とこしえに
最終話前の物語になります。
鈴と仁王門で別れた後、鈴の言葉を思い出す智。
過去の惨劇も鈴は知っていた。
それを知った上で、必要と言ってくれた。
しかし、あと二夜で満月。
また母さんや父さんのように、鈴を傷つけ殺めるかもしれない……。
明日、迎えに行くことは出来ない……。
四本足の姿で、また山に入って行く。
両親らと暮らした小屋に戻った智は、月の光を浴び人の姿に変わる。
あと二夜で満月を迎える。
縄を作り、古びた竈に足を巻き付け固定した。そして両手も縛り、真向かいの柱を通して後ろで固定する。
正気を保っていれば、牙で容易にほどける。
木に縛るのは、臨兄のいたずらだと思っていた智。
生前の臨は満月の夜、いつも自分を縛ってくれていた。
「臨兄……ありがとう……」
下を向いたまま呟く智。
一日目、飲まず食わずのまま時間が過ぎていく。
二日目、喉の渇きが、水ではないものを身体が欲し始める。
その夜、満月の光が戸口から入り始めた。
(鈴は待っているんじゃろう、すまん……)
笑う鈴が思い浮かぶ。
その時、月の光が智の足に当たり始める。
「ぎっ……」
智の意識が遠のき始め、身体の欲求は渇きを潤せと騒ぎ始める。
正気を保たねばと抗う智。意識を支配する力に、必死で耐えた。
この夜、明け方まで智の意識は保ちきれず、智が意識を取り戻したのは昼過ぎだった。
すでに四本足の姿に戻り、縄は緩んでいる。
(耐えられなかった……)
皮膚に食い込んだ縄は、智の血で重くなっていた。
(鈴……)
左足の古傷より、鈴に会えない胸の痛みの方が強く締め付けた。
鈴と共に生きる。
それだけを支えに幾度も満月を迎える。
だが、数時間は正気を保てても朝まで保ち続けることは出来ずにいた。
(もう、俺には正気を保つことは無理だ)
あの寺に鈴が居るかもわからない。三年、いや数年は過ぎた。
共に生きることは出来ない。
別れを伝えた後は、山で独り過ごすしかない……。
諦めの気持ちで石手寺に向かう。
道中、咆哮を山々に響かせた。
(鈴はまだ居るのか……?)
寺の前に座り、仁王門から境内を睨む智。
ふと、耳に聴こえる脚を引きずる歩き方。
徐々に近寄る足音。
仁王門から、荒れた息をしながら鈴が現れた。
「ばかっ、ずっとウチは待っとたんじゃ」
強い口調だが、目から流れるように落ちる涙は怒りか、悲しみか。
満月の光に照らされた智は、人の姿に変わり始める。
(正気を保てるのは、数時間……)
「鈴……」
「おれは、もうおまえとは……」
下を向いたままの智に、鈴が放つ。
「バカたれ! 智のバカたれ!」
「ウチを食べたらよいんじゃ。正気が保てんなら、ウチを食べたらよいんじゃ」
「ウチは全部受け入れたんじゃ、大事にされたいなんか思とりゃせん」
智がゆっくり顔を上げると、力強い視線の鈴が居る。
「ウチの右手、噛んで!」
戸惑う智は言葉が出ない。
「はよっ、噛み!」
智はゆっくりと鈴に近寄る。
以前、噛んだ右手をもう一度噛んだ。
「ぎ、ぎ!」
血は智の意識を奪い、背中の毛は逆立ち始める。
爪は標的に狙いを定めた。
「ウチの味じゃ、わかるじゃろ!」
爪は満月の光を反射し、鈴に襲いかかる。
「智……」
鈴は呟き、目を閉じた。
爪は、仁王門の柱に食い込んだ。
「す、すず……?」
視界に入る鈴を見下ろしながら、智は正気を保っている。
「ウチの味じゃ、忘れてなかったんやね?」
笑いながら、智の頬に触れる。
「な、なんで……」
戸惑いながらも、鈴の手からあの温もりが伝わる。
「ウチを忘れてないなら、正気に戻る思たんじゃ」
「智の、バカたれ……」
笑う鈴を、智は抱きしめた。
「鈴……」
「なに?」
「一緒に……生きてくれるか?」
「当たり前じゃ」
抱き合った二人を、月が照らす。
「鈴にはかなわんな」
笑う智。
「智は弱いけんウチが居らんといかん」
笑い合う二人は仁王門から境内に一礼したあと、姿を消した。
その後、二人を見た者はいない。
明治三十八年、奈良の山あいで一頭の若い狼が捕らえられた。
それが、ニホンオオカミの最後の確実な記録だという。
標本は海を渡り、今もロンドンの自然史博物館にある。
記録に残らなかった狼がいたのかどうかは……
誰も知らない。




