プロローグ 百の勇者武器
プロローグ 百の勇者武器
勇者という存在は、昔からいたわけではない。
そんなことは、勇者学園に通う者なら誰でも知っている。
それでも授業として改めて教えられるのは、勇者という存在がこの世界にとってあまりにも重要だからだ。
「いいか。昔の世界は、今よりずっと酷かった」
歴史担当の教師はそう言いながら、黒板に二つの言葉を書いた。
《使徒》。
《魔王》。
「まず使徒。秩序の神の意思を代行して世界に降りてくる存在だ。神の意思に従え。従わないなら排除する。非常に分かりやすいな」
教師はそこで一度チョークを置き、今度は隣の文字を指した。
「次に魔王。こちらは混沌の神の代行者だ」
そこで妙に楽しそうな顔になる。
「わーい、人の悲鳴大好き。苦しんでる姿を見るのもっと好き。今日も楽しく世界を滅茶苦茶にしよう」
教室のあちこちから笑い声が上がった。
「先生、それ授業でしていい説明なんですか?」
「細かいことは気にするな。大筋は合ってる」
「合ってるんだ……」
また笑いが起きる。
教師は生徒たちが静まるのを待ってから、再び黒板へ向き直った。
「使徒と魔王。思想も目的もまるで違う。だが、人間からすれば共通点が一つだけある」
振り返る。
「どっちも迷惑だ」
今度は、先ほどより大きな笑いが起きた。
教師自身も少し笑っていたが、やがて表情を戻した。
「そして昔は、そんな連中が定期的に世界へ降りてきた。使徒が現れれば人々に秩序を押しつけ、魔王が現れればそれを壊す。人間はそのたびに争いへ巻き込まれ、国が滅び、文化が失われた」
そこまで言ってから、教師は少しだけ間を置いた。
「昔はな」
黒板に、新しい言葉が書き加えられる。
《勇者の始祖》。
その文字が書かれた瞬間、教室の空気がわずかに変わった。
先ほどまで笑っていた生徒たちも、自然と黒板へ視線を向ける。
「そんな世界を変えたのが、この御方だ」
教師は大げさなほど丁寧に黒板を指した。
「勇者の始祖。ここはテストに出るから、よく聞け」
途端に何人かが慌てて筆記具を持ち直した。
「始祖様は、人類が神々の都合に振り回され続ける時代を終わらせた。そのために作ったのが――」
黒板の中央に、大きく数字が書かれる。
百。
「百個の《勇者武器》だ」
剣。
槍。
弓。
杖。
形はさまざま。
中には、それを本当に武器と呼んでいいのか疑わしいものまで存在する。
だが、それらすべてには一つ共通点がある。
使徒と魔王に対抗できるだけの力を、人へ与えるということだ。
「勇者武器に選ばれた者は、人の身でありながら使徒や魔王と戦える力を得る。そして、そうして選ばれた者たちを、人々は《勇者》と呼ぶようになった」
教師は黒板に書いた百という数字を丸で囲んだ。
「ただし、勇者武器は単なる対抗兵器じゃない。百の勇者武器は、それぞれ役割を持ちながら世界の守護を司っている」
その言葉に、教室の空気が少し引き締まった。
これは単なる昔話ではない。
勇者武器は今も存在している。
そして今も、この世界を守っている。
「中でも特に重要なのが――これだ」
教師は丸で囲んだ百の隣へ、新たな数字を書いた。
No.1。
「勇者武器No.1。《始まりの勇者》」
勇者学園の生徒で、その名を知らない者はいない。
勇者武器の中でも最重要とされる一本。
教師はその数字の下へ線を引いた。
「この武器だけは、ほかの勇者武器とは意味が違う。No.1に適合者が選ばれるということは、単純に一人の勇者が誕生したという話ではない」
教室が静かになった。
「No.1が勇者を選ぶ。それはすなわち――使徒か魔王、そのどちらかが世界に現れたということだ」
先ほどまで軽い調子で授業を聞いていた生徒たちも、今度は笑わなかった。
「歴史上、No.1の適合者が現れた時代には、必ず大きな戦いが起きている。そして《始まりの勇者》の覚醒を皮切りに、必要となる勇者武器が次々と適合者を選び始める」
教師は黒板のNo.1を指先で軽く叩いた。
「だから、お前たちがいつか『No.1に適合者が現れた』という報せを聞くことがあったら、浮かれるなよ」
一拍置く。
「勇者の時代が来たんじゃない。世界の危機が始まったってことだ」
静寂が落ちた。
勇者に憧れてこの学園へ来た者ほど、その言葉の意味は重い。
勇者が必要になるということは、それだけの敵が現れたということなのだから。
教師はそんな教室を見渡し――ふと、一点で視線を止めた。
「……で」
空気が変わる。
「そんな大事な話の最中に、一人だけ窓の外を眺めている奴がいるわけだが」
数人の生徒がそちらを見る。
「おい、カイル」
「…………」
「カイル・エルデン」
「…………」
「聞いてるのか!」
「はい!?」
勢いよく顔を上げた少年に、教室中の視線が集まった。
教師は大きくため息をつく。
「今、何の話をしていた?」
カイルは少し考えた。
本当に少しだけ。
「……ここ、テストに出る?」
「そこしか聞いてねえじゃねえか!」
教室に笑い声が戻る。
カイルは困ったように頭を掻いた。
「いや、勇者の始祖とか勇者武器とか、その辺は知ってますよ」
「だったら聞け」
「知ってる話をもう一回聞くの、眠くなりません?」
「勇者学園の生徒が言う台詞じゃねえ!」
また笑いが起きる。
教師は呆れ果てた顔をしていた。
「まったく……勇者学園に入っておいて、勇者にここまで興味がない奴も珍しいぞ」
そう言われても、カイルには困る。
勇者に興味がないわけではない。
嫌いなわけでもない。
ただ、特別な憧れを持っているわけでもなかった。
勇者は世界を守る。
立派だと思う。
使徒や魔王と戦う。
大変だと思う。
選ばれた者にしかなれない。
それなら、自分には関係のない話だ。
少なくともカイルは、ずっとそう思っていた。
なにしろ彼がこの勇者学園へ入った理由は、勇者になるためではない。
勇者になりたいと願ったことすら、一度もなかったのだから。
この時のカイルは、まだ知らない。
自分とは無関係だと思っていた百の勇者武器が。
勇者など目指していない自分の人生に。
これから嫌というほど関わってくることを。
残存勇者武器:100




