the time after the war Ⅰ
あのお見合いの後――。光さんはもう一度私と会ってくれた。
それも私からお誘いしたのではなく、彼から私を誘ってくれたのだ。
正直、あれだけ暴走して、好き放題私の気持ちをぶちまけたにも関わらず、
もう一度会ってくれるとは私自身思ってもみなかったので、彼の母親(一応、お義母さんになるのかな?)から
うちに電話がかかってきた時、私は天にも昇るような思いだった。
そしてそれから私達は良好な関係を築いている……と思う。
何度もデートを繰り返して、今では正式に結婚を前提に付き合っている。
正直、今の彼との関係に不満はなにもない。
不満と言うほどでもないけど、ちょっと辛いのが最近彼が英語に関する資格をたくさん取得して、
彼の務める貿易会社での地位を確立しつつあり、
今では取引などで海外にまで行ったりするほどになってしまったことだ。
おかげで彼は私よりも格段に忙しくなってしまい、会う時間が少なくなってしまった。
最近最後に会ったのは3週間前だ。今彼はイタリアにいる。
一緒にいると、長い間会ってなかった期間の寂しさや辛さは一瞬にして吹き飛ぶのに、
いざ離れる瞬間になると幸せな時間の気持ちの数倍の痛みが私を襲う。
彼が好きなのは変わりない。それこそ、出会ったときから。
それに、あの日『貴方を手に入れたなら、決して放しはしない』と言ってしまったのだから。
辛いのは私だけじゃない――
分かってるのに、でもやっぱり辛い。
そう思うたびに、やっぱり私って弱い人間なんだ、と思い知らされるのだ。
マリッジ・ウォーズ!! 番外編
/ 「The time after the war」/ -完結編 前編- side;美奈
勤務先から、家に帰るまでの地下鉄の中で、私はそればかり堂々巡りしていた。
満員の電車はこれでもか、と人がすし詰めになっていて、私はドアから入ってすぐ真横のスペースに立っている。
人ゴミのど真ん中に立つのだけは避けようとした結果、自然この位置へと来るのはいつものことだ。
ドアの窓には私の顔が映っていて、なんだか浮かない顔をしていた。。
自分じゃそんな顔してるつもりなんかないのに……そう思うとぎこちない笑みが浮かんだ。
窓の向こうでは地下の延々同じ景色が流れている。私の心と同じだ。
そして車内は人がたくさん集まっているせいか、やたらと暑い。
秋から冬になりかけのこの季節、夜は冷えるから一枚重ね着できるようにニットを持参していて、
案の定仕事を終えて店の外へ出るとやはり冷え込んでいた。
日に日に増す肌寒さを、ここ最近は毎日実感している。
だから外にいる間は一枚上着を着ると丁度いい温かさになったのだけれど、ここではそれは暑すぎる。
若干背中に汗がにじんできた感覚を覚えたので、私はニットを脱いで腕で抱えた。
そしてまた私は自分自信の憂いのなかへと落ちていった……
私には距離以外に、距離以上に大きな不安を抱えている。
実際あまり彼と会えないことは気にしていない。
彼が資格を取るため、夜遅くまで勉強していたことは私が一番よく知っているし、そんな彼をずっと応援してた。
そしてやっと彼の念願が叶い、資格を取得した、と電話で知らされた時、私は自分のことに喜んだことを
今でも鮮明に覚えている。
私は、夢を叶え、おそらく今生涯で一番楽しくお仕事している彼の邪魔をするのだけは嫌だった。
そう、つまり私の不安はこれじゃない。
実はまだ、彼は私に一言もはっきり、「好き」と言ってくれたことがないのだ。
三週間前、彼がイタリアへ飛ぶ前日――私はさりげなく彼に「好き」と言わせようとしてみた。
休日私たちは行きつけの喫茶店でいつものように会ってお互いの近況を話していた。
上司が口うるさい、とか後輩が生意気だ、とかまぁほとんどが愚痴だった。
その頃と言えば、彼が私のことをやっと名前で呼んでくれるようになったのだ。
お見合いのときから分かってはいたけど、やはり彼は奥手――というか、
すごく押しが弱いってことを付き合って再認識した。
最初はずっと名字。それから名前に「さん」をつけて美奈さん、と私を呼んでた。
けれど、何故かその頃から私を呼び捨てるようになったのだ。
それはもちろん嬉しいのだけれど、なんだか妙な感じがしないでもなかったがその時は嬉しさだけが心を支配してて
不信感や妙な感じは全くなかった。でも今思うとなんだか変だったな。
とにかく、そこで私は彼からあることを告げられる。
「明後日から、イタリアへ行くことになった」
なんの前触れもなく、彼はそう淡々と告げた。
ただの愚痴から急に真剣な話になったせいで、私は面食らった。
「え、とりあえず、どういうこと?ちゃんと順を追って話して」
そういうと彼は神妙な面持ちになる。
私は飲みかけのウィンナーコーヒーを一気に煽った。
それは冷めかけだったお陰で、なんなく飲み干すことができた。
パニックになったとき、なんでもいいから飲み物を一気に飲みたくなるのは昔からの癖だ。
しばらく沈黙が続いた。
店内にながれるジャズは、店の雰囲気にあったいい曲を選んでて、普段はそんな空間で
楽しくおしゃべりできたが今もそれが耳障りなだけだ。耳を塞ぎたくなるほどに。
たっぷり一分は黙ったままだっただろう。
そこでようやく彼が口を開いた。
「この前、僕がようやく英語関係の資格を取れたのは知ってるだろ?
それで今人手が足りない営業課の方へ移って欲しいと部長から頼まれたんだ。
もちろん、僕は営業課へ移って、実際に海外で取引するために資格をとったんだから
この件は願ったり叶ったりだ。僕はその場でOKの返事をしたよ。」
そう言って彼は喉を潤すためか、ホットのブラックコーヒーを一口啜った。
「美奈はずっと僕が資格取れるまでずっと応援してくれてたし、
海外に行って仕事することもずっと応援してくれてたからこの話、喜んでくれるかと思ったんだけど……
もしかして、嫌、だったかな……?」
そんなことない!、と言おうとしたが、それは声にならなかった。
なぜだかは分からない。私は俯いた。
それに私は光さんが言う通り、ずっと光さんを応援してきた。
いつか光さんが遠くへ行ってしまって、中々会えなくなるかもしれないってことも、ずっと前から分かってた。
揺るがない、はずだった……。
だけど、いざその状況になると平常心ではいられなかった。
どれくらい海外にいることになるの?次会えるのはいつ?私のこと、忘れたりしないかな?
不安が一気に心を満たしてくる。
ホントは、寂しいよ、って言いたかった。行かないでって泣きつきたかった。そう、泣きたかった。
でもここで泣いたらダメだ。光さんが揺らいでしまう。光さんの夢を邪魔してしまう。
泣くな、泣くな、泣くな、泣くな!!そう心に言い聞かせた。
しばらく俯いて、心の中の葛藤を表情から悟られまいと隠していたが、もう大丈夫だ。
偽りの笑顔を無理矢理作った。たぶん、今電車の窓に映る笑みより、上手く出来たと思う。
「嫌な訳ないじゃない!おめでとう光さんっ!私、応援してるね!」
「…………」
光さんは何も言わなかった。代わりに、無言で私をじっと見つめている。
儚いものを見るような、そんな目だ。
無理してるの、ばれたんだろうか……と思ったけど、それは余計な心配だった。
「ありがとう、美奈」
そういって彼はにっこり笑った。
そして再び沈黙。
彼と目を合わせるのがなんだか気まずかったので、私はカフェの窓から外の景色を眺めた。
ちょうどそのとき、私は窓際の席に座ってたことを思い出したのだった。
人通りの多い町中に位置しているこのカフェからは、人の往来を眺めることが出来る。
けど、私はその中でも恋してるであろう人の姿ばかりなぜか自然と拾ってた。
彼氏と手を繋いで歩く子、店の前で恋人と待ち合わせしているであろう子、
あ、あの子はきっと待ち合わせに遅れかけてるな……時計を気にしながら急ぎ足で信号が青になる前に渡った。
なんだかこうしてみると、恋してる人を観察するのって意外と楽しい。
その仕草から、表情から"恋人との時間"を心から楽しんでいるのが分かるから。
なんて、私もそのなかの1人になるんだけどね。
私も、光さんと会ってる時はあんな風な顔をしてるのかな。だとしたらちょっぴり恥ずかしい。
そんなことを考えてたら、さっきまで悲しかった気持ちが全部吹き飛んでった、というには語弊があるかな。
一時的に忘れられた、まるで麻酔を打たれたみたいに。
けどお陰で不安な顔だけは隠しとおせそうだった。
もう大丈夫、と彼の方へ再び顔を向けたけれど、今度は彼が真剣な表情をする番だった。
彼の目線を見る限り、さっき私が見てたものを彼もきっと見ていたに違いない。
しかし、それでどうして彼がそんな神妙な表情になるのだろう……?
「美奈は……」
ふいに彼が口を開いた。けど、そこで言葉が一旦途切れた。
そして少し間を置いて、再び言葉を紡ぎだした。
「美奈はやっぱり、ああいう風にもっと恋人とは……そのなんていうか……
手を繋いだり、腕を組んだりしたいのか?」
ぷっ、と私は吹きだした。
というか、笑いが堪えられないかもしれない。今にも高笑いしてしまいそうだ。
「えっ、どーしたんですか、イキナリ!」
私は軽い感じでそう言った。
「だって今、君、すごく羨ましそうな目で彼らを見てた。」
「…………」
それを聞いたら笑えなくなった。だって、本心を見透かされたのだから。言い換えれば、図星――だった。
「僕はどちらかと言えば、ああいうことを人前でするタイプじゃない。
愛してる、とか堂々と言えたりしないし、気持ちを素直に表現できる人間じゃない。
けど君は違う。恋愛に積極的な君は、もっと僕と触れ合いたい、そう思ってるのかと思ったんだ。」
「それは…………」
この際、はっきりしておこうと思う。私がずっと不満に思っていたことを。
ホントは一瞬の間、しか取らなかったのに、それはやたらと長く感じられた。
ゆったりしたテンポのBGMのジャズが、さらにゆったりと流れているように思えた。
冷めかけの彼のホットコーヒーからは、僅かに湯気が立っていた。
それははっきりとは見えない。
時々思い出したかのように水面から立ち上がり、宙へと舞ってまたすぐに見えなくなる。
私の不満も同じだ。
私はそれを必死で彼に見られないように隠してきた。
けど、ときどきはっと不満に気付かされ、そしたらまた我慢してそれを掻き消して。
水蒸気みたいに、目には見えないけどちゃんと空気のなかには存在してるんだ。
「私のこと好きですか?」
「え?」
「光さんは、ホントに私が好きなんですか?」
私の唐突な質問に、彼は面食らいきょとんとしていたがすぐに立て直した。
「当然じゃないか。そうじゃなきゃ、今こうして君と会ってるはずがない。
あの日、僕は君の言葉を信じた。だからこうして君と付き合ってるんじゃないか」
「光さん……やっぱり貴方は、私が望んだ答えを出してくれませんね。」
そう言って私は苦笑いした。
この場面、この雰囲気、ここまでヒントとシチュエーションを作ったにも関わらず、
彼は私に『好きだ』と言ってはくれなかった。
あぁ、どうして彼は、あと一歩が足りないんだろう。まぁそこが彼の長所であり短所なのだけど。
「なら君は一体どういう答えを望んでいるんだ?」
「それは光さんが考えてください」
ここで私が『好き』と私に言って、と言えば彼はきっと言ってくれるだろう。
でもそれじゃ意味がない。彼の気持ちを確認できたことにはならない。
私が"安心"できない。
と、ここまで考えて私は自分の醜さに気付いた。
――どうして私は自分のことしか考えられないのだろうか、と。
私の表情から全てを悟ったのか、彼はなにも言わなかった。
少し険悪になってしまった。それをどうにか誤魔化そうと私は雰囲気を変えようと試みた。
「宿題です!」
「イタリアから帰ってくるまでに、私が言った言葉の意味、考えててください」
微妙な笑顔を浮かべてこう言ったが、なんて上からの台詞なんだろう。
このときばかりは、私は自分が嫌で嫌でたまらなかった。
そのときの気持ちを引きずったまま、今ここに至っている。
彼が帰って来るのは来月だ。そのとき彼はちゃんと正解を私にいってくれるのだろうか。




