二人の皇子の確執
春華が口をきいてくれたからなのか、翠楽からは丁寧な謝罪の手紙と、詫びの品が届けられた。
「これ、翡翠の香炉ですよね」
翠楽から届けられた翡翠の香炉に、鈴麗はおっかなびっくりで触れる。
「お詫びの印として受け取っておきましょ。皇太子妃と親しく付き合う気はないけれど。突き返すわけにもいかないし、今回の件はこれで終わり」
蘭珠はその香炉は、箱に入れてしまっておくことにした。高価な品だし、受け取ることは受け取ったが、目につく場所に置いておきたくはない。
そんなわけで、翠楽と話をすることはそれ以降なかったけれど、春華との間には友情らしきものが芽生えていた。
互いに部屋を行き来しては、後宮内の出来事あれこれについて話をしながら、お茶を飲んだり刺繍をしたり。春華が蘭珠の部屋を訪れた時には、花嫁衣装に手を入れることもあった。
最近、二人の間でのもっぱらの話題は、間近に迫った景炎と蘭珠の婚儀についてだ。
「楽しみだわ――お兄様の時と違って、そんなに大げさな儀式ではないのでしょう?」
「景炎様も、あまり大げさにはしたくないって――私も、その方がいいと思うから」
盛大に婚儀を祝うとなると、早朝から婚礼衣装に身を包んで、集まってくる家臣達の祝福の言葉を受けなければならない。
龍炎と翠楽の時には、皇太子夫妻の婚儀ということで、朝も暗い内から祝福に駆けつけてくる家臣達が多かったそうだ。
――それではあまりにも大変だものね。
景炎も望めばその程度の婚儀はできたかもしれないけれど、あまり大げさにしない方がいいだろうと控え目な式にしたそうだ。
なんなら、身内だけでこっそり――ということも考えたらしいけれど、皇子が正妃を迎えるのに何もしないのは国の威信に関わると、最低限のことはきちんと行うことにしたらしい。
――正直に言えば、気も重いんだけど……皇太子に会わないといけないだろうし。
龍炎とは、あれから顔を合わせる機会はない。宴でもあれば別だろうけれど、宮中の行事もちょうどない時期だったし、皇帝の誕生日はまだ先だ。
皇太子の宮で私的な宴は開かれていても、蘭珠がそこに招かれる機会もない。
そんなわけで、翠楽のところに招かれて事件に巻き込まれたあの日以降、龍炎と顔を合わせる機会はなかったのだ。
「では、私はそろそろ帰るわね。また、おしゃべりをしましょう」
立ち上がった春華は、侍女を呼び寄せると足取りも軽く帰って行く。
――春華様は、いつもいい香りがする。
何の香を焚きしめているのかはよくわからないけれど、春華からはいつもふわふわといい香りがする。今度会った時に聞いてみようと思っていたら、するりと鈴麗が近づいてきた。
「百花の者から、報告がございました」
「……そう」
春華と共に使った茶器の片付けを頼んでおいて、蘭珠は鈴麗を伴って庭に出る。開けた場所に出れば、誰も何も聞いていないと判断できた。
「それで?」
「春華様のことですが……あのお年でまだ後宮にいらっしゃるのは不自然だとは思いませんか?」
「でも、喪に服してらっしゃるって……」
春華は皇后の娘であるから、公主達の中でも一番身分が上とされている。後宮内の権力は皇后に継ぐということは、彼女を迎えたいと思う者はいくらでもいるはずだ。
まだ、嫁いでいないのは少々おかしいけれど、喪に服しているのならばありえない話でもなかった。
「二度、婚約者が亡くなったそうです」
「……二人も? 戦で?」
春華の相手が将軍だったら、戦地に赴くこともあるだろう。となれば、戦死したということも十分にあり得た。
「いえ……そうではなくて、暗殺されたというのがもっぱらの噂です」
「暗殺……?」
あまりの言葉に、蘭珠はそれ以上何も言うことができなかった。たしかに、意に沿わない相手を暗殺するというのはよくある話だ。
蘭珠だって、この間薬を盛られた。あの時盛られたのは、身体の動きを奪うだけのものであったけれど、あそこで毒物を盛られていたら蘭珠は命を落としていた。
「……でも、なぜ?」
「お相手が、景炎様の友人だったからではないかと」
「……そんな」
武人肌である景炎には友人も多い。後宮に連れてくることはないけれど、しばしば彼らの屋敷には招かれているらしいと言うのは蘭珠も知っていた。
「だからって……そんな、暗殺なんて」
「春華公主と景炎様の仲が近づく恐れたのでしょう。公主を迎えたとなれば、景炎様の友人の発言力も増すでしょうし、ご友人ならば皇太子のためではなく景炎様のために動くでしょうから」
鈴麗の話によれば、二人とも景炎の友人であるのと同時に有力貴族の息子であったそうだ。
景炎に味方する者にこれ以上力を持たせたくないという龍炎の気持ちもわからなくはない――けれど。
「何も、そんなことまでしなくたって」
――春華様は、自分の身に起こった出来事を、どう思っていらっしゃるんだろう。
春華は、もう時期嫁いで出て行く身だからと多くを語ろうとはしなかった。
「皇太子って――いやな男ね」
それを蘭珠が言ってしまっていい立場なのかどうかはわからない。けれど、龍炎に対する嫌悪感はますます膨れあがるばかりだった。
「……景炎様が皇太子になられたら、こんなことにはならないでしょうに」
「――鈴麗!」
蘭珠に同調するようにつぶやいた鈴麗の言葉には、蘭珠は鋭い声を放つ。慌てて鈴麗は頭を下げた。
「景炎様は、序列は守るべきだとお考えだから。私も……景炎様に同意よ」
家臣達の中には龍炎の人となりに不安を覚えている者もいる。
龍炎が皇太子になったら、国が荒れるのではないかと――けれど、蘭珠はそのことについては、何も言える立場ではなかったから口を閉じておく。
蘭珠の感覚は、完全にはこちらの人間に染まっていないと思う。
景炎が、皇太子の地位を乗っ取ろうとしないのは、不思議なくらいだ。彼だって、二人の友人を龍炎に暗殺されたのだとしたら、もっと復讐心に駆られてもよさそうなものなのに。
――けれど、この国では何より序列が大事。
もし、民の上に立つ者である皇子達が堂々と争いを始めたなら、国が乱れるもととなってしまう。龍炎が景炎をどう思っていようが、景炎の龍炎に対する忠誠心というのはさほど揺らいではいなかった。
――あの事件があるまでは。
けれど、景炎はあの場で龍炎を弾劾しなかった。自分があの場で龍炎を糾弾したならば宮中が乱れることになる。
――景炎様が全てを呑み込むと決めたから、私も全てを呑み込むことにしたんだもの。
龍炎に対する恨みがないとは言わない。けれど、景炎の意志を尊重したいと思うのだ。
「長い者には巻かれろってことでもないのよ。今は――今は、まだ時期ではないというだけ」
もし、龍炎をその地位から追いやろうと景炎が思う時が来たのなら、その時は全面的に協力するつもりでいる。
だから、その時までにもっともっと強くならなくては。そんな蘭珠の思いを知っているのかいないのか。鈴麗はそっと側に寄り添ってくれた。




