夢想
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「なんかいきなりごめんね。ただ、さっきからずっと考えてたの。あたしが閏年計画に入った理由、さ。あたしには潤みたいな理由はない……と思うし、かといってもんにもないとか、ないと思うの」
「……うん」
自分から話してくれたことに対する喜びとこれから話されることへの不安が胸中を渦巻く。僕は藍華のことを知らない。藍華がこれまでどんな風に生きてきて、どうして事故のときタクシーに乗っていたのか、僕は何も知らない。だから、一体どんな言葉をかければいいのか分からなくなってしまった。いつもだったら自分のことを話すなりして会話ができていた。しかし、今は違う。今度は僕が会話を途切れさせてしまっていた。
「それでね、ずっと思ってたことがあって。あたし、夢があったの。小さい頃は、花屋さん。中学生くらいになって、フラワーコーディネーターになりたいと思い始めたの。だけど、この頃はなんとなくなりたいってだけで、具体的なビジョンなんてなかったのよ。でも、高校生になって、進路の話になったとき、やっぱりちゃんとなりたいんだ、そのために勉強するんだ! って、思ったん、だけど」
歯切れの悪い語尾が痛い。何となくその後の言葉が想像できてしまうのが途轍もなく辛い。続きを聞くのが怖い。
だけどそれ以上に、藍華に向き合えないことが苦しい。
「遅すぎたの。もっと早くから勉強しておけば、どうにかなったかもしれないのに、あたしは何もかも遅かった。あたしの夢は叶わなくって、ハーブティーとか売ってるお店でバイトして。やっぱり、少しくらいお花に関係した仕事をしたかったんだ……と思う。でも、なんか、これでいいのかなってなって、堂々巡りでさ」
ちょっと辛い、と藍華が言う。その声は微かに震え、涙声に近い声だった。
トロイの木馬。
データは夢。潜伏期間は現実。破損は挫折。
そんなこと、考えもしなかった。きっとそれは、僕に夢がないからだ。たいした目標も無いままとりあえず目下の課題を解決しているだけの僕では、夢を追うことの素晴らしさを知ることすらできない。
「……。藍華、僕は君が少し羨ましいよ」
「羨ましい?」
藍華が首を傾げる。羨ましい、という言葉が一言一言確かめながら言っているように聞こえた。動きが拙い。それなのに幼さを感じることはもう無かった。
「僕は夢なんてあった試しが無いよ。小、中学校の頃なんてもう最悪。将来の夢は何ですか、面接で夢について語ると強いぞー、とか、さんざん言われたよ。だから色んなことを試して、自分が続けられそうなことを探したよ。でも、ダメだった。全然できないってことはないけど、絶対続けられないと思った。そういう僕からすれば、夢があるってだけで凄い羨ましいよ」
本心だった。嘘偽り無く、なあなあに生きてきた僕の言葉だった。向き合うと決めた頃から、何か自分にできることは無いかと考えるようになって、気づいた。初めてやりたいこととできることが一致したのだ。これまでは何となくやらされている感があって嫌だった。しかし、いざやりたいことは何かと聞かれると、答えられる自信が無かった。今でも自分が本当に続けられることが何なのかは分からない。それでも、そのために何必要なのかははっきりと分かっていた。
「ここに来て、藍華と雨帝に会って、思ったんだ。僕はこれまでずっと逃げてきた。本当はやりたいことがあったはずなのに、どうせ僕には無理だろうって、やる前から諦めてたんだ。……でも、今は違う。やろうと決めたら、できないことなんて無い。大切なのは本気になるかならないかなんだ」
「……それはつまり、あたしが本気じゃなかったって、そういうこと?」
「それは違うよ、藍華。多分藍華は、本当にその仕事に就きたいと思ってたんだと思う。でも、その途中で本当に自分は夢に向かって前進してるのかって、迷っちゃったんだよ。自分が本気なのか分からなくなって、本気になれなくなった。やろうって決めた藍華は、本気で夢と向き合ってたはずだよ」
「……」
藍華が黙り込む。少し言い過ぎた気もするし、一気に捲し立てられて怯えてるのではとも思う。藍華を責めるつもりはまるでなかったが、結果そういう言い方になってしまった。慌てる僕に気づいたのか、藍華が小さくため息を吐く。そしてそのまま顔を上げて話しだした。
「その仕事に向いてなかったんだよ、とか言わないのね。ちょっと嬉しいかも。……確かに、私には無理なんじゃ、とか、なれてもその後で苦しくなるんじゃとか、考えちゃってた。それで全然手につかなくなって、何にもせずそのまま寝ちゃったりね。思い返すとダメなとこばっか。なんか、逆にあんなんでなれちゃったら本職の人に申し訳ない気がするくらい」
「そんなに自虐しなくてもいいんじゃ……」
「そんなことないよ。これは一種のけじめみたいなものだから。……それに、新しい夢も見つかったし」
そう言って、藍華は明るく微笑んだ。
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