◆3◆
榊原恵。アスモデウスをあんな目に合わせた男。
過去の出来事を思い返せば、腹の内からふつふつと怒りが蘇ってくる。
今度会ったら、あることないことでっち上げて警察にいられないようにしてやる、と復讐を誓ったものの、残念ながらその機会にはなかった。
「何で警察のアンタがここにいるのよ!」
びしっと指を差せば、サタンはすかさず言い返す。
「指をさすな。下等生物が」
嫌味を付け加えることも忘れない。
「あら、二人は知り合いだったのね。サタンは警視庁に勤務しているの。階級は確か、警視だったかしら?」
サタンは警視正だ、と訂正するが、レヴィアタンは聞こえていないのか話を続ける。
「キャリア組なんですって。すごいわよね。サタンからは警察の内部情報も仕入れているわ」
初めて出会ったあの時は、どうやら現場研修中だったらしい。どうりで、いくら探しても会えなかったわけだと、アスモデウスは悔しさに顔を歪め、唇を噛んだ。
「ってゆーかレヴィ、このテーブルどうすんの? 強化ガラスにヒビを入れるなんて。ルシファー様がせっかく闇の淵の秘密オークションで競り勝ったのに、これじゃもう使えない」
マモンが呟くと、レヴィアタンが目を吊り上げた。
「ったく、こうなったのは誰のせいよ! あんたたちでしょう!」
優しそうなお姉さんは一変、天女の羽衣に見えたストールは蛇のようにうねっている。
「あ、あの、レヴィさん……?」
「あら……あらあら、ごめんね。ついイラッとしちゃって」
本当はこんなに怖くないのよ、と照れたように肩を竦め笑って話すレヴィアタンのストールは、すでに鋭い目を付けた大蛇に変わっていた。
「いい加減、本性を現せ。嫉妬の悪魔よ」
サタンが軽く嗜めると、レヴィアタンは肩を落として息を吐いた。
「もうっ、せっかく女の子が入るって聞いて楽しみにしてたのに。やさしいお姉さんでいたかったのに、初日からばれちゃうなんて」
第一印象の優しいお姉さんは、まやかしだったようだ。
「まあいいわ、それじゃあ早速仕事にいきましょ」
顔見知りなら、とレヴィアタンは、あろうことかサタンをアスモデウスの教育係に任命した。
二人して文句を言うが、蛇のストールが鎌首をもたげ、黒い霧を発生させるレヴィアタンには、サタンも逆らえないらしい。
小さな声で更年期障害か、と呟いていたのを、アスモデウスは聞き逃さなかったが、レヴィアタンには黙っておくことにした。ブチ切れて発生させる毒霧に巻き込まれでもしたら、たまったもんじゃないから。
「陽動はレヴィとマモンの担当だ。奴らがエンジェルズと暴れている間に、俺たちは目標物を破壊する」
イライラした様子で廊下を歩く彼のあとを、アスモデウスは急ぎい足で追いかける。
「貴様は今日は見学だ。名乗ったあとは余計なことをせず大人しくしていろ」
「ハイハイ」
すると、サタンはぴたりと立ち止まり、振り返ってアスモデウスの首を掴み、壁に押し付けた。
「っ――」
「返事は一度でいい」
「……わかったわよ」
少しだけ緩んだ指の隙間から、アスモデウスは小さな声を出す。
それを見て、サタンは薄く笑った。かと思えば顔を寄せ、アスモデウスの唇を塞ぐ。
「んっ」
手袋の感触がアスモデウスの露出した肌をくすぐるようになぞる。その手は下へと移動していき……
ちゅっと音を立てて唇を離し、サタンの胸を押すと、アスモデウスは目を細め、くすりと笑った。
「なによ、溜まってんならそう言いなさい。あたしが楽にしてあげるから」
言いながら、サタンの頬を指でなぞる。
その手を掴み壁に押し付けると、サタンは低い声で囁いた。
「その言葉、後悔させてやろう」
冷たい石壁の廊下で聞こえるのは、衣擦れの音と、男女の微かな喘ぎ声だった。
◆◇◆
お台場に着くと、すでにレヴィアタンとマモンはキューティーエンジェルズと交戦中だった。
サタンが流した情報により、報道と警察が集まってきてはいるが、戦いが激しいためか、それとも止められているのか、警察は黙って見ているだけだった。
激しい轟音と共に現れたサタンが口上を述べ、次いでアスモデウスも身体をくねらせながら名乗った。
初登場のアスモデウスに、周囲はどよめき、報道のカメラマンは何度もシャッターを切る。現場に集まっていた野次馬はアスモデウスの艶めかしい外見に、すでに心を奪われているようだった。
「遅いじゃないの! 定刻を30分も遅れてるわよ!」
街灯の上に着地したレヴィアタンは開口一番に文句を言った。
激しい戦いだったのか、蛇のストールは半分が焼けただれ、大蛇はぐったりとしている。
「だが、いいデータも取れた。想定外の延長戦を強いられた場合、疲労度60%に対して、レヴィが出す必殺技のパワーは通常の1.2倍。これは偶然か? それとも……」
ぶつぶつと何かを分析し続けるマモン。
「ごめんね。そこのサタンが、どうしても出掛ける前にスッキリしたいって言うから。あたしはこの衣装だからすぐに準備できたんだけど、彼のはボタンが多いから……ねえ?」
肩を竦めて言えば、サタンはふいと顔を逸らして腰のサーベルを引き抜いた。
「キューティー☆エンジェルズよ、貴様らの愚行などまったく意味をなさない。見よ!」
サーベルを天に掲げると、突然空が曇りだし、一筋の雷がお台場の象徴でもある『自由の女神像』に落ちた。
女神像は音を立てて崩れ、ただの瓦礫と化す。
「何てことを……あの自由の女神は、フランスとの友好の象徴なのに!」
「人気の観光スポットを破壊するなんて……ここをプロポーズの場所にしている人もいるのに、許せないわっ」
きゃいきゃいと騒ぐエンジェルズたちを尻目に、レヴィアタンはアスモデウスとサタンを交互に見る。
「あ、あなたたち、任務中になにしてたの!? もしかして……」
「何でもいいだろう。こうして任務は済んだのだから」
「あれ、レヴィも参加したかった? それじゃあ今度は三人でする?」
「それもまた、一興だな」
「三人で、って――な、な……」
何かを察したらしいレヴィアタンは、頬を赤く染めて口をパクパクと動かすだけだった。
その隙に、エンジェルズは大きな十字架を天に掲げる。
「アンジェブラン・ルミエール……アーメン!」
合体技がさく裂し、すんでのところでよけたレヴィアタンは、気を取り直して舌打ちをすると手を挙げて合図を出した。
「ちっ、今日のところは引くわよ!」
「いいデータが取れた。恩に着る」
「覚えていろ、エンジェルズ!」
「じゃあね、色気のないオチビさんたち~☆」
最後にアスモデウスがちゅっと投げキッスをして、セブンス・ヘルは闇へと消えた。
それからしばらくした頃、自由の女神像があった台座の上には、『世界を制する魔王ルシファー様』と題された像が建設されることになった。何故かフランスや近隣住民からの抗議は一切なく、着々と工事が進み、先日竣工式が執り行われたのである。
式典のテープカットにはもちろんルシファー本人も出席し、特集を組んだ情報番組は高視聴率を叩きだした。
セブンス・ヘルが活動を始めて、わずか二か月目のことだった。
◆◇◆
仕事を終えたアスモデウスが、バー『死神の休息』の扉を開けると、カウンター席にはレヴィアタンが座っていた。その隣には金髪の男。敵のミハイルだ。
「それでは、処女受胎とは何か、ご存知ですか?」
「は? そんなの存じないわよ! っていうか離れてちょうだい。私は一人で飲んでるの!」
そんなやり取りを横目に、アスモデウスは椅子を一つ開けてカウンター席に座った。
「はあ……」
マスターは黙ってアスモデウスにいつものドリンクを用意してくれる。にっこりと笑顔でお礼をして、グラスに口を付けた。
けれど、どうしてだか今日は酔えそうもない。
何度目かのため息のあと、蜂蜜色の液体をじっと見つめていると、ミハイルを追い払ったレヴィアタンが隣に移動してきた。
「どうかした?」
心配そうにアスモデウスの顔を覗き込む。
「うん……ちょっと悩んでて……私、隠れMかもしれなくて……どうしたらいい?」
「……え? 隠れ、何?」
「普段はそうでもないんだけど、あの目に睨まれると、なんかおかしくなるの。大嫌いだったはずなのに、ぞくぞくしちゃって、蹂躙されいって思うの。普段はあたし女王様気質だから、どちらかというと騎乗位の方が好きなんだけど。レヴィはそんな経験ない?」
「え、経験? ああ……経験ね、うん。あはは……」
レヴィアタンは何故か視線を逸らし、ついには黙ってしまった。
解決策を見出せないまま、アスモデウスは悩ましげに睫毛を伏せて息を吐く。
「……はあ」
アスモデウスの明日はどっちだ――!?
……To Be Continued.




