少し違っている。第一印象といっても、それは現実で会った印象のことだ。病院で会った彼女は、なんだか浮き雲のようで、放っておいたらどこかに消えてしまいそうな危うさがあった。その危うさが、今の彼女にはない。もちろん、根本的な部分は何も変わっていない。誰かが傍にいないとなんだか心配だし、彼女の笑顔は今でも向日葵のように明るいままだ。それでもやはり、どこか印象が違って聞こえた。
彼女は空気を大きく吸い込むと、ゆっくり吐き出した。そして、そっと青い薔薇に触れる。その指が花に触れていたのは、ほんの数秒だけだった。
「さよなら。……またね」
その言葉が、鍵だったのかもしれない。
青い薔薇の花園は、竜巻のような風を起こして、そのまま半透明になって消えていった。巻き上げられた花々が宙を舞う。花はやがて二本の筋となり、一本の道を作り出した。道はほのかに光を放ち、僕たちを迎える。雨帝は、手のひらに乗った花びらを握りしめていた。
「……行こう。きっとこの先に出口があるよ」
「そうですね。……行きましょう」
花を踏まないよう慎重に、僕たちは歩き出した。藍華は僕たちより先を歩いている。背中からは、彼女が何を考えているのかは分からなかった。しかし、弾んだ足取りを見る限り、落ち込んでいる様子はない。そのことに安心しつつ、僕は自分が過保護になっていることを自覚した。藍華の内面が幼くなっていたときの名残だろうか。それとも、先ほどまでの藍華に対する心配が残っているのか——未だに彼女が心配だった。
それからしばらく、会話がなくなった。何度かなにか言おうと思ったが、その度に何も言えずに口を閉ざした。
いくら歩いても道だけが続き、辟易しはじめた頃、僕はようやく会話の糸口を見つけた。考えたくはないが、今別れたら次いつ雨帝に会えるか分からない。気になっていることは今聞くしかないだろう。そう思うと、僕はすぐに覚悟を決めた。
「あのさ、雨帝。僕、ずっと気になってたことがあるんだけど……」
「おや、なんですか?」
雨帝はちょっと振り抜いて首を傾げた。藍華も歩く速度を落としてこちらを見た。
「雨帝って本当にはじめ、あれしか知らなかったのかい?」
「ああ、それ、あたしも気になってた!」
僕の問いに、藍華は振り返って人差し指を立てた。腰に手を当てて少しかがんだ姿勢で雨帝を上目遣いに見上げる。
「ああ、えっと、それはですねぇ……」
雨帝は苦笑いを浮かべて頬を掻くと、居心地悪そうにこちらをちらりと見た。すぐに視線を外し、空を見つめる。藍華はそんな雨帝を疑うような目でじっと見つめていた。すると、観念したのか大きなため息をついてこちらを見た。その動きはなんだかコミカルだ。
「混乱させてしまうかと思って、いくつか情報を伏せてたのと、あとは、聞かれなかったので別にいいかと思っていたのがいくつか……あります、ね。まあ、その情報というのは、攪乱のために閏年計画が作ったデマだったみたいですけど」
「雨帝……」
雨帝の言葉に、今度は藍華が大きなため息をつく。なんというか、力の抜ける答えだ。前者には一理あるが、後者はなんというか、抜けている。なにより、これ以上のことは知らない、という言葉が嘘だったことがショックだった。閏年計画が雨帝に嘘の情報を教えていたのも驚きだ。ともあれ、雨帝の判断が正しかったこともまた事実だ。責める道理もないだろう。
「まぁ、確かにあの時は藍華が子供の状態だったし、僕も混乱していたから、あまり多くのことを言われても理解が及ばなかったかもしれないね」
様々な問題に目をつむりつつ、とりあえず言える限りのフォローをする。以前とは力関係が逆転しているようだ。今では藍華が一番強いような気がする。はじめから、ある意味では藍華は僕より強かった気がしないでもないが、それでも一番強いのは雨帝だった。それがなぜか、完璧に逆転していた。
雨帝が人間らしくなったからだろうかと考えて、微笑ましくなる。
「さすが潤、理解が早くて助かりま……」
「でも、嘘はいけないね」
僕の言葉に、雨帝の表情が固まった。肩を落としてため息をつきながら、やれやれというように額を押さえた。なんだか悪いことをしてしまったようで心苦しい。良心の呵責というものだろうか、あるいはいつもは余裕そうにしている雨帝がしおらしくしているせいか——なんだか不思議な感覚だった。
そんな僕たちを見ていた藍華が、小さな笑い声を上げた。雨帝と一緒になって藍華を見つめる。
「藍華、どうしたの?」
「ううん、ただ、なんか、潤が雨帝のこと叱ってるのが珍しくって。潤、男らしくなったね」
それはつまり、前は女々しかったということだろうかと考えたが、口には出さなかった。こういうことがあまり気にならなくなったのも、一種の成長かもしれない。
「あ、そういえばさ。さっき言ってた約束って、なんだったの?」
藍華は不思議そうな顔をして訊ねると、僕と雨帝の顔を交互に見比べた。今度は僕と雨帝が顔を見合わせる。
「それはまぁ、なんていうか、僕と雨帝の秘密っていうか……ねぇ雨帝」
「こればっかりは藍華にもお教えできませんね、潤」
薄笑いを浮かべて話を振ると、雨帝も一緒に悪戯っぽい笑顔で頷いた。藍華は頬を膨らませて僕たちを見つめる。先ほどまでの緊張が嘘のようだ。脅威が去ったことを改めて実感する。できればこの時間が、ずっと続くことを願った。
「もう……あたしの知らないうちになんか仲良くなってるしー。ずるいー! あたしも混ぜてよ」
藍華は拗ねた口調で抗議すると、僕と雨帝の間に割って入った。そして、手をつないで誇らしげに胸を張った。
「ふっふーん。これでいいねっ」
彼女は澄ました顔で言うと、そのまま歩き出した。僕と雨帝も、手を引かれて歩き出す。今度は、三人並んでいた。
ここから出るための扉を探して。
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