第6話:不器用な揺り籠
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朝の気配に鳥達が目覚め始める頃。
洞窟の入り口から差し込む光が、私の瞼を叩いた。
隣では、グリムが既に身を起こしている。
ぼんやりと彼を見つめながら、自分の事を考える。
彼は、私のこの小さな命の育て方を、何一つ知らいようだった。
昨夜の「おしめ替え」の緊張がまだ抜けないのか、少し強張った顔で私の様子を窺っていた。
「……アリス。……おきた、か」
彼は、大きな掌をそっと私のお腹に乗せる。
伝わってくる柔らかな体温に、彼はふう、と鼻から息を抜き、安堵を噛み締めるように目を細めた。
今日は、山羊を連れて外へ出る。
山羊は洞窟の奥で退屈そうに前足で地面を掻いていた。乳を出す彼女にとっても、日の光と新鮮な空気は欠かせない。
グリムは私を抱き上げ、帆布で自分の胸元にしっかりと固定する。
それから、岩柱に繋いでいた山羊の紐を解いた。
「……いくぞ」
一歩、洞窟の外へ踏み出す。
眩い陽光に、私は思わず目を細めた。
紐から解放された山羊は、弾むように外へ駆け出した。
グリムは慌てることなく、けれど私に響かないよう静かな足取りで、その後を追う。
山羊は斜面の岩場を軽やかに登り、日当たりの良い場所に生える灌木の芽を見つけては、器用に食んでいく。
彼は、それを見上げ、山羊が滑り落ちないか、周囲に危険がないかを静かに見守った。
「……あそこ、……うまい、か」
山羊の好む芽を見極めながら斜面を誘導し、岩陰の罠に掛かっていた野兎を仕留める。
その一つ一つが、今はすべて私を生かすための動作のようだった。
グリムは迷いなく野兎を仕留め、手早く皮を剥ぎ、内臓を処理していく。
処理した肉を葉に包み、背負い袋にそっと収める手際を、私はじっと見つめる。
昨日の雨で顔を出したキノコや、滋養のありそうな根菜を掘り起こす手つきも、真剣そのものだ。
虫食いや黒ずみがないか、一つ一つ確かめる様子がよく分かる。
少し前までは、私の食事の傍らで自分の分は泥のついた根っこのような芋をそのまま齧っていたのに、今は泥を洗い落とし綺麗にしてから食べている。
もし倒れたら、私の世話をする人がいなくなる、そんなことを考えているのだろうか。
それでも、彼自身の食事の意識が変わったのを、私は素直に嬉しく思った。
やがて山羊が満足したように歩みを止め、日当たりの良い岩棚で座り込んで反芻を始めた。
グリムもまた、その隣に腰を下ろす。
私を腕の中に移し、その柔らかな頬を、大きな指先でそっと撫でる。
「……アリス。……あったかい、な」
風が吹き抜け、森がざわめく。
私は、流れる雲や揺れる葉の音を、グリムの腕の中で感じていた。
ふと、私が小さな手を伸ばし、グリムの指をぎゅっと握りしめる。
その力強さに、グリムは目を見開いた。
「……ちから。……つよく、なった」
出会った頃は今にも消えてしまいそうな赤ん坊だった私が、今は確かな意志を持って彼を掴んでいる。
その小さな変化に、彼は目元を緩ませた。
日が傾き始めると、私達は住処である洞窟へと戻った。
洞窟の中は、最初の頃より、少しずつ様変わりしていた。
冷たい地面の湿気が伝わらないよう、平らな石を並べて土台を作り、その上に乾燥させた苔。
村から持ってきた中で最も柔らかい布を幾重にも重ねている。
さらに、寝床の周りには風除けとして、木の枝を格子状に組み上げ木の皮を貼り付けていた。
彼は私を寝かせると、手早く食事の準備に取り掛かる。
石を組み上げた臨時の竈に火を熾し、今日獲った野兎の肉を炙る。
滴る脂が爆ぜる音。
香ばしい匂いが洞窟に満ちる。
それと同時に、彼は小さな土鍋で山羊の乳を温めた。
沸き立ちそうになる手前で火から下ろし、木皿に移す。
人肌の温もりになったのを確認し、さらに優しく息を吹きかける。
「……アリス。……あつい、……ない。……のめ」
乳を飲み終えると、グリムは私を縦に抱き、大きな掌で背中を軽く、一定のリズムで叩いた。
苦しげに喉を鳴らさないよう、その小さな震えを掌で感じ取っているのが分かる。
満足げに口を閉じると、ようやくグリムは冷めかけた兎の肉を口にする。
噛み締めるたび、火の粉が舞い上がるのをぼんやりと見つめていた。
ただの岩の隙間だったこの場所は、私の匂いと調理の煙、生活の音が混ざり、「家」になりつつあることが伝わってくる。
グリムは私を離さず、自分の腕という名の温かな「揺り籠」の中で私を守っていた。




