催眠アプリの利用は性的同意を得た上で
「整列!!!」
一人の少年が甲高い声をあげる。声変わりもしておらず、目前でなければ性別に確証が持てなかっただろう。
「黒雪様、ご出座!」
鈴が鳴り、御錠口が開く。和装に身を包んだ女性が扉の向こうから姿を現し、高下駄のコツコツという音を鳴らしながら階段を降りてくる。黒髪の頂上には銀のティアラが輝き、日本かぶれの考えたディズニープリンセスといった出で立ちだ。
「気をつけ! 黒雪様に敬礼!」
廊下の両脇に並び立つ男児が右手を上げ、敬礼を掲げる。親指と小指を繋ぎ、残りの三指を立てるスカウト流。左手は背後に回し、その手には剥きかけのバナナを握っている。
「構え!!」
女性が右手を掲げたのをきっかけに、再び号令がかかる。男児たちは後ろ手のバナナを前に持ち直して両腿でそれを挟んで固定した上で両手を添えた。
「「「お納めください!!」」」
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
階段を降りた女性が一人一人をねぶるように眺め、指を差して数え唄を口ずさみながら選定する。一人の男児の前でその指が止まり、女性はその男児の前に立ちふさがった。
「上げて」
「ありがとうございます!」
女性が手に持った扇子で男児の股間を指すと、少年は股間のバナナを構え直す。バナナが床面に平行になるよりも早く、女性はそれにむしゃぶりついた。
「はむぅっ! んちゅっ、ふちゅる、れるれるれる……。うん、おいちぃねえ! おいちんちんだね!」
「光栄です!」
狂ってる。背後でオタクが呟いた。
***
女は依然バナナをしゃぶっている。オタクは異様な光景を目の前に足がすくんでいるようだった。
これ以上、この色情魔を放っておけば、未成年者の情操教育に多大なる悪影響を及ぼすだろう。ヒロコは女に向かって大声で語りかけた。
「久しぶりだね、黒雪」
「はむっ、じゅぷ、ヂュポッ! あら……誰かと思えば。ヒロコじゃない」
女は袖でよだれを拭いながら応える。射すくめるような細い目がヒロコに向けられた。
「ヒロコさん、あれとお知り合いなんですか」
「そうだね……いうなれば、同志かな。元、だけど」
「同志? よく言うわね。裏切り者の分際で」
女の眼が鋭さを増す。そこに秘められているのは敵意などという優しいものではなく、明確な殺意だ。
「――私達が返れなくなったのは、誰のせいだと思ってるの?」
オタクが固唾を飲む。殺意に当てられてのことか、それとも別の理由か。ヒロコには判別がつかない。
「あのときは、――」
息を吸いながら返す。吸った息が喉で詰まり、言いかけた言葉はうまく出てこない。苦虫を噛み潰したような顔でヒロコは続ける。
「それが正しいと思った。それだけだよ……わたしは裏切ったつもりはない」
「へえ」
虚空からスマートフォンが現れ、黒雪の手元に落ちる。
「つまり、殺されに来たってことでいいのかしら?」
「争うつもりはない。聞きたいことがあって来たの」
「信じられないわね。大体、どうやってこの場所が?」
「何のことはないよ。わたしはただ、ショタを追いかけてきただけ」
ヒロコの回答に黒雪は鼻を鳴らす。
「ショタコンは引かれ合う……結局、貴方の言ったとおりになったわね。ショタという縁が、再び私達を引き合わせた」
黒雪は再びショタの股間のバナナに口元を寄せる。
「ほのほあ、ああはあいっへいはうぃ、んぶ、おっ」
「食べながら喋るなよ」
「それ以前の問題ですよ」
黒雪はバナナから口を離し、口元を袖で拭った。「あの着物相当に汚いな」とヒロコは思った。
「その子が、貴方が言っていた至高のショタ?」
と黒雪がオタクを示す。
「この子はそういうんじゃないよ……ただの転移者。クラス全員こっちの世界に来ちゃったんだって」
「だと思った。あれだけ大口叩いた貴方が、こんな柔らかいグミとか食べてそうなジェネリック中学生で満足していたらお笑い種だわ」
「高校生のことをジェネリック中学生と呼ぶのはやめなよ」
「あら、怒ったの? 別にいいじゃない。この子は貴方にとってなんでもない、有象無象のショタなんでしょ?」
「幼稚な二元論だね。ショタかショタじゃないかでしか人を見れないの?」
「それは貴方のほうでしょ? 見た目がショタならなんでもショタなんて考え方よりも幼稚なものがこの世にあるかしら。義務教育を終えた腐りかけの肉体に欲情するなんて異常性癖としか言いようがないわ」
「よくじょッ……! わ、わたしはそんなんじゃない……!」
「純情ぶってんじゃないわよ」
黒雪は心底軽蔑するような目をして吐き捨てた。
「異常性癖はあなたのほうでしょ!? なんでもかんでも下に結びつけて……ここにいる子たちだってそう! あなたが《催眠》スキルで操ってるだけでしょ!」
「そうよ? なにが悪いの?」
「どうしてっ……! どうして力を正しいことに使おうと思えないの!?」
「これ以上無いくらい正しい使い方だと思うけど?」
黒雪は悪びれる素振りもない。許せない――ヒロコは奥歯を噛み締めた。
催眠や媚薬や惚れ薬というものは、本来両片思いCP小説のためにあるシチュエーションのはずだ。モブが発情しきっているなか想い人だけは普段どおりで「なんであいつには効かないんだろ……そんなに嫌われてるのかな……」「どうしよう、アイツの顔見てるだけでいつもよりドキドキする……! あたしの体、どうなっちゃったの……?(CV:釘◯理恵(斎◯千和でも可))」のためにあるのだ。
もちろん、催眠が成功し、仕手が受け手に後ろめたさを感じながらも発情しきった受け手に欲望の限りを尽くしたあとに自己嫌悪に陥るというパターンもありだ。前者のシチュを『をかし』の文学、後者のシチュを『あはれ』の文学と呼ぶ。同じ元・日本人でありながら、この趣を理解できない黒雪に対しヒロコは憤りを覚えた。
「催眠には信頼関係が必要不可欠だという前提があることを知らないわけじゃないでしょ!? これは催眠じゃない……洗脳だよ! あなたのやっていることは、わたしたちが憎み続けてきた『言葉の誤用からのタグ荒らし』と変わらない! どうしてそれがわからないの!?」
「貴方の純愛至上主義は聞き飽きたわ。貴方にとっての邪道がわたしにとっては王道ってこともあるでしょ。わたしはこっちのほうが興奮するの」
「……やっぱり、わたしたちは相容れない」
ヒロコは虚空からクレジット・カードを引き抜き、黒雪に向かって構える。
「あら、やる気?」
「まさか。ただ質問に答えてもらう……隷属の呪いについて」
ヒロコの口から出た言葉に、黒雪の表情が険しくなる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいヒロコさん……!」
意味不明な単語の応酬に思考を放棄していたオタクが我に返り、ヒロコに耳打ちして尋ねる。
「いろいろ聞きたいことがあるんですけど」
「なに? 手短にね」
「えと、まず……この子たちは一体? なぜ和服を? そもそもこの世界に和服があることも疑問なんですが」
「あの子和装フェチだから」
「そういうことを聞いているんではなく!」
「ごめん、後にしてもらえるかな? あまりここに長居はしたくないの」
ショタたちは皆一様に丈の長いオーバーサイズの着物を着ていた。それらは当然黒雪の趣味でありヒロコの性癖とは齟齬がある。ヒロコはショタに着せる和服は丈の短い甚平のようなものを好んでおり、正反対の嗜好を持つ黒雪とはしばしば対立した。
黒雪がオーバーサイズの和服を好むのにも当然理由がある。彼女は不憫・不幸属性好きで、過去に父親や兄弟を失ったような家庭に問題を抱えたショタを好んでいた。自然、『遺品の着物を切るショタ』というシチュにもよくよく遭遇したのだろう。
そしてもう一つ、彼女が声を大にして語ったのは、「お漏らしや野外放尿シチュにおいて着物の丈が長いほうが映える」ということだった。ヒロコは彼女の発言に怒り狂った。
ヒロコとて甚平以外の和装を絶対に認めないというほど狭量ではない。例えば「なんか神の使い的な人外ケモミミショタが何かしらの聖なる力が宿っている感じの湖で水浴びしているシチュ」においては、着物は長く、体に張り付いているほうが望ましい。水に濡れた裾を絞る「裾絞り」という萌え仕草は、丈が長いほうが普段隠されている内腿が露出してえっちだからだ。しかし黒雪のほうは、そういった風流を理解しなかった。
蓋を開けてみれば、黒雪にとって着物というのは特殊性癖の下味程度でしかなかったのだ。猫も杓子も十八禁にするなどという考え方はヒロコにとって忌むべきもので、和装フェチのくせに和装の持つシチュエーションの可能性をまともに検討もしない黒雪のことを白痴とさえ思っていた。
それでも。
たとえ自らの性癖と離れていても――ショタはショタだ。
ヒロコは何も女性向け作品のショタを選んで萌えているのではない。男性向け作品のモブのような扱いのショタだろうが、男児むけのニチアサのショタだろうが、ショタには相違ない。ショタコンたるヒロコはその引力には抗えないのだ。被催眠状態のショタがひしめき合っているという垂涎モノの状況は、ヒロコの平常心を失わせるに余りあった。ヒロコは二の腕や太腿をつねったり、頬の内側を噛んだりしながら辛うじて正気を保っていた。
「いいじゃない、教えてあげれば」
いつの間にか目前に歩み寄っていた黒雪が言う。
「貴方はもう気づいているんでしょ? 《鑑定眼》を使ったから、この子たちが催眠状態にあるってわかったんだものね?」
「……この子たちは、奴隷じゃない。イ民でもない」
「せぇかぁい♪」
ヒロコの反応を愉しむかのように、黒雪が妖しく笑う。
「この子たちはこの世界の住人よ。私がそのあたりで攫ってきたの」
「っ、……外道が……!」
「奴隷を買い漁ってる貴方に言われたくないわ」
「わたしはちゃんとお金払ってるもん!」
「児童買春は立派な犯罪よ」
「奴隷を買い漁ってる……? ヒロコさんが……? それは一体どういう――」
言い切るよりも早く、黒雪がオタクの眼前にスマートフォンを構える。画面上にましゅまろポップ・ハートの『催眠オン』の文字が現れ、間近でそれを見たオタクはハイライトを失い、瞬く間にトランス状態に陥った。
「な、なにを!」
ヤラれる。ヒロコはオタクの貞操を死守せねばなるまいと二人の間に割り込み立ち塞がる。
「やめて! この子には手を出さないで! 『お互いのショタには手を出さない』――不可侵条約を忘れたの!?」
「わたしはその子をショタとは認めていないわ。それに貴方も、さっき言っていたじゃない……『この子はそういうんじゃない』って」
「そ、そんなの詭弁だね! あなたが約束を守らないならわたしだって――」
「まあ落ち着きなさいよ」
ヒロコの予想に反し、黒雪はオタクに陵辱の限りを尽くそうという素振りは見せない。
「私としてもあまり長居はしてほしくないの。貴方と話しているところを他の四性獣に見られたらどう思われるか……」
四性獣――その名を聞くのも久しかった。自身がそう呼ばれていたのも、遠い過去のことのように思えた。握りしめた拳の内がじっとりと汗ばむ。
もし、この場に他の二人が集まったら――三対一では、さしものヒロコでも到底敵わない。
黒雪は四性獣の中でも温厚なほうだ。ひょっとしたらヒロコよりも。現に彼女のスキルに他者を傷つけるような攻撃的なものは一つとしてなかった。ヒロコがこうして彼女の下を訪れたのも、その性格から過去の確執を理由に即座に襲いかかってくるようなことはないと判断したからだった。
しかし他の二人はそうはいかない。話し合いは見込めないし、二人の前では黒雪も中立の立場を取りはしないだろう。
「あの時のことだって、私は他の二人ほど執着してたわけじゃないし……でもね」
黒雪がスマートフォンを構える。今度はオタクではなくヒロコに向けて。
「私はカマトトが嫌いなの。貴方のこともずっと気に食わなかった……お色気シーンに『この作品にそういうのは求めてないんだけどな~』と長文お気持ちをしておきながらエロ同人には手を出すダブルスタンダード! 消費はするくせに供給を嘲るその傲慢がね!」
ましゅまろポップ・ハートが燦然と輝きを増す。『催眠レベル最高』とある。ヒロコは目を逸らすことなく見つめた。
「本性を晒して貰うわ。あの時の貴方の選択が、貴方の本心からの行動だったと証明できるなら協力してあげる」
スマートフォン上に波紋が広がる。ヒロコはそれを注視した。段々と焦点がぶれ、波の輪郭がぼやけてくる。平衡感覚を失い、意識が朦朧とし、視界が揺らぎ――突然、水を打ったように感覚が元に戻る。
「……ごめんね。それ、もう効かないみたい」
スキル《脳破壊無効》の恩恵。黒雪の《催眠》スキルはもはやヒロコに対しての効力を失っていた。
「また新しいスキル? ……ふん、ならこうするだけよ」
黒雪は画面を再びオタクに向ける。その目は虚ろながらも未だ光を捉えているらしく、オタクの体は跳ね、口の端から涎が落ちた。とっさに《限界超越》を発動しようとするヒロコを、黒雪のほうは見逃さない。
「動かないで! すでに催眠は発動してるわ。今のこの子は、あらゆる言葉を暗示として受け入れるトランス状態。余計なことを言うと、この子の脳がおかしくなっちゃうかもね?」
「やめて……この子は関係ない……。本当にあったばかりなの! ただ元の世界に帰りたがってるだけなんだよ!?」
黒雪は人差し指を口元に当て「黙れ」という仕草をした。とっさにヒロコは黒雪の信者のショタを人質に取ろうと、並び立つショタに目をやり――背筋が凍った。
ショタたちは一様に虚空を見つめ、口元から涎が落ちるのも構わず直立したまま固まっていた。ヒロコと黒雪以外の時間が止まったかのようだった。
これが黒雪の望んだショタハーレムなのだ。自分以外には決して目を向けず、求められるまでは人形のように静止して身じろぎ一つしない。あまりに自己本位で冷酷な仕打ちに、ヒロコは一瞬、怒りよりも恐怖が勝ってしまった。
「『その一、貴方はクズハラヒロコの言うこと、求めることに逆らえない。受け入れてしまう』」
黒雪がオタクにささやく。またしてもヒロコの思考は固まっていた。黒雪の発言の意図が理解できなかった。
「『その二、貴方がクズハラヒロコによって性的なイタズラを受けたとき、再びこの催眠状態となり――目が覚めた時、催眠状態にあったときのことを忘れてしまう」
『本性を晒して貰う』――先刻のやり取りが蘇る。
「『その三、ここで見聞きしたことは全て忘れる。忘れていることに疑問を持たない。これはルールです』」
ヒロコが黒雪の目的を理解した時には全てが終わっていた。
「『私が手を叩くと目を覚まします』……はいっ」
ぱん、と乾いた音。ゆっくりとオタクの目に光が宿る。大きな眼球がキョロキョロと忙しなく動き、ヒロコに焦点を合わせて止まる。
「あれ……ヒロコさん……? すいません、僕……何を?」
「だ、大丈夫? なんともない?」
「はぃ……そうだ、依頼を……じゃなくて、友延さん……友延さんはどこですか?」
「ユカリちゃんならまだ宿屋に――」
歩み寄るヒロコの右腕を黒雪がむんずと掴み、強引に引っ張る。そのまま掴んだ手をオタクの胸まで持っていき、無理やり触れさせた。
「は、え……あ?」
何をされたのかわからなかった。ヒロコは自らの手のひらの中の体温が――呼吸と共に上下する、自分のそれとは違い肉付きの少ない胸が、誰のものなのかすら理解できなかった。理解してしまうことを脳が拒んだ。
「ぁ……」
オタクの目は瞬時に蕩けきった。眼窩の中にはハートマークが見えた気がしたが、ただの幻覚だ。
「私の暗示、聞いてたでしょ? 今なら何してもバレないわよ」
「何してもって……何をさせる気なの……」
「それは貴方が決めるの」
黒雪はヒロコの腕を握る力を抜き、添えるような優しい力で支え直した。
「強制はしないわ。何してもいい。何もしなくたっていい。貴方のしたいようにすればいいの。私はそれを見たいだけ」
「したいように…………」
黒雪の手が離れる。晴れてヒロコは自由の身だ。だというのに、ヒロコの手はオタクの胸に触れたまま動かない。まるで催眠状態にでも陥ったかのようだと思った。それが自分への言い訳だという自覚はあった。
はあはあという荒い息が聞こえる。右手の中で動いているそれとは異なるリズム。それでヒロコは、息の主が自分だと気づく。
「わた、しは……」
緊張からか唾液が増える。慌てて飲み込むと喉の奥でゴクリと音が鳴る。その音が何よりも下品に聞こえて羞恥がこみ上げる。涎が垂れないように口を固く結び、鼻だけで息をする。今度は鼻血が垂れてきた。
「ほら……いいのよ、好きにして。誰も覚えてないし……誰も貴方を裁かないわ。せっかく異世界に来たんだもの、楽しまなきゃ。前の世界ではできなかったこと、したくない?」
それはまさしく悪魔のささやきだった。ヒロコは手を動かさないように細心の注意を払わなければならなかった。ただ手を離す――それだけのことができそうにない。不用意に動かせば、意思とは無関係に愛撫が始まる予感があった。
ヤりたい、ヤリたくない、ヤりたい、ヤリたくない――相反する感情が渦を巻き、ヒロコは涙さえ流した。あまりにも残酷は仕打ちだと思った。この世界に来て以来、成人向け漫画を読む機会などなかった。道行くショタは眼福なれど、決して触れることのできない絵に描いた餅だ。発散されない欲求はうず高く山積みされ、微風に煽られただけでも頼りなくふらつく。今のヒロコにとってこの据え膳は、信念を揺るがすのに十分すぎる馳走だった。
鼻血が滴り落ち、足元に模様を描く。理性までもが一緒に流れ落ちていく気がした。
次に鼻血が落ちたら――そんな考えが脳裏をよぎったとき、オタクが身じろぎした。ヒロコの手がオタクの胸からほんの僅かに離れ、手のひらの中心を何かが掠めた。小さな突起。それがなにか、ヒロコは悟ってしまった。
「う、うあああああああああああああああ!!!!」
右手が勝手に動き、それを摘もうとする。制御不能となった右腕を左手で捉え、ヒロコはスキル《限界超越》を使った。背から二対四枚の光の奔流が現れ、ヒロコの精神を映し出すかのように無秩序に揺らめく。両の鼻穴からは滝のように鼻血が吹き出した。
「汚っ!」
光の帯が幾度となく地面に叩きつけられる。駄々をこねる子供の腕のようでもあった。実際ヒロコは赤子のように首を振っていた。その度に鼻血が宙を舞う。
――そして光と鼻血の氾濫が治まったとき、ヒロコの手はオタクの胸から離れていた。
「……うそでしょ。耐えたの? あの状態から持ち直したっていうの?」
「……っはあ、はあ……! 《限界超越》で血圧を上げた……鼻粘膜周辺を重点的にね」
一度に大量の血液を失い、貧血になりながらヒロコが言う。
「さっきのセリフ、そのまま返すよ……催眠で意識を奪う? 人格を変える? ……そんなの、人格の否定以外の何物でもないよ。ルッキズムはあなたの方だ……自分の理想と違うのが嫌だから。解釈違いが怖いから。幻滅したくないから……催眠なんてものに頼るんだよ。そこに愛なんて無い……コスプレものの二次エロ同人と一緒でね」
血圧が急激に下がったことによってヒロコの頭は冴えていた。俗に言う賢者タイムである。
「わたしは違う。わたしはショタを消費したいんじゃない……ショタと純愛がしたいんだ! だからちゃんと向き合わなきゃ……性的同意を得てからでなきゃ! えっちなことはダメなんだ!」
ヒロコの咆哮。そして静寂が降りる。
「……いいわ、教えてあげる」
しばしの沈黙を、黒雪が破る。
「隷属の呪いについて、私の知る限りを……貴方のその変わることのない大口に寿いて」