残像
ご閲覧頂き誠にありがとうございます。
下らない話をしよう。
だから何だよって言いたくなるような話をしよう。
それはとある、夏の思い出。
小学生低学年ぐらいの頃、僕は近くの公園で友達数人とサッカーをしていた。その頃は今ほど精神的に孤立してなくて、友達だと胸を張って呼べる人が一人だけいた。そのときはその一人もいて、パス、とかシュート、と声を掛け合っていた気がする。あの時もそうだった。後ろから彼の声が聞こえて、シュートを決めようと大きく蹴り上げた時だった。ゴールとして使っていた鉄棒のふちにボールが当たって、弾かれてしまったのだ。僕はすぐにボールを追いかけたが、追いつく前に遠くのベンチまで転がっていってしまった。そして僕は、ちょうどそのときベンチに座っていた少年に言ったのだ。
——ごめん、そのボール、とって。
すると少年はびくっと体を震わせてから、おどおどとボールを差し出した。しかし、なかなかボールを離そうとしない。どうしたのだろうと訝しげに思っていると、後ろにいた彼が、唯一の友人が言った。
——お前、暇なの? なら一緒に、サッカー、やろうぜ!
彼の言葉に、少年はぱーっと表情を明るくしてから、本当にいいのかというように不安そうに辺りを見回した。少年がそうしている間にも、彼は他のメンツに「いいだろ? いいよな? はい決まり!」と言って回っていた。
僕は何もできなかった。
少年の孤独に気づくことも、手を差し伸べることもできなかった。
あの時の少年の姿が今の僕なのだと気づく。
陽炎のようにはぐれてしまった友人達の姿と彼の姿が今、ぴったりと重なった。
「彼ね、最後に、ありがとうって言ってたよ」
まるで自分のことのように喜びながら藍華が言った。両手の胸の前で組み、春の花のように微笑んでいる。精神年齢もほぼ完全に元に戻ったようだった。かくいう僕の方も、完全に現実通りの僕になっていた。
それが表す負の意味を、僕たちは痛いほどに理解している。
だけどそれを解決するための方法を知らない。考えど考えど、答えはますます遠のくばかりだ。時間はもうない。ぱらぱらと時空の欠片が振り注ぐ。しかしまだ壊れない。今はまだ壊れてはいない。
壊れないでほしいと、僕は神頼みをした。
「神様なんていませんよ」
すると、雨帝が。
雨帝がいきなり、そう言った。
僕は心を読まれたのかと思って驚愕する。
雨帝は居心地が悪そうに視線を泳がせた。
悪戯がばれた子供のように。
「神様なんていないんです。どこにもいないんです。だから、奇跡もないんです。全ては有り得る範囲で起こる。だから、今ここで起きていることは、どこかの誰かもいつかどこかで体験したかも知れない可能性の一つに過ぎないんですよ。だから……」
気まずそうに頬を掻きながら、露骨に動揺する雨帝に、僕は不安を隠せないでいた。この後雨帝が言おうとしていることがまるで想像がつかないのだ。神様なんていない。その意味は痛いほど分かる。分かるのに、雨帝の真意が掴めない。
世界がひび割れる音がした。
「そんな顔、しないで下さい。見てるこっちが辛いです」
泣きそうな、恥ずかしそうな雨帝の声ではっとする。何を言わんとしているのか何となく分かってしまったのだ。きっと雨帝ももう気づいているのだと思った。
割り切れることが正しいこととは限らない。
だけど僕に、雨帝を責める資格はない。
そんな僕に雨帝はそっと微笑みかけ、藍華と僕を見てから何かに気づいたように「あ」と言った。
「ん……あぁ、そうでした。潤、アナタに言わなければならないことがあるのを忘れていた」
「僕に?」
いきなりの言葉に僕は驚きを隠せない。しかし雨帝はそんな些細なことは気にもせずいつもの調子で言った。
いつもの調子で、言えていた。
「ええ、そうです。あえて今言うことでもないのですが、今しか言う機会がなさそうだ」
そう言って雨帝は、音を立てて崩落し始めた空間を見回した。そして、顔を隠すように僕らに背中を向けたまま話を続ける。
「私の『変数』という称号は、アナタが決めたのですよ。もともとの称号は……」
そうして雨帝は振り向いて。
いつも通りの笑顔を見せた。
飄々として人間らしい微笑みの後、雨帝は唇を三日月型にして。
泣き出しそうな笑顔で言った。
「虚数、だったのです」
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