エピローグ
世界を掌握した暗黒宮廷は瓦礫と焦土と化していた。
魔王ゼムナス・モルグラートは玉座の残骸に横たわり、激しい呼吸を繰り返していた。
全魔力を注ぎ込んだ渾身の一撃も、目の前の人間に傷ひとつ付けることができなかった。
力と恐怖によって世界を支配した魔王にとって、なんたる屈辱か。
「……なぜだ。なぜ何も効かぬ」
魔王ゼムナスが吐き出した血は玉座の黒曜石を汚した。
彼の目の前には、簡素な旅装に身を包んだ一人の青年が立っていた。
「貴様、何者だ?」
「徴収不可避。ただの落ちこぼれさ」
フカヒは、ただそこに立っているだけだった。
まるで昔話をするかのように静かな声で言った。
「日本という国には、徴収家、加算税家、課税家というエリート主義の家柄がある。税を取り立てることを生業にしている一族だ。俺はそこの生まれでね。未来の国税庁長官を期待されて生まれてきたが、落ちこぼれて、いなかったことにされた。徴収家の禁忌であり、仇花さ」
世界から否認され、存在を抹消された男――徴収フカヒ。
徴収家という一族にとっては実を結ばない失敗作だったのだろう。
「仇花とはなんだ?」
「咲いても実を結ばない花。あるいは時期を外れて咲く花」
フカヒは自重するでもなく、ただひたすら淡々と言った。
世を拗ねたような言い草だった。
彼の周囲にはいかなる魔力も、剣の光も、神の祝福も存在しない。
だが、その存在そのものが魔王ゼムナスを絶対的に否定した。
「貴様、この世界の者ではないな。支配の法則に反している」
「ちょっとトラックに轢かれてね。まあ、よくあるやつさ。魔王なら分かるだろう」
徴収フカヒは、やれやれ、とでも言いたげに両手を広げた。
魔王ゼムナスは血の泡を吐きながら、徴税フカヒに訊ねた。
「税とはなんだ?」
「何人も死と税金から逃れることができない。それがこの世界の理だ」
「その税とやらを払わないとどうなる?」
「税は不可避だ。たとえ死んだとしても追いかけてくる」
「滑稽なことだ。死んだとしても追いかけてくるだと? 究極の支配ではないか」
滅びを前にして、ゼムナスは渇いた笑みを浮かべた。
力と恐怖による支配は、魔王たる自身が滅ぼされれば一巻の終わりだ。
それがどうだ。
人間という種族は、魔族の長たる魔王よりもえげつない。
死してなお追いかけてくる「税」なるもの。
新たな支配の法則を発見したことに、純粋な驚きを覚えた。
力でもない。恐怖でもない。
次なる支配の手段を得たことに、最大限の賛辞をくれてやることにしよう。
「感謝しよう、人間よ。また巡り合う時があれば、貴様を配下にしてやってもいい」
「遠慮被る。もう二度と会うこともあるまい」
「笑止。それを決めるのは貴様ではない」
不可避とされた肉体の崩壊は止まらない。
このままでは魂すら虚無に飲み込まれ、完全に消滅する。
どうにかして。
どうにかして、魂だけでも生き永らえさせねば。
ゼムナスの瞳が燃えるように赤く輝いた。
禍々しい光は崩壊する宮廷を突き抜け、次元の狭間に存在する依代へ向かった。
それは遥か遠い未来に生まれ来るちっぽけな「器」だった。
魔王の魂の逃亡先として、この上もなく最適な支配者の血筋。
「……往生際が悪いな」
朽ちかけた肉体の耳には、フカヒの言葉など負け惜しみにしか聞こえなかった。
なんとでも言うがいい。
肉体が滅びようとも、魂さえ逃がすことができればそれでいい。
魔王の魂は高速で時空の奔流を駆け巡り、特定の未来の座標へと接続した。
異世界の奔流の先に、柔らかな温かさを持つ「器」が明確に感知された。
まだ魔力的な素質を持たず、純粋で無抵抗な胎児の器。
魔王ゼムナスは自らの魂を蛇のように細く鋭く変形させ、胎児の器に侵入した。
胎児の未形成の肉を支配するなど、造作もなかった。
「我は死してなお蘇る。何度でも咲き誇ろう」
魔王ゼムナスの肉体は完全に塵と化した。
崩壊した宮廷の瓦礫の中にフカヒだけが取り残された。
「……逃がしたか」
フカヒは崩れ落ちた暗黒宮廷をゆっくりと見渡した。
魔王の肉体は跡形もなく消滅したが、魔王の魂が世界の理の外側へ逃げ延びた、という嫌な確信だけが残っていた。
徴収不可避は空っぽの玉座に座り、やるせない溜息をついた。
「……嫌な予感がするな」
フカヒはかつて自分の存在をなかったことにした忌々しい世界に思いを馳せた。
時を同じくして、加算税家に生まれたばかりの赤子の瞳がすっと糸のように細く見開かれた。
細められた目は、この世界に存在するあらゆるルールを検分し、分析し、効率よく支配するための遠大な計画を始動させていた。
赤子の名は、加算税サグル。
魔王ゼムナス・モルグラートの新たな器である。




