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西陽  作者: Co.2gbiyek
1. 嫌な職場
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1.3 踏み外したレール

 ユウゴにも正社員だった頃があった。それは名ばかりの大学を卒業した時に採用された会社だった。新卒者が使うリクルートの仕組みは理解ができずに使うのを諦めた。コンビニで売っている転職情報誌に乗っていた会社に電話をかけて面接に向かった。


 情報システムを扱う200人規模の会社だという。未経験者歓迎とあり、元料理人からの転職者が出世しているということやフットボールチームがあるアットホームな会社だと書いてあった。今見たらそれはぞっとするようなテンプレートそのものだ。ワンマン経営者の会社にありがちなテンプレートを隠すこともなくそれどころか本当にそれが売りだと思って使っていたのだろう。


 電話をかけると女性が出て、3月に大学を卒業予定だというと戸惑ったようだった。電話をかけたタイミングはすでに2月に入っていた。他にいくつか受けた会社はすべて落ちた。チェーンのパチンコ屋と小豆取引について話してくれた先物取引の会社は今では潰れてしまっていたし、八重洲にあった補聴器を販売する会社では志望理由の意味も理解していない私に面接担当の女性から質問らしい質問はなかった。


 情報システムとは何か意味を知らなかったオレは面接の1時間前にその会社のある駅で電車を降りて本屋で情報システムについて調べた。情報システムには開発と運用があるのだという。その会社は主に運用を引き受けていると言っていたことを思い出した。面接時には1時間前に知ったばかりのことを断片的に繰り返した。担当部長が苦笑いしているのを思い出す。29歳だと言うのにどっしりと太ってバーコード頭だった。だが苦笑いしたその笑顔から、この人はいい人だという事が滲み出ていた。


 当時、他社のシステム運用を担当するために人を出す会社は急成長していた。いつでも人が足りずに、素人同然の人間を派遣してそこで教育をして使ってもらっていた。まだ業界自体が若かったのでそれが許されていた。だからこの会社は自分たちの強みは人財だと公言してはばからなかった。なんのビジネスモデルも優位性も専門性もない、ただ労働力のみを抱えた会社は同じことしか言わない。


 だから採用された。就職斡旋で提携していた専門学校を卒業したばかりの20歳と一緒に福島で2週間の研修を受けた。パソコンの組み立てや、電話応対の実技、プログラムの座学をして過ごした。それから更に自社で一ヶ月程度の自習期間を経て派遣先が決まった。正社員を派遣されるその形態はSESと呼ばれる。最もエンジニアとは程遠い素人の自分が派遣されるのだからバイトと何の違いもない。


 自分と同期2人が大手企業に派遣された。そこの正社員たちに馬鹿にされながらも2年間働いた。能力の違いは明らかだった。国立の情報工学部を卒業しているという大手企業の新卒の正社員は学生の頃からプログラミングをしているのが当然だった。派遣されてきたオレたちは自分が何をしているのか理解するのに3ヶ月もかかっていたのに彼は一回聞いただけで意味を理解していた。


 オレたちに割り振られた仕事はくだらないものだけだった。例えば別の部署から来たウェブコンテンツをサーバにアップする仕事だ。少しHTMLと呼ばれるWeb上の見栄えを整える符号を追加する必要があるが、ものの数分で終わるような仕事を何の疑問も感じずに真面目にこなしていた。そしてその少ない仕事を同じ会社から来ていたので同期二人と交代で行っていた。正社員はこんな雑務はしない。派遣に投げるだけだった。


 そんな雑務でさえも、集中力もなく内容をよく理解していないためミスをすることがあった。同じ機能を持つサーバが2台あり、そのうち1台だけ定時実行のスケジュールを有効にしているケースがあった。その定時実行予定を更新する作業で同期の1人がミスをした。作業を始める前に必ず今の状態を残しておくのだが、それを怠り、作業前後でどのサーバの定時実行が有効だったのか分からなくなってしまった。同期から相談されたオレは、事の重要さが理解できなかった。私は両方のサーバを同じ状態にしておけばいいと勝手に判断して完了して報告もしなかった。


翌週、顧客に同じ請求書が2通発行されてしまい、困惑した担当者とその上司からのクレームが入り、大問題に発展した。調査チームが組まれ、オレたちの作業ミスが発覚した。なぜそれが発生してしまったのか、なぜミスに気がつくことができなかったのか、なぜいつもとの違いを報告しなかったのか、事細かに報告書にかかされた。


 担当の係長と一緒に報告書を作った。社会人になって初めて終電まで残業をした。小太りで冗談ばかりいう係長は仕事においては冷静で穏やかな人だったがオレたちを見る目や言葉の端にはオレたちの事を本物の馬鹿だと思っているのだということが見て取れた。ヤマグチほど露骨ではないが、オレに聞こえるか聞こえない程度の声で独り言のように本当に意味を理解できてるのかなとつぶやいていた。同期はそれに気が付くことはできない。オレだけが気付いた。そういう小さなことが積み重なって俺の中で大きなわだかまりとなっていった。


 オレたち派遣社員は一ヶ月に1度、自社に戻る帰社日があった。その日は派遣先の会社を休み、自社に戻る。別の会社に派遣されていた同期たちとも再開する。自分たちの仕事内容を紹介し合い、夜には飲み会を開催していた。何度も繰り返される帰社日。そこでは誰と話しても自分と同じだった。大手企業の新卒の正社員と比較にならないくらい見劣りしていつも自分を恥じた。自分は階層社会の惨めな低層にいるのだと認識した。自分の居場所すら蔑んでしまった。


 その日も帰社日で報告会の後はいつもの飲み会だった。何の括りか理解もしていなかったが同じ部署の飲み会だという。うんざりして嫌気がさしていたので突発的にそこに居た自分の上司で課長を名乗る男性に会社を辞めたいと告げた。珍しい事でも何でもないのだろうが、すぐに更に上司である入社時に面談した部長と話をした。今では何の話をしたかももう覚えていないが、ひとまず今の派遣先から引き上げることになった。


 契約も階層構造になっている。自分の会社は顧客と直接契約しておらず、顧客のグループ会社の下にある大手派遣会社との契約になっていた。大手派遣会社から私の代わりが派遣されてきていた。大した仕事もないが、引き継ぎと称していつも何をやっていたのかを書かされた。書き出して見ると本当にくだらない仕事内容がリストされていた。そこにはコンテンツアップの仕事の他に同じような雑務がいくつか書かれていただけだった。


 大手企業には2年ほど居たことになる。辞めるつもりだったが他の部署も見てみるといいと社長に言われ、それから別の部署をたらい回しにされてさらに2年後に会社を辞めた。今思えば自分を尊重してくれたのはあとにも先にもその会社だけだった。新卒正社員だったということは大きかった。それからずっと派遣社員だった。正社員と同じように扱われたことはなかった。正社員同士がお互いを敵対しないように尊重し合う場面を見るとくだらないと思いながらも羨ましく感じた。


 少しの我慢を続けていれば自分にもあったはずの光景なのかと思うと後悔で顔が歪んだ。川口駅に停車する際にドアに浮腫んだ赤ら顔の中年が映る。改めてまじまじと自分を見る。それはアイロンがけされていない、しわくちゃなワイシャツにとよれたスラックスと破れかけた合皮のビジネスシューズを履いたビール腹の中年だった。


 川口駅からアパートまで15分程度の道を歩きながら考える。あれからいつの間にか20年も経っていた。状況は良くなることもなく、将来と呼ぶはずの未来は今だった。あの時よりもずっと惨めでもう未来を漠然と捉えることもできない。それを考えると途端に息苦しくなる。なるべく考えないようにしなければならなくなっていた。アパートの部屋に電気がついている。アキコが先に帰ってきているのだろう。


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