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西陽  作者: Co.2gbiyek
1. 嫌な職場
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1.1 嫌な目

「マエザワさん、今なにやってますか?」


「はい、さっき指摘頂いた資料の修正中です。」


「え、いつまでそれやってるんですか? そんなことよりもヒアリングの回答どうなってますか? 今日の17時が期限だったの認識してますか? 全部の部署から回答来てるか確認できてますか? まだ来ていない部署があったら催促しないといけないじゃないですか?」


 ヤマグチは独り言のように続ける。


「何で優先順位がわかんねぇのかな。ほんとに使えねぇな。」


「すみません、先にそっちからやります。」


 ユウゴはそう答えて、ノートPCの右下に小さく表示されている時刻を確認する。あと15分で18時になる。19時にはこのオフィスを出なければならない。この職場では事前申請のない残業は許されなかった。そしてここでは派遣社員が残業申請をすることなど全く想定されていない。残業を規定する人たちは、残業が発生するような不確定要素の含まれるような事前見積もりができない仕事量や高難度の仕事が派遣社員に割り振られる事が想像できないのだ。


 そして、想定すらされていない派遣社員の残業申請など許されるものではなかった。明日の朝、ヤマグチが出社するまでに資料の直しは終わらせなければならない。今日も家に持ち帰って続きをやらなければならなかった。


 マエザワ・ユウゴは4ヶ月前から新しい職場で資料作成の仕事を始めている。今度の職場では一回りも年下の正社員に馬鹿にされていた。45歳のユウゴに強くあたるヤマグチは、ユウゴよりも2ヶ月後にこの職場に移ってきた33歳の正社員だった。ヤマグチはもう6回も転職している。ヤマグチの歓迎会で自分自身の事をジョブホッパーだと自嘲するように紹介していたのを聞いた。


 ヤマグチは早稲田を卒業して、新卒で務めた大手企業の総合職を数年で辞めている。それから6社目が今の会社だ。このヤマグチの会社にユウゴは派遣されている。ヤマグチとユウゴは2人ともこの会社の親会社に派遣され、月に1度の部長会用の資料作成をしている。


 ヤマグチは最初、ユウゴに対しても丁寧だった。それはユウゴを観察していたからだ。ろくでも無い大学を卒業した田舎者で頭が悪く、ヤマグチの自社の人間、特にヤマグチの直属の上司と強いコネが無いことを確認すると露骨に態度を変えた。


 ユウゴの作る資料に意味のないだめ出しをして何度も書き直しをさせた。日本語の細い誤りからそもそもなぜこんな資料を作っているのかなどその都度、観点と基準を変えて指摘がなされた。指摘された資料を家で修正するのが常態化していた。時には朝までかかって終わらせる事もあった。人よりも早めに出社するヤマグチはコーヒーを飲みながら修正した資料をパラパラとめくり、新たな観点でダメ出しを行う。日中の業務をこなしながら朝の指摘を修正し、夕方にまたヤマグチに提出すると朝と同じように新たな観点で指摘を受け、持ち帰りで資料修正する。週に一度の顧客の課長への報告会まで延々とこの繰り返しだった。


 その合間にも日々の仕事が発生する。終わらない仕事とやるべき仕事が積み重なっていく。焦燥感を煽られて勘違いやミスが増えていた。ヤマグチはそれを見逃さずに逐一指摘をした。


 実際、ヤマグチは優秀だった。仕事をどう進めるか確信めいたやり方をりつあんして、最初から最後まで一貫してそれを通した。それに打ち合わせで誰が何をどのタイミングで発言したのかすべて正確に記憶していたし、優先度を付けてそれに対応した。


 そしてヤマグチがユウゴに対して指摘する内容も一理ある。だが、ほとんどの場合、『てにをは』や文法の誤りなど本論ではない部分に終始していた。ヤマグチは決して自分の考えや意見を出さなかった。事実のみを述べて、そこから導き出される『だから何だ』という意見や提言を加えることが一切なかった。


 責任を持つことを極力避けているのだと気がつくまでに時間がかからなかった。あまりにも事実にこだわり、そしてそれを伝えるための言葉の正確さに言及した。その理由はそこにのみ責任を持っているからだった。事務員と呼ぶに相応しい態度ではあるがおそらく会社が求めている姿では無いことはユウゴにさえ理解できた。


 ヤマグチの上司で係長のハタケヤマは40歳で、人当たりがいい人物だった。ハタケヤマは来期に課長に昇進するのだと言う。そのハタケヤマがユウゴの派遣契約を締結していたので月末になると会う機会があった。ハタケヤマは部下との交流と称して每日飲みに行くのが当たり前であり、習慣化していたのでユウゴと会う時も報告も早々に飲みに出かけた。


 ユウゴはその時にいつもハタケヤマがヤマグチのぐちをこぼすのを聞いた。ヤマグチはまだ係長になる目処も立っていないのだという。素晴らしい経歴とは裏腹にどの部署でもトラブルを抱えて、その都度ヤマグチの方から自分は悪くないと直談判するのだそうだ。


 ヤマグチは他の部署を1ヶ月毎にたらい回しにされた後にハタケヤマの部下として1年過ごしている。ハタケヤマの下でもヤマグチはトラブルを起こし続けている。その都度ハタケヤマが頭を下げているのだそうだ。


 人のいいハタケヤマはヤマグチという面倒を押し付けられているのだった。ヤマグチを引き受ける事を拒否することはできないまでも、ヤマグチがトラブルを起こしたら他の部署と同じように配属替えを希望することくらいのことはできたはずだ。そうしてもハタケヤマに悪い評価を与えない程度にはヤマグチは過去にトラブルを起こしている。


 ユウゴはハタケヤマが自分の立場と状況をグチることで間接的に我慢してほしいと、いわれているのだと理解した。ユウゴがちゃんと理解しているのかと確認するように見るハタケヤマの目は、ユウゴの心の底を確かめようとする目をしていた。


 立場もあるだろうが、中年の男が無遠慮に他人の目をこうもまじまじと見ることができるのかと思うとゾッとするような、軽蔑に値するような感情を覚えた。浅ましさを隠そうともしない目を向ける真顔の中年ははっきり言って恐ろしい。目を合わせるのが失礼に値するという意味を初めて経験として理解できた。


 派遣社員だからこそ、この目を向けられたのだ。それは中年が計算することもなく、ごく自然にやっている強かさの象徴であり、正社員であればその目をむけられることもないので一生気が付くことはない。派遣社員だからこそ目の当たりにすることになってしまったのだろう、そうユウゴは考えた。そして、それからしばらくあの目を忘れることができなかった。


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