奇数
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座れそうな場所に移動したあとも、藍華はあまり喋らなかった。話しかけても一言二言言葉を返すだけで会話にならない。考え込んでいるのか何か他に悩みがあるのかは分からない。どちらもかもしれないし、どちらでもないかもしれない。見当違いな気遣いで藍華を傷つけたくはなかった。
「……」
とりあえず、一人で考えてみよう。藍華について気になることと言えば、やはり「トロイの木馬」だろう。閏年計画に入るときに映り、更にはナビゲーターのパスワードになっていたのだから、関係ないということはまずないだろう。しかし、一体何がどう関係しているというのだろうか。まさか藍華がクラッカーだとかそういうことはないだろう。まずはトロイの木馬について知っていることを寄せ集めるべきだろうか。残念ながら僕はネットのウイルスにはあまり詳しくない。しかし、語源である方のトロイの木馬にはそれなりに興味がある。そこから察するに、トロイの木馬というウイルスはおそらくパソコン内部に入ってから一時の潜伏期間を経て、そのうちから少しずつハードディスクを壊していくものなのだろう。まったくもって藍華との繋がりが見えてこない。一人で考え込むより本人に意見を聞いた方が良さそうだ。しかし、今の藍華にそれを聞くのは少し気が退ける。しかし、こういう余計な気遣いが相手のためにならないことはこの前の一件でよく分かった。やはりここは男らしく、はっきり言った方が良いだろう。
「ねぇ、藍華。トロイの木馬について、何か思いつくことってない? 多分、潜伏期間中にじわじわデータを壊してく感じのウイルスだと思うんだけど」
「パスワードになってたんだよね」
藍華は体育座りのまま膝に顔を埋めると、小さく唸って言った。やはり、何かしらの暗号のようなもので、直接的な関係はないのかもしれない。藍華は本気で考え込んでいるようだった。
「分かんないなぁ。そんなウイルス、初めて聞いたもん。何か他の意味があるんだろうけど……。ウイルスそのものが何かの比喩なのかも」
久々に会話が成立する。僕はこの流れを途切れさせまいと言葉を返した。
「なるほど、比喩か……。比喩になってそうなものって言うと、データと、データの破損と、あとは……」
「潜伏期間にじわじわ、っていうのも、そうじゃないかしら」
藍華が僕の言葉を遮って言う。今回はいつになく積極的だ。藍華なりに色々と考えてくれているのだろう。その頑張りに答えようと僕も思考をフル稼働させる。
「潜伏期間もそうだね。でも、他のと違って状態の比喩っぽいかもしれない。トロイの木馬とか、データの破損とかは何かの名詞の比喩になりそうな気がするよ。対象的な言葉の比喩になっていて、潜伏期間がその間の期間の状態の比喩……とか」
「その間の期間?」
藍華が首を傾げて問いかける。どうやら分かりにくかったようだ。自分でもどういえば良いのか分からない部分だったため、説明と言っても何と言えば良いのか分からない。とにかく、感覚だけでも伝われば良い。そう思って言葉をまとめる。
「えっと、例えばデータが子供の比喩で、データの破損が大人の比喩だったら、潜伏期間はその成長過程、みたいな」
だいぶ有り得ない例になってしまった。言っていて、流石にそれはないと思う。藍華を見ると表情が固まっていた。やはり分かりにくかっただろうか。僕は別の例を考える。しかし、なかなか思いつかない。
そんな思考の糸が、ぷつりと切れる。
「なんだかそれ、あたしみたいね」
味気ないその言葉は、刃物のように鋭かった。軽い調子で言われたのなら、あるいはかつての精神年齢が幼くなっていたことを言っているのだと思えたかもしれない。しかしその言葉は無意識にかかる気圧のように僕の心に重くのしかかった。語調が強かったわけではない。恐れではない、何か危機迫るものを感じた。途端に心配になってくる。そういえば先程から様子がおかしかった。割とまともに会話ができていたので忘れていたが、今の彼女は少し寡黙なのだった。何か理由があるだろうとは思うが、今は落ち着かせるのが最優先だ。
「藍華……?」
とりあえず名前を呼んでみる。反応が薄いが、かろうじてこちらを見てくれた。
「子供ってさ、純粋で、素直で、何の迷いも無く夢を見れるでしょう? でも、現実見ちゃうとさ、辛くなるんだよ。夢、追いかけ続けるのって」
大人。
ああ、そうか。藍華は、大人なんだ。
子供のままでは、いられないんだ。
「あたしにも、夢があったの」
夢。
いつの日か必ず覚めるときが来ることを知っているというのは、どんなに辛いことなんだろう。
過去形の夢に、僕は言葉を失った。
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