ファイル1 首吊る部屋
不動産屋会社の名前の【訳あり不動産】は、普通より安い賃料で貸している「訳あり」物件ばかりを扱う不動産会社だ。
代表者の小林治は、入社希望者・千堂千草と接客室で面談していた。
「どうして、弊社を選ばれたのですか?」
「私、訳あり物件が……大好きなんです。ネットでも毎日探してて……御社は専門と聞いて。」
「はは、物好きだねぇ。でも、うちにはぴったりだ。SEO対策もしてるし、『訳あり物件』って検索するとすぐ出るよ。」
「すごい……私、もっと勉強して、いずれは独立して不動産屋をやるのが夢なんです!」
「ははは、いきなり独立宣言か。いいね、やる気ある人は歓迎だよ。訳ありだねぇ、千堂さん自身も。」
そんな調子で面談は和やかに進み、千堂千草は即日採用となった。
数日後――。
千堂は、不動産屋専門サイトである東日本レインズで相場より安い1Kマンションを見つけた。
「小林さん、この物件、他の部屋よりずいぶん安いですよ!」
「うん、備考欄に『※告知事項あり』って書いてあるな。何の告知事項か、管理会社に確認しよう。」
千堂が連絡すると、管理会社の担当者が、やや小声で答えた。
「……あの部屋、前の入居者が……首を……吊りまして。」
「――なるほどな。」
小林はニヤリと笑った。
「よし、首吊り物件だ。あのお客様に連絡しよう。」
「自殺物件を……探してるお客様、ですか?」
「そうだよ。気にしない人も、世の中にはたくさんいるんだ。現に、問い合わせも多いからね。」
「でも……本当に、住んで大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫も何も、契約時に説明して、本人が納得して借りるんだ。俺たちは何も隠さない。それだけさ。」
そして、遠藤渡という大学生に連絡を取ったところ、「ぜひ内見したい」との返事だった。
千堂は管理会社に連絡し、鍵を手配した。
◆ ◆ ◇ ◇
内見当日。
マンションの前に立つ千堂は、思わず首をすくめた。
どんよりとした空。湿った空気。マンション自体、どこか……呼吸しているかのように見えた。
「千堂さん、鍵、開けますね。」
管理会社の人間が重い鍵を回すと、ギィ……と、音を立ててドアが開いた。
中は、本当に異様だった。
真昼だというのに、部屋はほとんど光が入らない。
バルコニーの向こうは、すぐ目の前に隣のマンションの壁。空など見えない。
さらに、高速道路がすぐ近くを走っており、絶え間ない車の騒音が耳を打つ。
「うわぁ……」
思わず千堂が声を漏らす。
「朝なのか昼なのか、雨なのか晴れなのか……全然わからない……。」
空気も、異様に重い。陽当りのないジメジメしている湿気。
埃とは違う、何か濡れた布のような、鈍くじめついた匂いが充満している。
(ここ……本当に、人が住んでいいのか……?)
バルコニーの天井付近には、微かに
ロープで何かを吊ったような跡が見えた。
「ひっ……!」
千堂は足がすくみそうになった。
すると、遠藤渡が部屋に入ってきた。
「どうぞ、ご覧ください……」
震える声で案内する千堂。
遠藤は部屋を一周し、バルコニーの壁に手を当てた。
どこか、物思いにふけるような、寂しげな表情を浮かべる。
「……まぁ、訳ありだろうなと思ってましたから。」
「え、でも……?」
「安いですし、気にしません。契約します。」
即答だった。
「だ、だいじょうぶですか!? ここ……なにか、すごく……」
「こらこら!」
小林が千堂をたしなめた。
「お客様が納得してるんだ。水をさすな。よし、じゃあ申込書を書いて頂きましょう。」
◆ ◆ ◇ ◇
◆ ◆ ◇ ◇
その日の夜。
千堂は、妙な夢を見た。
■――真っ暗な部屋の中。
■――首を吊った男が、ぶらぶらと揺れている。
■――男の首から、黒い霧のようなものが流れ出し、千堂の方へ――
「首をよこせ、首をよこせ、首を――」
黒い腕が伸びてきた。
「やああああああああ!!」
飛び起きた千堂は、汗びっしょりだった。
◆ ◆ ◇ ◇
◆ ◆ ◇ ◇
◆ ◆ ◇ ◇
半年後。
千堂が何気なく物件サイトを見ていると、見覚えのある物件が目に入った。
「あっ、小林さん! あの部屋……また貸しに出てます……」
「どれどれ?」
小林がパソコンの画面を覗き込む。
「……『※告知事項あり』……また書かれてるな。」
「ってことは……」
「そうだよ。」
小林は淡々と言った。
「首吊る部屋を……また新たに募集をしようか。」
ファイル1 首吊る部屋エンド
※告知事項ありの物件について
「※告知事項あり」とは、不動産の物件情報において、「借りる人・買う人に対して、重要なことを事前に伝えなければいけない事情がある」という意味です。
主な例としては
過去に自殺・他殺・事故死があった(=いわゆる事故物件)
火災や水害などで建物が大きな被害を受けた
近隣に反社会的勢力の事務所がある
建物に重大な欠陥やトラブルがある
住民トラブルや事件が過去に起きた
などが挙げられます。
この「告知事項あり」は、告知しなかった場合、貸主や仲介業者が損害賠償責任を負うリスクもあるので、法律上・業界のルール上、非常に大切な注意書きになります。