皇族暗殺計画を阻止せよ!(3)
こうしている間にも、地面に落とされた敵は、『百花』の娘達が次々に縛り上げ、屋根上からの矢が届かない位置に引きずっていく。
蘭珠と鈴麗に続いて上がってきた二人も、敵と切り結んでいて、屋根の上も激しい戦闘の場となっていた。
ひゅんっと音を立てて飛んできた矢を、屋根の上に身を低くすることで交わし、蘭珠は飛んできた方向に目をやった。
射手は他にも二人いたはずだが、彼らは既に地面に蹴り落とされていた。今、目の前にいるのは一人だけだ。
「――計算違いをしてしまったようね」
ため息交じりに吐き出されたのは、春華の声だった。
予想はしていたけれど、胸がぎりっとする。新しい矢を手にした春華は、蘭珠の胸元に狙いを定めた。
「――なりません!」
前に飛び出して来ようとした鈴麗を、蘭珠は手で制する。
――わかってはいた……この人は、自分の野心のためならどんな手でも使う人だということは。
「――春華様、なぜ?」
「あなたに、わかる? 自分を道具としてしか扱われない気持ちが」
「わかりません」
そう、どうしてもわからなかった。
物語中で、春華がいずれ最大の悪女として登場するということはわかっていた。
だから、彼女と接する時は、いつも彼女に取り込まれてしまわれないよう注意を払わなければならなかった。
彼女の持つ独特の空気、華やかさにともすれば蘭珠自身も引きつけられていたのは否定しない。
「あなたになら、わかってもらえると思っていたけれどそういうわけではなかった?」
くすり、と春華が笑う。
「今、共に連れてきたのは、各宮に配置した間者でしょう。普通なら、そこまでしない――政略結婚の道具となるのが嫌だと思っていたのだけれど違うのかしら? 私の宮だけかと思っていたけれど、思っていたより大人数を入れていたようね」
「――私は、道具ではありません。自分で望んでここに来ました」
たしかに、政略的な一面がある婚姻であるのも否定はしない。
けれど、それ以前に――自分で望んでここに来た。道具としてではなく、自分の足で立つために、十年、準備の期間として費やした。
「残念。私は、『道具』にはなりたくなかった。自分で自分の歩む道を決めることのできる『王』になりたかったの。どの兄弟よりも私は優秀よ。そうでしょう? それなのに、女というだけで、『道具』にしかなることができない」
春華の言葉に、蘭珠は返す言葉を持たなかった。そう、春華は優秀だ。おそらく、皇子達を含めたとしてもかなり優秀なのだろう。
景炎を遠ざけるために龍炎と組んだだけではなく、自分の手足となる人員も揃えていた。どうやって、これだけの数を揃えたのはわからないけれど。
けれど、この国では女性であるというその一点だけで表舞台に出ることは許されない。たしかに『道具』と言われればそうなのかもしれなかった。
「諦めて、政略結婚を受け入れるつもりになったら、相手を兄が暗殺してしまうし、ばかばかしい話よね」
「……でも、二人目の時は、あなたの方からの申し入れだったと聞きましたが」
「そうよ。景炎に肩入れして、皇太子を廃嫡するつもりだったのに……景炎も景炎で役に立たないんだもの。仕方がないから、蔡国と結ぶことにしたの。皇帝一族の暗殺はその手土産ね。そう言ったら、大量の火薬を調達してくれたわ」
春華は、弓を構えたまま、器用に肩をすくめてみせる。
そういえば、一人目の婚約者も、二人目の婚約者も。どちらかと言えば、皇太子ではなく景炎と親しい有力貴族だったような話を聞いている。
――気持ちは、わからなくないけれど……。
頭では理解できる。かねてから自分の置かれていた地位に不満があった。
ようやくその地位を受け入れる気になったら、横からそれを阻まれた。
春華の苛立ちもわからなくはないのだ。けれど、そのやり方には不満しか持てない。
「……だったら、陛下に申し出るべきだったのでは? こんな――こんな形で」
「お父様? ばかばかしい。お父様が大事なのは、自分と後継者だけ。私のことなんてどうでもいい――そう思っているのよ。そうでなかったら、とっくに兄のこと、廃嫡してたでしょ。だから、一緒に消えてもらおうと思って」
春華の矢が、正面から蘭珠の胸に向けられている。蘭珠は懸命に考え込んだ。
おそらく、婚約者が龍炎の手によって暗殺されたのも、自分の野心のために景炎に肩入れしようとしたことも本当のこと。
だが、そこから先のやり方は、とてもではないが容認できない。
「第二皇子も、第四皇子も、巻き込むつもり? 景炎様も」
「第二皇子と、第四皇子は不運だわね。でも、不運っていつでもどこでも起こりえることじゃないかしら」
本当に、この人は、蘭珠の知る春華なのだろうか。それとも、物語最大の悪女は、この時点から作られていたということなのだろうか。
「……景炎様も?」
「それこそ、同罪でしょ? 彼の身近な部下だったからこそ、私の婚約者達は殺されたのだから――もっと早く、国境警備にでも身を引くべきだったのよ。そうでなければ、正面から後継者争いに名乗りを上げるべきだった。少なくとも、私は景炎に手を貸すつもりでいたのだから」
ぎりぎりと春華が弓を引き絞る。
――とめなければ、この人を。
今を逃せば、この人を止めることはできなくなる。考えている暇などない。本能的に蘭珠は思いきり全力で突っ込んだ。
「ちっ!」
鋭く舌打ちをした春華が弓を放り出す。屋根の上に落ちた弓が、乾いた音を立てた。
さらに迫る蘭珠に、とっさに短剣を引き抜いた春華が応戦する。かんっと乾いた音を立てて、刃がぶつかり合った。
「あなたのやったことは、許されることじゃない!」
一度、二度、三度。続けざまに繰り出される蘭珠の刃を、その度に春華は受け止めてみせる。
「蘭珠様、加勢を!」
春華とにらみ合っているうちに、他の射手達を全て倒した鈴麗が、蘭珠の隣に駆け寄ってくる。
左右に視線を走らせた春華は、そのまま一息に屋根の端から飛び降りた。
「――逃がさない!」
蘭珠も続けて地面に飛び降りた。着地の瞬間を狙って切りつけてきた春華の攻撃を刀身で受け止め、さらに足払いを加えてやる。
大きく飛び退いて改めて蘭珠に剣を向けた春華は、肩で息をしていた。
――早めに決着をつけないと……。
蘭珠が体力を消耗してしまう前に決着をつけなければ、春華を逃がすことになってしまう。
「やあああっ!」
鋭く突き出した刃を、けれど春華は俊敏なステップで交わす。
――腕は同等? いえ、向こうの方が……少し、上……?
今、数度打ち合っただけでもわかる。春華の腕は蘭珠と拮抗しているが、春華の方が幾分上だ。
横殴りに払った剣を、春華はまたもやひらりと交わす。彼女の反撃を、蘭珠は横に逃げることで交わした。
「……病弱な公主と聞いていたけれど、それは嘘だったのかしら。こちらに来てからは、寝込んでいる気配はなかったものね」
「必要以上に、病弱と言いふらしていたのも否定はしない」
春華があきれたように笑って、蘭珠は唇を引き結んだ。
二度、三度と打ち合い、ぶつかった刃が音を立てる。力押しになったけれど、春華の方が有利だった。ぎりっと歯を食いしばり、春華の攻撃を耐える。
なんとか春華を振り払うけれど、いつの間にか一対一の争いではなくなっていた。
「蘭珠様! 加勢いたします!」
敵を蹴散らした鈴麗が、春華の後ろに回り込んでいた。斬りつけようとした彼女の剣を横殴りに払ったかと思うと、春華は屋根から飛び降りる。
春華の身を守るように、まだ残っていた手下達が囲む。蘭珠も鈴麗その後から続けて飛び降りた。
「お逃げください! 再起をはかるのです!」
春華を逃がそうと立ちふさがった男達と蘭珠、鈴麗の間で争いになる。
「蘭珠!」
鋭い声い視線をやれば、背後から蘭珠に斬りかかろうとした男を、景炎がばっさりと切り捨てたところだった。
――大丈夫。私は、大丈夫。
不意に安堵して、蘭珠は剣を構えなおす。背中を心配する必要はない。だって、背後に景炎がいてくれる。彼がいてくれるのなら――どれだけでも強くなってみせる。
「姉上――なぜ、このような愚かな真似をした」
背中を向けたままの景炎の言葉に、身をひるがえした春華は神経質な笑い声を上げた。そして、剣を構え直す。逃げるのはあきらめたらしい。
「愚かな真似――? そうでしょうね、あなたから見たら愚かでしょうよ!」
すさまじい勢いで突きかかってきた春華の剣を、蘭珠はぎりぎりのところで交わす。そこから後は春華が一方的に押す形になった。
右から左から打ち込まれる剣を、交わしたり受け止めたりするのに精一杯で、こちらから打ち込む隙を見つけ出すことができない。
――あと少し、もう少しなのに。
ここまできて、春華の方も、もう後には引けないということなのだろうか。
「――私が! 男だったら! あんな真似はさせなかった!」
血を吐くような春華の叫び。
――ああ、そうか。
不意に蘭珠は得心したような気がした。婚約者を二人、立て続けに殺されただけじゃない。春華の不満は、どうしても兄弟達の上には立てないこと。
「だけど、あなたの行動は間違ってる! 人を操るのではなくて、別の手段を見つけるべきでしょう!」
翠楽を操り、龍炎を操り、後宮を揺るがした。
「他国に間者を送り込んで?」
春華が笑う。
次々に襲いかかってくる春華の攻撃を受け止め、払いのけ、蘭珠もついに攻勢に出た。
「――そうよ、だって……私は優れた人間じゃないから、他の手段を思いつかなかった」
こんな風に、他の人間を巻き込むべきじゃなかった――幾人もの娘を、自分の協力者として各地に送り出した。
多くの人の手を借りなければここまで来ることができなかった自分の罪を蘭珠は理解しているから――だから、春華が許せなかった。
「――でも、後悔はしないから!」
二人の剣がぶつかり合い、宙に舞ったのは、春華の剣だった。十歩ほど離れたところに落ちたそれに、春華の目が吸い寄せられる。
飛びつこうとした春華の前に、蘭珠は剣を突き出した。
「……これで、終わり」
「――まだよ! まだ、終わってない!」
「いいえ、終わり。回りを見てみなさい」
肩で息をつく春華の視線の先で、景炎が春華の剣を拾い上げるところだった。
地面に倒れる男達の姿。互いに身を寄せ合い、座り込む娘達の姿。
周囲の戦いは終わっていて、最後まで剣を交えていたのは蘭珠と春華だった。
「――広場に爆薬を仕込もうとした者達は全て、死亡するか捕らえるかしました。こちらは、重傷者四名――死亡者はいません。残る者は皆、軽傷です」
そう報告する鈴麗も、腕に傷を負っているようだ。いつの間にか応急処置を終えていたようで、衣の袖は切り裂かれて取り払われ、そこに布が巻き付けられている。
「……いつの間に」
呆然と春華がつぶやいて、その場に崩れ落ちる。
彼女の唇が、かすかに誰かの名を呼んだけれど、それが誰の名前なのか蘭珠に知る術はなかった。




