遊戯
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「新しい夢?」
「うん」
少しだけ元気が戻ってきた藍華が照れくさそうに小さく頷く。新しい夢とはどんなことだろう。期待に胸を膨らませる僕に、藍華は目を細めて静かに微笑んだ。
「あたし、雨帝みたいになりたいの」
彼女は笑っている。ただ純粋に、夢を追い求める子供のような無邪気な笑顔を浮かべている。それが嬉しいのと同時に、彼女の夢に共感を覚える。
「ああいうかっこいい人って、憧れちゃうよね。何かこう、頼れる上司! って感じでさ。たまに冗談なんか言ったりもして。余裕があるっていうか……。そういう人になりたいって、思うのよね」
誇らしげな様子で藍華が語りだす。頼れる上司、という表現はまさにその通りだと思った。苦しいときには自分が疲れた振りをして休ませてくれる。緊張の糸が張りつめているときには軽いジョークを交えて話してくれる。そういう雨帝の気遣いが僕らを支えてくれていた。分かっていてもなかなかやることができない手前、それを自然にできる雨帝が羨ましかった。
今では羨望は、目標になっていた。
「あぁ、それ分かる。なんかこう、傍から見てると近寄りがたい感じなのに、話してみてると面白かった……みたいな。親近感がわくっていうか、あんまり気を張らずに話せるから楽なんだよね」
「そうそう! そういうとこ凄いなって思うよね。分かっててもなかなかできないもん」
意識してもできないことができるというのは確かに羨ましい。自分の理想の姿に少しでも近づくために、そういった場面での行動力は必要だと僕は常々感じていた。
「……僕たち、本当に雨帝に頼りきりだったんだね。——いなくなってみて、初めて気づいた」
「あたしも。だからやっぱり、今回はあたしたちが雨帝を助けたい。助けられてばっかりは、なんて言うか……むず痒いよ」
藍華が少し寂しそうな表情を浮かべる。頼ってばかりは確かにもどかしい。少しぐらいは頼ってほしいと思っていても、あの状況でそれを言い出すのはあまりに無謀だ。頼られた所で、あのときの僕らに何ができるわけでもない。何か手助けがしたいのに自分の力が及ばないというのがいかに苦痛か、あのとき初めて分かった。頼られる側の苦痛、とでも言うべきだろうか。それを背負う覚悟と力量が、あの時の僕らには不足していた。
しかし、今は違う。
「うん、僕もそう思う。藍華、絶対に助けようね。どんな困難も、苦悩だってあると思う。だけど、僕らは一人じゃない。苦しい時はお互いを頼っていこう。頼むから、一人で無理するのだけはよしてくれ。いい?」
「はーい。ふふっ、潤ってばお母さんみたい。でも、大丈夫。一人で無理なんかしないよ。だって、あたしは一人じゃない。潤も……雨帝だっているんだから!」
藍華が拳を握り締めて両手でガッツポーズをする。表情は誇らしげで、前の藍華からは想像もつかないほどにやる気に満ちあふれていた。
「やる気満々だね、藍華。——よっ……し、それじゃ、休むのはここら辺にして何かヒントでも探しにいこうか。藍華、立てる? 僕、もう足が痺れちゃって」
スカートと格闘している藍華に手を差し伸べる。いくらこのあたりに瓦礫が少ないと言ってもそれは悲惨な周囲と比較しての話だ。普通に考えたら十分危険だろう。
「えへへ……ありがと」
藍華は青いバラを握っているのとは逆の手で僕の手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。少しふらつき気味だが、一人で歩けないほどではなさそうだ。藍華と顔を見合わせてから僕はそっと手を離した。藍華はバラをじっと見つめている。
「それ、どうしようか? 持ち歩く? それとも、髪飾りみたいに改造する?」
「改造……いいね、それ! えへへ……改造かぁ。潤、言葉選び面白いね。でも、どうするの? ピンなら持ってるけど……」
藍華がバラの花弁をつつきながら言う。言ってはみたものの、髪飾りの作り方が分からない。どうしようかと考えていると、藍華が何か思いついたように表情を輝かせた。
「ねぇ、これ、茎をこの辺で折っちゃってさ、耳の上の……この辺でピンで留めたらかわいんじゃないかな?」
そう言いながら藍華が僕の頭に手を伸ばす。一瞬何をしようとしているのか分からなかった。しかし、すぐに僕の髪にバラをつけようとしているのだと気づき咄嗟に受け身の姿勢をとった。それでも藍華は執拗に追撃を仕掛けてくる。
「ちょ、待っ、違うから、僕につけようとしないで!」
「えー、いいじゃない別に。潤のケチー」
「ケチでいいから、やめてくれ!」
藍華が唇を尖らせる。そしてしょうがないとでも言うように意地悪く笑って首を振り、自分の髪にバラをピンで留めた。
「冗談だよー。もー、潤ってば慌て過ぎ。面白いねぇー」
「面白がるなよ……もう」
藍華に元気が戻ったようで、僕は安堵の溜息を漏らした。正直、藍華が元気でいてくれなかったら僕の心も折れているところだった。
「ねぇ、潤。あたしたちで奇跡を起こそう。どんなことがあっても、諦めたらだめだからね」
最後の言葉は、かつての僕と、かつての藍華に向けられたものか。
それとも、僕たちを逃がした時の、雨帝への言葉だろうか。
「そうだね、僕たち、ここまで来たんだ。絶対に雨帝を助ける——助けられるよ!」
「行こう潤! きっとハッピーエンドはすぐそこよ!」
そう言って彼女は僕の手を握って駆け出した。思っていたよりも小さな手だ。小刻みに震えている。そうだ、藍華は今起きている異変の中心にいるのだ。怖くないはずがない。僕が隣に寄り添って、一緒に困難を背負おう。そんな風に思えるのは、閏と向き合えたからだ。僕を成長させてくれた二人のためにも、僕はここで立ち止まってはいけない。
前に進もう。
閏年の懐に向かって。
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