第一章 ――木星の空――
初小説です。
ハードSFの分類になりますが、人間ドラマ中心です。
よろしくお願いします、
西暦2348年。
木星圏。
氷衛星エウロパ近傍宙域。
そこには、
人類が木星へ作った、
人工の“新しい衛星”が存在していた。
第三世代居住衛星。
《ヘスペリア-3》。
木星開拓初期。
人類が、
「宇宙で本当に暮らせるのか」
を試行錯誤していた時代に建造された、
古い居住衛星だった。
直径十八キロ。
中央軸を中心に、
巨大な対向回転リングが接続されている。
4基の居住リングは、
互いに逆方向へゆっくり回転していた。
回転によって発生する人工重力。
そして、
衛星全体へかかるジャイロ効果を相殺するための、
対向回転構造。
木星圏開拓初期に設計された、
古典的な宇宙居住方式だった。
ヘスペリア-3。
木星の傍らを回り続ける、
直径十八キロ、幅二キロX4基の回転都市。
外から見れば巨大だ。
だが、
住民の多くはその大きさを意識しない。
生まれた時から、
そこに住んでいるからだ。
人口は約二万人。
木星圏では決して小さくない。
それでも、
街は広かった。
居住リングを一周すれば五十六キロ以上。
住宅区画。
商店街。
学校。
公園。
整備区画。
列車に乗れば、
窓の向こうの景色が延々と流れていく。
急ぐ必要もない。
人は多すぎない。
どこへ行っても、
少し歩けば空が見える。
リングの内側に広がる、
青白い人工空。
さぎりは、
その景色が好きだった。
ヘスペリア-3には四つのリングがある。
だが、
人が暮らしているのはそのうち一つだけ。
残るリングには農場があり、
工場があり、
倉庫があり、
港湾施設がある。
昔から、
「まだまだ空いてるぞ」
と大人たちは笑っていた。
実際、
空いていた。
使われていない居住区画もある。
閉鎖された駅もある。
人口二万人の街にしては、
少しだけ大きすぎる都市。
けれど、
誰もそれを無駄だとは思わなかった。
宇宙では、
余裕こそが命だからだ。
中央部には、
港湾区画
管制区画
工業ブロック
大型融解プラント
が集中している。
一方、
居住リング内部には人工重力が存在する。
そこには、
居住区
農業プラント
学校
食堂
医療区画
が並んでいた。
リングの窓には、
巨大な木星が映り続けている。
褐色の雲帯。
ゆっくり回る大赤斑。
住民たちにとって、
それが“空”だった。
ヘスペリア-3は古い。
外壁には無数の補修跡。
増設モジュール。
露出した配線。
継ぎ接ぎの装甲。
約九十年。
何世代にも渡る修理の痕跡が、
衛星全体へ刻み込まれていた。
でも。
住民たちは、
その古さを嫌っていなかった。
ここは、
ただの宇宙施設ではない。
“故郷”だった。
ヘスペリア-3の人々は、
エウロパの氷で生きていた。
エウロパ上空約七万キロ。
ヘスペリア-3は、
木星とエウロパを見下ろす高軌道を周回していた。
エウロパ氷原から見上げれば、
暖色の光を灯した回転リングが、
空へ浮かぶ人工の星のように見える。
だがその距離は、
決して近くない。
氷輸送船でも、
片道数日。
完全な宇宙航路だった。
ヘスペリア-3の生命線。
それが、
エウロパ氷輸送船だった。
全長約二百メートル。
前後完全対称。
細長い骨格フレーム構造。
平べったい中央船体。
船体上部には、
巨大な氷塊を固定するための外部クランプ群。
前後両端には、
同型の水プラズマ姿勢制御ユニットが並んでいる。
だがそれは、
地球時代のロケットのように、
力任せに宇宙を飛ぶためのものではなかった。
木星圏文明において、
“加速”は船ではなく、
港が行う。
輸送船に搭載された水プラズマ推進は、
主に姿勢制御と、
わずかな軌道修正に使われる程度だった。
推進剤は、
エウロパの氷から得られる水。
それを電力でプラズマ化し、
静かに噴射する。
弱い。
だが、
宇宙ではそれで十分だった。
ヘスペリア-3は、
半径九キロの巨大回転リング都市だった。
リングは約三分で一回転する。
外周速度は、
時速約千七十キロ。
旅客機に近い速度で、
都市そのものが静かに回り続けている。
その回転によって、
リング内部には地球とほぼ同じ1Gの人工重力が生まれていた。
そして同時に。
その莫大な回転エネルギーは、
木星圏物流そのものを支えていた。
氷輸送船は、
外周リングから接線方向へ射出される。
巨大クランプが外れる瞬間、
船はリングの回転速度をそのまま受け継ぐ。
時速千キロを超える初速。
ほぼ燃料を使わず、
エウロパへ向かう軌道へ入るのだ。
リングが、
船を投げる。
それが木星圏の港だった。
エウロパ到着後。
輸送船は、
氷原へ建設された巨大採掘基地へ降下する。
そこには、
十二基の巨大射出カタパルト施設が存在していた。
一本あたり全長五キロ。
エウロパ氷床上を、
ヘスペリア-3方向へ向けて伸びる、
巨大な発射レール。
到着側と射出側は同じ施設だった。
輸送船は、
空荷の状態でそのレールへ滑り込む。
減速噴射は行わない。
輸送船が持つ運動エネルギーそのものを、
基地側設備が受け止める。
《グゥゥゥゥゥン……》
低い振動。
五キロに渡って、
巨大バネ機構が圧縮されていく。
同時に。
カタパルト全域へ接続された巨大フライホイール群が回転を始める。
さらに。
回生発電系統が起動。
輸送船の運動エネルギーは、
基地電力として蓄積される。
木星圏では。
速度すら資源だった。
輸送船は、
停止後もそのままレールへ固定される。
圧縮されたバネは解放されない。
フライホイールは、
巨大な慣性を保持したまま回転を続ける。
蓄積されたエネルギーは、
次の射出に使われるのだ。
エウロパ基地には、
巨大核融合発電炉も存在していた。
重水素は、
エウロパ氷から得られる。
膨大な熱。
蒸気タービン。
発電設備。
氷床下へ伸びる熱交換施設。
白い排熱霧。
基地は、
極寒の氷世界でありながら、
巨大な熱工業都市でもあった。
輸送船が到着すると、
エウロパ側で事前加工されていた巨大氷塊が積み込まれる。
長さ百八十メートル級。
船体全高の二倍近い、
巨大な氷ブロック。
質量は十万〜二十万トン級。
水。
酸素。
重水素。
木星圏文明そのものの材料だった。
そして出航。
射出時。
基地は到着時に蓄積したエネルギーを解放する。
五キロ全域で圧縮されていた巨大バネが解放。
フライホイールの慣性エネルギーが接続。
さらに、
氷積載重量分を補うため、
電磁カタパルトが起動する。
《ギィィィィィン――》
白い氷煙。
低重力。
輸送船が、
巨大氷塊を背負ったまま加速していく。
推進噴射は、
ほとんど存在しない。
船は、
“投げられる”。
そのまま数日をかけ、
ヘスペリア-3へ向かう。
帰港時。
輸送船は、
ヘスペリア-3外周リングの回転方向へ接近する。
完全同期はしない。
輸送船の方が、
わずかに速い。
接岸の瞬間。
巨大磁気クランプが閉じる。
《グゥゥゥゥン……》
船の運動エネルギーが、
リングへ伝達される。
輸送船は減速し、
ヘスペリア-3は回転を維持する。
同時に、
回生発電系統が起動する。
船の速度差エネルギーは、
都市電力へ変換される。
居住区では、
照明がほんのわずかに明るくなる。
木星圏では。
水と、
慣性と、
回転が、
文明を動かしていた。
氷輸送船は、
元々二十隻建造されていた。
だが現在、
運用可能なのは十六隻。
十隻が常時運用。
残り六隻は整備ローテーションへ回されている。
失われた四隻。
そのうち二隻は事故。
残る二隻は、
共食い整備によって解体された。
部品不足。
老朽化。
木星圏文明は、
継ぎ足しながら生き延びていた。
そして。
事故喪失した一隻。
それが、
さぎりの両親を奪った船だった。
幼い頃。
両親はエウロパ基地勤務中、
輸送船事故へ巻き込まれた。
採掘アーム破損。
氷塊崩落。
減圧。
木星圏では、
珍しくない事故だった。
それ以来。
さぎりは整備区画で育った。
だから機械の匂いは落ち着く。
送風機の音も。
循環ポンプの振動も。
全部、“家の音”だった
つづく
大体14章まで続きます、
お付き合いください。




