the time after the war Ⅱ
――朝起きると、ソファの上で眠っていた。
1人で住むには少しだけ間を持て余した2LDKのマンション。
部屋の雰囲気は全体的に白で統一してある。
日当たりのいいリビングの窓際に置いた白いソファには、淡いベージュ色のカーテンの隙間から
朝の日差しがさんさんと降り注がれている。
けれども晩秋の今は朝になるとかなり寒く、私は肌寒さを感じて目が覚めた。
昨日、もんもんとした想いを抱えながら帰宅し、化粧を落としてソファに座った所までは覚えている。
が、その後のことは全く記憶にない。おそらくそこで眠ってしまったのだろう。
私は昨日と同じ格好のまま、ソファに横たわっていた。
そのせいで穿いていたスカートに折り目がつき、着ていたシャツには無数の皴がついていた。
それにお風呂にも入っていないせいで、電車のなかでかいた汗が完全に乾き、少し汗臭い。
とりあえず起き上がり、鏡で身なりを確認するが髪も寝癖でぼさぼさで、全く見るに耐えない格好だ。
――ぼろぼろ、まさに文字通り、身も心も……だ。
「私そろそろ限界かな?」
鏡に写った自分へとそう問いかけて、私は少し開いたカーテンを開いた。
マリッジ・ウォーズ!! 番外編
/ 「The time after the war」/ -完結編 後編- side;美奈
とりあえずシャワーを浴びて、朝食を作り始めることにした。
不幸中の幸い、今日は土曜日で私は非番だ。
キッチンの中へと入り、冷蔵庫の中身を確認するが、ろくなものが入っていない。
食パン、4つほど残った卵、牛乳とあとはレタスだけだった。
「…………」
自分の生活感のなさにちょっぴり落ち込んだが、まぁ、そんなにがっつり食べたい気分でもないし
とりあえず卵だけでも焼いて、サンドイッチでも作ろう。
私は換気扇のスイッチを入れ、台所の下にある棚からフライパンを取りだした。
パンをトースターにセットするその傍らでポットにお湯を注ぎ、台にセットしてスイッチオン。
2、3分で注ぎ口からは白い湯気が立ち、湯が沸く音が聞こえ始めた。
一旦スクランブルエッグを作っていたフライパンの火を弱め、
カップにインスタントコーヒーの粉を入れてお湯を注いだ。
そうすると部屋に一気にコーヒーの香りが満ちていく。私はこんな朝の1ページがとても好きだ。
焼いていたパンがトースターから勢いよく飛びだした。
テレビのCMのように綺麗な焼け目がついてはいないが、焦げているわけでもないそれは
三分の一程度は狐色、残りは少し白っぽい黄色の焼け目がついていた。
私は二枚のパンを取りだしてその上にスクランブルエッグとレタスをのせて、
ドレッシングをかけてパンを二つに折った。
そしてそれをお皿には載せずに左手で持ち、もう片方でコーヒーを淹れたカップを持ってキッチンをでた。
リビングのテーブルにカップを置いて、空いた手でテレビのリモコンを掴み、電源を入れた。
特に見たい番組があるわけではないので、つけたときに写ってた番組をそのまま見ることにする。
やってたのは、朝のニュース番組。
画面右上に現時刻が表示されている。そういえば朝起きてから一度も時間を見てなかった。
時刻は7:00となっていた。
私は毎日6時半頃に起きているけれども、お風呂に入った時間と朝食を作るのに要した時間を考慮すると
今朝はそれ以上に早く起きていることになる。
どうやらソファで寝たせいで寝つきが悪かったみたいだ。
それに加えて少し腰も痛い。今度からはきちんとベッドで寝よう。
……と、そんなどうでもいいことを考えながらテレビのニュースを聞き流しながらパンをかじっていた。
キャスターは一生懸命ニュースを伝えようとこちらに話しかけてくるが
私は聞いてないというのにも関わらず懸命な口調なのが少し滑稽だ。
……すると画面がイキナリ国内のものではなく、それが外国の風景であると分かった。
一抹の不安が私の中をよぎる――。
私はキャスターの声に耳を澄ませて、今まで遠くに聞こえたそれを拾い始めた。
『……爆…――3人の日本人……――イタリア政府は……――』
途中から聞き始めたために途切れ途切れにしか音声を拾えなかったが間違いなく「イタリア」というワードが聞こえた。
それは正しかったようで現地のリポーターが移る中継へと切り替わると、
たしかに画面右上に「イタリア爆破事件」と表示されていた。
私はリポーターの声に耳を傾けた。
『えー、日本時間午後8時ごろ、イタリアミラノ郊外の地下鉄が爆破される事件がありました。
乗客150人のうち、34人が死亡。68人が重軽傷をおいました。
さらに乗客の中には日本人も含まれており、死亡者34人のうち日本人が3人、含まれており
現在身元の確認を急いでいます。事件の主犯は……――』
爆発の惨状が克明に写る背景の前で、リポーターは手元の資料を何度も確認しながら
辛辣な表情でこちらを何度も見てきた。
無論、私にはその先は聞こえなかったが。
(イタリア……光さんがもし死亡者の3人の内の1人だったら……)
そう思うと自分自身が消えてしまいそうな不安に包まれた。
慌てふためき、思わずパンを喉に詰まらせかけたので、冷めかけのコーヒーを流し込んだ。
深呼吸して状況を整理すると、あまり不安がることもないだろう――という思いも湧き起ってきた。
私は光さんがどこに出張に行っているのか知らされてはいないが、ミラノにこのタイミングで
光さんがいるとは限らないのだ。特に心配する必要はない……――
……と自分を納得させようと思ったが無理だった。
やっぱり心配だ。心臓を握り潰されるような気持ちだ。
勢いよく立ち上がって、私は机の上に投げ出されたままのカバンの中を漁った。
携帯電話を探すためだ。
発信履歴を開いて携帯のボタンを何度も押す。
上司の名前、友達の名前、それから仕事先の関係者の名前……。
それらのなかに隠れるように、『関本 光――』の名前があった。
それを見つけるやいなや、私は決定キーを押した。
さっそくコール音が鳴る。
プルルルルルルルルル……――。
一回。
プルルルルルルルルル……――。
二回目。
プルルルルルルルルル……――。
三回目。
プルルルルルルルルル……――。
四回目が鳴ったがつながらない。
『おかけになった電話番号は、ただいま電波の届かない所……――』
私は即座に電話を切って、ソファの上に投げつけた。
「なんでっ、こんな肝心な時にっ、繋がらないのよっ!!光さんの携帯はぁっ!!」
そう叫んで、ソファの上にある、昨夜枕代わりにしたクッションを2、3発思い切り殴った。
気が済むまでクッションを殴り、顔をそれの中へと沈めた。
けれどまだ新しいそれは反発力があり、顔を沈め込むと反発して、顔が一度浮いた。
が、顔を押し付けて、思いっっっきり不機嫌な顔を作ってみた。
そのまま顔を押し付けたまま、色々と考えを巡らせる。
彼は今どこにいるんだろう。彼は今無事なのだろうか。彼は私のことを考えているのだろうか。
もし彼が私に、「君は僕の事を考えているのか」と訊かれれば、
必ず私は「考えない日なんてない」と言ってやりたい。
それぐらい好きなんだ。私の全てが光さんだけなんだ。文字通り、彼は私の"光"なのだ。
どんなに辛くたって、会えない日が続いたって、いつか会える日が来るから頑張れる。
なのに今は、会いたくても会えない……。
距離が楔となって突き刺さるのが、こんなにも私を苦しめることだなんて、思いもよらなかった。
まったく涙がでそうになる。
「光さんの…………バカ……」
目に涙を溜めながら、自然とそんな言葉が出た。
体勢が苦しかったせいで、首が痛くなってきたから顔を90度右へ向けた。耳がクッションに沈む構図になる。
そのまま目を瞑ると、溜まっていた涙が零れ、左目の目じりの方へと溜まっていく。
ソファではもう寝まいと決めたのに、私はそのまま、また眠ってしまった。
ピーンポーン――ピーンポーン――
朦朧とする意識の彼方で、僅かにインターホンの音が聞こえた。
時計を見ると、11時過ぎになっていた。
私はその音で目を覚ますと、無意識にシャツの袖で目をこすった。
袖に雫が染み込み、大きな水玉模様が作られる。
私は体を反転して起き上がると、玄関へと向かった。
残念ながら、このマンションにはインターホンの受話器や、モニターがついて無いので
自然と玄関へと足を運ばなくてはならなくなる。
以前この話を光さんにもしたところ、「危なくないか?もし出た時に、変な男がいたりしたら」
と言われた。もっともな指摘だった。私自身、夜に玄関までいって誰か確認するのは怖い。
けどまぁ昼間ならその恐怖感も減る。
この時間なら近くに誰かがいるだろうし、それに今日は休日だからお隣さんも助けてくれるだろう。
私は玄関の覗き穴に目を近づけて、額をドアに当てながら外を見た。
……が、そこにいたのはありえない人物だった。
私はカギを外して勢いよくドアを開けた。
「久しぶり、美奈。元気だったか?」
そこにいたのは光さんだった。
彼は片手を挙げて、「よっ」と言わんばかりの表情をしている。
おそらく、イキナリ登場して私を驚かせようとしたに違いなかったがタイミングが悪かった……。
サプライズが成功したと確信している彼はご満悦の様子で私の怒りにはまだ気付いてないようだ。
「あれ、美奈?どうしたんだ?げっ」
彼は俯いていた私の顔をしたから覗き込んで、ようやく私の本心に気付いたらしい。
「光さん……私がどれほど心配したか……分かってますよね……」
「は?いやいやいや、分からない。僕が何したっていうんだ!?」
「そーおですかぁ……」
彼は、しまった!という表情になった。私の神経を逆撫でしたことに気付いたみたいだ。
「イタリアで爆破事件があった、ていうから心配して、電話したのにも全くでなかったのは、
私を驚かせて遊ぶために電話にでなかったってことですね……」
「いや、違う!?それは飛行機の中にいたからで……」
「光さんの……ブァカぁーーーっ!!」
「ぐはあっ!!」
私は光さんの懐に思い切り頭突きをかました。
彼の体がくの字に曲がり、尻もちをついた。
それを見て少しすっきりした。私は「ふーんだ」と一言止めをさして、ドアを閉めた。
今でもなく、彼はしばらくうちの前に放置された。
数分後。私は少し落ち着きを取り戻して、彼を部屋に入れてあげた。
彼がこの部屋に来るのは多分まだ片手で数えられるくらいだと思う。
どうやら私の予想通り、彼は私を驚かすために休暇を取って、一度こちらへ帰国したらしい。
「やっぱり、美奈の部屋は相変わらず綺麗だな。僕とは大違いだ。」
開口一番、部屋をぐるりと見渡して彼はそんなことを言った。
「おだてたって、無駄ですよ。私、まだ怒ってますから」
「いや、お世辞とかじゃなくて、ホントにそう思ってるよ?」
「う…………」
そう言われると、私は何も言えなくなった。本当に彼はずるい。
久しぶりに会ってそんなこと言われたら、嬉しいに決まってるじゃない。
「あ、まだインターホンの受話器とモニターつけてないのか?
危ないから付けた方がいいって言っただろ?」
「お、ソファのクッション、一つ増えてるじゃんか。」
そんな風に彼は部屋の中の感想を独り言のように繰り返し呟いた。
が、ここで彼が異変に気付いた。
さっきまで私が顔を沈めてたクッションを触ってたのだ。
「もしかして、泣いてたのか?」
「…………」
図星だった。
そんな私の反応を見ると、彼の表情はみるみるうちに変わっていった。
さっきまでとは打って変わって、真面目な表情だ。
「誰のせいなんだ?あ、もしかしてあの上司か?最後に会ったときに言ってた……それとも……」
彼は覚えのある人物を挙げていくが、どれもハズレだ。
彼は自分が一番よく知る人物のことは頭にないようだった。
ここで、「貴方のせいです」と言うほど、私は腐ってはいない。
ただ黙って、無表情で彼を見つめることしかできなかった。
そしてはっと思い出したように、彼はようやく当たりを言い当てた。
「もしかして、僕……のせいなのか――?」
私は黙ってこくり、と小さく頷いた。
彼は何も言わなかった。ただ黙って、私を見ていた。
彼の表情は驚愕の表情から次第に悲しげな表情へと変わっていく……。
彼は目を瞑った。どうやら何かを考えているらしく、しばらく黙り込んでしまった。
その間、ずっと朝から点けっぱなしだったテレビの声だけが部屋に響いた。
バラエティ番組をやってるらしく、時折聞こえる大きな笑い声は
今の状況におそろしく不似合いだったが、部屋全体が沈黙するよりはましだった。
しばらくして、彼に「美奈」と呼ばれた。
彼は一拍置いて、こう言った。
「君が僕に与えた"宿題"の答えあわせをして欲しい」
私はソファに座ってテレビを消して、コーヒーが入るのを待っていた。
光さんが淹れてくれているのだ。
当然強要したわけではなく、私が「コーヒー淹れますね」と言ったが、
彼の方から「僕がやる」と申し出てくれた。
しばらくしてお湯が沸いた音が聞こえ、彼がコーヒーを持って、キッチンから出てきた。
コーヒーが目の前に置かれたとき、「ありがとうございます」と一言言った。
彼は私の向かいに座って、淹れたてのコーヒーを、冷ましながら一口啜った。
「それで――」
「光さんの答えとは、何ですか?」
私はじらすことなく、単刀直入に訊いた。
この3週間、ずっと私を悩ませ続けた問題だ。
早く彼の答えが聞きたいのは当然と言える心理だよね。
けどもし――私が望まない答えだったら――その時は……
そんな考えも浮かんだが、私はすぐに振り払った。
「……僕はそんなに信頼されてないのかな?」
「えっ?」
「僕が君を好きな気持ちは嘘じゃない。
君が欲しかった答えは、僕に『好き』と言って欲しかったんじゃないのか?」
「……そうです。その通りです。」
二つ返事で答えた。
「なら、やはり君は僕を心から信頼してないんだと思う」
「どういう――」
「本当に僕を信じてるなら、言葉に出さなくても、僕の想いが嘘じゃないと分かってくれるはずだ。」
彼のいう事を聞いて、頭になにか重い物がずっしりと落ちた気分になった。
私は今彼が言ったことを否定できないことに、気付いたのだから。
さっきまで私は、彼が"望まない答え"を言ったなら、私は彼と別れることまで決意しかけた。
本当なら、それを言われるまで欲しい答えを言ってくれると信じなきゃいけないのに、
私はそれが出来なかった。つまるところ、彼の言うとおりだ、でも――
「でも、仕方ないじゃないですかっ」
私は涙声になりながら反論した。
「いっつも光さんは、手を繋いでくれないし、なんだか一緒にいても素っ気無いし、
はっきり言ったら『好き』って態度を全く見せてくれないんですもんっ!!」
「っ……」
彼ははっとしたようだった。私は更に畳掛ける。
「不安だったんです。
光さんはホントに私が好きなのかな――って。ずっと。
だから言ってもらいたかったんです。光さんがそういうの苦手なのは知ってますよっ。
でも会えなくなって、距離が出来て。離れ離れになっちゃう前に、私のこと、好きだって。
じゃないと私、光さんを信じられなくなっちゃいそうな気がしたから……」
「美奈……」
言いながら涙が出てきたせいで、最後の方は弱弱しくなってしまったが。
あぁ、もうっ、私はどこまで弱いんだろう。
距離なんかには負けない自信があったのに、今じゃそれももうボロボロだ。
泣き顔は見られたくなかった。こんな弱い姿も、見られたくなかった。
つまり、やっぱり私が私の全部を曝け出せるのは光さんだけだと改めて分かった。
ホント、一瞬でも彼を信じられなかった私が、本当に憎い。
私は袖で何度も顔を擦った。
「……ごめんな、美奈。ほんとにごめん。」
そう言いながら何度も彼は私の頭を撫でた。
私の涙が枯れるまで――。
……――しばらく泣いたら、すっきりした。
ずっと溜まってた不満やストレスが、涙と一緒に全部袖に染み込んだ気がする。
不満を含んだ涙が体から零れ落ちたお陰で、少し気持ち体が軽くなった気がしないでもない。
けれど目は腫れて、顔はぐしゃぐしゃだ。
弱い自分なんかよりも、これの方が見られたくなかったなー……とちょっぴり後悔。
「落ち着いた?」
涙が枯れたにも関わらず、ずっと頭を撫でてくれる彼はそう言った。
「うん、もう大丈夫です。」
鼻を啜りながら応えた。全く女気がない。
やっと部屋は静かになった。
私達は今、夕焼けに染まった道を歩いていた。
実家に荷物を置いている光さんは、一度家に帰るそうだ。
そこで駅まで一緒に歩こう、ということになり、2人並んで歩いているが手は繋いでいない。
途中、道の脇にある公園では近所の子供達が楽しそうに遊んでいた。
中には同じマンションに住む子がいたりして、その子の笑顔はとても印象に残った。
ブランコで遊んでる子、砂場で山を作ってる子、鬼ごっこをしてる子。
遊びは様々だけど、仲間といる彼らの表情は、輝きに満ちていた。
「ホントにごめんな、美奈」
「もう、いいって言ってるじゃないですか」
さっきから光さんは、謝りっぱなしだ。
自分の何気ない行動で傷つけたことがよっぽどショックだったみたいで、
彼はさっきから元気がない。ずっと俯いたままだ。
「けど……僕は明後日にはまたイタリアに戻らなくちゃいけない。
その間、また君が不安になったら……」
「それも何度も聞いてますっ!もうホントに大丈夫ですから!
光さんが私を思ってくれてる、ってことは充分伝わりましたよ。」
弾んだ口調になった。やっと、本来の私のテンションに戻りつつある。
「でも、次はいつ会えるか分からない。
何か君を不安にさせない方法はないかと考えてるけど、情けないことに全く思いつかない。
ホントダメな男だよ、僕は。」
ははは、と自嘲気味に彼は笑った。
それ以来、会話はなかった。
数分歩くだけで、ほとんど夕方から夜の境目へと変わりつつあった。
毎日、目に見えて日が短くなっていくのが分かるぐらいになってきた。
夜の蚊帳が降り始めると、私達の隣をすりぬけて、駆けながら家へと帰る子供たちに何度か会った。
きっと、門限に遅れそうなのに違いない。私はくすり、と笑った。
「どうかした?」
「いえ、なんでもなですよ」
「なんだか嬉しそうだけど?」
「あ、うん、ちょっと。いいこと思いついちゃいました」
「なに!?」
彼は興味深々な様子だった。
「これさえあれば、私は不安になりません!」
そう言うと彼の暗い顔がみるみるうちに、明るくなった。
彼の周りだけが昼間みたいに。
「で、どうすればいいんだ?」
「それはですねぇ……」
私は立ち止まって口に手を添えて、内緒話をする体勢を取った。
それを見た彼は、無言で察して耳を近づけようとしたところに、私はすかさず彼にキスをした。
唇同士が重なり合い、ちゅ、と水音を立てた。
小説なんかで、キスの味を「甘い」とか「しょっぱい」とか表現するけれど
私と彼との初めてのキスはしょっぱいほうだった。
目を瞑っていた私は少しだけ薄目で彼の表情を盗み見たけど、
彼も目を瞑ってたのを確認して私ももう一度目を閉じた。
永遠のように感じる、幸せな時間だ――
やがてどちらからというわけでもなく、唇を離した。
周りはすでに暗くて、人気もない。たぶん誰も見てなかっただろう。
けど気まずさから、私も彼も顔を合わさず前だけ見て再び歩き始めた。
「これでもう大丈夫ですよ」
私は笑顔で言った。でも暗いしお互い顔を見てないせいで、笑ってるとは分からないだろう。
「そっか」
一方の彼の方は苦手なことをいきなりされて、不機嫌気味だった。
顔は見えないけど、声で分かる。あ、もしかしたら、私が笑ってたのも声でばれたかも。
そう思うと自然、笑みがこぼれた。私が笑うと、彼も笑った。
そしてまた静かになった。
目の前には駅が見え始めた。
クリスマスはまだまだ先なのに、もう駅前はクリスマス気分だ。
大量のイルミネーションが、街角にある駅前を彩っている。まるで地面に輝く星のようだ。
季節はまだだけど、綺麗だ、と思った。
何かが、ちょん、と私の手に触れた。
――温かい。
それは何か考える必要なんてなかった。
私は彼が差し出した右手の小指を左手で握った。お互い、顔は見合わせてない。
だけど分かる。
彼も私も、微笑んでるって。
今はまだ小指だけだけど――。
次第に薬指が増えて、中指も差し出してくれて、親指以外は握らせてくれて、最後は両手を握れればいい。
けど、結局私が握ってあげなきゃいけないみたいだけど、それでもいい。
私が彼を離さないと約束したんだから。
私は小指を握った左手に力を入れた。
最後までお互い目を合わせることはなかったけど、手は離さないまま、
星々の彼方へと歩きだした。
fin.




